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斬魔の剣士  作者: 織部改
第三章 深まる闇
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EP18 新たなる剣

 隼人と美鶴は、郊外にある工房に訪れていた。表札代わりの古びた木製の看板には、“久納鍛冶屋”と彫られている。


 工房の中からは、甲高い金属音が引っ切り無しに聞こえてくる。開けたままの戸口から中を覗くと、数人の男たちが熱されて赤く燃える鉄を打っていた。


「久納さん、長峰です。武器を受け取りに来ました!」


 戸口に立った隼人は、中の作業音に負けないよう、大声で叫んだ。


「おう、来たか」


 男たちから少し離れて作業を見守っていた、タオルを頭に巻いた作業服姿の男が振り返る。


 火に炙られ、日焼けならぬ火焼けした小麦色の肌をした彼が、この工房の主である久納儀武だった。


 神棚に軽くお辞儀をして、隼人は鍛冶場に足を踏み入れる。


「……冬木?」


 後に続いて入ってくるはずの美鶴が足を止めていることに気付いた隼人は、彼女の様子を訝しんで振り返った。


「あの、私が入っても大丈夫でしょうか」


「ほう……若いもんにしては、感心だ」


 美鶴が戸口で尻込みしている理由に感づいた彼は、にっと頬を緩めた。


「入りな。きちんと礼儀を弁えているなら、神様だって怒りやしないよ。ここを預かる俺が保証するぜ」


「失礼します」


 隼人に倣って神棚に礼をした美鶴は、彼の隣まで歩を進めた。


「さて……例の物は持ってきたんだろうな?」


「これと……」


 機関服の内ポケットから札束の入った分厚い封筒を取り出した隼人は、儀武に見せつけるように近くの作業机の上に置き、


「これだろ」


 そう言いながら、片手にぶら下げていた通い徳利を封筒の隣に置いた。


 通い徳利とは、その昔、酒を入れていた陶器の入れ物であり、ガラスの瓶が主流となっている現代では、専ら観賞用として飾られている代物である。儀武の工房に訪れる道中で、隼人は酒屋に立ち寄っていたのだった。


「おお、ありがてぇ……やっぱこいつがないとな」


 姿勢を正し、両手を合わせて仰々しく徳利を拝んだ儀武は、すかさず栓を抜いた。すると途端に華やかな酒の匂いが辺りに広がる。


「はぁ……このために生きてるようなもんだ。そんじゃ、一献」


「へべれけになるのは待ってくれ。武器を先に頼む」


「……仕方ねぇな」


 渋々といった様子で栓を戻した儀武は、作業机の半分を覆っていた防塵シートを無造作に掴み、ばさりと取っ払った。


「これが……」


「ああ、お前さんの武器だ」


 シートの下に隠されていたのは、一振りの対魔刀と一組の穿刃剣、そして四本の短剣だった。台座に乗せられた対魔刀は白鞘ではなく、既に実戦用に整えられている。


「見てみな」


 儀武に促され、隼人は対魔刀を手に取った。ずしりと重い鉄の手応え。初めてその刀を手にしたにもかかわらず、どこか懐かしい安心感を覚えるその重みに、今から目にする刀身への期待感は膨らむ一方だった。


「……」


 意を決して鞘から刀を抜くと、わずかに丁子油の匂いがした。


「これは……!」


 そうして抜き放った刀身を目にした隼人は、思わず感嘆の声を出して食い入るように見入ってしまった。


 艶やかな黒の鎬地に、白く輝く曇りない刃。刃文は鮮明に波を描き、この対魔刀が紛れもない名刀であることを物語っていた。


「使うのがもったいないな……」


 刀を見つめたまま隼人がそう言うと、照れくさそうに儀武が鼻を擦った。


「はっ、馬鹿言っちゃいけねぇ。武器ってのは、使ってなんぼだ。そいつは観賞用じゃねぇぞ」


「でも、本当に綺麗ですね」


「へへっ、嬢ちゃんまでよせやい」


 三人の会話を遠巻きに見ていた弟子たちは、嬉しそうに笑う儀武を目にして困惑した。


「親方、嬉しそうですね」


「あ、ああ……あの頑固親父があんな風に笑うなんて驚いたぜ。あんなの初めてだ」


「そういや魔獣に襲われて亡くなった娘さんは、あれくらいの年頃だったか……」


 訳知り顔をした弟子の一人が、儀武には聞こえないように小声で言った。


「そういうことか。道理で嬉しそうなわけだ……」


 破顔した儀武を遠目に見ながら、しみじみとした様子で弟子たちは話していた。


「……なんだか、九六式に似てるな」


 細かく角度を変えながら刀を見ていた隼人は、ぽつりと呟いた。


「ああ。そいつのベースは戦後の傑作、九六式だ」


 二人が“九六式”と呼んでいる対魔刀は、正式名称を九六式対魔刀という。


 この対魔刀は、装備の更新を目的として大量生産された結果、粗悪になってしまった七二式を反省し、“優れた対魔刀とはなにか”というある種哲学的な問いを原点として、対魔刀の理想を追求した挑戦的なモデルであった。


 果たして七二式対魔刀の改良型である七二式改を世に送り出した葬魔機関工廠は、先の汚名を返上するべく、その誇りをかけて研究に励んだ。


 そうして一〇年にも及ぶ研究の末、目標とする対魔刀は、かつて存在した古の対魔刀である、と結論づけた。


 その対魔刀の再現を目指し、さらに一〇年。葬魔の歴史を紐解くような気の遠くなる過程を経て製作された対魔刀は、職人たちの執念の結晶と呼ぶべき逸品と相成り、折れず、曲がらず、よく切れるという剣の理想を同時に体現した、戦後の傑作と称されることとなった。


 名作を疑う余地のない九六式対魔刀。だが、どんな武器にも欠点はある。


 理想を追求した代償は、当初の想定を大幅に上回るコストという対価で返ってきた。


 採算度外視のため生産性は犠牲となり、試作品を除き、たった二〇振りで製作が打ち止めに至ったのである。


 幾多の魔獣を屠り、数多の葬魔士と民の命を救うはずだった名刀は、皮肉なことに魔獣と戦う機会の少ない首都防衛や要人警護の部隊にのみ配備され、実際に魔獣と相対する現場の葬魔士の手に届くことはなかったのだ。


 儀武が打った対魔刀。その出来栄えがいかに優れているかは、先の隼人の反応が示すとおりである。


「俺の対魔刀――紅羽ノ拵も九六式がベースだったか」


 隼人の言う紅羽ノ拵とは、使用限界を迎え、偽装拠点に置いてきた対魔刀のことである。


「そうだ。お前さんの師匠に頼まれて俺が打った」


「色んな刀を見てきた今なら分かる。あれはいい刀だった」


 遠い目をして呟いた隼人を見て、儀武は首を傾げた。


「ん? なぁ、おい。あれを研ぎに出さねぇってことは……」


「ああ、あの刀は役目を果たした」


 そう言って隼人は、傍らの美鶴にちらりと視線を向けた。


「そうかい……そりゃあ鍛冶屋冥利に尽きるってもんだ」


 目の前の少女を守るために自分が打った刀が活躍したことを知った儀武は、嬉しそうに微笑んだ。


「だが……これもしっかり手に馴染む」


 九六式対魔刀で素振りをした隼人が、実感のこもった声で呟いた。


「だろう? こいつは実質、紅羽ノ拵改ってとこだからな。今回はさらに俺なりの改良を加えさせてもらった」


「改良?」


「こいつには対瘴気加工を三重に施してある。瘴気の汚染を防ぐのもそうだが、強度も大幅に上がってるぜ。象が踏んでも壊れないだろうよ」


「……」


 最後の一言は本当だろうか、と隼人と美鶴は顔を見合わせた。


「次は……これだな」


 対魔刀を置いて穿刃剣を手に取った隼人は、鞘からするりと引き抜いた。


「む……?」


 そうして露わになった刀身を見た彼は眉をひそめた。


 殴るようにして刺突することが可能である特徴的な形状の剣。その分厚く幅広な刃は、鏡のように磨かれている。しかし、剣の腹には、ひっかき傷のような細かい傷が無数に見受けられ、年月の蓄積を感じさせる風格を放っていた。


「これは……新しく打ったようには見えないが?」


「ああ、そいつは工廠を辞める時に倉庫で見つけて持ってきたもんだ」


 微塵も悪びれることなく儀武は言った。


「……盗んだのか」


「失礼な。退職金代わりに貰ったんだよ」


「それってやっぱり……」


 隼人に疑念の目で見つめられた儀武は、眉根を寄せた。


「おい、つべこべ言うなら渡さねぇぞ」


「いや、それは困る」


「なら、黙ってそいつを持ってきな」


「……」


 儀武に凄まれた隼人は、穿刃剣を手にしたまま沈黙した。


「冗談はともかく……今、うちにある穿刃剣で一番いい物がそいつなんだよ」


「そうなのか?」


「不甲斐ない話だが、納得できる物が作れなくてな。いくつか試作したが、強度も切れ味もそいつには及ばなかった……」


 気まずそうに言葉尻を濁した儀武は、荒々しい字で廃棄と書かれた箱を見た。その箱には、失敗作と思われる剣が雑に投げ込まれていた。


「見た目は真似られても、本質はまるで違う。目指すゴールが見えていても、そこに辿り着けねぇ……解を知っていても、式が分からねぇんだ。そいつを作った連中は、とんでもない技術力だぜ、まったく」


「久納さんでも作れないのか……」


「まぁ、おかげで対魔刀を改良するヒントは得られたけどな。ただでさえ小難しい対瘴気加工を三重に施すなんて真似、今の工廠の奴らにはできねぇよ」


 にっと口元を歪めて、儀武はそう嘯いた。


「おたくの支部長様からは“斬魔の剣士に見合う一番いい物を頼む”って注文されたからな。であれば、今ここにあるそいつを渡すのが最善の選択だろうよ」


「だが……いいのか?」


「いいんだよ。どうせ他に使う奴なんていねぇからな。倉庫で眠らせたままにしとくよりは、ずっとましだ。武器としての本懐、果たさせてやんな」


「感謝します」


 礼を言った隼人は対魔刀を背負い、穿刃剣の入った鞘を腰のベルトに吊り下げる。だが、作業机の上には、彼には心当たりのない短剣が残ったままになっていた。


 その短剣について気になった隼人が儀武に尋ねようとした直前、聞き覚えのある忌まわしい声が彼の耳に飛び込んできた。


「――!」


「長峰さん!」


 緊迫した表情に変わった美鶴を見て、幻聴ではなかった、と確信した隼人は短く頷いた。


「ああ、俺も聞こえた」


「魔獣か?」


 隼人と美鶴の様子を目にした儀武の顔に、緊張の色が浮かぶ。


「近いです。ここから西に二キロもないと思います」


「嬢ちゃんも一緒に行くのか?」


「はい、行きます」


「……坊主が戻るまで、ここにいてもいいんだぞ」


 儀武の声には、美鶴を気遣う響きがあった。


「秋山さんに頼まれたんです。長峰さんと一緒にいるように、って」


「え……」


「ふっ、そうか……なら、これ以上引き留めるのは野暮ってもんだろうな」


 困惑する隼人をよそに、口元を緩めた儀武は、机の上の短剣を手に取った。


「坊主、こいつも持っていきな」


 そう言って彼は、手にした短剣を隼人に差し出した。


「短剣は頼んでなかったはずだが……?」


「こいつは……」


 儀武がそう言いかけると、若い弟子たちが駆け寄ってきた。


「俺たちが打ったんです。長峰さんに使ってもらいたくて」


「俺に?」


「長峰さんなら、俺たちが作った武器をちゃんと役立ててもらえますから」


「俺たちは魔獣と戦うことはできない。でも、戦うための武器を作ることはできる」


「一緒に戦うことはできませんが、力になればと思って……」


「そうか……」


 差し出された短剣をじっと見つめた隼人は、微笑みながら受け取った。


「皆の気持ち、確かに受け取った。ありがたく使わせてもらう」


「はい!」


 隼人の言葉に喜んだ弟子たちは声を張り上げて返事をした。


「加勢してやりたいところだが、ここを離れるわけにはいかねぇからな……」


 赤く燃える炉を見ながら儀武が呟くと、隼人は短剣を取り付けた腰のベルトを軽く叩いてみせた。


「久納さんたちには、戦うための武器を用意してもらった。ここからは俺の仕事だ。それに……試し斬りにはちょうどいい」


「ああ、ぜひ確かめてみてくれ」


 期待に昂る様子の隼人に、儀武は不敵な笑みで返した。


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