EP09 邂逅Ⅱ
逃げる美鶴の背を狙って、二体の餓鬼が左右から弧を描くように挟撃してきた。左右から隼人を迂回して美鶴を襲うつもりなのだろうが、それを見逃す彼ではない。左から駆けてくる餓鬼に向かって一足で踏み込んで切り捨てると、少女を背後から襲おうと餓鬼に向かって、袖に隠していた短剣を振り向きざまに投擲する。
短剣は狙い通りに背後から首に刺さり、喉にまで刃先が貫通する。短剣が刺さった餓鬼は、堪らず悶絶し、路上を転がった。美鶴との距離が開いた隼人は、まだ息のあるその餓鬼に止めを刺さず、急いで彼女の後を追う。
美鶴は背後から追って来る複数の気配を感じながらも必死で走り、公園の出口に差し掛かる。すると、道路を照らす大型の水銀灯に乗っていた一匹の餓鬼が、美鶴の頭上へと飛び降りる。
唐突に光が遮られ、反射的に頭上を見上げた美鶴は、餓鬼が落ちてきたことに驚き、立ちすくむ。落下しながら爪を振り上げた餓鬼が吠える。あわやその首が切り裂かれる瞬間、美鶴に駆け寄った隼人は、咄嗟に彼女の腕を掴んで引き寄せ、背後から抱きしめるようにして庇う。その結果、餓鬼の爪は本来の狙いを外れて、隼人の背を切り裂いた。
「ぐっ……」
「長峰さん!」
背中を切り裂かれた痛みに苦悶を漏らし、抱きしめた腕に力が入る。その鋭い痛みに倒れそうになりながらも、痛みを怒りに変えて刀を握る手に力を込める。
「はあぁぁぁっ!」
隼人は腕を解いて振り返り、襲ってきた餓鬼に反撃の太刀を加えた。上段から怒りの刃を振り下ろされ、餓鬼はあっけなくその頭蓋を両断された。
「はぁっ……はぁ……」
振り返った隼人の背中がちょうど美鶴の視界に入る。刀を振り下ろした彼の背中には、深々と爪の軌跡が刻まれていた。どくどくと傷から溢れ出る鮮血で灰黒色のコートが赤く染まっていく。
「そんな……血が……」
怪我におののいて足を止めた少女に向かって、隼人は鋭く叱咤する。
「問題ない……走れ!」
「はいっ……!」
再び走り出した美鶴は、懸命に足を動かしていたが、背後から迫る餓鬼との距離は徐々に狭まっていった。
「このままじゃ追いつかれるな、失礼」
「あっ……」
美鶴の足に合わせて走っていては追いつかれると判断した隼人は、走りながら刀を納めると、右手で美鶴の左手を取って半ば強引に引っ張った。驚異的な速度に面食らいながらも美鶴は隼人の速度に合わせようと必死に足を動かすが、すぐにその背中を追って餓鬼たちが迫って来る。
「後ろ! 来てます!」
偽装拠点の正面ゲートまであと三〇メートルといったところで、美鶴の悲鳴じみた警告を耳にした隼人が背中越しに視線を送ると、複数の餓鬼が二人の影を踏むほど間近に迫って来るのが見えた。
「ちっ……」
舌打ちした隼人が再び前方を見ると、開いたままのゲートの内側から人影が現れる。
「隼人君!」
監視カメラで敷地外部の映像を見ていたのだろう。ライフルを携えた圭介が飛び出してきた。餓鬼に追われる二人を見た圭介は、背後の餓鬼に銃口を向ける。
「そのまま走れ!」
瞬くように銃口から火を噴くと同時に銃声が轟き、背後の餓鬼が倒れた。断続的に射撃を繰り返し、押し寄せる追っ手を正確に射貫く。
「秋山さん、結界を!」
「分かった!」
隼人の叫ぶような指示を聞いた圭介は、銃を背負うと結界を展開するために守衛室へと駆け込んだ。
「車の影に隠れろ!」
「はいっ!」
隼人は美鶴とともにゲートをくぐると、彼女の手を放し、駐車場に停められたハンヴィーの影に隠れるように指差しながら、ゲートの方へ振り返って抜刀する。美鶴は、隼人の言葉に従ってハンヴィーの影に隠れた。隼人たちが敷地内に入ったのを見計らった圭介は、手早く操作卓のキーを叩く。
警告音が鳴り響くとともに敷地を囲むフェンスの基部が発光し、その光の中から半透明の壁が徐々にせり上がって敷地全体を覆う半球状の防壁を展開する。
追ってきた無数の餓鬼が突破しようとその壁に向かってぶつかってくるが、まるで水面に石を投げたかのように表面に波紋が広がるだけで、びくともしない。それでも諦めきれない餓鬼は、獲物を遮った壁を爪や牙を突き立てるが、その守りを崩すことはできなかった。
駄目押しと言わんばかりに、結界の内側にある頑丈なスライド式のゲートがゆっくりと動き、重い金属と金属がぶつかる重低音を響かせてゲートが閉まった。完全に餓鬼が侵入できないことを確認した隼人は、深い安堵の息を吐きだして構えを解く。
「なんとかなった、か……」
「危ないところだったね」
隼人の独り言に答えるように守衛室から出てきた圭介が彼に声をかけた。隼人は結界の外部を睨んだまま、圭介に尋ねる。
「結界はいつまで持ちます?」
「この出力だと三時間が限界かな。それ以上は持たない」
「結界が展開してる間に次の手を打たないと……」
「次の手か……」
隼人は口元に手を当てて、険しい顔をしながら考え込む。その様子を見た圭介は、隼人が偽装拠点を離れた理由を思い出す。
「ところで、彼女が例の念信能力者なのかい?」
圭介は耳打ちするように小声で隼人に尋ねると、美鶴に気付かれないよう、目線を合わせないで小さく頷いて返した。
「そうか」
車の影に隠れていた美鶴は、二人が話している様子が気になるのか、そっと顔を覗かせた。その様子を目ざとく捉えた圭介は、美鶴の方へ向き直ってゆっくりと近づくと、心配そうに胸元に手を当てている彼女へ微笑みかけた。
「大丈夫かい? ここに来るまで大変だったでしょ」
「ここは安全だから、ひとまず休むといい」
「はい……」
隼人の方にちらりと目線を送って考え込む美鶴を見た圭介は、彼女に尋ねた。
「……どうかしたのかな?」
「彼、背中を爪で切り裂かれてひどい怪我なんです。早く治療をしないと……」
「そうなのかい?」
隼人は、少し困ったように首の後ろを指で掻きながら目線を合わせずに答えた。
「えぇ、まぁ……でも大したことない――」
「そんなわけないじゃないですか! あんなに血が出てたのに……」
「まぁまぁ、落ち着いて」
心配のあまり声を荒げた美鶴が隼人の声を遮るようにして詰め寄り、圭介が落ち着かせるように二人の間に割り込む。
「隼人君、ちょっと傷を見せてくれるかな」
「……どうしても?」
「どうしても」
有無を言わさぬ圭介の言葉に隼人は、気が進まない様子で後ろを向き、二人に背中を向ける。その背はコートが斜めに切り裂かれ、切れ目からその下のシャツと肌、魔獣の爪による傷が露わになる。シャツは血に濡れて赤く染まっていたが、傷からの出血は治まり、鮮血を湛える赤い溝に変わっていた。
「出血は止まってるね。そのうち塞がるかな」
「嘘……だってあんなに……」
美鶴が驚きのあまり言葉を詰まらせ、信じられないという様子で口を震わせて首を振る。
「傷の治りは早い方なんだ。さっきも問題ないって言っただろう」
「いくら早いって言ってもそんな……」
「とりあえず事務所に入ろう。ここにいるといたずらに奴らを刺激しかねないし、隼人君も出血は止まっても、傷は深い。一応、治療は必要だろう」
「彼女にも休憩が必要だ。一息入れてから詳しい話をしよう……いいね?」
圭介は美鶴の言葉を遮るようにして、隼人に提案をした。それは提案というよりも命令に近い口調だった。結界の外に視線を向けた隼人は、わずかに間を置いてから彼の提案を受け入れる。
「……了解です」
餓鬼の群れは結界が破れないことをようやく理解したのか、攻撃を止めて不可視の壁を睨み、恨めしそうに牙を剥き出して唸りを上げている。
結界越しに届く怨嗟の声を耳にして、隼人はうんざりしたように深く息を吐いた。




