EP16 模擬戦を終えて
腹部に突きつけられた木刀を見た翔は、降参だ、というように両手を上げた。
「畜生、やっぱお前は強ぇな……」
翔の負けを認める言葉を聞いた隼人は、木刀を握った手から力を抜き、そっと下ろした。
「悪いが、負けるわけにはいかないからな」
そう言うと、隼人は神妙な顔で翔を見た。
「でも、お前があいつらに斬魔一閃を教えてるのを見て、少し安心した」
「安心? 何言ってんだ、お前」
「ああ、いや。先輩らしいことしてるなって思っただけだ」
「まぁ、あれは難しくねぇし。あいつらに教えるのには、ちょうどいいだろ」
「……」
どうやら自身の考えと翔の考えは異なるようだ、と隼人は表情を曇らせる。
「なんで斬魔一閃を最初に教えるか……知ってるか?」
「あ……? 一番簡単だから、だろ」
「簡単、か……」
そう呟いて視線を落とした隼人の反応を見た翔は、首を傾げた。
「違うのか?」
「ああ。斬魔一閃を最初に教えるのは、葬魔士としての心構えを身につけさせるためだ」
「あの剣技は、心に迷いがあれば、失敗する。俺にとって斬魔一閃は、一番簡単で一番難しい剣技だ」
隼人の言葉を聞いた翔は、目を見開いた後、ふっと笑みをこぼした。
「はっ……敵わねぇな」
「なぁ、隼人」
翔は妙に改まった様子で隼人に尋ねた。
「なんだ」
「模擬戦は負けちまったが……ふゆみんが俺と遊びたいって言ったら、いいよな?」
「……まだ言うか」
期待を込めて尋ねた翔に、隼人は呆れ顔を作った。
「せんぱーい!」
観客席に続く階段の方から少女の声がして、ぞろぞろと足音が近づいてくる。後輩葬魔士たちの足音だ。彼らの後ろには、少し遅れて美鶴ともう一人の少女の姿があった。
「惜しかったですね」
「悪いな。負けちまった」
「でも、先輩凄かったです!」
落ち込んだ翔を見た後輩葬魔士の少女が、彼を励まそうと声を上げた。
「……ああ、お前にしては上出来だ」
その時、思いもしない方向から男の声がした。地鳴りのように低く響くその声は、訓練場の入口から聞こえた。
「……?」
隼人たちがそちらに視線を向けると、男が一人、壁に寄りかかるようにして立っていた。短く刈り上げた黒髪に二メートル近い高身長。そして十分に鍛えられていることを物語る血管の浮き出た筋肉質な手足が、ぴんと張ったトレーニングウェアの袖口から伸びている。
「いい勝負だった」
その男は隼人たちに近づくと、白い歯を覗かせて爽やかな笑みを浮かべた。
「隊長……」
「竹見さん」
翔は彼を“隊長”と呼び、隼人は彼を“竹見さん”と呼んだ。
「久しいな、長峰」
「どうも。一ヶ月ぶり……ですか」
「そうか……第五支部の増援に行ったのが、四月の頭だったか。過ぎてしまえば、あっと言う間だったな」
感慨深そうに呟いた竹見は、ふと隼人の隣に近づいていた美鶴に気付く。
「ああ、君か。支部長が話していた冬木美鶴、というのは」
「え? あ、はい……」
急に名を呼ばれて戸惑った美鶴は、曖昧な返事になってしまった。
「失礼。自己紹介がまだだった。私は竹見一希。第一小隊の隊長を任されている」
「第一小隊ということは、松樹さんと梅里さんの……」
「上司、ということになるな。よろしく頼む」
「は、はい。よろしくお願いします」
美鶴と一希のやり取りを見ていた隼人は、彼女の隣にいる志穂に気付いた。
「梅里も来てたんだな」
「うん」
こくりと頷いた志穂は、まるで仲のいい姉妹のように美鶴の傍にぴたりと寄り添っていた。
「なんか……冬木に懐いてるな」
「今度、美鶴と遊ぶ」
「え……」
唐突な志穂の言葉に、隼人は呆気に取られた。
「約束した」
「約束……?」
事情を飲み込めない隼人は、美鶴に説明を求めようと視線を向けた。
「あ、えっと……はい」
隼人にじっと見つめられた美鶴は、答えに窮して苦笑いで返した。
「梅里。松樹の監視、ご苦労だった」
「問題ない」
一希の言葉に志穂は淡々と答えた。
「は? 監視?」
訳が分からない、と言いたげに翔が首を捻る。
「お前を放っておいたら、私宛ての苦情が止まらないからな。松樹のことだ。今だって冬木君を口説こうとしたんじゃないか?」
「そ、そんなことないっすよ……あはは」
一希の指摘に笑って誤魔化そうとした翔を見て、彼は嘆息した。
「まぁいい。これから新人の鍛錬をするから松樹も手伝ってくれ」
「あれ? 隊長がこいつらの教官やるんすか?」
「そうだ」
力強く頷いた一希を見て、隼人は訝しんだ。
「む。松樹、お前さっき……」
「え? あーいや、あれはだな。あはは……」
しどろもどろになった翔にいくつもの冷たい視線が突き刺さった。
「私は支部長に呼ばれて遅くなったんだ。別に遊んでいたわけではないぞ」
「……おい」
「さーてと、俺は飯でも食ってくるかな。そいじゃ!」
隼人に睨まれた翔は、脱兎の如く訓練場から逃げ出した。
「先輩、行っちゃった……」
「まったくあいつは……」
肩を落とした後輩葬魔士と落胆した様子の一希を見た隼人は、決心した顔で美鶴の方を向いた。
「冬木、鍛錬に付き合ってもいいか? 乗り掛かった船ってやつだ」
「ええ、大丈夫ですよ」
二人の話を聞いた一希は、どこか困った表情を浮かべた。
「それはありがたい……が、お前たちは支部長室に行ってくれ。用があるとのことだ」
「用?」
「ああ。お前の武器が出来上がったと聞いた」
「俺の武器が……!」
隼人は思わず上擦った声を出した。
彼は牛頭山猛との戦いを踏まえ、自分の武器を新調したい、と支部長に要望を出していたのだった。
期待感を隠し切れない隼人の声を耳にして、一希は笑みを漏らした。
「ふっ……分かったら、行ってくれ。お前もよく知っていると思うが、支部長は気が長くないからな。怒られるのは、勘弁したい」
「了解です。そういうことなら、失礼します」
「失礼します」
隼人に倣って礼をした美鶴は、自分をじっと見つめる志穂の視線に気付いた。
「ばいばい」
美鶴が志穂に向き直ると、彼女は小さく手を振った。
「ばいばい、梅里さん」
そう美鶴に返された志穂は、少し寂しげな表情をして手を下ろした。
「……志穂」
「え?」
「志穂って呼んで」
まっすぐに自分を見つめる志穂の瞳を見つめ返し、美鶴はそっと微笑んだ。
「じゃあ……ばいばい、志穂ちゃん」
「うん、ばいばい。美鶴」
志穂と一希、そして後輩葬魔士たちに見送られながら、隼人と美鶴は訓練場を後にした。




