EP12 心無くして士成らず技無くして剣成らず
「んじゃ、ギャラリーはギャラリー席に行ってくれ」
翔は背後にある階段を登った先の観客席を親指で指し示した。
「む……? 離れて見れば大丈夫だろ」
「はぁ……これだからバカ峰は分かってねぇな……」
「おい、そのあだ名はやめろ」
不本意な呼ばれ方をされた隼人は、わざとらしく肩を竦めてみせた翔をむっとした表情で睨んだ。
「いいか? これはな、俺たちの世紀の一戦を後輩ちゃんたちによく見てもらおうって俺の心意気なんだよ」
「惨めに負ける姿を晒したいのか?」
「うっせー! 負ける確率はゼロじゃねぇって後輩ちゃんも言ってただろうが!」
反撃するように厳しい口調で返した隼人に、顔を真っ赤にした翔が怒鳴った。
「ほら、行った行った」
「はーい」
後輩葬魔士がぞろぞろと観客席に向かって歩き出すと、彼らに混じって隼人も後に続こうとした。
「お前は行くな!」
「む。バレたか……」
「バレバレだっつの!」
翔に怒鳴られた隼人は、小さく溜め息を吐き出して元の位置に戻る。
「先輩、頑張れー」
「マッキー先輩、ガンバ!」
「任せとけ!」
「……」
後輩葬魔士たちに応援されている翔を見た美鶴は、隼人を応援するべきか躊躇していた。
「何してるの?」
「え……」
背後から声をかけられた美鶴が振り向くと、観客席に向かう後輩葬魔士と変わらない年頃の少女が立っていた。
美鶴よりもやや小柄で空色の髪をサイドテールにしたその少女は、トレーニングウェアではなく葬魔機関の制服に身を包んでいた。
「こっち」
仏頂面でそう言った彼女は、美鶴の背をぐいと両手で押した。
「あ、ちょっと……」
美鶴は背中を押されるがまま、隼人たちから引き離されていく。
「あれは……」
一瞬、見覚えのある後ろ姿を目にした隼人は、思わずそちらに気を取られた。
「おーい、どうした?」
「いや、なんでもない」
「……?」
ふと自身から目を離した隼人の様子を、翔は訝しんだ。
「松樹、模擬戦を始める前に一つ聞いてもいいか?」
「おう、なんだよ」
どこか改まったような隼人の声を疑問に思いながらも、翔は軽い調子で返事をした。
「なんであいつらに斬魔一閃を教えていた?」
「あ? そりゃ、あいつらが知らなかったからに決まってんだろ」
「知らなかった?」
翔の答えを聞いた隼人は、眉をひそめた。
「あいつら、教導院で斬魔一閃を教わってないんだと」
「なに……?」
隼人は耳を疑った。
斬魔一閃は、対魔獣戦闘に特化した剣術――斬魔流剣術の基礎となる剣技である。基礎を教わっていないとなると、当然のことながら、その応用や発展など望むべくもない。
彼がここまでこの剣技に固執するのには、理由がある。なぜ斬魔一閃という剣技を最初に教えるのか。それは葬魔士として最も大切な心構えを身に付けるためだ。
敵の攻撃が届く間合いへ踏み込む覚悟と剣を迷いなく振り抜く度胸。どちらかが欠ければ、この剣技は必ず失敗する。
だが、もしその二つを成し得るなら、この剣技は魔を葬る必殺の一閃と化す。
恐れを吞み込み、魔に打ち勝つ。斬魔一閃は、葬魔士の在り方を体現した剣技なのである。
「……」
近年、近接戦闘が軽視されている風潮があることは知っていたが、まさかここまでとは隼人も考えていなかった。
いくら優れた銃火器があるとはいえ、いざという時に最低限の心得がなければ、ただ死を受け入れるほかない。
最後まで足掻く者が勝利をもぎ取ることを隼人は知っている。ある選択肢を摘み取るということは、即ち生存の可能性を奪うことと同義なのである。
機関の教育指針に疑念を抱いた隼人の表情が次第に険しくなる。そんな彼の反応を見た翔は、頷く代わりに鼻を鳴らした。
「お前の反応も分かるぜ。俺も最初は信じられなかった。斬魔一閃もそうだが……あいつら、餓鬼を見たこともないってよ」
「……嘘だろ」
「マジだ」
きっぱりと翔に言い切られ、隼人はひどく動揺した。
「認定試験の最終課題で見るだろ。あの森で餓鬼に遭遇しないのは、まず不可能だ」
「その試験、なくなったぜ」
「は……?」
驚愕のあまり、隼人は口を開けたまま絶句した。その衝撃は、もし剣を握っていたなら、思わず落としていたかもしれないほどだった。
「危険だから、だとさ。今の新人は魔獣一匹見ないで葬魔士になれるらしいぜ」
「ちょっと待て。あいつら、見習いじゃなくて正規の葬魔士なのか……!?」
「おうさ。この春ウチの支部に入った新人だぜ」
「……驚いたな。まだ子どもじゃないか」
「よく言うぜ。お前だって一四の時には、刀担いで瘴気の霧ん中を駆け回ってただろ」
「それはそうだが……いや、俺のことはいい」
話の流れを切るように強い口調で隼人が言った。
「あの試験がなくなったのは、まだ理解できる。だが……魔獣を、敵を知らずにどうやって戦うっていうんだ」
「さぁてね……ウチの隊長の話じゃ、正規の葬魔士にするまでは、なるべく危険を避けるようにってお達しなんだと。どうもお上は葬魔士の増員を急いでいるらしいぜ」
「要は、とにかく使える駒を増やしたいってわけだ。質より量ってとこか」
「質より量……」
人命軽視にも受け取れる翔の言葉を聞いて、隼人は眉根を寄せた。
「仕方ねぇさ。ただでさえ葬魔士は万年人手不足だってのに、この春は何人死んだか分からねぇ……昨日、食堂で見た顔が今日はない、なんてざらだ」
「……」
支部に戻ってから見かけなくなった者がいたことを思い出した隼人は、わずかに俯いて沈黙した。おそらく慰霊室に灯されていた火の一つは、彼を弔うために灯されたのだろう。
「……だが、練度不足でやられたら、増員したところで元も子もないだろう。ただ死人を増やすだけだ」
苦虫を嚙み潰したような顔で隼人が言うと、翔は能天気に笑った。
「はっ、その心配は無用だな。この支部には、俺たちがいるじゃねぇか」
「どういう意味だ……?」
「俺たちが教えてやれば、いいんだって言ってんの」
「俺たちは教官じゃないだろ……む?」
そう言いかけた隼人は、訓練場にいるはずの教官が不在であることに気付いた。
「そういや教官はどうした? まさか新人だけで自主鍛錬ってわけじゃないだろ」
「さぁな……どっか遊びに行ってんじゃないか?」
「なに……?」
翔がとぼけた口調で言うと、隼人はまたも眉をひそめた。低く呟くように言った彼の声には、翔が畏縮するほどの強い怒気が含まれていた。
「あーいや、俺もさ、偶然ここを通りかかってよ。こいつらが剣を振ってるのを見て、なんか変だと思ったんだよな。んで、話を聞いたら、もうびっくりよ」
「まさかお前、それで鍛錬に付き合ってたのか」
「まぁ……そんなところだ」
毒気を抜かれて瞬きを繰り返す隼人を見た翔は、妙な照れをその顔に滲ませながら笑みを浮かべた。
「教官の真似事をやってみたが、加減がむずいな。お前の言うとおり、あれはへっぽこだわ」
くしゃりと髪を掻き乱した翔は、何か思い立ったのか、不意に声を上げた。
「あ、そうだ。お前が手本を見せてやったらどうだ? 斬魔の剣技なら、お前以上の手本はないだろ。きっとあいつらのためになるぜ」
「俺は、ものを教えるのが上手くない。俺は……到底、手本にはなれない」
苦々しい表情で隼人が呟くように言うと、翔は鼻で笑った。
「んじゃ、あいつらが死んでもいいのか?」
「なっ、それは……!」
「上手い、下手の問題じゃねぇよ。現役の俺たちがやらねぇでどうすんだよ。なぁ、隼人。お前が師匠から教わったのは、剣の技だけか?」
「――!」
翔の言葉に心が揺らいだ隼人は、瞠目して彼を見た。
「先輩方のことを悪く言いたくはねぇが、大半の教官連中は引退して余生の暇潰しでやってるようなもんだ」
「まぁ、気持ちは分かるぜ。熟練の葬魔士は五体満足に引退しても、瘴気を吸ったせいで長生きできねぇからな」
「長く戦えば戦うほど、瘴気の毒に身を蝕まれる……か」
偽装拠点での戦いの最中、瘴気を吸い込んで血を吐き出した圭介のことを、隼人は思い出した。
瘴気への耐性は個人差がある。葬魔士が常人よりも瘴気耐性があったとしても、身を蝕まれることに変わりはない。恒久的に影響がないわけではないのだ。
微量であれば自然に排出されるが、体内に残留した瘴気は徐々に蓄積し、いずれその身を亡ぼす猛毒と化す。
葬魔士の平均寿命が三三歳と短いのは、それが原因だった。
「ああ。でも、それとこれとは話が別だ。それであいつらの指導が半端になっていい理由にはならねぇ……」
「あいつらは、まだ本当の魔獣も葬魔士も知らない。何も知らずに教えずにこのまま戦場に放り込むなんて、見殺しにするのも同じだ。んなこと、お前できるか?」
「……」
翔から視線を外した隼人は、しばし黒い右手を見つめて沈黙した。
彼の言葉は正しい。何も教えずにこのまま実戦に投入することは、少年たちを見殺しにするのと同義だ。
それに技の伝授は、戦闘技術の継承だけが目的ではない。長きに渡る魔獣との戦いで培われた技は、濃縮された歴史の一滴であり、技を伝えることは文化の継承でもあるのだ。
先人から託された想い。脈々と受け継がれる葬魔の理念。葬魔士として生きるならば、それらを絶やすことはしてはならない。
心無くして士成らず。技無くして剣成らず。
斬魔流の教えであるこの言葉は、隼人の剣の師である養父が常々口にしていた言葉だった。彼はもういない。だが、彼が隼人に託した技の数々は、隼人の中に息づいている。その身が果てようと、技は残ったのだ。
技の継承は、想いの継承。その全てが伝わらずとも、伝えられずとも、彼らなりに感じ取るものがあるだろう。今はまだ、全てを理解する必要はない。
戦いの中で、日々を生き抜く中で、いつか気付く時が来るだろう――いつかの隼人がそうだったように。
「……できない」
「だよな」
右手で拳を作り、顔を上げた隼人が答えると、翔は満足したように口元をふっと緩めた。
「御託をいくら並べても、仕方ねぇ。百聞は一見に如かずってな。技ってのは、見て盗むもんだ」
床に転がっていた木刀を拾い上げた翔は、隼人に投げて寄越した。
「ま、それならせめて見応えのある手本がないとな」
「松樹。そのために、わざと……」
緩い放物線を描いて飛んできた木刀を受け取った隼人は、呟くように言った。
「あ? 俺はふゆみんと遊びたいだけだっての。これは……そう、あれだ。ハードルが高いほど恋は燃え上がるってやつだ」
「……素直じゃないな、お前は」
木刀を持ち替えた隼人は、何度か軽く振って手の感触と剣の重量を確かめる。猟魔部隊の攻撃により、右手にわずかな痺れが残っているが、大した問題ではないだろう。
「へっ、お前ほどじゃねぇよ」
肩を竦めてみせた翔は、隼人から視線を外し、観客席の方を見やる。美鶴と後輩葬魔士たちは、観客席の最前列からこちらを見下ろしていた。
「さて、ギャラリーの準備はオッケーだな」
観客席に視線を走らせた翔は、木刀を中段に構えた隼人の方を向くと、自身の肩を木刀で軽く叩いた。
「やる気出たか? ガチで来いよ。一遍、本物の葬魔士ってやつをあいつらに教えてやろうぜ」
そうして木刀を肩に担いだ翔は、そのまま腰を落とし、突撃体勢を整える。
「分かった……本気でいく」
研ぎ澄まされた刃のように鋭い目付きに変わった隼人は、眼前の葬魔士を迎え撃つべく手の中の木刀を握り直した。




