EP11 地下訓練場にて
慰霊室を出た隼人と美鶴は、支部の地下を散策していた。目的地を決めていたわけではない。地上階は、陽子や玄造と鉢合わせする可能性があるため、地下の施設を見て回ることにしたのだ。
「いつも思うんですけど、地下は寂しい雰囲気ですね」
打放しのコンクリートで囲まれた殺風景な廊下に、美鶴の声が響いた。
「む? 冬木、地下に来たことあるのか?」
「医務室まで、ですけど」
「ああ、そうか。桑野先生の医務室は地下だったな」
「地上階は外部の人間も出入りするから、上は見栄えを良くしているって聞いたな。なんでも財力という指標で外部に力を誇示するため、とか」
昔、第三支部に来たばかりの頃に聞いた噂を思い出しながら、隼人は話した。
「秋山さんの話じゃ、ロビーに置いてある花瓶は、どれも五〇万円は下らないらしい」
隼人の話を聞いて、美鶴は支部のロビーを思い浮かべた。壁や柱の近く、受付……至る所に大小様々な花瓶が置かれていたはずだ。
「えっと、いくつありましたっけ……?」
「さすがに数えたことはないな」
「そ、そうですよね」
指折り数えていた美鶴は、その指を慌てて背中に隠して苦笑した。
「あれ……?」
そうして会話が途切れた一瞬、廊下に反響する靴音に混じって遠くから聞こえてくる物音に、美鶴は気付いた。耳を澄ましてみると、子気味よく響くその音は何かを打ち合わせているようだった。
「どうした?」
美鶴の数歩先を進んでいた隼人は、急に立ち止まった彼女の様子を訝しんで振り返る。
「何の音でしょう」
「ああ、剣の鍛錬をしてるんだろう」
こっちだ、と隼人が彼女を案内する。
「ほら」
第二訓練場と銘打たれたプレートが貼られた部屋の前で立ち止まった隼人は、中を指差した。
部屋の扉は大きく開け放たれており、そこから音が廊下に漏れていた。入口に立った美鶴が中を覗くと、トレーニングウェアを着た若い葬魔士たちが木刀で打ち合っていた。
「この音だったんですね……」
「木刀を打ち合う音だな」
金属とはまた違う乾いた響きの快音は、隼人にとっては何ら珍しい音ではないが、美鶴にとっては聞き慣れない音だった。
外部の体育館と似通った訓練場は取り分け見応えがなく、隼人は後回しにしようとしていたが、意図せずこうして訪れることになった。
「あっ……」
訓練場について何から説明したらいいものか、と隼人が頭を悩めていると、何かに気付いた美鶴が不意に声を上げた。
「あれって……」
彼女の視線を辿ると、青年と思しき金髪の葬魔士が木刀を振りかぶり、盾代わりに木刀を構えた練習相手の葬魔士目掛けて突進するところだった。
剣を振りかぶって突進し、一気に間合いを詰め、突進の勢いを上乗せした強力な斬撃を叩き込む。その一連の動きに見覚えのあった隼人は、腕を組んで小さく頷いた。
「斬魔一閃だな。葬魔機関で教える斬魔流剣術。その中でも最初に習う基本の技だ」
そう言った隼人は、不満そうに眉をひそめた。
「しかし、あれはお粗末だな。踏み込みが甘いし、振りも遅い。あんなんじゃ、敵の反撃を受けて……」
隼人がそう言うや否や、振り下ろされた木剣は練習相手の葬魔士にあっさりと弾かれ、反撃の一打を胴に叩き込まれる。
「ほらな」
「練習だからでしょうか。手加減をしてるように見えましたが……」
反撃を受けた葬魔士を擁護するように美鶴がそう言うと、隼人はかぶりを振った。
「練習であれじゃ、本番はもっとへっぽこだぞ」
「へっぽこ……」
隼人の評価が面白かったのか、美鶴は反芻するように繰り返した。
「練習だからこそ――」
「あ? 誰がへっぽこだって……?」
反撃を受け、痛みに悶えていた金髪の葬魔士は、隼人と美鶴の会話を耳にして二人の方に顔を向けた。
「む……」
その葬魔士の顔を見た隼人は、露骨に嫌そうな顔をする。
「あー! 隼人、お前いつの間に戻ったんだよ!」
大声でそう叫んだ彼は、木刀を片手にずかずかと大股で二人に近づいてくる。ぼさぼさに伸びた金髪に、粗暴さを感じる語勢。荒々しい雰囲気を醸す青年だった。
「あいつは……」
「お知り合いですか……?」
「一応な。はぁ……」
いかにも億劫そうな様子で、隼人は大きな溜め息を吐き出した。
「戻ったなら声くらいかけろよ。お前がいねぇと、張り合いがなくてつまんねぇって……んんっ?」
青年は隼人の隣にいる美鶴に気付くと、彼女をじっと見つめた。
「えっと、こんにちは……」
困惑した美鶴は、ぎこちなく微笑みながら、彼に挨拶をした。
「おいおい! 誰だこの子! 俺、こんなかわい子ちゃん知らねーぞ!」
「教えてないからな」
興奮してまくし立てる青年を突き放すように、冷ややかな目をした隼人がそう言った。
「教えろよ!」
「んで、誰ちゃん?」
「誰が教えるか」
しつこく尋ねる青年に、隼人はけんもほろろに返した。
「お前には聞いてねぇ! 俺は、このかわい子ちゃんに聞いてんの!」
「えっと……」
仕方ない、という様子で隼人は一度、目を瞑った。それが答えていい、という合図なのだと美鶴は察した。
「第三支部特戦班に配属されました冬木美鶴です。よろしくお願いします」
「特戦班って……おいおい! 支部長の懐刀じゃん!? マジで!?」
隼人と美鶴の顔を交互に見ながら、彼は驚きを声にして叫んだ。
「……マジだ」
「へぇ……すげぇな」
金髪の青年葬魔士は、しげしげと美鶴を見つめた。遠慮なく視線を注がれた彼女は、その視線から逃げるように一歩後ずさった。
「あ。俺、松樹翔ってんだ。人呼んでマッキー・ショーとは俺のことさ」
そんな美鶴の様子に気付かない翔は、ぐいと身を乗り出し、親指で自分の胸を指しながら自己紹介した。
「誰も呼んでない」
「うるせー」
翔は隼人に向かって親指を下げるジェスチャーをすると、再び美鶴に向き直った。
「冬木ちゃんはさ、俺のこと知ってる? 俺ってば、有名人なんだぜ」
「そうなんですか?」
美鶴は言葉の真偽を確かめるように、隼人の方をちらりと見た。
「悪い意味でな」
「隼人さぁ……無名より悪名って言葉知ってるか?」
「悪名って自覚はあるんだな」
「おうよ。悪のカリスマだぜ」
「それは違うだろ……」
屈託のない笑顔で答えた翔を見た隼人は、呆れ声でそう言った。
「あ……」
二人の会話を聞いていた美鶴が、はっとして小さく声を漏らした。
「もしかして、第一小隊の松樹さんですか?」
「……え?」
予想外の言葉を耳にした隼人は、驚きの表情で彼女を見た。
「ほら見ろ、隼人! やっぱ俺、有名人じゃん!」
「冬木、どうして知ってるんだ?」
「桑野先生から聞きました」
「なるちゃんから聞いたの? へー、なんて?」
“なるちゃん”とは、話の流れから察するに桑野成実医師のことだろう、と美鶴は理解した。
「えっと……その、危険人物だから気を付けるように言われました」
「そうそう。俺ってば危険人物なんだ……って、違ぁう!」
突然、翔に大声を出された美鶴は、驚いて肩をびくんと跳ね上げた。
「どこが危険よ!? 人畜無害を絵に描いたような男でしょうよ!」
「どっからどう見ても危ない奴だぞ、お前」
「それはつまり、危険な魅力に溢れた男だと……?」
「それはない」
「ある!」
「その自信はどこからくるんだ……」
「ここだ!」
にっと笑顔を作った翔は、自分の胸を親指で指し示した。
「ポジティブなんですね……」
「おうよ。俺ってば、葬魔機関の陽の面を一手に担う男だからな! エブリタイムポジティブハートだぜ」
「……それは否定しない」
溜め息混じりにそう言った隼人に、翔は親指を立てて返した。
「んで、お前らは何しにここに来たんだ? その格好、鍛錬ってわけじゃねぇだろ?」
「ああ。支部の中を案内してたんだ」
制服姿の二人に視線を走らせた翔が尋ねると、真顔に戻った隼人が答えた。
「ふぅん……んじゃ、俺も行くか」
「む。鍛錬の途中じゃないのか、お前」
「いいんだよ、細かいことは気にすんな」
「松樹先輩。教官の代わりに稽古してくれるんじゃなかったんですか」
「えっ? マッキー先輩どっか行っちゃうの? あたしの相手は?」
遠巻きに見ていた葬魔士たちが、困惑の声で尋ねた。
その面々をよく見ると、まだあどけなさが顔に残る少年少女たちだった。おそらく歳の頃は、一〇代半ば。正規の葬魔士ではなく、まだ見習いなのだろう。
「んなもん終わりだ、終わり。また今度な」
「そんなぁ……技を教えてやるって言ったのは、先輩じゃないっすか」
「ひどいですよ! 先輩!」
翔を囲んだ後輩たちが続々と抗議の声を口にすると、彼は鬱陶しそうに手を振った。
「うるせー、俺は忙しいんだよ」
「お前な……」
“先輩”と呼んで慕っている後輩たちを邪険に扱う翔を見て、隼人は呆れ声を出した。
この男、松樹翔は、根は悪い男ではない。後輩たちに慕われている様子から分かるとおり、元来、面倒見のいい陽気な青年なのだ。しかし、お調子者気質と美人に弱い性格が災いし、度々騒動を起こすトラブルメーカー的側面を持ち合わせているのだった。
「あ。なら、隼人が稽古つけてやれよ。俺がふゆみんのこと案内してやるからさ」
「え……ふゆみん?」
突然、翔に“ふゆみん”と呼ばれ、美鶴は困惑した。
「こいつ、すぐ人にあだ名を付けるんだ」
「んで、どうよ?」
「断る。お前に冬木は任せられない」
ぶっきらぼうに隼人が言うと、翔は彼を睨みつけた。
「はぁ!? お前、何様だよ?」
「まぁ、確かにこの子に先輩は似合わないっすね……」
「なっ!? 黙ってろ、お前!」
ぽつりと呟いた後輩葬魔士の脳天に、翔は拳骨を振り下ろした。
「いってぇ……殴るのは酷くないっすか?」
「殴られるようなことを言ったお前が悪い!」
「横暴だ……」
「よーし、こうなったら俺がお前に勝って、ふゆみんを案内するぜ」
張り切った様子の翔がそう言った。
「どういう意味だ」
「模擬戦やろうぜ、模擬戦」
翔が木刀の剣先を隼人に向けると、彼はいかにも面倒そうに渋面を作った。
「模擬戦?」
「ルールは一本先打。肩、胸、胴のどこかに先に一太刀入れた方が勝ち。どうだ?」
「え……やめといた方がいいと思いますよ」
「いくら先輩が近接戦闘に自信あってもなぁ……」
「あっちの先輩も強そうですよ?」
「私の計算によると、松樹先輩の勝率は、三パーセントです」
「そんなに低くねぇよ! その一〇倍だ!」
「一〇倍しても三〇パーセントなんですけど……」
「あ? じゃあ、一〇〇倍にしろ一〇〇倍!」
「今度は一〇〇パーセント超えてるっす」
「う、うるせー! 圧倒的勝率ってやつだ! てか、俺が勝つと思わねぇのか、お前らは!」
口々に翔を止めようとする後輩葬魔士たちに、彼は拳を振り上げて怒鳴った。
「俺は……やらない」
「ははーん、さては負けるのが怖いんだな?」
にやりと笑みを浮かべた翔がそう言うと、隼人は首を横に振った。
「違う。面倒だからだ」
「へっ、別に逃げてもいいんだぜ? そしたら、不戦勝で俺の勝ち。俺はふゆみんと一緒に遊んでくるからな」
「先輩、それはあんまりっす」
「えー。遊ぶなら、あたしと遊んでよ」
「お前ら、ちっと黙ってろ!」
「ひぇ……」
後輩葬魔士と騒いでいる翔を横目にして、美鶴は隼人に近づいた。
「長峰さん、どうします?」
「松樹は、ああ見えて悪い奴じゃないんだ。ただ……」
耳元に囁くような小声で尋ねた美鶴に、隼人も声を潜めて返した。
「ただ?」
「色々と面倒くさい」
「あ、はい……なんとなく分かる気がします」
目の前で今まさに騒ぎを起こしている翔を見て、美鶴は苦笑した。
「ここで無視すると、後で難癖つけられるだろうな……仕方ない」
ようやく踏ん切りがついた隼人は、翔の方へと向き直った。
「分かった。一本だけな」
「おう。負けたから、もう一本ってのは無しだからな!」
「それは俺のセリフなんだが……」
今日、何度目か分からない溜め息を吐き出した隼人は、呆れた表情で翔を見た。