EP09 思わぬ来訪者Ⅱ
玄造を応接室に連れてきた陽子は、彼とテーブルに向かい合って席に着いた。彼の背後には、途中で合流した一人の若い男の部下が立っている。
二人が着席して程なくすると、支部の女性職員がカップやティーポットの乗ったカートを運んできた。
「突然の訪問になってしまい、申し訳ない。連絡を入れるよう指示をしたのだが、どうやら手違いがあったようだ」
カップに紅茶を注いだ女性職員に軽く会釈した玄造は、陽子に向き直って言った。
「構いませんよ。しかし、まさか御堂課長がこちらにいらっしゃるとは驚きました」
「ははは……たまには娘に会いに来ないと、顔を忘れられてしまうので……」
苦笑いをした玄造は、後ろ手に後頭部を掻いた。その様子をどこか冷ややかな目で陽子は見つめていた。
彼は浅江の父親であるが、本部の人間でもある。このタイミングで訪れた真意は別にある、と陽子は睨んでいた。
御堂玄造。故郷を魔獣に襲撃され、両親を失った浅江を救い、養父として彼女を育てた葬魔機関本部に勤務する葬魔士。
浅江に剣技を伝授したのも玄造であり、彼自身も相当な腕利きである。そんな玄造だが、現在の彼は剣を振るうことは滅多にない。七年前、肉体の衰えを理由に一線を退いたのだ。
彼自身、隠居することを公言していたが、魔獣討伐や後進育成といった長年の功績が評価され、半ば強引に留め置くかたちで、葬魔機関本部の隠れ蓑となっている蒼馬重工――正式名称、蒼馬重工業株式会社本社の営業戦略課課長を任命されていた。
「ああ、そうだ。こちらはお土産です。甘いものはお好きですか?」
そう言って玄造は部下に合図すると、彼は手に持っていた紙袋を陽子に見えるようにテーブルの上に置いた。その紙袋は、都内にある有名な老舗洋菓子店のものだった。
「なんて間が悪い……」
医務室での出来事を思い出した陽子は、無意識に眉間にしわを寄せた。
「ふむ。何かおっしゃいましたかな……?」
陽子の様子に玄造が訝しむと、彼女は慌てて笑みを作った。
「いえ、お気になさらず。ありがたく頂戴します。後で娘さんと一緒にいただきますよ」
そうして一呼吸置いた陽子は、その表情を引き締める。玄造を捉える彼女の双眸は、刃のような鋭さがあった。
「それで……一体どのような用件でこちらに? まさか本当に娘さんに会いに来られただけではないでしょう」
「単刀直入とは、実にあなたらしい」
陽子の視線を受け流すようにカップに手を伸ばした玄造は、紅茶を一口啜った。そうして彼は、カップ越しに陽子の背後にいる女性職員をちらりと見た。
「外してくれ」
玄造の視線の意味を理解した陽子は、女性職員に退出するよう指示した。
「……かしこまりました」
陽子の言葉に従って応接室から女性職員が退出すると、玄造はカップをテーブルに置いて深く息を吐きだした。
「実は、猟魔部隊に所属する葬魔士をこちらで救助されたとお聞きしまして……」
「ええ、確かに一人救助しました。ちなみに彼を救助したのは、あなたのご息女ですよ。御堂課長」
「なんと浅江が……それは、褒めてやらねばいけませんな。そうか。浅江が……うむ」
陽子から娘の活躍を伝えられた玄造は、何やら考え込んで口髭を撫でた。
「おっと、いけない。話を戻しましょう。それでですな……彼を返していただきたいのです」
「返せとは……随分な言い方ですね。こちらは彼を救助し、治療を施しているというのに」
「これは失礼。つい、気が逸ってしまった。どうやら私は、上からの命令で焦っているようです」
「上から……?」
玄造の言葉を耳にした陽子は、首を傾げた。
「そういえば、なぜ課長が彼を迎えに? 猟魔の者が来るべきでは?」
「それが……たまには娘の顔を見てこい、と猟魔部隊の副隊長から言われましてね」
猟魔部隊の副隊長である金倉智己と陽子は、先日の戦闘で火花を散らしたばかりだった。陽子が取り仕切る管轄で無法な振舞いをし、そのうえ牛頭山猛を拘束するために隼人を攻撃の巻き添えにした。報復を恐れる彼が第三支部に近づくことを避けようとするのは、想像に難くない。そのため娘がこの支部にいる玄造を使者として送り込んだのだろう、と彼女は推測した。
「なるほど。ご息女がこの支部にいるあなたなら、話が早い、と」
「ははは……困ったものです。定年間近の老いぼれを顎で使うんですから」
そう言って苦笑した玄造を見た陽子は、深く息を吐き出した。
「事情は分かりました。治療中のため、容体が落ち着いたら移送の準備をします。それでよろしいですか?」
「いえ、今すぐ移送の準備を願います」
「今すぐ?」
想定外の回答を耳にした陽子は、眉をひそめる。
「彼は重傷です。下手に動かすのは、よろしくないと思われますが……?」
「上の命令は、生死を問わずに連れ帰れ、とのことですので」
そう答えた玄造の声は事務的な響きを帯びており、彼の目から朗らかな笑みは消えていた。
「そうか……彼ではなく、彼の持つ情報が重要なのか」
「左様」
侮蔑混じりの声色で陽子が指摘するも、玄造は取り乱すことなく肯定した。そうしてテーブル越しに二人の視線がぶつかると、どこからともなく湧いて出た暗雲が空を覆うように、剣吞とした空気が部屋を満たした。
「我々は、彼に尋問をするつもりはありませんよ」
「その言葉、私は信じても上は信じないでしょうね。残念ながら」
「……」
どの口が、と悪態をつきそうになった陽子だったが、喉元でどうにか押し留めた。
「ああ、それともう一つ。あなた方は、あの場で武器を回収しているはずだ。それもこちらに引き渡してもらいたい」
「禁門の矢のことですか? あれは事後処理のため仕方なく回収しました」
「違う。同じ葬魔兵装であっても、あれは別格だ」
とぼけた調子で陽子がはぐらかすと、重い声色で玄造が否定した。
「そうか。やはりあれは……」
「ええ。葬魔機関が長年探し求めた葬魔兵装、その一つです。猟魔部隊は、牛頭山猛があの剣を手放す機会をずっと窺っていました」
これが本当の目的か、と陽子は心の内で呟いた。
牛頭山猛との戦いの後、事後処理を行った第三支部では、瘴気に汚染されている可能性があるため、回収物の調査を行った。
回収物の中には、現場に残っていた猛の大剣もあったのだが、調査の結果、彼の大剣が現代技術を用いても作製不可能な代物であることを突き止めた。
剣の材質が瘴気に由来する物質であり、何らかの加工を施し、剣として形成している。そこまでは分かったものの、一体どのようにして形作ったのか、それが解明できなかった。
未知の理論、未知の技術。それらを用いた者となれば、自ずと正体は限られる。そして今、完全な回答が示されたことで、陽子の疑念は確信に変わった。
「……破砦剣、ですか」
「そのとおり。彼の葬魔の騎士が振るう砦破りの剣。伏魔士が鍛え、呪堕を切り裂いたとされるあの魔剣は、この支部に置いておくには危険すぎる」
「……」
陽子は内心、歯嚙みをした。時間があれば、より詳細な調査ができたものの、連日に渡る激務が続いたこの支部に、そんな余力は残されていなかったのだ。
「しかし本部に移送したところで盗まれたら意味がないのでは? そう……纏魔甲冑のように」
「ふっ、ご存知でしたか……」
「先ほど全支部に通達が出されましたから」
陽子からそう伝えられると、玄造はあからさまに落胆の表情を浮かべた。
「ほう、そうでしたか。誇り高い彼らなら、意地でも隠し通すとばかり思っていましたが……期待外れですな」
「ですが、ご安心を。本部の警護は強化されています。そうですな……他支部の諜報部では手を出せない程度には強化されたかと」
どうやら第三支部が探りを入れていることは本部に筒抜けだったらしい。陽子は動揺を顔に出さないように不敵な笑みを作った。
「そうですか。それなら私の心配は杞憂ですね」
「ふむ……どのような?」
「鎧を奪われ、剣も奪われたとなれば、本部の面子は丸潰れになるかと」
涼しい顔で陽子がそう答えると、玄造は堪えられない、というように吹き出した。
「ふっ、ふふ……あっはっはっは!」
ひとしきり笑ったところで、玄造はその顔に哄笑の余韻を残したまま、口を開く。
「はぁ……失礼。しかし、それは余計な心配ですな……東雲支部長」
「履き違えられると困りますが、私が件の剣を要求しているのは、面子の問題だけではありません。この支部を守るためでもあるのです。力を求める者が、彼の武器を奪おうとここを攻撃するかもしれない」
「この支部に一国の軍隊に匹敵する部隊と戦うことができますかな?」
「――!」
あからさまに脅迫する玄造に、陽子の眉が跳ね上がった。彼がほのめかしているのは、陽子が要求を呑まなければ、本部は猟魔部隊を差し向けるということだろう。
これまで第三支部の管轄をうろついていた牛頭山猛の追跡部隊ではなく、支部攻撃のために編成された実力部隊。対策も万全でない状態でそんなものに攻め込まれたら、一支部に過ぎない第三支部は、あっという間に陥落することだろう。
「どうです?」
続けて畳みかけられたその問いは、胸元に銃口を押し付けて脅迫するようなものであり、彼の目は、返答次第では、即座に引き金を引くと言わんばかりだった。
おそらく既に支部の管轄外縁には、部隊が待機しているのだろう。何やら怪しい動きがあることは陽子も察知していたが、この早すぎる報復は想定外だった。そう、猟魔の者が来なかったのは、これが理由だったのだ。
「……手段を選ばなければ」
毒蛇がその牙をちらつかせるように、陽子は白い歯を覗かせてそう言った。
勝算がないわけではない。損失を度外視し、犠牲を厭わず、何が何でもお前たちに一矢報いてやる。そんな凶暴な気迫が彼女にはあった。
それが虚勢でないことを目聡く見抜いた玄造は、さっと顔色を変えた。
「ご冗談を。その手段を選べば、どの道待っているのは破滅だけ。現実的ではない」
陽子を落ち着かせるように、玄造は手の平をかざしてみせた。
「破砦剣と猟魔部隊の隊員を引き渡していただければ、第三支部の安全は、私が保証しましょう」
「その言葉、信じるに足る根拠は?」
「そうですね……娘がいるこの支部を危険に晒したくはない、とだけ申し上げておきましょうか」
沈黙したまま、両者の視線がぶつかり合う。玄造の背後にいる部下は、その緊張状態に耐え切れず、音を鳴らして唾を飲み下した。
「……どうやら偽りではないようですね」
「信じていただけましたか」
玄造が安堵の声を漏らすと、彼の背後に立つ部下は、ほっと胸を撫で下ろした。
「本部の人間であるあなたではなく、親であるあなたの言葉を信じましょう」
「私のことはどうあれ、要求を受け入れていただき、感謝します。ああ、ご心配には及びません。医療スタッフも随伴しております。先はああ言いましたが、彼を見す見す死なせるようなことはしませんとも。彼は、牛頭山猛と交戦し生き残った貴重な人材だ」
「彼を助けるために部下が力を尽くした。それを徒労に終わらせることはないようにしていただきたい」
「もちろんですとも、東雲支部長。では、猟魔部隊隊員と回収物の移送の準備を進めてください。時間が必要であることは、私から上に話しておきます」
「……承知しました」
不承不承の声色で、陽子は彼に返事をした。
「ははは……何とか話がまとまってよかった。交渉役とは、我ながら慣れないことを任されたものです」
「難しいお立場であることは理解しますよ。御堂課長」
「ご理解、痛み入ります東雲支部長。どうか娘を……浅江をよろしくお願いいたします」
「……ええ」
陽子に深く礼をした玄造は、部屋を出ようとして踵を返したが、すぐに立ち止まって振り返った。
「ああ、そうだ。お礼と言ってはなんですが……一つ、情報提供をしましょう」
「なんです?」
「つい先日、第四支部の管轄で葬魔士を襲う不埒な輩が現れたとのことです。どうやら、あちらでは死者も出たとか」
輩、という言葉から、その犯行が魔獣ではなく人によるものだと陽子は察した。
「その正体は?」
「不明です。ただ、葬魔士を狙った襲撃とすれば、葬魔機関に恨みを抱く者……でしょうな」
「心当たりが多すぎますね」
陽子がそう返すと、玄造はふっと口元を歪めた。
「そのうち各支部に連絡があるかと思いますが、どうかご用心を」
「ご忠告、感謝します」
応接室から玄造と彼の部下が退出し、扉が閉まったことを見届けると、陽子は椅子にもたれかかって深く息を吐き出した。
「葬魔機関に恨みを抱く者、か……」




