表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
斬魔の剣士  作者: 織部改
第一章 邂逅の夜
8/130

EP08 邂逅

「いやああああああああぁぁぁぁ!」


 隼人が悲鳴の主の捜索を断念して、公園から離れようとしたその時、夜の静寂を貫く少女の悲鳴が響き渡った。


 頭から背骨まで貫くような鋭い衝撃が走る。魂に響く声―――念信だ。


「はっ……!」


 悲鳴が聞こえた瞬間、隼人は反射的に駆け出していた。悲鳴の発生源は公園の広場だと見当をつけ、公園内を駆け抜ける。隼人自身はまったく自覚のないことであったが、彼の疾走は常人のそれを凌駕する驚異的な速度だった。


 果たして公園の広場には、街灯に照らされた複数の人影があった。輪になった複数の人影が中心にいる人影を取り囲んでいる。


 目を凝らすと、数匹の餓鬼が少女を取り囲み、その内の一体が今まさに少女に襲い掛かったところだと分かった。恐怖のあまりに座り込んで動けないのか、少女は頭を抱えて身を縮めている。餓鬼の牙が彼女に届くまであと数秒もないだろう。


「させるか!」


 餓鬼の群れは少女に夢中で、隼人の接近には全く気付いていない。抜刀した隼人は走る速度をさらに加速し、助走に用いて跳躍した。少女の悲鳴を聞いてから一秒も経たずに、広い公園内を走破した恐るべき脚力は、飛翔にも似た驚異的な跳躍に繋がった。隼人は群れの包囲を易々と飛び越えると、少女を襲う餓鬼の眼前に割り込み、着地と同時にその刃を振り下ろす。


 天翔ける流星の如く白刃が閃き、牙を剥いて少女に迫っていた餓鬼の首が宙を舞い、路面にぼとりと落下する。


「きゃあっ!」


 突然、目の前に落ちた物の正体も分からないまま、落下音に驚いた彼女は短い悲鳴を上げた。


「え……?」


 いつまで待っても身を裂く痛みがないことから恐る恐る目蓋を開けた少女は、頭を抱えていた手を下ろすと、目の前に落ちた物に視線を落として、その正体があの怪物の首だと知って目を見開いた。


 そして、怪物の首の近くに一人の男が立っていることに気付いた。美鶴を取り囲む餓鬼との間に立つその男は、見覚えのある灰黒色のコートを着た男だった。片手に時代劇で見るような日本刀を携え、その切っ先からあの怪物の血と思わしき液体が滴っていた。


「刀……?」


 刀を見た美鶴は、今まさにその男が餓鬼の首を刎ねたのだと知って息を飲んだ。少女を包囲していた餓鬼は、突然、仲間が殺されたことに唖然としていたが、我に返ると闖入者に驚いて騒ぎ出し、狩りを邪魔された怒りをぶつけるように攻撃の目標を隼人に変え、次々に襲い掛かった。


「……」


 迫りくる餓鬼に素早く目を走らせた隼人は、刀を中段に構える。怒りに身を任せた餓鬼の攻撃は実に単調であり、予測が容易だった。


 隼人は最初に左側面から襲ってきた餓鬼の腕を薙ぎ、返す刀で肩から腰まで袈裟懸けに切り裂くと、次の個体が首を狙って振り下ろした爪を、半歩引いて躱し、仕返しと言わんばかりに下段から刀を振り上げ、脇の下から脳天まで斜に斬り上げる。


 彼の猛攻は止まらない。斬り上げた勢いのまま、刀を肩に担ぐように構え、自身に跳びつこうとした餓鬼目掛けて自ら突進し、空中で真っ二つに切り伏せる。さらにその餓鬼の背後で奇襲を狙っていた別の餓鬼の懐に一足で踏み込み、抵抗する間も与えずにその首を薙ぎ払った。最後の餓鬼が苦悶の声も上げることなく絶命する。少女を包囲していた餓鬼の集団は、こうしてたちまち無残な骸に変わり果てた。



 周囲の餓鬼が完全に息絶えていることを目視で確認した隼人は、刀を血振りして納刀すると、呆然と座り込んでいる少女に向き直る。


「…………」


「怪我はないか?」


 隼人は声をかけながら、助け起こすため左手を差し出す。周囲に転がる餓鬼の骸を見つめて放心していた少女は、隼人の声に我に返った。


「あっ……はい、大丈夫です……」


 立ち上がろうとした少女は、差し出された左手に気が付いて男の顔を見上げる。顔を覆い隠していた漆黒の絹を思わせる長い髪がさらりと流れ、隼人と少女はちょうど見つめ合うような状態になった。


 街灯の明かりに照らされた少女の顔は、目鼻立ちの整った端正な顔立ちだった。恐怖に怯えた瞳はうっすらと涙を浮かべて、不安の色を帯びている。


 縋るように見えるその表情は、隼人の庇護心を掻き立てた。不意に心を揺さぶられた隼人は、任務も忘れて少女と見つめ合う。


 数舜の後、隼人を見つめていた少女の顔が、何か怪訝そうな面持ちに変わる。


「違う……?」


 てっきり顔を見入ったことを咎められるかと思った隼人は、予想だにしていない言葉を耳にして内心で面食らいながらも、彼女の言葉の真意を問いただす。


「……違う? 何が?」


「あ、いえ……何でもありません」


 隼人の差し出した左手に気付いた少女は、その手を素直に取った。少女の言葉に困惑しつつも、隼人は乗せられた手を握って助け起こす。


「痛っ……」


 助け起こされた少女は、痛みに顔を歪めながら右肩を撫でた。


「すまない、無理に引っ張ったか?」


「いえ、ちょっと打っちゃったみたいです」


 少女は隼人の手を離すと、街灯の支柱にしがみつくように立った。


「見せてみろ」


「だ、大丈夫です」


 覗き込むように顔を近づけた隼人から慌てて離れ、街灯の支柱に隠れるように距離を置く。


「……そうか」


 傷の確認とは言え、いきなり見知らぬ男に体を見せるのは抵抗があることだろう。ましてや帯刀した得体の知れない男である。怪我の程度を確認したかったが、配慮が足りなかったか、と後頭部を掻く。


 隼人を見る少女の瞳は不安よりも訝しむような色が濃くなっていた。あらぬ誤解を避けるためにも、まずは正体を明かすべきだろうと考えた隼人は、小さく息を吐き出して思考を切り替えると、少女を真っ直ぐに見据えた。


「俺は隼人、長峰隼人。葬魔機関に所属する葬魔士だ」


 胸ポケットから折り畳み式の機関手帳を取り出し、機関章と顔写真が入った身分証を開いて見せる。目の前に広げられた機関手帳を眺めた少女は、胡散臭そうに眉をひそめる。


「えっと……?」


「そうだな……少し大雑把な説明になるが、葬魔機関は魔獣討伐の専門機関で、葬魔士は葬魔機関に所属する魔獣の討伐を生業とした戦士のことだ」


「お前は、魔獣に狙われていた」


 隼人は名乗る前よりなぜか怪しまれている気がしたが、そのまま説明を続けた。


 あれだ、と美鶴の目の前に転がる餓鬼の死骸を指差す。


「こいつは餓鬼と呼ばれている。人を喰う魔獣の一種だ」


「餓鬼……魔獣……」


 とても信じられない、というように彼女は隼人の言葉を繰り返す。当然だ。魔獣の存在は公には秘匿されている。今回のような魔獣絡みの事件は、これまで悉く隠蔽され、大衆が知ることはなかった。そのため、葬魔機関の存在を知っている者は、防衛や治安に携わる国の上層部の人間に限られている。


 本来、身元も分からない少女に明かすべきことではないが、被害者である彼女に状況を説明するにはやむを得ないと隼人は判断したのだ。


「名前を聞いてもいいか?」


「冬木美鶴です」


「その、危ないところを助けていただいて、ありがとうございました」


 美鶴はおずおずとした様子で名乗り、隼人に礼を言った。じっと顔を見つめられた隼人は、妙な気恥ずかしさを感じて思わず目を逸らした。


 会話が苦手である隼人にとって、初対面の人間と一対一で話すことは魔獣と戦うことよりも難しい。ましてや楚々とした雰囲気を醸すこの少女は、あまりにも眩しすぎた。普段から見知った間柄ならともかく、どうにも勝手の違いを感じてしまう。


「仕事、だからな……当然のことをしただけだ」


「でも、おかげで助かりました」


「……そうか」


 礼を述べる彼女の声を聞いてよく通る声だ、と隼人は思った。落ち着いた音の中にどこか凛とした響きを帯びた少女の声は、悲鳴の声と合致する。美鶴の声を聞いた隼人は、彼女が念信を使ったのだと確信した。


 しかし、餓鬼を知らないということは、おそらく念信についても知らないだろう。


 彼女は偶然にも念信の能力を秘めており、命の危機に瀕したことが原因で、その能力を発現させたのだ。


 絶体絶命の危機に晒された念信能力者が、魂の叫びとも称される念信を暴発させることは珍しくない。誰に教わることもなく、何の訓練もせずに、命の危機に瀕した彼女は無意識にその力を使ったのだろう。そのことについては、隼人は合点がいった。疑問があるとすれば、なぜ彼女が餓鬼に狙われたのだろうか、ということだ。隼人は胸の内に湧いた疑念を払拭するため、美鶴に尋ねようとする。


「ええと、冬木は……」


 隼人は彼女をどう呼ぶか一瞬悩んだが、結局、名字で呼ぶことにした。


「どうして、奴らに襲われていたんだ?」


「男の人が……」


「……」


「……男が?」


 言葉を途中で終えてしまった美鶴に、先に促すように隼人が言葉を続けた。彼女は縮こまるように片腕を抱いて瞳を伏せると、訥々と語り出した。


「……あの怪物に食べられているのを、目撃してしまったんです。多分、それで……」


 謎の声を聞いた、と言うべきか美鶴は少しの間逡巡したが、やはり幻聴の類ではないかという疑念が拭いきれず、事実を述べるに留めた。


「そうか。それで巻き込まれたんだな……」


「……」


「他には誰かいるのか?」


「……助けに行くんですか?」


「ああ」


「それなら、もう……」


 美鶴は視線を芝生へと向けると、吐き気を催して口元を押さえる。その視線の先を辿るように見つめた隼人は、芝生に数歩近づいて足を止めた。


 隼人の目に映ったのは、さながらパイの包み焼きを崩したかのように腹部にぽっかり穴を開け、中から臓腑を覗かせた食べかけの遺体だった。


 その周囲にはばらばらになった手足や胴体が散らばっている。中には肉体の一部しかないため、正確には数えられないが、大人から子どもまで少なく見積もっても六人分以上の食べ残しが撒き散らされていた。


「ああ、手遅れだな……」


 そう呟いた隼人は、さっと両手を合わせて魔獣の犠牲者を悼んだ。その様子を見た美鶴は表情を曇らせ、顔を俯かせる。


「ごめんなさい……」


「何でお前が謝るんだ? お前は悪くないだろう」


「でも……」


「むしろ、俺がもっと早く来るべきだったんだ。そうすれば、他にも助かった人がいただろう」


「……」


「お前だけでも、無事でよかった」


 俯いた美鶴を見た隼人は彼女を励まそうとするが、気の利いた言葉が出てこない。隼人はつくづく自分の無力感を感じ、首の後ろに手を当てた。


 すると、首に当てた手の甲を撫でる空気に違和感を覚える。肌の表面を舐めるようになぞるおぞましいその空気は、瘴気の霧が漂ってきたに違いない。


 敵の接近に感づいた隼人は、意識を臨戦態勢に切り替えて思考を巡らす。先ほどの強い念信は、まるでサイレンのように広域に発せられていたことを思い出した。市街地に侵入した魔獣どころか山中の餓鬼すらおびき寄せたかもしれない。


「とりあえず、他のやつらが来る前にここを離れよう」


「他にもまだこの怪物がいるって言うんですか?」


「あぁ、こいつらは群れで行動する――って言ったそばから来たな」


 複数の足音が二人を取り囲むように四方から近づいてくる。爪でアスファルトを引っ掻く足音は人のそれではなく、まぎれもなく餓鬼のものだ。


 さっきの悲鳴を聞きつけたか、と隼人は心の中で舌打ちした。


「もしかして……囲まれてませんか?」


「ああ、どうやらそのようだ」


 餓鬼の群れは街灯の光が届く位置までじりじりと近づいてくる。


 隼人は少女を庇うように前に立つと刀を抜き放ち、油断なく中段に構える。


 辺りに漂う瘴気は次第に濃くなり、遠くに霞む街灯の光を飲み込み、黒く塗り潰す。


 足元に視線を落とすと、舗装の割れ目から生えた雑草の葉先が茶色く染まり、枯死が始まっていた。


 危険な濃度だ、と隼人は眉をひそめた。隼人はともかく一般人の美鶴は、瘴気にどれだけの耐性があるか分からない。横目でちらりと美鶴を見るが、瘴気の中でも平然としていることに気付く。


「瘴気の中でもなんともないのか……?」


「え……何がですか?」


 隼人は驚きを飲み込み、意識をすぐさま切り替えて戦闘状態のそれに戻す。


「いや、何でもない。シェルターに行こう。あそこなら安全だ」


「シェルター?」


「ああ、有事の際には要人を匿うようになっている施設だ。ここから先、ゲートの開いている倉庫がそうだ。公園を出たら、右に曲がって四〇〇メートルほど進んだところにある」


「……あの人たちは?」


 置いて行くのか、と少女の瞳が尋ねていた。腹の底から湧き上がる無力感を飲み下した隼人は、少女の顔から目を逸らして背中で答える。


「……残念だが、俺にはどうしようもない。俺にできるのは、今生きている人間を守ることだけだ」


「……」


「……走れるか?」


 隼人は油断なく周囲に気を配りながら、背後の美鶴に視線を送って尋ねる。じんと痛む右腕を押さえて、美鶴はこくりと頷いた。


「俺が突破口を作る。合図をしたらとにかく走れ」


「はい」


 餓鬼の位置を把握した隼人は意識を刃に集中させ、公園の入り口を塞ぐ敵を睨む。


「今だ!」


 隼人は掛け声とともに目にも止まらぬ速さで眼前の敵へ切り込み、一刀の下に切り伏せる。


 美鶴は彼の合図に従って、出口へと一目散に走り出した。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ