EP02 支部長面会
――葬魔機関、医務室。
病衣姿の長峰隼人は医務室のベッドの上で起き上がった姿勢のまま、隣の丸椅子に座っている東雲陽子と話していた。
「――以上が、俺と奴との戦いの一部始終です」
牛頭山猛と交戦した隼人の話を聞き終えた陽子は、腕を組んで拳を顎に当てながら、険しい顔をした。
「葬魔の騎士、か……」
「牛頭山猛が言ったことは本当なんですか?」
「だろうな」
問いを投げられた陽子は、彼の顔を見ずに短く答えた。
「なっ……!」
隼人は絶句した。
葬魔の騎士。それは葬魔士であれば、誰もが一度は耳にする伝説の存在。かつて“呪堕”と呼ばれる魔獣の祖と戦い、討伐に至らずとも封印するまでに追い詰めた史上最強と名高い葬魔士である。
「まさかと思ったが、厄介なことになった」
「葬魔の騎士。確かに厄介だ……」
厄介の一言で片付けるのは、乱暴だと思いつつ、隼人は彼女の言葉を使ってそう呟いた。
「ん? ああ、奴もそうだが……私が言ったのは、冬木のことだ」
「冬木が……?」
隼人は彼女の名を繰り返した後で、陽子が“厄介”と言った真意に思い至った。
「鍵の巫女、ですか」
「そうだ。念信能力者として並外れた力を秘めていると思っていたが……やっと腑に落ちたよ。彼女が鍵なら、牛頭山の奴に狙われるわけだ」
遥か昔、葬魔の騎士との戦いで疲弊した呪堕を封じたのは、強力な念信を操る鍵の巫女と呼ばれる少女だった。
猛の話では、呪堕の封印を維持するため、幾人もの鍵の巫女の後継者に選ばれた少女たちが、その命を捧げて封印を保ってきたという。
そして隼人が魔獣の群れから救い出した少女――冬木美鶴は、鍵の巫女の中でも強力な初代鍵の巫女に匹敵する力を持っており、いずれその力を利用され、呪堕を封じた大結界の封印式を操作されることを危惧して、彼女の命を狙っていたのだった。
「支部長はどこまで知っていたんですか」
得意げに微笑を浮かべている陽子に、隼人は詰問するような口調で尋ねた。
「私は、鍵の巫女と呼ばれた念信使いの少女が、呪堕を封印したという伝承しか知らない。詳細は、目下調査中だ」
「……そうですか」
ぽつりとこぼすような口調で隼人は返した。
隼人は、猛が美鶴を襲った理由を陽子に報告していない。もちろん、普段の彼なら事細かに報告するのだが、すべてを明かせば、美鶴の身に危険が及ぶ。そんな予感があった。
「もうじき秋山が答えを見つけるだろう」
「秋山さんが?」
不意に秋山圭介の名を聞いた隼人は目を丸くした。
「ああ。御堂の報告を受けて、秋山に調べさせている」
「秋山さん、体は大丈夫なんですか」
「ん? 足は動かなくても、手と頭は動くだろう」
なんてことない様子でそう言った陽子を、隼人は真顔で見つめた。
「鬼ですか」
「現場に出すよりはマシだろう。私はできないことを言ってるわけじゃないぞ」
「……」
不満を込めて隼人が沈黙するも、当の陽子は、どこ吹く風といった様子だった。
「それはそうと、救援が間に合ってよかったよ。牛頭山と戦闘を開始したという連絡は市街地にいた諜報員から届いていたが、まさか猟魔部隊が漁夫の利を狙っているとは思わなかったからな」
急に話題を変えられた隼人は、釈然としない様子で息を吐き出してから口を開く。
「そうですね……救援に来ていただいて助かりました」
「お前が健闘したおかげだよ。もしあっさりやられていたら、間に合わなかった」
「運がよかったんですね、俺」
隼人がぽつりと呟くと、陽子の眉がぴくりと跳ねた。
「その言葉、私は好きじゃないな」
冷たく言い放つ陽子の声には、彼を非難する響きがあった。
「え……」
「物事は起こるべくして起こる。運なんて偶発的事象で片付けるのは、感心しないな」
「奴は、猟魔部隊の追撃で疲弊していた。いかに強靭な戦士であろうと、肉体の疲労と精神の摩耗には耐え切れない。葬魔の騎士――牛頭山は、魔獣の祖である呪堕を追い詰めた猛者だ。奴が本調子だったら、いくらお前でも厳しかった。違うか?」
「それは……」
陽子の指摘は間違っていない、と理解した隼人は、俯くように黙って頷いた。
猛との実力差は明白であり、戦況は終始劣勢だった。公園での戦闘は御堂浅江の援護によって。橋上の戦闘では猟魔部隊の横槍が入ったことに加え、陽子率いる第三支部の葬魔士たちが援護に駆けつけたことによってどうにか危機を逃れた。二度の戦闘のいずれも外的要因により、隼人は命を救われたのだ。
「……」
その後、猛がどうなったかは分からない。しかし、猟魔部隊に捕らえられれば、まともな処遇を受けられないだろう、と隼人は己の経験から推測した。
「ん、どうした?」
神妙な面持ちで押し黙った隼人の横顔を、陽子が覗き込んだ。
「あ、いや……あいつ、猟魔部隊に連れ去られた後、どうなったのかな、と……」
「何だ。牛頭山のことを心配してるのか? 奴はお前を殺そうとしたんだぞ?」
「え? いや、まぁ……」
「まったくお前は……」
隼人が曖昧に濁して返すと、陽子は溜め息混じりに呆れた声を出した。
「これはあくまで推測だが……奴を殺さずに連れ帰ったのは、奴の持つ情報が欲しいからだ。きっと纏魔甲冑のことでも聞き出したいんだろう」
「纏魔甲冑……ああ、纏魔の鎧のことですか」
そうだ、と陽子が頷いた。
「纏魔の鎧、魂の鋳型……様々な異名を持ち、あらゆる災厄を拒む身に着けた者に一騎当千の力を与える伝説の鎧。それが纏魔甲冑。葬魔の騎士を最強の葬魔士たらしめた究極の武具だ」
「牛頭山は“鎧を探せ”と言っていました。呪堕と戦うなら、必要だと。でも、あれは……」
「お前が破壊した」
言い淀んだ隼人の言葉の続きを、陽子が代弁した。
「……はい」
「あれはお前が破壊したというよりも中身が持たなかったというのが正しいのだが……まぁ、本題はそこではないな」
「とにかく鎧はもうないのでは?」
「いや、私が知る限り纏魔甲冑は最低でも三つある。一つは牛頭山猛のもの。一つはお前が破壊したもの。そしてもう一つは、本部に保管されているもの」
人差し指から順に三本の指を立てた陽子は、彼に見せつけるようにその細長い指を曲げ伸ばしてみせた。
「本部にもあるんですか?」
「ああ。万が一、呪堕の封印が解かれたときに備え、本部の地下に保管されている……はず」
それまで淀みなく続いていた陽子の声が、途中で勢いを失った。普段の余裕に満ちた彼女らしからぬその様子に、隼人はつい眉をひそめた。
「はず……?」
「ああ。実は……どうやら盗まれたらしい」
「盗まれた!?」
驚きのあまり、隼人は大声で叫んだ。
「そう大きい声を出すな……」
「す、すいません」
隼人の叫び声から逃げるように顔を仰け反らせた陽子に、彼は小声で謝った。
「本部の関係者から入手した情報だ。あくまで噂とのことだったが、噂ではなく事実だろう。その証拠に本部の諜報員があちこち嗅ぎ回っている」
そこまで言うと、陽子は腕を組んで遠くを見つめた。
「あの鎧は本部の中でも厳重な警備体制で守られていた。部屋には幾重にも侵入者対策が施され、優秀な葬魔士で編成された警備隊が監視していた。上の連中もまさか盗まれるとは思っていなかっただろうさ」
「盗まれた時の状況は? まさか正面突破されたなんてことないですよね」
「それがいつの間にかなくなっていたそうだ。定時確認で気付いたらしい」
どんな手品だろうな、と陽子はおちゃらけて話した。
「本当に盗まれたとしたら、只事じゃない。あの鎧を悪用されたら……大勢の犠牲者が出る」
緊迫感を滲ませた隼人の声を聞いた陽子は、彼の緊張を吹き飛ばすように鼻で笑った。
「ふっ、その心配は不要だ。纏魔甲冑は、誰もが使えるわけじゃない」
「え……」
「あの鎧は人を選ぶ」
「鎧が人を選ぶ……?」
にわかに信じがたい言葉を耳にした隼人は、緊張した表情で聞き返した。
「そうだ。適格者でなければ、敵と戦う前に鎧に滅ぼされる。いや、それどころか鎧に触れることすらできないだろう……あの鎧には毒がある」
毒、と陽子の言葉を反芻するように隼人が呟いた。
「かつて葬魔機関は、幾度も呪堕を滅ぼそうと試み、選りすぐりの葬魔士たちが鎧の装着に挑んだ。だが、彼らは皆、瞬く間にその身を毒に蝕まれて命を落とした」
「その葬魔士たちは鎧の適格者ではなかった、と?」
「そういうことだ」
「……」
陽子の話を聞いた隼人は、眉間にしわを寄せて小さく唸った。
「そんな猛毒に守られているなら、どうやってあの鎧を盗んだ? 盗んでどうする。それに誰が……?」
「盗んだ者と盗みの手段は分からないが、盗んだ理由はおおよその見当はつく。そうだな……長峰、お前なら鎧を手に入れてどうする?」
「俺が鎧を手に入れたら……」
考えを巡らせて険しくなっていた隼人の顔が、より険しくなる。
「……その力で呪堕を倒す」
「ふっ……」
隼人の答えを聞いた陽子がにやりと笑みを浮かべた。どこか楽しむような彼女の笑み。それを目にして、隼人の顔が焦りの表情に変わる。
「あっ、その……俺に使えたら、という仮定の話ですけど……」
「いや、笑って悪かった。お前ならそう言うと思っていた。ああ、実にお前らしい。私だったら、そうは思わない」
「なら、支部長の考えは……?」
「呪堕への対抗策を奪い、戦力を削ぐ目的だ。それなら使えずとも、盗む意味がある」
「なるほど」
陽子の言葉に感心した隼人は、大げさに頷いた。そんな彼の仕草を見て、陽子は得意げに口元を歪める。
「あるいはそうだな。他には――」
ふと彼女の顔から笑みが消えた。何か重大な見落としに気付いたような深刻な表情を浮かべて口元に拳を押し当てる。
「まさか……奪い返したのか。彼らが?」
床に視線を向けた陽子は、声を落として呟いた。
「だが、鎧の奪取自体が目的なら、筋が通る」
「……支部長?」
陽子の様子を不審に思った隼人は、彼女の心の内を探るようにその横顔を凝視する。
「ん? ああ、いや、なんでもない」
「どんな理由にしてもあの鎧を盗むなんて馬鹿な真似をすれば、葬魔機関を敵に回すことになる。普通の神経なら、まず手を出さんよ」
「かつてと違い、現代には強力な兵器が数多ある。わざわざ鎧に蝕まれる危険を冒す必要はない」
「確かに……魔獣と戦うにしろ、人と戦うにしろ纏魔甲冑を使う必要はない」
「ああ。だが、呪堕を倒すために盗むというなら、お前の考えもあながち間違いではないかもしれん。なんせ科学が発展したとはいえ、呪堕相手に現代兵器が通用するかは未知数だからな」
「鎧を使えば、勝てる見込みがある……と?」
「呪堕は肉体を分割され、長期の封印により弱体化している。弱りに弱った今の状態なら、完全に滅ぼすこともできるだろう」
葬魔の騎士が戦ったのは、弱体化前――完全な状態の呪堕である。殺し切れなかったとはいえ、その肉体を分割し、封印するまでに追い込んだのだ。弱体化した今ならば、呪堕に敵わない道理はないだろう。
「纏魔甲冑を使えば、確実に呪堕を倒せる。使わなければ、倒せないかもしれない。だから鎧を奪って機関の力を削ぐ……か」
「断っておくが、あくまで私の想像だ。鵜吞みにしないでくれ」
「……了解です」
陽子の言葉に頷いた隼人は、ふと胸に疑問が湧き上がった。
「支部長。話は変わりますが、盗まれた鎧はどこにあると思いますか?」
「それは……分からん」
「え……」
残念そうな隼人の声を聞いた陽子は、困った顔をした。
「情報不足なんだよ。第三支部の管轄ならともかく、本部の中となると情報は限られる」
「ウチの諜報部に情報を集めさせたいところだが、最近、本部の警備が以前よりも厳重になってな。諜報員も迂闊に手を出せない状況だ」
「じゃあ、何か手がかりは……」
「さっぱりだ」
あっけらかんと陽子がそう言うと、隼人は肩を落とす。
「参ったな。探すにしてもこれじゃ……」
そうして気落ちした隼人が黙り込んでいると、陽子が大きく伸びをした。
「んっ……根を詰めすぎるのも良くないな。少し休憩しよう。長峰、コーヒーを淹れてくれ。カップはそこの戸棚に入っている」
「了解です」




