EP08 二人の休日Ⅳ
日が傾き、街が茜色を帯びる頃。隼人と浅江は商店街から離れ、駅前の通りまで戻ってきていた。
セレクトショップで試着を終えて靴を買うと、近くの和風喫茶店で昼食をとり、それからしばらく街を歩いていたが、昼食の間も、街を散策している間も二人の会話はほとんどなかった。どうにも互いを意識してしまい、まともに言葉を交わすことができなかったのだ。
「……」
隼人はちらりと浅江の横顔を盗み見るが、困ったことにその表情から彼女の心情を読み解くことができなかった。
浅江は大事そうに紙袋を抱えたまま、物憂げな表情で前を見つめて歩いている。紙袋の中身は、今日買った靴だ。
会計の直前になって自分で払うと主張した浅江だったが、周囲から押し寄せる無言の圧もあって、半ば強引に隼人が支払ったのだった。
「これでは、どう礼をしたらよいか分からないではないか……」
と、店を出て困り顔で言った浅江に
「俺がしたいからしたんだ。礼はいらない」
そう返した隼人は、格好つけた気恥ずかしさから、彼女に背を向けてさっさと歩き出してしまった。それが失敗だったのか、それ以来、浅江とはあまり会話が続いていない。
ついさっきも買った靴について「せっかく買ったのに履かないのか」と尋ねたが、彼女は、「汚れるから嫌だ」と言って袋に入れたまま持ち歩いており、自然と会話もそこで途切れてしまった。
「……はぁ」
隣にいる浅江に気付かれないように、隼人は小さく溜め息を吐き出した。どうも今日は空回りしている。思えば、目覚めから酷かった。慰霊室での一件といい、悪いことが続いた。
だが、そんなことはすっかり忘れていた。それは隣にいる少女のおかげだろう。浅江が支部から連れ出してくれたことで、今の今まで嫌な出来事を忘れることができたのだ。
そう思うと、それほど悪い一日ではなかったのではないか。そんな風に考えている自分がいることに隼人は気付いた。
「……」
隼人は再び傍らの少女に視線を向けた。彼女が足を踏み出す度に揺れる真珠のような白銀の髪は、夕陽に照らされ、朱色を帯びながら輝いている。無遠慮と自覚しながらも、隼人はついその輝きを目で追ってしまった。
「……どうかしたのか?」
前を見つめたまま、浅江が隼人に尋ねた。
「え……?」
「さっきからお主の視線を感じる」
「それは……その、悪かった」
誤魔化すことなく隼人が謝ると、浅江は困ったように苦笑した。
「ふむ。別に責めているわけじゃない。ただ、何か言いたいことがあるのだろう、と思っただけだ」
「分かるのか……」
「目は口ほどに物を言うというやつだ。いやむしろお主の場合、口下手な分、目の方がずっと流暢だ。それと剣の方も、な」
そう言って浅江は、からかうように隼人の方をちらりと見やる。
「……そうか」
「言いたいことがあるなら――いや、待て。お主の好きに言わせると、何を言われるか分かったものじゃない」
「俺、そこまで変なこと言ったか……?」
「言った」
「む……」
浅江に横目で睨まれ、はっきりと断言された隼人は、小さく唸った。そうして彼女の視線から逃れるようにあらぬ方向を見ると、一度、軽く息を吐き出してから彼女に尋ねた。
「……御堂は、いつも髪を束ねてるだろう?」
「うむ」
「今日は下ろしてるせいか、何か雰囲気が違うっていうか……」
「そうか?」
隼人の言葉に浅江は目を丸くする。
「ああ、なんか新鮮な感じがする」
「剣を振るうなら、束ねていた方が邪魔にならないからな。困ったことに長い髪は何かと手間がかかるのだ。ふむ……いっそ短くするのもいいかもしれんな」
髪の先端を指で摘まんだ浅江は、ぽつりと呟くように言った。
「えっ!?」
すると、それまであらぬ方向を見ていた隼人が、驚いた様子で首を回して、浅江の顔を凝視した。
「な、なんだ……急に大きな声を出して」
予想外の隼人の反応に困惑した浅江は、思わずその身を反らす。
「ああ、悪い。でも、切るのはもったいないと思って……ほら、お前の髪、綺麗だし」
「そうか……?」
「あ、ああ」
「ふむ……なら、やめておこう。それにしても、ふふっ……」
急に笑みをこぼした浅江を見て、隼人は動揺した。
「どうした?」
「私の髪を褒めた男は、お主で三人目だ」
「三人目……?」
問いを投げた隼人に、柔らかな笑みを頬に残したまま、浅江はこくりと頷いて返す。
「一人目は私の実の父、二人目は今の父、そして三人目が隼人……お主だ」
浅江は生粋の葬魔士ではない。彼女は元々、葬魔士とは無関係である普通の家庭で育てられていた。
彼女が住んでいたのは、現在は廃村となっている山奥の集落だった。その集落はある夜、突然現れた魔獣の群れに襲われた。
魔獣の群れに蹂躙された集落で、浅江は唯一の生存者となった。村人や両親に庇われ、その身を匿われていた彼女は、幸運なことに葬魔士の救助が間に合い、獣たちの魔の手から逃れることができたのである。
親族と両親を殺され、身寄りのない浅江は、彼女を救った御堂家に預けられた。そこで適性を見抜かれた彼女は、葬魔士として鍛え上げられたのだ。実の父に勘当された隼人が剣の師を二人目の父と呼んでいるように、浅江もまた己を救った男を二人目の父と仰いでいた。
「それは……光栄だな」
隼人は歩道に視線を落とし、頬を掻いた。
「実の父は、いつも私の髪を褒めてくれた。真珠のような美しい髪だと言ってな。そして私を救ってくれた御堂の父も、私を助けたときにこの髪が失われるのは惜しいと言ってくれた……そのせいか鬱陶しく思っていても、ついここまで伸ばしてしまった」
「髪の色は遺伝なのか?」
「いや、違う。私の両親はどちらも黒い髪だった。機関の医師の話では、この髪は瘴気の汚染による染色体の異常だそうだ。母の胎内にいるときに、瘴気に侵されたせいで、色がこうなったらしい」
「ああ、瘴気の汚染で子どもの髪色が変わるのは珍しくないもんな」
隼人は同意しながら、支部長――東雲陽子の髪は、燃えるような深紅の色であることを思い出す。彼女は髪を染めているわけではない。浅江同様、母胎にいるときに母親が吸い込んだ瘴気に汚染され、髪色が変化したのだろう。
元来の日本人であれば、黒い髪が普通なのだが、瘴気に汚染された地域では、生まれながらにして髪の色が茶や白、金ということもあり得るのだ。
「しかし……今思うと、最初にこの髪を見た父と母はさぞ驚いただろうな……」
自身が生まれたときの両親の反応を思い描いたのだろうか。呟くようにそう言った浅江は遠い目をして、少し寂しげな表情を浮かべた。
「……」
どう返せばいいか分からない隼人は、彼女の視線を辿るように同じ方向を見つめる。
「あっ……」
そうしてふと目に入った光景に、彼は思わず声を上げてしまった。
「……どうした?」
「あの公園……桜、満開だな。午前中に来たときは気付かなかった」
隼人の言葉を聞いた浅江は、遠目に映る桜並木を凝視すると、感じ入るように長い吐息をついた。
「ああ……実に見事だな」
「あの調子じゃ、すぐに葉桜に変わるだろうな。多分、今日が一番見頃じゃないか」
「ふむ……まだ時間はある。少し寄り道するか?」
「そうだな。あんなにいい桜、見ないで帰るのは、もったいない」
浅江の提案にもっともらしく頷いた隼人を見て、彼女はおかしそうに微笑んだ。
「ふっ……決まりだな」
二人は帰路から外れ、進路を公園に変えた。街を照らす夕陽は地平の向こうに沈みかけ、夜の帳が下りようとしていた。
いつもご愛読ありがとうございます。
二.五章も終盤です。おそらくあと二話ほどで区切りを迎えると思います。
隼人の過去に焦点を当てるかと思いきや、隼人と浅江の関係を掘り下げるための話がメインとなりました。
やるかやらないか悩んだ末、この展開も入れてしまえー! と半ばやけになってしまった節があります。
そのため、ここ数話は、作風的に首を傾げる展開が続いてなんかいつも違うと思われたかもしれません。まぁその……箸休めの回と思っていただければ……。
さて、今後もペースを維持して二.五章ラストまでなんとか駆け抜けたいと思っておりますので、気長にお付き合いいただければ、幸いです。それでは失礼いたします。




