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斬魔の剣士  作者: 織部改
第二.五章 Before the Night of Encounter
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EP04 真珠の髪と琥珀の瞳

 支部長室を出た隼人は、支部の敷地内にある訓練場に向かった。ロッカールームでトレーニングウェアに着替えると、準備運動をし、日課の鍛錬を淡々とこなしてゆく。


 四月上旬ともなれば、昼間は暖かいものの、朝はまだ肌寒い。とはいえ、冬のように息が白くなることはなくなって久しい。支部内の道路沿いに植えられた桜を見ながらランニングをする隼人は、満開に咲いた桜並木で季節の移り変わりを実感していた。


 桜吹雪が降り注ぎ、降り積もった花びらが作り出す薄桃色の絨毯を踏みしめ、風になる瞬間は、自由に支部の外に出ることができない彼にとって、春を感じることのできる貴重な時間だった。


 だが、いつもなら心が晴れるようなひとときも、昨夜の悪夢から続く陰鬱な出来事のせいで、どこか素直に楽しむことができなかった。


 暗い気持ちを引きずったまま、ランニングを終えた隼人は、武道場に足を運んだ。多少、無茶をしても施設に損傷を与える心配のない頑丈な地下訓練場もいいが、やはり板張りの床の持つ魅力は捨てがたい。素足で冷たい木の板を踏みしめる感覚は、何とも言えない心地よさがある。日々の鍛錬の中でも武道場での鍛錬は、隼人にとって数少ない癒しだった。


 武道場の戸口に立つと、中から人の気配がした。どうやら先客がいるらしい。中の様子次第では、出直さなければならないだろう。せっかくの楽しみが失われた、と落胆しながら中を覗き込む。すると、そこには胴着袴姿の少女がいた。


「――っ」


 木刀を振るう彼女を目にした隼人は、思考が一瞬停止した。


 馬の尾のように束ねられた真珠を思わせる白銀の長髪が、彼女の動きに合わせてふわりと跳ねる。琥珀色をした切れ長の瞳には一切の曇りがなく、ただ前を見据えている。木刀を握る指先までしなやかな体躯は、日々の鍛錬によって引き締められていることを窺わせた。


 格子窓から差し込む朝陽に照らされながら、髪をたなびかせて木刀を振るう彼女は、無骨な武道場を彩る一輪の花だった。


「……」


 彼女の姿を見つめる隼人の脳裏に浮かんだのは、遠い日の記憶――目の前の少女と初めて会った日のことだった。


 葬魔士認定試験の初日。会場に集まった受験者たちの喧騒から逃れようと、人気のない場所を求めて彷徨っていた隼人は、咲き誇る桜の木の下で一心に刀を振るっていた彼女と出会った。


 舞い散る桃色の花びらをその身に浴びながら、輝く刃を閃かせる彼女の姿は、まるで剣舞を演じているように美しかった。


 隼人の存在すら気にも留めず、ひたすら剣を操る彼女の目は、遠くを見つめるようにどこか寂しげな色をしており、その儚くも鮮やかな彼女の姿に、隼人は目を奪われたのだ。


「覗き見とは、感心しないな」


 呆けたようにじっと見つめていた隼人に気付いたのか、木刀を振るう手を止めた彼女は、ゆっくりと振り向く。


「御堂……」


 御堂と呼ばれた少女――御堂浅江は、壁際に置かれていたタオルを手に取ると、顔の汗を拭って微笑んだ。


「おはよう、隼人。朝早くから精が出るな」


「ああ、おはよう。今日はお前の方が早かったんだな」


「そうだな。今日は私の勝ちだ」


「別に勝ち負けを競っているわけじゃないだろ」


「ふふっ……負け惜しみか?」


 おかしそうに笑みをこぼした浅江を見た隼人は、むっと唇を曲げた。


「……負けた覚えはない」


「ふむ……では、これで決めるか?」


 そう言った浅江は、勝ち気な表情で木刀を構える。


「ああ、望むところだ」


 壁の刀掛けに置かれていた木刀を手に取った隼人は、重量を確かめるために一振りすると、両手に持ち変え、油断なく中段に構えた。


 一方の浅江は木刀を腰に添えるようにして、下段に構え直す。それは、彼女が得意とする抜刀術の構えだった。


 半身を引いて、腰だめに剣を構える浅江には、一部の隙もない。鋭く研ぎ澄まされた闘気は、まさに刃のような彼女の在り方を体現している。


 迂闊に飛び込めば、首でも胴でも彼女の狙うままに打ち据えられることだろう。


「――っ!」


 脳が焼き切れそうな緊張感に身震いする。とても木刀同士の稽古とは思えない気迫に圧倒される。時の流れが緩やかになり、数秒が数時間にも引き延ばされたような錯覚に襲われる。


 そう、既に勝負は始まっていた。これは前哨戦。剣を交える以前に気を交える、剣豪同士の戦いだった。


 気によって相手を組み伏せた者が優位に立つ。そして一度、剣を振るえば、その瞬間に勝敗が決する。


「……」


 そうして重圧に耐え切れず、隼人が足を踏み替えた一瞬。木の床を擦った音が、合図となった。


「はっ――!」


 隼人の隙を見抜いた浅江は、気合とともに間合いへと鋭く踏み込む。神速を誇る彼女の抜刀術は、見てから防いでは間に合わない。隼人は即座に斬撃の軌跡を予測し、その軌道に木刀を置くようにして構える。その直後、手元に衝撃と打撃音が炸裂した。


「ぐっ……」


 続けて繰り出される二の太刀。一合、二合と剣を交える度に、乾いた打撃音が響き渡る。浅江の猛攻を防いだ隼人は、彼女の木刀を振り払い、反撃に出る。


「……ふっ」


 浅江の抜刀術にも劣らない剣閃が繰り出されるも、反撃の刃は容易く防がれた。それでも、二人の顔に驚きはない。むしろ当然といった表情だった。


 隼人と浅江は何度も剣を交えた仲であり、互いの剣筋は理解している。万全な状態なら互角の腕前であり、勝敗を左右する要素があるとすれば、それは肉体や精神の不調によるものだった。


「ふむ……?」


 数分としないうちに浅江の剣を防ぐことに精一杯になり、徐々に追い込まれる隼人を見て、彼女は訝しんだ。いつもなら浅江の木刀を跳ね除け、積極的に攻め込んでくる。だのに、今日はひたすら受けに回っている。反撃も最初のうちだけで、後はすっかり防戦一方だった。


 違和感を覚えながらも、剣を交えること数分。ここぞとばかりに放たれた浅江の抜刀術――瞬刃閃を防いだ隼人は、そのあまりの威力に耐え切れず、木刀を手放してしまう。そうして隼人の手を離れた木刀は、勢いよく彼の背後に飛んでいき、壁に当たって跳ね、耳障りな音を立てて床に落下した。


「あっ……」


 空になった手を見つめた隼人は、間の抜けた声を出した。その様子に何かを察した浅江は、木刀を持った手をゆっくりと下ろした。


「今日はもう、やめにしよう」


「なっ……どうしてやめるんだ?」


 突然のことに困惑した隼人は、浅江に尋ねた。


「お主の剣には覇気がない」


「え……」


 心の内を見抜いたような浅江の物言いに、隼人は戸惑いの声を漏らした。


「何があった?」


「別に、何もない」


 浅江に背を向けた隼人は木刀を拾い上げると、その刀身を見つめたまま、目を合わせずに答える。


「お主な……どれだけ言葉で欺こうと、剣を交えれば、真心が分かる。私に隠し事ができると思うか?」


 隼人が背後を振り返ると、浅江はじっと彼を見つめていた。偽ることを許さないと言うようにまっすぐ見据える琥珀色の瞳に気圧された隼人は、観念したように深々と息を吐き出した。


「……嫌な夢を見た」


「それは……もしや、お主の育ての親が――」


「いや、違う。認定試験のときの夢だ。最終課題って言えば、分かるだろ」


 浅江が何を聞こうとしているのか感づいた隼人は、最後まで言い切る前に彼女の言葉を遮った。やや投げやりに言った隼人の声を聞いた浅江は、さっと表情を曇らせた。


「すまない。お主の傷を暴くようなことを……」


「いいんだ。もう、慣れてる」


「慣れてる、か……」


 何事もなかったように平気な顔を作った隼人を見て、浅江はぽつりと呟いた。彼は明らかに無理をしている。言葉とは裏腹に、その表情はぎこちなかった。


「……」


 成績優秀者として認定試験の最終課題を免除された浅江は、試験会場となった森で起きた惨劇から免れていた。


 そのため、受験者たちの味わった地獄を体験することはなく、関係者に箝口令の敷かれたこの事件について知ることは限られていた。


 彼女が知っているのは、最終課題を受験した二八人の中でただ一人、隼人だけが生還したこと。その後、受験者の遺族や周囲の葬魔士から度重なる罵倒を受けたこと。そしてそれら一連の出来事が、彼を苛む心の傷の一つとなっていることだった。


 浅江はこの事件の当事者ではないが、惨劇の結果を目撃している。事件発生の報を受けた葬魔機関本部に勤める父に連れられて会場を訪れたのだ。


 そのとき目にした一面に並べられた遺体袋の前で立ちすくむ隼人の姿を、浅江は忘れることができなかった。


「どうする。続き、やるか?」


 拾い上げた木刀を構えた隼人だったが、浅江には構える素振りがない。隼人から視線を外した彼女は、腕を抱えて何やら考え込んでいる。


「……御堂?」


 木刀を下ろした隼人に声をかけられた浅江は、思い切ったように顔を上げた。


「隼人、今日の予定は?」


「予定? 鍛錬の後は、特にないな」


「なら、私の買い物に付き合え。荷物持ちだ」


 腕を組んでぶっきらぼうに言い放つ浅江に、隼人はどこか呆れたように吐息を漏らす。


「お前な……そこはデ――」


 デート、と言いかけた隼人は、言葉を呑み込んだ。いくら親しい間柄といえども、さすがにそれは思い上がりも甚だしい。つけあがるにも程がある。大体、二人はそういった男女の仲ではなかったはずだ。


「ふむ。で……?」


 突然、言葉に詰まった隼人に、浅江が首を傾げた。


「で、出かけるにしても、外出許可がいるだろ」


 浅江に不審に思われないよう、隼人は慌てて誤魔化した。


「ああ、そうか。私は前々から許可を得ていたが……そうだったな」


 肩を落とした浅江を見た隼人は、陽子との会話を思い出す。


「あ……いや、待てよ。案外、簡単に許可が出るかもしれない」


「ふむ、心当たりがあるのか」


「今朝、支部長と話したときに、気晴らしに外出したらどうだって勧められた」


「では……!」


 沈んでいた浅江の表情がぱっと明るくなる。


「ああ、ちょっと待ってろ。支部長と話してくる。許可が出たら、すぐに連絡する」


 駆け出しながらそう言った隼人の声は、彼女の表情につられたのか、少し上擦っていた。


「分かった……待ってる」


 頬を緩めた浅江が柔らかな声でそう返すも、そのときには既に彼の姿は武道場になかった。

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