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斬魔の剣士  作者: 織部改
第二.五章 Before the Night of Encounter
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EP02 消えた灯火

 浴室の片付けをし、身支度を整えた隼人は部屋を出た。朝食を食べようとしても喉が通らないため、処方されていたビタミン剤で済ませる。それでも錠剤のままでは喉につかえたため、噛み砕いて水で押し流した。


 日課の鍛錬をする前に、隼人は慰霊室に足を運んだ。ここには“無名の墓碑”と呼ばれる石碑があり、魔獣との戦いで命を落とした者たちが祀られていた。この石碑の周囲には無数の燭台があり、犠牲者の数だけ火が灯される風習があった。


「嘘だろ……」


 慰霊室に入って石碑の前に進んだ隼人は、無意識にそう呟いていた。呆然とした声が石の壁に反響する。石碑を取り囲む燭台には、一つも火が灯っていなかった。彼が覚えている限り、燭台の火が絶えたことは一度もない。


 隼人は目の前の光景よりも先に己の目を疑った。また幻を見ているのではないか、と己の正気を疑った。


 石碑の前に進み、その周囲を見渡した隼人は、ようやく現実を受け入れることができた。目の前の光景は、幸いなことに幻覚ではなかった。


 設置されたばかりの真新しい蝋燭がずらっと立ち並び、短くなっている蝋燭も火が消えてからしばらく経つのか、溶けた蝋がすっかり固まっている。


 無数の燭台に灯された火によって、普段は冬でも暖房入らずの慰霊室だが、熱源を失ったためか、すっかり冷え切っていた。


 驚きのあまり、ぼうっと突っ立っていた隼人だったが、突然、背後から乾いた咳払いが聞こえて、振り返った。


「おお、早いな。あんちゃん」


 隼人の後を追うように、小柄な老人が部屋に入ってきていた。壁一面を石に囲まれたこの部屋は寒いのか、手を擦り合わせながら、ひょこひょこと彼の近くに歩いてくる。


 薄暗がりでは分かりづらいが、近くで見ると、老人の顔は酒焼けしていた。彼の吐息に混じる酒の臭いに顔をしかめそうになった隼人だったが、奥歯を噛んでどうにか堪える。


「ご苦労様です」


 と、隼人は軽くお辞儀をした。第三支部に長く勤務している彼でも、この老人を知らなかった。おそらく担当者の異動でもあったのだろう。


 日々、死を数えるこの仕事を長くやりたがる者がいないのは、隼人も知っていた。


「昨日は、皆無事だったんですね」


 自身の喉から出た明るい声に隼人は驚いた。火の灯っていない燭台を見た彼は、自覚はなかったものの、どこか救われた気持ちになっていたのだ。


「んん? あれま、消えちった。昨日の仏さんは四人だったかな。死人だけに四人、なんてな……ふっへへへ」


「……」


 四本の蝋燭に火を灯しながら、楽しげに笑う男の顔を、隼人は無表情で見つめた。老人がなぜ笑っているのか、彼には一切理解できなかった。


「はぁ……ノリ悪いな、あんちゃん」


 わざとらしく溜め息を吐いた老人は、その直後、思いついたように手の平を拳で叩いた。


「ははーん、さてはあんちゃんも、アレか? 何人死ぬか賭けてたクチだな? どうせ賭けを外して落ち込んでんだろ、ん?」


 犠牲者の数で賭け事をするなど、死者を冒涜する行いに他ならない。噂では聞いていたが、質の悪い冗談だろう、と隼人は思っていた。噂が本当だったことを知って、無表情だった彼の顔は、見る間に軽蔑の色に染まっていく。


「何ですか、それ……」


 隼人は震える声で尋ねるが、老人は青年の変化など、一向に気にしていなかった。


「いやな、たまーに聞いてくるんだよ。有り金全部ぶっこんじったから、何人死んだか教えてくれってよ。あ、そうだ。あんちゃんも知りたかったら、前もって教えるぜ。まぁ、タダとはいかねぇがな……へっへっへっ」


 老人は指で輪を作って金を寄越せ、とジェスチャーをした。


「悪趣味だ……」


 そう呟いた隼人の侮蔑の態度に気付いた老人は、その眼光を鋭くした。


「へっ、なんでえ。俺だってこんなこと、やりたくてやってるわけじゃねぇんだ」


「……なら、どうしてそんなことをする?」


 隼人の喉から出た声は、静かでありながらも、強烈な怒気が含まれていた。


「何だぁ? 下手に出れば、その態度は!? 葬魔士様はうらやましいな! 俺みたいな雑用人と違ってよ! 俺はあんたらがやらないことをやらねぇと生きていけねぇんだよ!」


 唾を飛ばしながらまくし立てる老人の剣幕に気圧されることなく、隼人はじっと彼を見据えた。


「……葬魔士が、うらやましい?」


「ああん? 何だ。やんのか、この野郎!?」


 一触即発の剣呑な雰囲気が静謐な空間に満ちていく。激しく息巻く男に影響されるように、隼人の右手は無意識に拳を握っていた。


「そこまでにしてもらいましょうか」


 張り詰めた空気を貫くような凛とした声が響く。声のした方を向くと、慰霊室の入口には、一人の男が立っていた。いつも微笑みを浮かべているような長身の優男――彼は、隼人のよく知る人物だった。


「あんたは……?」


 小柄な老人は近づいてきた長身の優男を見上げた。


「私は秋山圭介。支部長直轄部隊、特殊作戦班所属の葬魔士です。彼のことは私に任せて、どうかこの場は矛を収めていただけませんか?」


 体を屈めた圭介は、小柄な老人の目線に自身の目線の高さを合わせると、まるで一流のホテルマンのように恭しく彼に接した。そのあまりに垢抜けた所作に、彼はすっかり毒気を抜かれてしまった。


「し、支部長様の……へぇ、こいつはとんだ失礼を……」


 平謝りで頭を軽く下げ、老人は圭介から逃げるように彼の前を通り過ぎた。


「ほら、隼人君。君も……」


 圭介の言葉を聞いた老人は、足を止めて振り返った。


「隼人……? ちょっと待てよ。その名前、どっかで……」


 しまった、と言うように圭介は眉をひそめた。


「ああ、そうか! お前か! 認定試験で仲間を見捨てて、たった一人助かったクソ野郎は!」


「――っ!」


 老人の言葉を認めるように目を逸らして、隼人は歯噛みした。その様子が堪らないのか、老人は隼人を指差して嘲笑した。


「あの年の受験者で一人だけ生き残ったのが、逃げ帰った臆病者だってのは聞いてたが……いやー、こいつは傑作だ! 葬魔士のくせに朝からべそかいてるなんてざまあないぜ」


 容赦なく浴びせられる老人の罵倒を、隼人は黙って俯いたまま、受け入れた。


「いくら葬魔士になりたいからって、仲間を見捨てるなんてありえねぇよな……あっ、そういやここに一人いたか。そのありえねぇ奴が」


「……っ」


「いやー、とんだ屑野郎だな、お前! 恥ずかしくて俺にはお前みたいな真似できねぇよ、わっはっは!」


 勝ち誇った笑い声を上げながら、老人は部屋を後にした。


「……隼人君、ごめん。僕がうっかりしてた。てっきりあの老人は、君のことを知らないのかと思った」


「秋山さんは悪くない。あの老人が言ったことも、多分……間違ってない」


 渋面を作った圭介に視線を合わせずに、隼人は呟くような声で言った。


「あれはひがみだ。気にすることはないよ。あの老人は、葬魔士にすらなれなかった落伍者だ。他人の弱みにつけこんで嘲笑うことでしか、快楽を得られない哀れな男さ……」


 聞き慣れない冷たく軽蔑した圭介の声。隼人は心優しい彼にこんなことを言わせた自分にふがいなさを感じた。


「葬魔士になれなかった者に葬魔士の苦悩なんて分かるもんか。所詮、彼は外野だ。だから、あんな好き勝手言えるのさ」


「……」


 隼人の沈んだ顔を目にした圭介は、数秒の間、沈黙を作った。


「人は時として、非情な決断を下さなければならないこともある――この試験は、葬魔士としての縮図である」


「――!」


 聞き覚えのある言葉を耳にした隼人の目が、ぱっと見開かれた。


「やっぱり君も試験官に言われたんだね」


「……」


 再び床に視線を落とした隼人は、圭介の問いに沈黙で返した。


「戦場に絶対はない。戦況は常に変わる。事前情報が当てにならないことも日常茶飯事だ」


「魔獣の棲む森に隠された認識票を持ち帰る葬魔士認定試験の最終課題。予定していたよりも、魔獣が多く出現した君の代は、過酷を極めたと聞いている。事実、君以外の受験者は、皆、命を落とした」


 試験免除者を除いてね、と圭介は付け加える。


「でもそれは、仕方ないことだ」


「っ、仕方ない――?」


「そのための試験だからね。楽な方法で葬魔士になっても、現場に出れば、嫌でも実力のない者は淘汰される。ある意味、試験の精度は高かった。厳しくふるいにかけられ、優秀な君が残った」


「俺が……俺が、優秀なもんか。優秀だったら、誰も死んでない……」


 声を震わせて隼人が言うと、圭介はかぶりを振った。


「隼人君。僕らは、誰も彼も救えるわけじゃない。目の前の人を救うことが……ううん、目の前の人ですら救えるとは限らない。それは君がよく知っているはずだ」


「……っ」


 歯噛みして俯いた隼人を諭すように、圭介は言葉を続けた。


「救えなかった人のことを考えるな……とは言わない。でもね、そんな風に自分を責めるのは、よくないよ」


「君が、どうしてあんな決断をすることになったのか。その動機を僕は知らない。でも、それが間違いだったとは思わない」


「君が葬魔士にならなければ、救われなかった命がある。そう、僕だって君に命を救われた一人さ」


「秋山さん……」


「だからきっと、その選択は過ちではなかった。いや、違う。過ちではなかったと証明するために、君は今も戦っている……そうでしょ?」


「……ああ、そうだな」


「なら、君が今、するべきことは何だい?」


 圭介にそう問われた隼人は、決心を露わにするように拳を握った。


「鍛錬に――」


「そう、支部長室に行くことだ」


「……え?」


 予想外の言葉を耳にして、困惑した隼人が圭介の顔を見た。彼は何かに気付いて欲しそうに意味深な笑みを浮かべている。


「えっと……そういや秋山さんは、なんでこんな時間にここに……?」


「支部長が君を呼んでる。隼人君、端末を部屋に置いたままじゃないかい?」


「え……?」


 制服のポケットを探った隼人は、連絡用の端末を置いてきたことに気付いた。


「あっ……」


「やっぱりね。部屋に行っても返事がなかったし、だったらここにいるんじゃないかなって思ってさ」


「もしかして俺に連絡がつかなかったから、秋山さんが起こされた……とか?」


 遠慮した声で隼人が尋ねると、圭介はにっこりと微笑んだ。


「支部長直々のモーニングコールは心臓に悪いよね。何か事件があったかと思って焦ったよ」


 圭介の言葉の端々に棘があるのは、そのせいだったのか、と隼人は納得した。


「……すいません」


 小さく頭を下げて隼人が謝ると、圭介は眉を“ハ”の字にして苦笑した。


「まぁ、いいさ。君はこうして無事だったし……僕も話に夢中になって、今の今まですっかり忘れてたよ。あはは……」


「でも、支部長はこんな時間に何の用なんだ……? いつもなら、まだ寝てる時間だろう?」


「ごめん、君が呼ばれている理由は、僕も知らないんだ。支部長室に行くなり、君を呼ぶように言われてさ。それならそれで僕を呼び出す必要はないと思うんだけど……とにかく痺れを切らして館内放送で呼び出される前に行った方がいいよ」


「了解……」


 溜め息混じりに答えた隼人は、足早に慰霊室から出ようとする。


「隼人君。一つ聞くけど、いいかな?」


 圭介に呼び止められた隼人は、部屋の入り口で足を止め、背中越しに彼を見た。


「何だ……?」


「君は、葬魔士になったことを後悔してるのかい?」


 背後への視線を切って、右手を見た隼人は、胸の内を曝け出すように深く息を吐き出した。


「ああ、してる。でも……」


「……でも?」


 沈黙に耐えられなくなった圭介は、言い淀んだ隼人に言葉の続きを促した。


「葬魔士にならなかったら、多分、もっと後悔してると思う。今よりも、ずっと……」


「……」


 次の言葉を待つ圭介の視線から逃れるように、隼人は部屋の外に顔を向けた。


「今はとりあえず……怒られる前に支部長室に行ってくる」


「……分かった。それじゃ、また会おう。隼人君」


 背後から届いた圭介の言葉に片手を上げて返すと、隼人は支部長室へ向けて歩き出した。


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