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斬魔の剣士  作者: 織部改
第二.五章 Before the Night of Encounter
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EP01 Picturing the Past

グロ、鬱描写注意です。苦手な方はブラウザバックしてください。

ちなみにサブタイトルは洋楽の曲名からお借りしています。この場をお借りして御礼申し上げます。

それでは、本編をお楽しみください。




 鬱蒼とした木々に覆い隠され、陽の光が遮られた森の中。夜の帳に包まれたような暗闇を一人の少年が走っていた。まだあどけなさの残る顔付きの彼は、その腕に小包を抱えていた。


 一歩一歩、足を踏み出す度に揺れる小包からは、しゃらしゃらという小さな鎖の擦れるような軽い金属音が響いている。


「はぁ、はぁっ……はぁ……」


 息を切らして走る少年は、必死に足を動かしながらも、なぜ走っているのか、その理由はとんと思い出せなかった。


 それでも、足を止めてはならぬと知っていた。振り返ってはいけないと知っていた。決して手放さないように、小包を抱えた腕に力を込める。地を蹴る靴にへばりつく泥に不快感を覚えながらも、ただ我武者羅に前へと進む。


 吐き出した呼気と入れ替わりに新鮮な空気が鼻から入ってくる。その空気には、妙な臭いがした。それは錆びた鉄のような臭い。


 この少年には、辺りに漂う吐き気を催す臭いに覚えがあった。


「――っ」


 突然、ぽとりと音がして雫が彼の右頬に落ちた。雨が降っているのか、と思った彼は、無造作に左手の甲で拭うと、その雫は赤かった。


 辺りに漂っている臭気と同じ臭いがその液体から強く放たれ、頬を濡らした液体は、ただの雨水ではないと伝えた。


 赤い雫が次々に後を追うように降り、頬だけでなく全身を濡らしていく。そうしてぼとりと落下してきた何かが、左腕に張り付いた。生暖かく柔らかいぬめりを帯びた物体。その正体を知りたいという欲求を捻じ伏せて、前方に意識を集中させる。それらに構っている暇は、彼にはない。


「はぁ……はぁっ、はぁ……!」


 モズの早贄という習性がある。モズという小さな鳥は、虫やトカゲ等の捕らえた獲物を木の枝に突き刺し、冬の保存食とするのだ。


 その習性に影響されたのだろうか、周囲の木々には何者かに捕らえられた獲物たちがぶら下がっていた。それはモズの仕業ではなかった。小さなモズにできるはずがない。なぜなら、その獲物となっていたのは、人間だったからだ。


 まるで飾り付けたように、少年少女たちが太い枝に貫かれてぶら下がっている。どの死体も五体満足ではなく、何かしらの部位が欠けている。柔らかな腹部や腿、臀部、乳房は噛み千切られ、歪な断面を覗かせている。


 腹部から腸がはみ出た者は、まるで洗濯物を干すように腸が枝に渡されてぶら下がり、ぬらぬらと妖しい光沢を放っていた。


 首のある者は、誰もが苦悶の表情を浮かべていた。当然だ。生きたまま、肉体を食い千切られ、息のあるうちに枝に突き刺されたのだから。


 彼はふと、いつか見たクリスマスツリーを思い出した。街頭に並んだイルミネーションに彩られ、色取り取りに飾り付けられたモミの木の列。


 少年の周りに立ち並ぶ木々がクリスマスツリーなら、周囲から響く声は、歓喜の歌だろう。その声の主は、祝祭に沸き立つ子どものように無邪気にはしゃいでいる。


 びりびり、ぶちぶち、ばりばり、ごっくん。


 プレゼントの包装を出鱈目に破き、中の玩具を取り出すように、テーブルマナーも気にせず、夢中でごちそうにありつくように、無垢な獣たちが宴に興じていた。


「はぁ、はぁ、はぁっ……」


 暗闇に馴染んだ目を凝らすと、泥濘が赤黒く染まっていることに気付いた。そして辺りに立ち込める錆びた鉄の臭いすらも塗り潰すような悪臭が足元から鼻を襲う。少年はこの臭いにも、覚えがあった。


 さっきから靴底にへばりつく泥の正体は、人間の臓物――否、正確には、その中身である消化物だった。


 血が、臓物が、空から降っていた。これを地獄と呼ばずになんと言うのだろう。少年は全身血塗れになって、生まれたばかりの地獄を走っていた。


「ぎゃああああああ!」


 突然、右前方から少女の悲鳴が聞こえた。新しい犠牲者の声だ。


「っ――!」


 木々や茂みの陰に隠れ、彼女の姿こそ見えないが、助けが間に合わないことはすぐに分かった。


「嫌ぁっ! 誰か、誰か助けて! やめて――やぇ、げ……」


 悲鳴を上げる声が急に途絶え、肉が食い千切られ、骨が噛み砕かれる生々しい音が耳朶を打った。その音は、少年の右側面から右後方へと流れていった。


「ごめん……」


 謝罪の言葉を口にした彼は、涙を流しながら、走り続けた。すると周囲から死に瀕した者たちの声が聞こえた。低く響く波の音を思わせる呻き声。少年には、その全てが彼を恨む声に聞こえた。どうして見捨てたのか。どうして置いて行ったのか。どうしてお前は生きているのか――


「っ……!」


 さざ波のような怨嗟の声。錆びた鉄のような血の臭い。陽の光を遮る森の中――少年は出口を目指し、その機能しか持たない機械のように、ひたすら足を動かし続けていた。


 やがて向かう先に眩しい光が見えた。近づくにつれて明るさを増す白い光は、次第に視界一杯に広がっていく。その光の先に見えたものは――


「はぁっ! はぁっ、はぁ、はぁ……はぁ……」


 青年――長峰隼人は、掛け布団を吹っ飛ばして跳ね起きた。全身がぐっしょりと汗に濡れている。胸に手を当てると、心臓が早鐘を打っていた。


「またか……」


 それは何度も繰り返し見た夢だった。かつて少年だった隼人が体験した記憶の残滓であり、決して忘れてはいけないと彼が胸に誓った惨劇の一幕だった。


 この夢を見るのは、決まって任務のない日が続いたときだ。まるで安らぐことを許さないように、指に刺さった抜けない棘がその痛みを思い出せるように、過去が悪夢となって彼を苛むのだ。


「……まだ三時前、か」


 鳴るにはまだ余裕のある目覚まし時計のアラームを切る。どうせこの後は眠れない。眠れるはずがない。


 夢であったはずなのに、隼人の鼻には、まだ血と臓物の生々しい臭いがこびりついており、耳の奥には悲鳴の残響が木霊していた。


「うっ……」


 不意に喉の奥からせり上がる嘔吐感に襲われた隼人は、口を手で覆った。喉元まで上がってきた酸っぱい液体を無理矢理飲み下すと、目尻に浮かんだ涙を拭う。


 季節は春。まだ暗い窓の外に目をやると、桜の花びらが淡い月の光に照らされながら、ひらひらと空を舞っていた。


「……」


 寝不足の脳味噌は、乾いたスポンジのようだった。生気の抜けた目で景色を見つめる彼を置き去りにして、ただ時間だけが通り過ぎていく。


「起きるか……」


 ふらふらとベッドから立ち上がった隼人は、べたつく汗を洗い流そうと、シャワーを浴びに浴室に向かった。


 半ば自動化された動きで服を脱ぎ、亡者のような足取りで浴室へ入った隼人は、栓を捻るや否や吐き出された加熱前の冷たいシャワーに打たれる。


 床に視線を落として、排水口に流れる水をじっと見つめていると、急にその水が赤く染まる。顔を上げて鏡を見ると、全身が血塗れになり、あちこちに肉片と臓物がへばりついていた。


「あぁ……」


 無論、それは幻だ。分かっていても、耐えられない。半狂乱になりながら、体を擦る。ありったけのボディソープを塗りたくり、汚れを落とし、臭いを消そうと必死に擦る。ボディソープがなくなれば、シャンプーを。シャンプーがなくなれば、入浴剤を。入浴剤がなくなれば、掃除用の洗剤を。浴室内にある物を見つけ次第、手当たり次第に使っていく。


「あぁ……あぁ、ああっ!」


 左腕に一切れの肉片が貼り付いていた。その肉片だけこびりついて離れない。夢中で腕を擦り続けた結果、やがて左腕の皮が捲れて本当に血が流れた。抉れた肉、流れる血。それが自身のものであると、隼人は気付かない。幻と現実が入り乱れ、彼の意識は混濁していく。血の臭いを消そうと擦れば擦るほど傷が深くなり、血が溢れ出す。


「痛っ……」


 神経を突き刺す激痛で、それが自分の負傷だと気付いた。頭がようやく冴えてきたようだ。深く溜め息を吐いて、血の湛えた裂傷を見つめる。それは泥水の溜まった深い轍を思わせた。常人なら手当が必要な傷であるが、数分もしないうちに治ると隼人は知っていた。


 左腕をじっと見つめていると、傷口から蒸気のように立ち上がった紺色の霧が傷を塗り潰すように覆い隠していく。


 数秒後、その霧が晴れると、傷が噓のように消えていた。わずかに残った痛みだけが傷を負った名残として残っていた。


「これじゃ、人間じゃないな。俺……」


 驚異的な治癒力の源は、彼の肉体にあった。黒く染まった魔蝕の右腕。肌色の左腕と見比べると、異色さが際立つそれは、魔獣にその身を蝕まれた証である。


 傷を癒すとともに、魔獣の因子によって補強されることで侵蝕が急速に進行し、ヒトから乖離していく肉体。


 漆黒の右腕は、決して償うことのできない咎を犯した罰として与えられた忌まわしい呪いだった。


「……」


 浴室に入ってから約二時間後、虚ろな目で床に座り込んでいた彼はシャワーを止め、ありもしない血の臭いが消えたことを確認した。今日はまだ、ましな方だった。いくら体を洗い、臭いを消そうとしても、幻の臭いなど消せるはずがない。消えてくれるだけ、まだありがたい。


「ん……?」


 からん、という軽い音が狭い空間に反響した。浴室から出ようとした隼人は、何か軽い物体を蹴飛ばしたのだ。首を傾げた彼が視線を落とすと、その足元には、空になった容器がいくつも散乱していた。

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