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斬魔の剣士  作者: 織部改
第二章 月下の剣士
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EP30 医務室再び

 深海から浮上するように隼人は意識を取り戻した。背中に感じるのは、医務室にある少し硬いベッドの感触である。どうやら医務室に運ばれたらしい、と隼人は夢うつつに理解した。


「ん……?」


 枕元から女性の話し声が聞こえた隼人は、重い瞼を開き、声のする方へ頭を向ける。そこには、丸椅子に座って話している美鶴と浅江がいた。


「あっ……長峰さん、気が付いたんですね」


「目を覚ましたか……!」


 隼人の呻き声を耳にした二人は、彼の顔を覗き込んだ。


「えっ、ああ……なんか長く眠ってた気がするな」


 体を動かそうとした隼人は、全身の関節が錆びついて固まったような感覚に襲われた。この感覚には覚えがある。これは長期間眠っていたために起こる現象だ。


「長峰さんは、四日も眠っていたんですよ」


「四日も? なんでだ……」


 美鶴の言葉を聞いた隼人は天井を見上げて、起き抜けの頭で思考を巡らせた。


「のんきだな、お主。私たちは、お主の身を案じていたというのに……」


 浅江の少し呆れた声で、隼人は何があったのかを思い出した。


「そうか……俺は牛頭山猛と戦って、それで――って、あっ、痛てぇ……」


 普段のように起き上がろうとした隼人は、突然、激痛に襲われた。身を裂くような鋭い痛みに顔を歪めた彼は、右肩を押さえ、背を丸めて悶えた。


 痛みの源に目を向けると、病衣の隙間から包帯の巻かれた右肩が見えた。魔獣の因子が肉体を侵蝕する副作用により、傷の治りは早いはずだが、どうやら猟魔部隊の矢を受けた傷は、まだ完治していないらしい。


「ああもう……まだ傷が治っていないのだから、無理に起きるな」


 浅江は慌てて椅子から立ち上がり、隼人の肩にそっと手を添えて支えた。


「あっ……私、先生を呼んできますね」


「悪い……」


 申し訳なさそうな隼人に、美鶴は微笑みで返すと、小走りで医務室を出た。


「大事ないか……?」


 隼人の肩から手を離した浅江は、心配そうに彼の顔を覗き込んだ。


「ああ、大丈夫だ。驚かせて悪かったな」


 浅江を心配させまいと、隼人はわざと明るい声で謝った。だが、彼女の表情は暗く曇ったままだった。


「どうした……?」


「……すまなかった」


 後悔の滲む浅江の声を耳にした隼人は、困惑した表情を浮かべた。


「なんでお前が謝るんだ?」


「お主を一人で戦わせた。そのせいでまた、その右腕を使うことに……」


 痛みに顔をしかめながら右腕を持ち上げ、病衣の袖を捲ると、漆黒の右腕は内から燃え上がるような赤い輝きを失っていた。身を焦がすような熱も既に冷めている。誰が施したかは分からないが、どうやら既に封印が施されているらしい。


「御堂は悪くない。お前も俺も支部長の指示に従っただけだ。それにあの状況じゃ、あいつに対抗する手段は、これしかなかった」


「それでも……私がいれば――」


「御堂、ありがとうな」


 浅江の後悔を遮るように隼人は礼を言った。


「え……」


「お前が助けに来てくれなかったら、俺はあのとき、くたばってた。お前に刀を借りなかったら、あいつに太刀打ちできなかった」


「隼人……」


 じっと浅江に見つめられた隼人は、その視線から逃げるように足元に目を向けた。すると、隼人の体に寄り添うように、浅江の刀がベッドの上に置かれていることに気付く。


「そうだ。この刀、お前に返さないとな」


「私の刀は、役に立ったか……?」


 手に持った刀に視線を落とした隼人は、猛との激戦を思い返す。この刀が無ければ、彼の大剣を受け止めることは不可能だった。


 瘴気の奔流による力比べもそうだ。この刀に喝を入れられなかったら、隼人は活路を見出すことなく、あっさりと猛に押し負けたことだろう。


 浅江に託されたこの刀があったからこそ、隼人は猛と戦い抜くことができたのだ。


「ああ、この刀が無かったら、俺は生きて帰ってこられなかった。お前には……本当に助けられた」


 そう言って隼人は、浅江に刀を手渡した。


「そうか……それなら、よかった」


 隼人から刀を受け取った浅江は、その刀を胸に抱くと、慈しむような優しい微笑みを浮かべた。


「ああ……お主が無事に帰ってきてくれて、本当によかった」


「御堂……」


 心の底から安堵したような浅江の表情。それは、普段の凛とした彼女の振舞いからは想像できない淑やかな女性を思わせる柔らかな笑みだった。


 その予想外の一面を目にした隼人は、思わず彼女の顔をじっと見つめた。そうして二人は、しばし時間が止まったように無言で見つめ合ってしまう。


「……」


 視線を外そうとしても、彼女の潤んだ瞳から目が離れない。彼女の視線に帯びたほのかな熱に炙られたように隼人の頬が火照っていく。


 だがそれは、隼人だけではなかった。よく見ると、彼を見つめる浅江の頬も桜色にほんのりと色づいている。


 胸の内に感じた温もりが、無機質な空間にじんわりと広がり、頭の奥が鈍く痺れるような甘い感覚に彼の意識が曖昧になる。


 まるで永遠のように思われた二人の時間。しかしそれは、そう長く続かなかった。


「隼人くーん、起きたんだってー?」


「――っ!」


 静寂を打ち破るように医務室のドアが勢いよく開き、二人は慌ててあらぬ方向を向いた。


 この底抜けに明るい声は、医務室の主である桑野成実医師のものだ。


「もう体を起こせるのね……って、あれ? 何か顔赤くない? 熱あるの?」


 遠慮なく入ってきた成実の後に続いて、美鶴が医務室に戻ってきた。事情を知らない二人は不思議そうな顔で隼人を見つめた。


「いえ……大丈夫です」


 予期していなかった闖入者の出現によって乱れた呼吸を整えた隼人は、熱くなった顔を隠すように片手で覆いながら返答した。


「そう? それならいいけど……体調が悪くなったら言ってね」


「……はい」


「ふぅん、やけに素直ね……」


 隼人の様子を訝しんでいた成実だったが、何かを思い出したように声を上げた。


「あっ、そうだ。隼人君、二人に感謝しなさい。ずっと君を看病してくれてたんだから」


「え……」


 成実にそう言われた隼人は、二人に視線を向けた。


「お主にずっと付き添っていたのは、冬木だ。私は任務の報告で忙しかったから」


「そんな……御堂さんの方こそ、忙しくても合間を見てここに来てたじゃないですか」


「それは……違う。こやつが刀を返してくれないから、目を覚ますのを待っていたんだ」


「勝手に持っていけばよかっただろ。お前の刀なんだから……」


「……」


 答えに窮した浅江は、困り顔で沈黙した。


「ああ……その刀、ずっと握ったまま離さなかったのよ、君。取り上げようとしても、すごい力でぎゅっと握ってるし……おかげで治療しづらくて大変だったわ」


 男三人でやっとこさ引き離したんだから、と成実は苦笑した。


「え……?」


 成実の言葉を聞いた隼人は、目を丸くした。


「なんかね、俺が返さないといけないんだって、ずっとうわ言を呟いてたんだから」


「そうだったんですか……」


 我ながら呆れたものだ、と隼人は後頭部を掻いた。


「でも……ふふっ、そっかそっか。浅江ちゃんの刀だったのね、それ」


 どこか楽しそうに頬を緩ませた成実は、刀を抱えている浅江に視線を向けた。


「な、なんでしょう……」


「ううん、なんでもないわ。隼人君がちゃんと帰ってきてよかったって話よ」


「それは、その……はい……」


 にっこりと笑った成実の顔から目を逸らした浅江は、曖昧な返事をした。


「さてと、お二人さん。隼人君と話したい気持ちは分かるけど、今日はこのくらいにしてちょうだい。彼、体調がまだ万全じゃないんだから。ほら、隼人君も二人が帰っちゃう前にちゃんとお礼を言いなさい」


 注意を引こうとして手を鳴らした成実は、隼人に礼を言うように促した。


「……」


 三人の視線を集めながら、改まって礼を言うのは、どうも面映ゆい。隼人の頬は、自然と熱を帯びていた。


「えっと……二人とも、気を遣わせて悪かった。あ、ありがとう……」


「あら、隼人君。なんか顔赤くない?」


「……気のせいです」


「ふふっ……」


「ふむ……照れてるのか、お主」


「あのな。改まってというか、面と向かって言うのは、その……気恥ずかしいんだよ」


「分かるわ……こんな麗しの乙女三人を目の前にしたら、赤面してもしょうがないもんね。うん、隼人君には、ちょっと刺激が強すぎたかな?」


 何度も大げさに頷く成実を見た隼人は、不思議そうに首を傾げた。


「先生が、乙女……?」


「ああん?」


 般若の形相を思わせる怒りの表情を浮かべた成実に睨まれた隼人は、思わずベッドの上で後ずさった。


「……すいません」


「まったくお主という奴は……」


「あはは……」


 隼人の怯えた様子に浅江と美鶴は呆れた声を出して、苦笑する。


「じゃあ……長峰さん、失礼しますね」


「ではな、隼人。先生の言うことをよく聞くのだぞ」


「……お前は俺の母親か?」


「そんなわけないだろ……ばか」


 ぷい、と顔を逸らした浅江は、捨て台詞を吐いて医務室を出て行き、その後に続いて小さくお辞儀をした美鶴が部屋を出た。


 二人の姿が医務室の外に消え、ドアが閉まると同時に、成実は隼人の方へ振り向いた。


「でも、よく帰ってきたわね、隼人君。本当によかったわ」


「はい……」


「と・こ・ろ・で……隼人君。あたし、しばらくは安静にしてって言ったよね?」


「え……?」


「言ったよね?」


 言い訳をする間もなく成実に詰め寄られた隼人は、たじろいだ。


「あっ、はい。すいません……」


「言うこと聞かないなら、今度はあたしが許可するまでこの部屋から出さないからね。鍵を掛けて、自由に出入りできなくしてやるんだから」


「それはもう、監禁では……もしかして、さっきの根に持ってます?」


「持ってませーん」


「持ってるな、これは……」


「それにね、隼人君。訂正させてもらうけど、これはれっきとした医療行為です。監禁じゃありません」


「……」


 もっともらしくそう言った成実の言葉を聞いた隼人の脳裏にいくつかの不安がよぎった。


「あれ……ちょっと待ってください。医務室から出られないなら、飯はどうなるんですか?」


「あたしが持ってくるわ」


「えっと……風呂は?」


「体拭いて我慢しなさい。なんなら、あたしが拭いてあげよっか?」


 成実からいたずらな視線を投げられた隼人は、慌てた様子でかぶりを振った。


「お、お断りします……」


「で……トイレは聞かないの?」


 にやりと楽しげな笑みを浮かべた成実は、隼人の顔を覗き込む。


「……何となく想像できるので、結構です」


「えー、つまんないなぁ……」


 期待した答えが返ってこなかったせいか、成実は唇を尖らせた。


「それで……俺は、どのくらいここにいなくちゃいけないんですか?」


「うーん、最低でも一週間ってところかな」


「禁固一週間か……」


 溜め息と一緒にそう呟いた隼人は、脱力したその体をベッドに預けた。


「何よ。こんな美人と一週間ずっと一緒なんだから、喜びなさいな」


 人差し指を頬に当て、茶目っ気たっぷりにポーズを取った成実を見た隼人は、あからさまにげんなりとした顔を作った。


「……調子が狂うな」


 なによー、とむくれた成実がベッドをばんばんと両手で叩く。彼女は本当に医者なんだろうか、と隼人は頭を悩ませながら寝返りを打って、彼女に背を向けた。


 何はともあれ、生きて帰ってきた。今はただ、その喜びを享受したい。背中に聞こえる少しやかましい成実の声を子守唄にして、隼人は再び眠りに就いた。


いつもご愛読いただきありがとうございます。

二章は次話で完結すると思いますが、三章に入る前に前日譚(二.五章)の投稿を考えています。

時系列としては、一章の約一カ月前。隼人と美鶴が出会う前で浅江が長期任務に出発する以前となります。

主人公の過去は鬱描写……というかグロがキツめかもしれません。苦手な方はご注意を。二話ほど陰鬱な描写が続いた後は、斬魔の剣士にしては珍しく甘々な描写が多くなるかと思います。甘さ的には今回のテイストに近いかもしれません。

主人公は役柄として、多少悲惨な目にあうのは仕方ないと思いますが、少しは救われてほしいとも思っているので、今回の話や前日譚のような話もたまにはいいかな……と思っています。

それでは、この辺りで失礼します。

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