EP29 一触即発
コートをはためかせ、固い靴音を響かせながら、陽子は葬魔士たちに歩み寄る。彼女を待ち構える猟魔部隊の葬魔士たちは、皆、精鋭に違わぬ偉丈夫であり、彼女と比較すると、遥かに屈強な体格をしている。
だが、そんな彼らを前にしても、陽子の足取りは、全く物怖じする様子はない。彼女の視線は、ただ一点――葬魔士たちの前で横たわる隼人に向けられていた。
「立て、長峰。まだ、お前の眠るときではない」
「了解……!」
陽子の命令を聞いた隼人は、歯を食いしばって上体を起こし、片膝を立てる。そうして懸命に立ち上がろうとするが、そこまでだった。
「ぐっ……」
ふらついた隼人は、腰の刀を鞘ごと抜いて杖にし、片膝立ちの姿勢で転倒を防いだ。念信による睡眠作用は色濃く残存している。今の彼には、じわじわと体を蝕む毒のような睡魔に抗うのが精一杯だった。
道を進む陽子を遮るように猟魔部隊の葬魔士たちが立ちはだかる。
「これは猟魔の戦いです。どうかお引き取りを……」
「私たちも同胞を撃ちたくはありません。さぁ……」
彼らは言葉こそ丁寧であるが、有無を言わせぬ重圧を放っていた。それはまるで巨大な壁が目の前にそびえ立つようだった。常人なら怖気づき、尻込みするであろうその絶壁を、彼女は目を逸らさずに一瞥する。
「どけ」
ただの一言。それだけで屈強な葬魔士たちが慄き、彼女の前に道を開けた。彼女の前にいるのは、魔獣を討伐する葬魔士たちにすら恐れられる猟魔部隊の猛者たちである。
その彼らが、黙って彼女に道を譲った。陽子の放つ気迫は、それだけ鬼気迫る威圧感があったのだ。
「素直に道を譲るとは……情けない」
周囲の葬魔士たちに聞こえないほどの小声で智己が呟いた。そんな彼に目をくれることもなく、不快そうに眉をひそめる智己の前を素通りし、隼人に向かってまっすぐ歩を進める。
「そうだ。それでいい。それでこそ斬魔の剣士だ」
隼人の隣に立ち止まった陽子は、まだ立ち上がろうと試みる彼の肩に手を置き、賞賛の言葉を送った。
「支部長……」
「後は任せろ。ここからは私の出番だ」
「……はい」
不敵に微笑む陽子の顔を見上げた隼人は、どうにか頷いて返した。
「しかし……第三支部の支部長であるあなたが、直々にいらっしゃるとは、驚きました」
智己の声を聞いた陽子は、彼のいる方向に、ちらりと視線を投げた。
「お前……金倉家の者か」
「ええ、そうです。ご存知だったとは、光栄の至り。彼の守護四聖に比べれば、当家の名は霞むものですが……さすがですね、東雲支部長。やはりあなたは、侮れません」
「それで、わざわざこんなところにいらっしゃったのは、彼を助けるためですか?」
「そうだ。その男をどうしようと私の知ったことではない。だが……私の部下に手を出すなら、話は別だ。お前には、報いを受けてもらおう」
そう言うと陽子は、足に巻いたベルトに取り付けられたホルスターから銀色のリボルバーを引き抜いた。それを目にした智己の顔が緊張で強張った。
「私は本部の人間ですよ。その私に手を出せば、どうなるか……知らないあなたじゃないでしょう。たった一人のために、そこまでしますか?」
「ああ、たった一人のために、そこまでするとも。私は……この支部の長だからな」
「支部長……」
隼人は苦悶を漏らしながら、感嘆の声を上げ、陽子を見上げた。獣鬼との戦闘で負った傷も完全に癒えないまま、牛頭山猛と戦った彼は、肉体的にも精神的にも、とっくに限界を超えていた。もはや気力だけで意識を保っている状態であり、いつ倒れてもおかしくない。
「さて……おしゃべりはここまでだ。私はお前と話に来たわけじゃない。こいつを返してもらえば、それでいい」
「返すと思います? 禁忌の右腕を使った危険人物ですよ、彼は」
「その男を止めるために使わざるを得なかった。それも元はと言えば、お前たちがその男を取り逃がしたせいだろう」
「はははっ……いやぁ、耳が痛い話です」
片手で顔を覆った智己は、にやりと気味の悪い笑みを浮かべた。
「ええ、その勇気は買いましょう。しかし、それは無謀というもの。ここにいるのは、葬魔の精鋭、猟魔部隊ですよ。あなたの無法を見過ごすとお思いですか?」
その言葉を聞いた陽子の唇が、にっと吊り上がった。
「……ここは私の管轄だ。その意味が分かるか」
だらりと下げられていた彼女の右腕がゆっくりと持ち上がり、その手に握られたリボルバーの銃口が腕の動きに合わせて角度を上げていく。それは智己の体をつま先からなぞり上げる動きだった。
周囲の葬魔士は、陽子の腕が持ち上がると同時に、その射線を遮ろうと動くが、智己が手を上げて彼らを制止した。
「そんな銃で私を殺せますか? 私とて――」
上昇する銃口が彼の胸の位置でぴたりと静止した。その動きを合図とするように、四方八方から幾条もの赤い光線が智己に突き刺さる。
それは狙撃用のレーザーサイトの放つ光線だった。瘴気の中では光が著しく減衰するため、対魔獣戦闘では、まず使用しない。これは明らかに対人狙撃を意識したものである。
「おや、これはこれは……スポットライトにしては物騒なことで」
幾条もの赤い光線に照らされた自身の体を一瞥した智己は、引きつった笑みを浮かべた。光源を探して周囲を見渡すと、川辺に群生する葦や木々、堤防の上に設置されたガードレールや看板の影に潜む複数の気配を感じ取った。
「これは号砲だ。私は命を下す者。ただ一度、引き金を引けば、それで済む」
耳を澄ませると、遠くからヘリの音が聞こえた。おそらくヘリに乗ったドアガンナーも智己に狙いを定め、銃を構えていることだろう。
「……いい度胸です。私に銃を向けることの意味――覚悟はできている、ということですか?」
智己の問いを聞いた陽子は、黙って撃鉄を落とした。かちり、と冷たい鉄の音が、夜の闇に響く。
制止を指示されていたとはいえ、さすがに看過できなかったのか、今まで状況を静観していた猟魔部隊の葬魔士たちは、コートの下に忍ばせていたクロスボウを一斉に陽子に向けた。
そのクロスボウに装填されているのは、いずれも隼人たちに放たれた漆黒の矢である。捕獲用とはいえ、魔獣の外皮を易々と射貫く威力がある。そんなものを撃たれては、常人ではひとたまりもない。
「長を名乗る者なら、当然だ。むしろ……私を撃てば、報復の大義ができるというもの。貴様には、引き金を引く覚悟はあるか?」
陽子の有無を言わさぬ気迫に、智己は額から汗を垂らしてたじろぐ。周囲の葬魔士たちは、指示に備えて息を殺していた。
「……っ」
数秒間の睨み合いの末、深々と息を吐き出した智己は、仰々しく肩をすくめた。
「仕方ありません。ここは引くとしましょう。ただ、この男は連れていきます。それが私の任務なので」
連れていきなさい、と智己は近くの葬魔士に指示を出した。二人の葬魔士が気絶した猛を担いだ。それを見た陽子は撃鉄を戻し、銃を下ろす。すると途端に、智己を照らしていた光線が一斉に消えた。
「やれやれ……」
首を振った智己は、部下を引き連れて歩き出した。
「支部長。牛頭山を猟魔部隊に渡すのは、危険です……あいつは――」
「分かっている。だが、今はお前の保護を優先する」
あいつは葬魔の騎士だ、と言おうとした隼人の声を遮るように、陽子は厳しい口調で言い放った。
小声で話す二人の会話が聞こえていなかった智己は、悠々とした足取りで陽子の隣を通り過ぎようとしたが、彼女の前でわざとらしく靴を鳴らして立ち止まった。
「では、また会いましょう。東雲支部長。それから……長峰さん」
上目遣いに睨む隼人を見下ろした智己は、見せつけるように口元を歪めた。
「ぐ……」
歯噛みする隼人の表情に満足したのか、涼しい顔に戻った智己は、葬魔士たちとともに二人から離れていく。
「すみません、支部長……」
智己と葬魔士たちの姿が見えなくなってから、隼人は謝罪の言葉を口にした。
「……ん、何を謝る? 彼女たちは無事、支部に着いた。誇るがいい。お前は見事、私の命を果たしたんだ」
「それなら、よかった……」
陽子の言葉を聞き、安堵した隼人の体から力が抜け、崩れ落ちる。そうして路面に倒れるその間際、陽子が腕を回して彼を抱きとめた。
「よくやったな、長峰。傷が深い……今は休め」
目を閉じた隼人は、陽子の腕の中で安らかな寝息を立てていた。彼の右腕は既に赤い輝きを失い、冷めた炭のように黒一色に戻っていた。




