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斬魔の剣士  作者: 織部改
第二章 月下の剣士
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EP28 混沌を齎す者

 猛は迷いなく対魔刀を振るった。空を走る刃が闇に閃く。その斬撃は、彼の頭部へ飛来する物体を打ち落とした。


 きぃん、という鉄を打つ音に続いて、路面に落下した甲高い金属音が響き、細長い物体が勢い余って路上を跳ねた。


 それは横たわる隼人の眼前に転がり、やがて静止した。彼が目にしたのは、猟魔部隊が使用する黒い矢だった。


「この矢は、猟魔部隊の――!」


「ちっ……」


 矢が続々と飛来する風切り音を耳にした猛は、空を見上げて舌打ちをした。一本、二本ではない。一目では数え切れないほどの矢が降ってくる。


 着弾するまで残り三秒もない。橋上の構造物は、瘴気の暴風によって倒壊しており、遮蔽物は一切ない。満身創痍の二人には、この矢の雨を避けることは到底叶わない。


「――っ!」


 状況を理解し、顔をしかめた猛は咄嗟に刀を構え、降り注ぐ矢を迎撃した。次々に迫る矢を刀で弾くも、この物量を捌くには限界がある。


 豪雨のように降る矢に迎撃が追いつかず、たちまち猛は全身を射貫かれた。その痛々しい姿は、無数の針を突き刺した針山じみた有り様だった。


 路面を埋め尽くすように突き刺さった夥しい数の矢が、その圧倒的物量を物語っていた。それでも急所――頭部、首、胸部を死守したのは、さすがは葬魔の騎士である。


 横たわったままの隼人には、矢の雨を躱す術がなかったが、猛の体が盾となったためか、右肩と左脚に矢を受ける程度で済んだ。


「うぐ……」


 矢の雨が降り止むと途端に、全身に矢が刺さった猛は苦悶を漏らし、膝をついた。しかし、それも束の間のこと。彼の膝は力なく崩れ、猛は正座するように座り込み、振り子のように力なく俯いた顔を揺らす。


「おい、どうし――た……」


 どうした、と言おうとした隼人は、肉体に起こった異変を感じて顔をしかめた。先ほどまで隼人を苦しめていた右腕の痛みがない。矢が突き刺さったというのに、痛みを感じない。いや、痛みどころか感覚が鈍い。力が全く入らないのである。


 それはまるで麻酔を打ったような鈍さだった。起き上がろうとしても、腕を支えに上体を起こすのが限界であり、立ち上がるのは難しい。


 左脚――矢の刺さった膝下の感覚も鈍い。右肩と左脚に生じた異変の原因が、体に刺さった黒い矢であることは、すぐに見当がついた。


「この矢のせいか……」


「ええ、そうです。我々、猟魔部隊が誇る葬魔兵装の一つ、魔獣捕獲用封印弾。別名、禁門の矢。そのお味はいかかですか?」


 気取った男の声が遠くから聞こえた。そちらに目を向けると、複数の葬魔士に囲まれた痩身の男が近づいてくるのが見えた。


 彼の手には、見覚えのある黒い矢の装填されたクロスボウが握られていた。


 周囲にいる葬魔士たちは、馴染みのコートに身を包み、フードを目深に被っているため、素顔が分からないが、その男だけ見せつけるように素顔を晒していた。


 紫に近い紺色の長い髪に金縁の眼鏡をかけたその男は、きざったらしく腕を組み、眼鏡の位置を指で押し上げて直した。


「おや、誰かと思えば……そちらに倒れているのは、斬魔の剣士殿ではありませんか?」


「白々しいことを……わざと俺を巻き添えにしたんだろ……!」


 腕に力を入れて顔を起こした隼人は、近づいてくる男を睨みつけた。


「これは失礼……我々としては、あなたを助けたつもりだったのですが……」


 倒れている隼人を見下した男は、鼻で笑った。


「人の体に穴開けといて、助けた、だと……? 冗談じゃない。大体、猟魔部隊が今更、何の用だ?」


 芝居がかった溜め息を吐き出した男は、これまたわざとらしく首を振る。


「なに、部下の尻拭いですよ。部隊を預かる者として、ね」


「……?」


 男の言葉に眉をひそめた隼人を見て、何かに気付いたように、彼は柏手を打った。


「ああ、名乗りが遅れて申し訳ありません。私、葬魔機関本部、猟魔部隊第一小隊副隊長を務めております。金倉智己と申します。以後、お見知りおきを」


 そう自己紹介をした智己は、胸に手を当て深々と礼をした。どう取り繕っても滲み出る不遜な態度。隼人と猛には、慇懃無礼な智己の立ち居振る舞いは、ひたすらに不快だった。


「この男と戦わせて、消耗したところを狙ったか……」


 余裕綽々といった表情で笑みを浮かべる智己を睨んだ猛は、忌々しげに呟いた。


「獣を仕留めるなら、手段を選ぶ必要はありません。漁夫の利を狙う。これが賢いやり方です」


 そう言って智己は、首を傾げた。彼の視線は、不快そうに顔を歪めている猛に向けられていた。


「しかし、解せません……この男を盾にすれば、あなたは矢を防ぐこともできたはず。なのに、しなかった。ええ、どうもあなたらしくない」


「お前と一緒に、するな……下衆野郎」


 座り込んだまま、猛は智己に向かって唾を吐いた。数メートル離れている彼にそれが届くことはなかったが、気分を害した智己は眉をひそめた。


「……侮辱するにしても、品がない。これだから苦手なんですよ、低俗な葬魔士は」


 大げさに嘆息した智己は、額に手を当てると、横たわっている隼人に目を向けた。


「それにしても、長峰さん。こうして再びお会いすることができるとは、思いませんでしたよ。こういうのを感動の再会、というのでしょうかね……」


「お前とは、会った覚えがない……」


 お前みたいな胡散臭い奴、会っていれば、嫌でも憶えている、と喉元までせり上がった言葉を、隼人は飲み下した。この男は、分かりやすい挑発をしている。意図は分からないが、乗れば、相手の思う壺だ。


「ふっ……七年ぶりにお会いした、と言えば、思い出していただけますかね……」


 その言葉を聞いた隼人の目が、かっと見開かれた。


 七年前――それは、まだ少年だった隼人が、魔獣にその身を侵蝕された叔母に襲われた事件のあった年だった。


 智己のほのめかした言葉の意味が分かった隼人の表情は、瞬く間に驚愕から憤怒へと変わった。


「まさか、お前……俺と姉さんを殺しに来た奴らの一人か――!」


 獣が咆哮を上げたような隼人の怒りの声を聞いた智己は、いかにも嬉しそうに双眸を崩した。


「こうして素顔をお見せするのは、初めてでしたか……魔獣に侵蝕された者を討つように命じられ、当時新人だった私は、泣く泣くあなたたちに銃を向けることに――」


「よく言うな。あのときの副隊長は撃つな、と言った。お前が命令を無視して撃ったんだろう!」


「あれは、副隊長が間違っていたんですよ。上は殺せ、と命じたんですから。事実、あの人は更迭され、私は今、この地位にいる。どうです? 正しいのは私でしょう?」


 勝ち誇った笑みを浮かべた智己は、二人の顔を交互に見る。


「……と、そんな話は、どうでもいいことです。今は、あなたたちの処遇についてお話しましょう」


 智己は仮面のように笑みを保ったまま、人差し指をぴんと立てておどけてみせた。


「本当なら、その右腕を使ったあなたを捨て置くことはできない。しかし、今回、我々に与えられた任務は、長峰さん――あなたを討つことではありません」


「私たちに下された任務は、ただ一つ。牛頭山さん、あなたを捕獲――ああ、失礼。拘束することです。大人しく捕まってもらえませんかね……?」


「断る」


 智己の提案を、猛は数秒の間も置かずに拒否した。


「はぁ……これ以上、尊い犠牲を出すことは、好ましくないんですよ。ええ、あなたが抵抗しなければ、それで丸く収まるのですがね……」


「お前たちが退けば、犠牲は出ない」


「それができないから、こうしてお願いしているんですけどね……仕方ありません」


 智己が指を鳴らすと、周囲の葬魔士たちが揃って隼人たちに手をかざした。その動作を目にした隼人は、念信を放つ前兆であると見抜いた。


「念信……!」


「くっ、まさか……こいつら全員、念信使いか!」


「ご名答。念信能力者のみで編成した念信特化部隊……その力をご覧に入れましょう」


 二人に緊張が走った。身構えようにも、体に力が入らない。せめてもの抵抗を試みようと、意識を敵へと集中させる。


「さぁ、おやりなさい!」


『眠れ』


 複数の声が重なって一つの意思を奏でるその音色を耳にした途端、隼人は強烈な眠気に襲われた。意識が急に遠のいて、そのまま水中に沈むように、すっと眠りに落ちていく。


「俺たちをまとめて眠らせるつもり、か……」


『寝るな!』


 隼人を叱咤する猛の念信が、彼の耳に届いた。否、耳というのは正しくない。念信は意思を伝えるもの。彼の魂に直接、その意思がぶつけられたのだ。


「……!」


 沈みかけた隼人の意識が浮上する。わずかに動く指に力を込め、路面に置いた手を支えにして体を起こそうと気力を振り絞る。


『眠れ』


 だが、再び念信の声が聞こえると、水面から顔を出す前に足を掴まれたように、隼人は再び眠りの水底へと引きずり込まれる。そうして彼は、起き上がろうとした頭を、激しく路面に打ちつけた。


「この念信……そうか、同時詠唱か……」


 複数人による念信の詠唱は、個々の威力を増幅し、大幅にその効果を強化していた。


「斉唱と呼んでください。その方がエレガントですから。どうです? あなたを捕らえるために編成した念信特化部隊の力は!」


「牛頭山さんだけでなく長峰さんも眠らせることができれば、一石二鳥というもの。眠ったあなたを討つことは容易い。あの日の雪辱、今ここで果たさせてもらいましょう!」


 恍惚の表情を浮かべた智己は、芝居がかった様子で手を伸ばし、高らかに声を上げた。


「うっ、ぐ……」


 路面に片手をついた猛は、地に着きそうになる頭をもう片方の手で抑え、念信に抗っていた。


「……」


 隼人の意識は、深海へ潜っていく途中だった。その途中で、彼を呼ぶ声が聞こえた。その声が誰のものかは分からない。遠くから聞こえる彼の魂を震わせる声――その呼び声が、彼の意識を再起させた。


「っ――!」


 目を開いた隼人は、咄嗟に短剣を引き抜き、再び意識が沈む前に左の太ももを突き刺した。


「いっつぅ……」


 肉を抉る激痛で目を覚まさせる。痛みの有用性はよく知っていた。歯を食いしばり、痛みを怒りに変え、安らぎを求める体に火を入れる。そうして腕に力を入れて、起き上がる。


「ああ、痛い。見てるだけで痛いですよ、長峰さん。あなたは、実に生き汚い……」


 抵抗を続ける隼人を見て、智己は首を振り、呆れた声を出した。


「金倉、お前……!」


 食いしばった歯の隙間から漏れるようにして、隼人の口から怒りの声が溢れる。


「でもいい……這いつくばって悔しそうに私を睨むその顔。素敵ですよ、長峰さん。生き汚いあなたは、ただ諦めるよりも断然面白い――!」


「畜生が……!」


悔しさの滲む隼人の声を聞いた智己は、悦に入った顔で彼の目を覗き込む。


「いいですね。実にいい……その無念な響きは、いつ聞いても高揚します」


 同じくその声を耳にした猛は、自身の左手に視線を落とし、二秒ほど逡巡していた。そうして再び顔を上げた男に迷いはなかった。何かを決意した様子でその手を伸ばし、隼人の体に触れると、彼の肉体に直接念信を流し込んだ。


『長峰隼人、鎧を探せ』


『鎧……?』


『纏魔の鎧だ。彼女を守るには、力が足りない。呪堕と戦うなら、必要だ』


「――!」


 猛の言う“纏魔の鎧”とは、かつて葬魔の騎士が身に着けたとされる伝説の鎧だった。装備した者に一騎当千の絶大な力を与え、あらゆる災厄を拒む護りを与えるとされていた。


『どうしてそんなことを教える……?』


『俺は奴が気に食わない。あんな奴らがのさばっている今の葬魔も、気に食わない。だが、俺と剣を交わしたお前なら……少しは、認めてやってもいい』


『お前……』


 猛から予想だにしない言葉を聞かされ、不意を突かれた隼人は、思わず気の抜けた声を漏らす。


『探せって、どこにあるんだ……?』


 一瞬、緩んだ気を引き締めた隼人は、猛に問いを投げた。


『……自身、汝を知れ』


 隼人の問いを無視して、猛は謎めいた言葉を伝えた。


『なに……?』


『原点に帰れ……力は、望んだ者にこそ、与えられる。お前の求める答えは、過去にある……』


 次第に念信の声が途切れ途切れになる。それは、猛の意識が薄れていることを教えた。


『それは、どういう……』


「二人で秘密のおしゃべりですか……それはいけません。仲間外れは面白くない」


 不満げな顔でそう言った智己は、無造作に猛の胸部に矢を放った。


「ぐっ……」


 苦悶を漏らした猛は、落ちるように顔を俯かせ、ぐらりと頭部を揺らす。


『くそ……もう、意識、が――』


 猛の念信がぶつりと途切れるとともに、彼は崩れ落ちるように路面に倒れ込んだ。


「おい、しっかりしろ!」


 念信の繋がりが途絶えた隼人は、肉声で呼びかけた。だが、猛の反応はない。彼は完全に昏睡していた。


「さぁ、次はあなたですよ。長峰さん。厄介な牛頭山猛が眠った今、恐れるものは何もありません! その右腕に宿る魔獣共々、潔く眠りなさい!」


 智己が指を鳴らすと、『眠れ』という葬魔士たちの念信の声が再び響く。的を絞ったことで集中力が増し、大幅に威力が強化された念信が隼人を襲った。


「くっ……」


 景色が霞む。声は遠く、感覚が徐々に鈍っていく。抗い難い重力が、隼人を眠りの水底に誘う。意識が沈む間際、最後に聞こえたのは、彼の魂を揺さぶる――否、殴りつける声だった。


『起きろ、長峰! こんなところで寝る許可は出してないぞ!』


「……!」


 頬を平手で打たれたかのように、隼人の意識が覚醒した。この声は、先の声とは違う。腑抜けを一喝する怒声である。


 力を振り絞って上体を起こし、声のした方角に顔を向けると、そこには葬魔機関第三支部の長、東雲陽子が立っていた。

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