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斬魔の剣士  作者: 織部改
第二章 月下の剣士
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EP27 嵐の後に

「うっ……」


 隼人の口から苦しげな呻き声が漏れた。数分の間、彼は気を失っていた。横たわった体は――いや、指すら満足に動かない。全身を蹂躙する痛みが、彼の意識を呼び起こしたのだ。


 右腕が燃えるように熱い。火のついた薪が、肩に突き刺さっているようだ。身の内に巣食う魔獣の因子が活発になっていると隼人は感じた。


 おそらく侵蝕はこれまでにない速度で進んでいる。このまま横たわっていれば、枯れ木を焼き尽くすような早さでその身を侵蝕し終えることだろう。今度こそ隼人は、魔獣と成り果てるのだ。


「……」


 だが、自身の肉体に起きる変化を知るよりも、先に確認すべきことがある。右腕を見たいという欲求を呑み込んだ隼人は、敵の姿を確認しようと、体中に走る痛みに耐えながら、顔を上げた。


 爆風で吹き飛ばされた影響か、まだ視界がはっきりとしていなかったが、瞬きを繰り返すと、徐々に鮮明になっていった。


 瘴気の暴風が炸裂した爆心地を見ると、橋脚から橋脚の一区間が丸ごと崩落しており、巨大な刃で切り取ったかのように綺麗な層になった断面が顔を覗かせていた。


 崩落した向こう岸には、猛の操る大剣が墓標のように路面に突き刺さっていた。周囲に満ちていた瘴気は霧散し、夜空は元の星空に戻っている。橋上を照らしていた水銀灯が無くなったせいか、天上に瞬く星と白く輝く月は、その明るさが増している気がした。


「やった、のか……」


 安堵の息を吐き出して、顔を置く。数度、深呼吸を繰り返すと、どうにか体の自由が戻ってきた。右腕を焼くような灼熱に顔をしかめた隼人は、腕を見ようと首を動かそうとした。


「動くな」


 そのとき、男の声が頭上から聞こえ、隼人の首筋に冷たく鋭い金属の感触が当てられた。馴染みのあるこの感触は、対魔刀の刃だと分かった。おそらく川に放り投げた刀を、落下した際に拾ったようだ。


「力で敵わずとも、地の利を生かすその機転……見事だった」


 猛は、あの爆風の直撃を免れていたのだ。橋の崩落が先だったため、川に潜れば、上空の爆風から逃れることは容易かったのだろう。


 首に刀を突き付けられた隼人は、顔を動かすことができない。しかし、男の荒い息遣いを耳にして、この男も深手を負ったことを察した。


「葬魔士よ。貴様、名を何という?」


「……」


猛の問いに無言で抵抗していた隼人は、刀を強く押し付けられ、観念した。


「……長峰隼人」


「長峰、か……」


 猛は隼人の姓を意味深に口にした。別に驚くことではない。代々葬魔士の家系である長峰家は、葬魔機関の者なら、その名を知っていても不思議ではないからだ。


 だからこそ、隼人はうんざりした。また、この反応か、と。


「……悪くは言わん。あの娘は諦めろ」


「なに……?」


 頭上から聞こえた忠告に、隼人は眉をひそめた。


「彼女の運命は決まっている。遅かれ早かれあの娘を待っているのは、悲劇だけだ」


「なんでそんなことが分かる……?」


「あの娘には、俺の念信を遥かに凌駕する力があった。呪堕を封じた初代鍵の巫女に匹敵する力だ。あれほどの破格の才能、葬魔士どもが手放すはずがない。いずれ呪堕の封印式を操作する鍵として利用されるだろう」


「強大な力を持つ呪堕を抑え込む封印式は、通常の封印とは訳が違う。ただでさえ封印は、通常の念信とは比較にならない負荷がかかる。魔獣の頂点に立つ呪堕の封印ともなれば、なおさらだ。あの封印式を制御するには、尋常ではない負荷に襲われる。あの穢れに触れた念信使いは、大いなる代償を払うことになる」


 耳に残る不穏な響きを反芻するように隼人は呟く。


「大いなる代償……?」


「……念信使いの命だ」


「なっ――!」


 動揺し、持ち上がりかけた隼人の頭を、首に押し当てられた刃が制止した。


「呪堕を封印する大結界が劣化し、綻びが生じる度に、鍵の巫女に選ばれた念信使いの少女たちは、その身を捧げ、封印を保ってきた。今日の平穏は、鍵の巫女たちの犠牲の上に成り立っている。幾多の少女が、その命を散らしたか……お前は知るまい」


「役目を果たせば、避けられぬ結果が待っている。それを知りながら、役目を命じられるまで、日々を過ごす恐怖はどれほどのものか。絶望に耐え切れなくなった少女たちが口にする言葉は、いつも変わらない。死を懇願する言葉だ」


 猛の口調は、まるでその様を見てきたかのようだった。顔こそ見えないが、その声には悲痛な響きがあった。


「まるで見てきたような口ぶりだな」


「ああ、見てきたとも……」


「お前は、一体……」


 答えが返ってくることはないとしても、それでも隼人は、彼に問わずにいられなかった。


「俺は、かつて守護者と呼ばれた者。呪堕を封印する使命を与えられた少女たちを守っていた葬魔士。いや、葬魔の騎士だ」


 葬魔士という呼び名には、原型となった称号がある。葬魔機関の支部に飾られた呪堕との戦いを描いた壁画。そこに描かれた鎧姿の騎士こそが、葬魔の騎士である。本来、葬魔士とは彼を指す呼び名だったのだ。


 男の答えを聞いて、隼人は納得するどころか困惑した。呪堕との戦いは一〇〇〇年以上前の話であり、この男の言葉が真実なら、人間の寿命をとっくに超えている。


「葬魔の騎士……それは伝説の存在だ。まさか、お前が……?」


 動揺した声で隼人は猛に尋ねた。


「信じるかどうかは、お前の勝手だ」


 困惑する隼人を突き放すように、猛はそう言い放った。


「……」


 そうして束の間の沈黙が流れた。その沈黙は、猛の躊躇いを隼人に伝えた。それまで漂っていた彼の獰猛な気配が消え失せ、委縮している。それはまるで張り詰めた風船から気が抜け、しぼんだ様を思わせた。


「……俺には呪堕を殺しきれなかった。俺にできたのは、奴の肉体を分割し、弱体化させることだけ。奴を封印するため、その封印を持続するため、少女たちが犠牲になることを、俺は……黙認するしかなかった」


「それが、お前が冬木を狙う理由だって言うのか……?」


「そうだ。絶望を知る前に救いを与える。それが俺の贖罪だ」


「贖罪……か」


 かつて猛がどんな体験をし、どれほどの苦痛を味わったのか、それは隼人には分からない。


 だが、贖罪、という言葉を口にしたことのある隼人だからこそ、猛が心の底に深い罪の意識を根差していることを理解した。


「お前の絶望を俺は知らない。でも、無辜の命を奪うことが贖罪とは、思えない」


「俺にはそれしかなかった! 苦痛に囚われる前に命を奪うことだけが! それだけが俺にできることだった! お前が今、こうして倒れているようにな!」


 静かに咎めるような隼人の声に激昂した猛は、彼の背を乱暴に踏みつけた。


「がはっ……!」


 肺の空気を無理矢理押し出されるような苦痛に、隼人は顔を歪めた。


「お前が彼女を守ると言うのなら、いずれ俺と同じ絶望に辿り着く。そのとき、お前にできるのは、後悔だけだ」


「彼女は必ず鍵としてその力を求められる。そうなれば、待っているのは逃れられぬ死だ。その末路を知りながらも、道を歩ませる。これほどに残酷な仕打ちがあるか! どうだ葬魔士!? 答えろ、答えてみせろ!」


「っ……!」


 隼人は猛の言葉を認めなくなかった。だが、否定しようにも判断材料が乏しい今、迂闊な回答はできない。そんな彼が選んだのは、猛に問いを投げることだった。


「一つ聞く。もし呪堕を倒すことができたら、あいつは鍵の役目から解放されるのか?」


 隼人の問いを聞いた猛は、ふっと口元を緩めた。それは嘲笑ではなく、どこか懐かしむような柔らかな笑みだった。


「ふっ……奴を倒すことができれば、な。だが、お前には無理だ。俺に敗れるようでは、呪堕には敵わない。俺に倒せなかった彼の魔獣を、お前が倒せるものか」


 そう言い終えるとともに、猛の顔から笑みが消え、戦士の顔に戻った。


「ああ……だが、それも杞憂か。お前は、ここで死ぬのだから」


「――!」


「……さらばだ、長峰隼人。この時代にも一角の戦士がいたこと、嬉しく思うぞ」


 隼人の首から対魔刀を離した猛は、刀を持つ腕を天高く掲げた。隼人には、この刃を躱す力は残っていない。


「っ……」


 月光が刃に反射し、妖しく煌めく。凶器の放つ冷酷な輝きが、隼人の目の端に映った。満足に体の動かせない隼人は、ただ歯噛みすることしかできなかった。

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