EP25 DO・OR・DIE
猛に瘴気が纏わりつき、全身の傷を癒していく。その光景を、隼人は信じたくなかった。
「何を驚く? お前とて俺の大剣をその右腕で受け止めただろう」
「その心臓、その再生力……どちらも魔獣由来のもの、か」
「ああ、そうだ。俺もお前も……その身に禁忌を宿す者、というわけだ」
隼人の問いに肯定した猛は、見せつけるように自分の脈打つ心臓を指差した。見る間に傷が癒え、肉が心臓を覆い隠した。心臓を指差しているのは、右手だった。猛は切られた右腕の腱を既に修復していた。
並外れた治癒力。それが魔獣に由来するものなら、合点がいく。上位の魔獣は、肉体を切り刻んでも再生する個体が存在する。
偽装拠点で頭を潰された獣鬼は、瘴気を集めて頭部を再生した。だからこそ、隼人は最後の手段である禁忌の右腕を使って、その全身を影も残さず滅却したのだ。
この男が猟魔部隊に追われていることに、隼人は改めて納得した。葬魔士の犯罪者を取り締まる警備部では、荷が重すぎる。
「俺は心臓、お前は右腕か。しかし、妙だな。どうやってその力を得た?」
左手に深々と刺さった対魔刀を引き抜いた猛は、抜いた刀を川に放り投げながら、まるで今日の天気でも聞くような口調で隼人に尋ねた。
正直に答えるのは癪だった。それでも、この男なら何か知っているかもしれない。そう思った隼人は、重い口を開いた。
「昔、魔獣に噛まれた。寄生種だ」
「噛まれた? 噛まれた、だと……?」
隼人の言葉を反芻するように呟いた猛は、刀を抜いた傷口を擦る手を止め、眉をひそめた。
「そうか……俺とお前は、どうやら成り立ちが違うようだな。だから制御もできず、そんな半端者なのか」
「半端者? どういうことだ……?」
猛は、ぼろきれになった服を引き千切って胸元を曝け出して見せる。既に再生した心臓の真上――胸の中心には、稲妻のような傷跡が縦に走っており、首から顎に向かって伸びていた。
「因子を定着させた部位には、多少の痕跡が残る。俺も、この傷は自分の意志で消すことができない。だが……」
隼人の右腕に目を向けた猛は、嘲笑うように鼻を鳴らした。
「その右腕……ずっと黒いままというのは異常だ。それは発動を任意に制御できていない証拠だ」
「――!」
図星だった隼人は、猛の言葉に目を見開いた。
「やはりな。わざわざ封印を施しているのは、そんなところだろうと思ったが……」
「お前は自分の意志で制御できるのか?」
「ふっ……興が乗った。冥途の土産に、俺の力を見せてやる」
周囲から瘴気が集まり、猛の体を包む。彼は大気中に存在している目に見えないほどの微量の瘴気を呼び寄せ、濃密な霧を作ったのだ。夜の闇よりも深い闇が、月明かりと人工の光に照らされた橋の上を暗く染めていく。光が遮られ、男の体は濃紺色の霧の中に沈んだ。濃度を増した霧はいつしか雲と化し、天上の月すらも覆い隠すと、台風のように空で渦を巻く。
「これは、禍雲……!」
辺りに漂う瘴気を見た隼人は、驚愕に乾いた声でそう呟いた。
禍雲とは、大気中の瘴気が集合し、霧よりも濃い雲のようになったことから、葬魔士の間で名付けられた気象現象の俗称である。濃度を増した瘴気は、多数の魔獣を内包する移動要塞と化すのだ。
しかし、眼前に群れの気配はない。あるのは、ただ一人の気配だけ。
牛頭山猛――この男は、たった一人で魔獣の大群に匹敵する力を持っている。その脅威を再認識した隼人の顔が、強い危機感で張り詰めた。
「……!」
深い闇の中から、赤い光が零れた。夜空に浮かぶ赤い凶星を思わせるその輝きは、あの男の心臓から放たれている、と隼人は直感で理解した。
赤い星から尾が伸びる。心臓から血管を伝って血が供給されるように、赤い輝きが胸から指先へと伸びていく。
かつん、と靴音を響かせて、闇の中から男が姿を現した。その手には、いつの間にか大剣が握られている。瘴気の霧に身を隠しながら、拾い上げたのだろう。
猛は大剣を持った右腕を高く掲げた。その切っ先に瘴気が集まり、渦を巻く。猛を中心に暴風が発生した。
「お前はこれであの獣鬼を倒した。そうだろう?」
隼人はこの現象を知っていた。無我夢中で獣鬼を倒そうと、決死の覚悟で編み出した魔獣の力を扱う術だった。それをこの男は、さも当然のように、やってのけようとしている。
「何でお前がそれを使える……?」
「俺やお前のような因子持ちなら、この程度、驚くに値しない」
「魚が水中を泳ぐように。鳥が空を飛ぶように。誰に教わることもなく、魔獣は瘴気を操る。お前も、その右腕から瘴気を操る知識と機能を引き出したのだろう?」
「――!」
「かつての葬魔士は魔獣に対抗するため、彼らの力を得ようとした。これもその一つ。非力な人類が奴らと戦うために研究した成果だ」
「かつての……?」
「ああ。お前の力は特別ではなかった、ということだ」
「お前は、一体……?」
「なに……俺は、お前と同じ死に損ないだ。死ぬべきときに死ねなかった。ただそれだけだ」
そう言って猛は隼人から目を離し、何かを追うように遠くを見た。
「話は終わりだ。残された時間は少ない。お前を倒し、あの娘を追う」
「させる――がっ……!」
突然、激痛が隼人を襲った。左の肩と背に身を裂くような痛みが走る。それでいて刀に添えた左手の感触は鈍い。どうやら無理をしすぎたせいで治りかけた傷を刺激したらしい。
「くそ、こんなときに……」
「ふん、傷が開いたか。内なる力を抑えようとして、余計な負荷がかかっているな。お前という器が、内に秘めた力に耐え切れていない」
「……!」
「認めてやる。俺はお前を侮っていた。剣士としては、お前が強い。だが、葬魔士としては俺が勝る……!」
猛が腰を落とし、渦巻く瘴気を放とうと身構える。唸りを上げる暴風が、橋上を叩くように吹き付けた。
「せめてもの手向けだ。この力でお前を葬ってやる」
「っ……!」
妨害しようと近づこうにも、回避のために離れようにも瘴気の暴風域では、満足に身動きが取れない。いくら影身脚で大剣を避けられても、あの嵐は躱しようがない。
猛の力に対抗するには、己が身に宿る魔獣の力を使わなければならない、と隼人は悟った。
「悪いな、御堂……」
刀を納めた隼人は、腕時計を見るように右腕を持ち上げ、手首に巻かれた腕輪を噛む。そうして力任せに腕を振り払い、腕輪を引き千切った。それはまるで鎖に繋がれた獣が、自らその束縛を解き放つようだった。
念信の封印は既に解け、最後の戒めであった腕輪も引き千切った。解放のときを待っていた魔の獣が、待望の瞬間に身を震わせて歓喜する。
「ぐっ……」
禁忌の右腕から瘴気が溢れ出し、血管が赤く鈍い光を帯びた。噴火が迫る火山のように、内側から溶岩じみた熱が込み上げる。身を焦がす灼熱に当てられた顔が火照り、呼吸が荒くなる。
「はぁ……はぁ、はぁ……」
力は解放の瞬間を求めて、身の内で荒れ狂う。今にも暴れ出しそうな右腕を左手で押さえ込み、歯を食いしばり、魂の絶頂へと闘志を昂らせる。右腕の赤い輝きが強くなるとともに、内側から発する熱が増していく。
「退くな! 惑うな! 臆するな! うぉぉぉぉぉぉ――!」
湧き上がる激情に任せて叫んだ隼人が腕を振るうと、熱気が周囲を駆け抜け、橋上に残った水たまりが一気に蒸発した。気化した蒸気が猛の視界を白く染めたものの、風に乱されてたちまち霧散する。
急激な加熱と乾燥により、コンクリートブロックに亀裂が走った。乾燥に目が痛む。熱に喉が焼ける。尋常ならざる灼熱に見舞われた猛は困惑した。
「この熱は何だ……?」
この力は猛の知る力と似て非なる力だった。現に彼が力を使った際には、このような高熱は発生しなかった。
「――!」
隼人から溢れ出た瘴気が彼の背後に巨大な影となって浮かび上がる。それは黒い巨人の上半身のようにも見えた。しかし、それも束の間。橋を見下ろす巨影は、すぐにそのカタチを崩し、瘴気となって黒い右腕に纏わりついた。
「まさか、これは……!」
隼人の右腕を見た猛が声を震わせた。
「この力が何であろうと構わない。今は……お前を倒せれば、それでいい!」
「過ぎた炎は己が身を焼く。ここには、封印を施すあの娘はいない。貴様、死ぬぞ?」
「今の俺には、自分の命を失うよりも惜しいものがある。それを奪われないために……この命を使う!」
そう叫んだ隼人は、右腕を振り上げ、その手を天高く掲げた。魔蝕の右腕を中心に瘴気が渦を巻き、二つ目の台風が生まれた。
「その意気や良し。ならば、相応の力を以て応えるとしよう――!」
猛の掲げた大剣に絡みつく瘴気が咆哮を上げる。瘴気の渦は回転を加速し、力の解放を待ちかねて八つ当たりするように荒れ狂い、周囲の柵や水銀灯の柱をへし折り、アスファルト舗装を抉り捲る。
吹き荒れる瘴気の嵐は、死の化身。万物を砕く破壊の権化だった。
それを見た隼人は右腕に力を込め、同様に瘴気の渦を加速させる。こと瘴気の扱いにおいては、猛の方が上手だ。対抗する手段があるとすれば、捨て身の火力。
「はぁぁぁぁ!」
身を焦がす灼熱に風を吹き込み、さらに熱を上げていく。性能の限界を無視してアクセルを踏み抜く。この期に及んで、もはや策などない。ありったけの出力を以て眼前の脅威を迎え撃つ。
「では行くぞ、葬魔士。どこまで耐えられるか、お前の力を見せてみろ――!」
「うおおおおおお!」
二人の葬魔士が腕を振り下ろしたのは同時だった。瘴気の奔流が互いの右腕から放たれ、二つの暴風が衝突した。
23/6/15脱字修正および表現の一部改変を行いました。