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斬魔の剣士  作者: 織部改
第二章 月下の剣士
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EP24 その身に禁忌を宿す者

 この機を逃す手はない。そう判断した隼人は、とめどない思考を中断して駆け出した。左腕を負傷しているなら、猛は万全の力で剣を振るえない。おそらく隼人が大剣を受け止められたのも、彼の負傷が手助けしてのことだ。


 猛の腕の傷が完治するまでの数分間。それが戦況打開の最後の機会になる、と隼人は経験則で感じ取ったのだ。


 隼人は突進の軌道を読ませないように、左右に揺さぶる動きを交えてフェイントを仕掛ける。これも敵の思考を炙り出す奇策の一つ。意表を突く動きに翻弄されるか否か、猛の洞察力を読み解く術だった。


「……」


 だが、冷静な猛に隼人のフェイントは効かなかった。変則的な軌道で突進する敵を見据えた猛は、動きに惑わされずに突進の軌道を予測し、大剣を横薙ぎに振るった。


 無論、この突進が彼の本命ではない。迫る刃を空中に跳躍して躱した隼人は、その勢いで身を捻って、次なる攻撃――回転斬りを繰り出す。


 傍から見ると、回転斬りは隙が大きいが、実際に対峙した者からすると、死角となる敵の体の陰から刃が現れるように見える。


 回転斬りはその実、遠心力で威力が増すことよりも、剣の軌道が見えないことが厄介なのだ。その有用性は、今さっき使用したばかりの猛もよく理解していた。


「ちっ……」


 舌打ちをした猛は、振るった大剣を引き戻して攻撃を防いだ。攻撃が失敗した隼人は、大剣に蹴りを叩き込むと、その反動で身を翻して後退する。この動きは、続く次撃のために助走距離を稼ぐ目的である、と猛は見抜いていた。


 果たして距離を取った隼人は、彼の読みどおりに攻撃を仕掛けた。素早く間合いに踏み込んで、斬撃を叩き込む突進剣技――斬魔一閃を放つ。しかし、その斬撃は、事前に攻撃を予測していた猛にあっさりと防がれた。刃と刃が噛み合い、拮抗する。


 そこでふと、やけに斬撃が軽い、と猛は訝しんだ。大剣で刀を受け止めたまま、視線を走らせると、隼人が右手だけで刀を握っていることに気付いた。


 彼の左手は、腰に差したもう一振りの対魔刀を掴んでいた。


「なにっ……!」


 危機を感じて、後先考えずに猛は飛び退いた。数瞬と間を置かず、彼の胴があった空間を横薙ぎの刃が通り過ぎた。それはちょうど大剣に覆われた防御範囲の外だった。


「む……?」


 隼人から距離を取った猛は、腹部に熱を感じて眉をひそめた。無意識に腹部に当てた左手に目を向けると、その手の平は血で濡れていた。


「貴様――!」


 猛は激昂した。剣の読み合いに勝ったつもりだったが、格下と侮っていた隼人に一本取られたことが彼の逆鱗に触れたのだ。自身の予測の甘さと子供騙しのような剣戟に翻弄された惨めさが、なおのことその怒りを助長させた。


 二刀を構えた隼人は、威圧する猛の迫力に動じることなく、彼を見据える。そして、腹部に刻まれた切り傷が塞がっていく様子をじっと観察した。


「……」


 猛の左腕を盗み見ると、傷はまだ完治していなかった。負傷した箇所か、もしくは傷の種類、あるいは傷の深さで治癒速度の違いがあるのか。それとも、あの矢には治癒を阻害する何らかの力があるのか。


 顔と腹部で治癒速度の違いはなかった。となると、腕の治癒が終わらないのは、傷の深さが関係しているのだろうか。否、それも違うだろう。破壊された臓器を数分もかからず、しかも自力で再生するほどの治癒力があるこの男が、腕に負った刺創を治せないはずがない。やはり猟魔部隊が使用する黒い矢が特殊なのだ、と隼人は結論を下した。


 あの矢は戦闘の最中にどこかにいってしまった。そもそも、再利用ができるかどうかも怪しい。仕組みの分からない信頼性に欠ける武器に頼るのは危険だ。


 残念なことに、隼人は猟魔部隊が扱うような特殊な武器を持っていない。あるとすれば、禁忌の右腕だが、これは本当の最終手段だ。いくら支部長に許可を取ったとはいえ、可能な限り使用は避けたい。


 ちらりと右腕に目を向けた隼人は、その手の中にある浅江に託された刀を握り直した。猟魔部隊の矢など当てにしなくとも、信頼できる武器がある。


 ただの短剣でも手傷を負わせることはできるのだ。傷を負わせることができるなら、いずれ殺すことができるはずだ。


 だがそれでも、生半可な傷では、あの男は途端に治癒してしまう。確実に仕留めるには、治癒が追いつかない一瞬で息の根を止める必要がある。


「うぉぉぉぉぉぉ!」


 隼人の意識が自身から離れたことに気付いた猛は、その隙を見逃さず、大剣を構えて突っ込んできた。その速度は先の攻撃の比ではない。開いた距離を一瞬で詰め、落雷じみた刃を振り下ろす。


 だが、怒りに任せた愚直な突進は、軌道が読みやすい。剣を構えた隼人は、真っ向から迎え撃つ素振りを見せ、攻撃が直撃する寸前まで敵の注意を引き付ける。そうして振り下ろされた大剣を右手に持った浅江の刀でいなすと、強烈な踏み込みで側面に回り込み、左手の対魔刀を横薙ぎに振るった。


 猛の斬撃が雷光なら、隼人の斬撃は疾風か。素早く放たれた瞬速の剣閃が、猛の胴に迫る。


 がきん、と強烈な金属音が鳴った。隼人の剣閃が猛の大剣に阻まれた音だ。怒りが彼の剣を加速させ、振り下ろした大剣を返す刃で薙ぎ払ったのだ。


「っ……!」


 まさか防御されると思わなかった隼人は、絶句した。猛が放った今の横薙ぎは、重い大剣を振ったとは思えない想像を絶する速さだった。重さと速度の乗った凄烈な一撃に弾かれ、刀を握る手が痺れている。


「――!」


 痺れた手を擦る間もなく猛の大剣が隼人に迫っていた。直撃する寸前に後方へ跳んで巨大な刃から逃れた隼人だったが、すぐさま追撃が彼に迫った。


 右、左、と周囲を飛ぶ羽虫を追い払うように振り回される大剣が彼を追う。そのいずれの斬撃も命を容易く奪う死の暴風である。剣の間合いで遥かに有利な猛は、絶え間ない連撃で隼人を攻め立て、端へ端へと追い詰めていく。


「ぐっ……」


 こうなっては、さすがの隼人も攻めあぐねることとなった。何しろ近づくことができない。大剣を躱し、距離を取って隙を窺うほかなくなる。何度も風切り音が耳元で鳴り、大剣の起こした冷たい風が首元を通り過ぎる。


 そうして大剣を躱し続けた隼人だったが、落下防止柵の手前まで追い詰められ、とうとう逃げ場がなくなった。


「獲った――!」


 勝利を確信した猛は声高に叫び、渾身の一撃を繰り出す。唸るような風切音を上げて放たれた鋭い横薙ぎが、なおも逃げようと路面を蹴った隼人に叩き込まれる――


「……!?」


 だが、その手応えはあまりに軽い。振るわれた大剣の軌道上に隼人の姿はなかった。


「なっ――」


 突然のことに猛は混乱した。確かに敵を斬ったはずだった。しかし、つい寸前まで目の前にいた隼人の姿が幻のように消えている。彼は慌てて、敵の姿を探して辺りに目を走らせた。


「……!」


 猛は背筋に悪寒を感じて正気に返った。怒りに燃えていた脳の熱が、一瞬で冷めた。背後から射貫くような視線を感じた猛は、振り返りながら後方を薙ぎ払った。


 しかし、その斬撃も空を切った。隼人の姿は突如、黒い風となり、その刃をすり抜けたのだ。気配は確かにそこにある。それなのに、刃は彼を素通りした。理解を超えた現象に見舞われ、目の前にいるはずの隼人を攻撃できない猛は、酷く動揺した。


「これは、幻……!」


 視覚を惑わす急激な加速と減速。揺れる影のように大剣を躱した隼人の動きに思い至った猛は、一気に総毛立った。


「影身脚――!」


 影身脚。それは加速、減速を織り交ぜた巧みな足捌きで敵を翻弄し、攻撃を躱す回避術である。熟達した影身脚の使い手は、幻影じみた残像を生むとされ、猛が斬ったのも、隼人の幻だった。


 隼人は猛に何度かこの術を繰り出していたが、冷静な彼には効果が薄かった。だが、怒りは思考を鈍らせ、行動を単調にする。感情任せに剣を振るうあまり、猛は知らず知らずのうちに隼人の術中に落ちていた。


 猛の斬撃を躱し続けた隼人は、彼の剣筋と同時に感情の機微を観察し、最も効果的に影身脚を使える機会を狙っていたのだ。


 そうして最高精度で繰り出された影身脚は、隼人の目論見どおり、反攻の好機を彼に与えた。これが彼の編み出した秘策にして奇策。劣勢を覆す逆転の一手だった。


 一転して、猛は窮地に立たされた。理論は知っていても、視覚を惑わされ、反応が追いつかない。目の前の男を大剣の刃がすり抜ける。距離を取ろうとしても、背後に逃げ場はない。


『飛べ!』


 焦った猛は態勢を立て直そうと左手を突き出し、咄嗟に念信を放つも、その手の平に隼人の投擲した七二式対魔刀が突き刺さり、激痛で集中が途切れた。


「ぐっ……」


 隼人は窮地に追い込まれた猛が念信を使うことを予測していた。自身も念信で相殺すれば、隙が生まれる。そのため、投擲による中断が最良と判断した。


 念信という優位性により、猛は精神的余裕を保っていた。その頼みの綱を断ち切られた彼の精神は、途端に平静を失った。


 影身脚による陽動が有効な今、この機を逃す手はない。好機を捉えた隼人の目が鋭い光を帯び、危機を悟った猛は、残った右手で大剣を振り上げた。


「なっ――!」


 疾風の如く懐に踏み込んだ隼人は、大剣を持つ右腕を素早く切り払った。完全に切断はされずとも、腱を裂かれた右腕から力が抜け、手から大剣が離れ落ちた。


 左手を貫かれ、右腕を裂かれ、両手の自由を奪われた猛は、刀を構えた敵を睨んで歯噛みする。


「ぐっ……」


 隼人の取った構えは、剣技――斬魔六門殲。これは本来、四肢、首、胴を切り裂く瞬速の六連撃だが、この男相手に悠長に狙いを定める暇はない。隼人は胴と首に斬撃を集中させようと、狙いを絞り、狩人が矢を番えた弓を引くように、浅江の対魔刀を握る指に力を込める。


「これで、仕舞いだ――!」


 万感の思いを込めた隼人の咆哮とともに、六門殲が放たれた。二撃、三撃、と瞬く間に猛の肉体を切り刻んでいく。


 そして六撃目――心の臓を切り裂く止めの斬撃が振り下ろされる瞬間、隼人は違和感を覚えた。どれも必殺の太刀であったはずだが、これまでの斬撃は、妙に刃の通りが浅かった。まるで皮膚の下の異物に刃を阻まれるような感触。


 しかし、一度放った矢が止まらないように、この剣技も止まれない。振り下ろされた袈裟斬りの刃が左肩から心臓へと進む。肉を裂き、骨を断つ感触が手にあった。そうだ、魔獣を殺すための剣技が人に防げるはずがない。もし、これを生身で防ぐなら、それは――


「な、に……」


 隼人は驚愕に目を見開いた。対魔刀は、猛の心臓にしかと受け止められていた。鼓動の脈打つ感触が刀を握った手に感じる。肉に埋もれて見えないが、この刃が触れているのは、間違いなくこの男の心臓だ。


「――!」


 傷を開くように抉りながら、素早く刀を引き抜いた隼人は、返す刀を猛の心臓に突き立てる。しかし、その切っ先は硬い岩壁に食い止められたかのように、ぴたりと停止していた。裂けた傷口から露出した血に塗れた黒いアスファルトの塊のような心臓は、およそ人のものではなかった。それを目にした隼人は、この男に抱いていた疑念が確信に変わった。


「残念だったな。その剣技では、俺を殺せない」


 どこか落胆した猛の声が頭上から聞こえた。


「重ね打ちであれば、俺を殺れただろうに……さては、惑うたな」


 重ね打ちとは、斬撃を一点に重ねて威力を高める技法だ。おそらく猛は隼人の使用する斬魔四重葬のことをほのめかしているのだろう。隼人も選択肢としては考えていたが、この男相手に放つには、確実性がなかったため、使わなかったのだ。


「――!」


 突如、大気の揺らぎを感じ取った隼人は、後方へと跳んで距離を取った。この嫌な気配を隼人は知っていた。それは何度も味わった馴染みの空気だった。


 顔を上げて猛を睨むと、全身の傷が見る間に治癒していく。傷を覆っているのは、どこから現れたか分からない濃紺色の霧、瘴気。


 間違いない。この男は隼人と同じ――その身に禁忌を宿す者だ。

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