EP22 No Way Back
美鶴の隣に立つ隼人を見た猛は、鬱陶しそうに顔をしかめた。
「退け。お前に用はない」
手を振り払って退くように示した猛を、隼人は目を逸らさずにじっと見据えた。
「生憎だが、俺にはある」
「ちっ、面倒だな」
舌打ちをした猛は左手を隼人に向け、念信を放とうとする。
「――!」
攻撃の予兆を感じ取った隼人は、半身を構えた。意識を集中し、猛の念信に備える。
『飛べ――』
『待ってください!』
猛の声を掻き消すように響き渡る美鶴の声。隼人を襲うはずだった爆風のような衝撃波は、緩やかな微風となって、彼の髪を揺らした。
手の平を前に向けたまま、猛は目を見開いて、絶句する。それは隼人も同じだった。
「念信を打ち消した……!」
信じられない、という様子で隼人が呟いた。美鶴の念信が猛の念信を吞み込んで無力化したのだ。
「どうか、話を……私の話を聞いてください」
美鶴は緊張した声で猛に話しかけた。
「……」
眉をひそめた猛は、しばしの沈黙の後、渋々といった様子でゆっくりと左手を下ろした。
「……!」
まさか大人しく従うと思わなかった浅江と隼人の二人は、驚きのあまり絶句した。
「牛頭山猛さん、でしたよね? 私は冬木美鶴といいます」
「……」
否定も肯定もせずに、猛は美鶴を見つめていた。
「どうして私を襲ったのか、教えていただけますか?」
「……知らない方がいいこともある」
突き放すような冷たい声で猛は言い放った。
「それでも、知りたいんです」
「……」
束の間、猛は目を逸らして躊躇する素振りを見せた。この男に躊躇いがあるとは思わなかった隼人は、彼の様子に首を傾げる。
そうして口を開いた猛に、三人の視線が集まった。
「お前は……呪堕の封印を解く鍵だ」
「鍵……?」
猛の言葉に美鶴は眉をひそめた。この男の言っていることが、さっぱり分からなかったのだ。
「呪堕、だと……!」
「なっ――!」
事情を知っているらしい浅江が、驚愕の声を漏らした。隼人も男の言葉に動揺している。
「呪堕ってなんですか? 封印を解く鍵って、どういうことですか?」
困惑した美鶴は、隣に立つ隼人に視線を向けた。彼は険しい表情で猛を睨んだまま、美鶴の問いに答える。
「魔獣の祖にして全ての魔獣の頂点に立つ存在だ。かつて古の葬魔士によって倒された」
「倒された? でも、今、封印を解くって……」
「……」
「呪堕を殺しきることは、かつての葬魔士たちにはできなかった。そのため、苦肉の策として肉体を切り分けて封印したのだ」
言葉を詰まらせた隼人に代わって浅江が答えた。
「私は、その封印を解く鍵……」
胸に手を当て、自身の体に視線を落とした美鶴は、震える声で呟いた。
「そうだ。呪堕の封印を解く鍵の巫女……それがお前の正体だ」
「どうしてそんなことが分かる?」
鋭く睨みながら、詰問する隼人の声を聞いた猛は、口元を歪めた。
「その右腕、そこの娘が封じたのだろう?」
「――!」
猛の指摘に驚愕した隼人は、言葉を失った。
「やはりな。その封印、並みの念信使いでは不可能だ。さすがは鍵の巫女、といったところか……」
この男の言うとおり、並みの念信能力者では、隼人の右腕に封印を施すことはできない。美鶴によって封印された右腕を見た陽子は、封印の性質が違うと言っていた。そうなると、やはり美鶴はこの男が言う“鍵の巫女”なのだろうか。
敵を前にした隼人は、胸の内を顔に出すまいと平静を装うも、その瞳は動揺を隠し切れていなかった。
「ふむ。鍵、ということは解放と封印……その二つの役割があるのか」
浅江が思考を声に出すと、猛は感心した様子で口元を歪めた。
「ほう……察しが早いな、女侍」
女侍、と呼ばれた浅江は、不機嫌そうに顔をしかめた。
「解放することができれば、封印することもできる。鍵ならば道理だな」
「ふむ……」
拳を唇に当てた浅江は、腕を抱えて小さく唸った。
「お前が襲っていたのは、鍵の力を持つ念信能力者だったのか……?」
思案する浅江に代わって、隼人が猛に問いかけた。
「ああ、そうだ。もっとも、そこの娘に比べれば、他の奴らは紛い物もいいところだったがな」
「なぜ、鍵の力を持つ者を襲う?」
「それは――」
言葉を切った猛は、さぞ愉快である、という様子で獰猛な笑みを浮かべた。そして、剣を持っていない左手を持ち上げると、閉じて開いてを繰り返す。
「ふん、ようやく体が動くようになったか」
「なに……?」
男の言葉に隼人は眉をひそめた。
「なんだ、気付かなかったのか。俺はその娘の念信で動きを止められていたんだが……」
「――!」
猛以外の三人は、今日何度目になるか分からない驚愕の表情を浮かべた。美鶴自身、この男の念信を止めようとはしたが、まさか動きを止めたとは思っていなかった。
「ちっ、時間稼ぎだったのか」
「ああ、俺を殺す絶好の機会を逃したな……波長は覚えた。拮抗はできずとも、抵抗することはできる。問答は終わりだ」
大剣を持った右腕をすっと持ち上げ、切っ先で隼人たちを指し示す。
「御堂、冬木を頼む」
腰の刀に手を当てて、身構えた隼人は、猛を睨んだまま、浅江に指示を出した。
「彼奴と戦うのだな?」
「ああ」
「ならば、これを」
隼人に歩み寄った浅江は、手に持っていた刀を彼の前に差し出した。
「これは……お前の大事な刀じゃないか」
「せめてもの助力だ。私の心、お主に預ける」
「恩に着る」
浅江の意を汲んだ隼人は礼を言って、刀を受け取った。
「……必ず返せ」
そう言うと浅江は、隼人の答えを待たずに背を向けた。
「心得た」
受け取った刀を腰に差した隼人は、振り返らずにそう答えた。彼女の思いは確かに受け取った。“必ず返せ”という言葉の意味。それは、必ず生きて帰ってこい、という彼女なりの激励なのだ。それを理解した隼人の胸に熱い火が灯った。
「行くぞ、冬木」
美鶴の肩に手を置いた浅江は、彼女に車に乗るように促した。
「ごめんなさい、御堂さん……」
「お主、どこに行く!?」
浅江の制止を振り切った美鶴は、隼人の隣に立った。そうして猛の顔をじっと見つめた。
「あの……私は、長峰さんに傷ついてほしくありませんけど、あなたにも傷ついてほしくありません」
「……!」
「お話ししていただいて、ありがとうございました」
そう言って美鶴は猛に深々とお辞儀をした。彼は意表を突かれたのか、剣を持つ腕を下ろして唖然とした様子で見つめた。
「長峰さん、支部で待ってます」
「……ああ」
隣に立つ美鶴にちらりと視線を投げて、隼人は頷いた。美鶴は彼が頷いたのを見ると、浅江の待つ車に小走りで駆け寄った。
「……ごめんなさい、御堂さん」
「一刻も早くこの場を離れるぞ。急がなければ、この者は手遅れになる。それに……私たちがここにいては、隼人は本気で戦えない。あやつの覚悟を鈍らせることは、してはならん」
「っ……分かりました」
浅江の車が動き出した。勢いよくUターンをして、来た道を戻っていく。次第に遠ざかるエンジン音を背中で感じながら、隼人は口を開いた。
「わざわざ、待ってくれたのか?」
猛は剣を下げたまま、微動だにしていなかった。
「まさか……お前はともかく、あの女は得体が知れん。それだけだ」
「……そうか」
体内の空気とともに雑念を吐き出すように深呼吸をした隼人は、戦士の顔を作る。それでも、その心は、非情に徹しきれていなかった。
「あいつの……冬木の話を聞いてくれたこと、感謝する」
「……お前に礼を言われる筋合いはない」
「なぁ、あいつと話して分かっただろう? 冬木は悪い奴じゃない。自分を殺しに来た奴にだって、律儀に頭を下げる。そういう奴なんだ……」
胸にせき止めたはずの感情が声に乗っていた。およそ戦士に似つかわしくない哀願するような声で隼人は言葉を吐き出す。
「……」
「だから、もう……こんなことはやめないか? あいつを苦しめないでくれ……」
「そうだな……彼女は、苦しむべきではない」
「――!」
隼人は呆然とした。まさか、この男がそんなことを言うとは思わなかったのだ。もしかしたら、美鶴の真摯な思いがこの男に通じたのではないか。隼人はそんな淡い期待を抱きはじめていた。
「だからこそ、あの娘は殺さねばならない……!」
「どうしてそうなる! なぜ、それを選ぶ――!」
猛に裏切られた思いがした隼人は、血を吐くような悲痛な叫びを上げた。その叫びを否定するように彼はかぶりを振った。
「彼女が最初の一人なら踏み留まったかもしれない。だが、この手はとっくに血に染まっている。この道を引き返すことは、できない」
「まだ、間に合う。まだ……!」
「もう遅い。この道は譲れない……俺の進むべき道は、この先にある!」
隼人の淡い期待を握り潰すように、拳を作った猛が断言した。それを聞いた隼人は、怒りと悔しさに肩を震わせ、歯噛みする。
「……お前に譲れないものがあるように、俺にも譲れないものがある。俺はあいつを守ると誓った! だから、お前を通すわけにはいかない!」
最後に残った敵への情を振り払うように、隼人は素早く抜刀した。刀を握る手に力を込め、闘志を刃に注ぎ込む。その様子を見た猛は、白い歯を剥き出しにして、獣じみた笑みを浮かべた。
「よく言った、葬魔士。ならば、その誓い……見事、果たしてみせろ――!」
雄叫びを上げた猛は大剣を振りかぶると、真っ向から突撃した。それに応じるように、隼人は刀を構え、路面を蹴った。こうして決戦の火蓋は切られた。