EP21 Crossing the Rubicon
浅江と無事に合流した隼人たちは、調査部隊から送られてきた情報を基に市街地各所に設置された検問を迂回し、支部に向かって車で移動していた。
「本気で言っているのか……?」
運転席でハンドルを握る浅江は、呆れた声を出した。
「お願いします。あの人の真意を知る機会なんです」
助手席の美鶴は、隣で車を運転している浅江の顔をじっと見つめて、懇願した。浅江はちらりと美鶴の顔を見たものの、運転に集中しようと、前方を向く。
「彼奴と話がしたい、などと……冗談にしても、たちが悪い」
「……冗談ではありません。本気です」
浅江はいかにもうんざりした顔でルームミラーに視線を投げる。
「隼人、お主はどうなんだ? 彼奴と話ができるなどと思っているのか……?」
「ああ」
後部座席に座っている隼人は、車に積んであった装備に目を向けながら、短く答えた。
「俺の話には応じなかったが、冬木の話なら聞くかもしれない」
彼は鞘から短剣を抜いて、その刃を確認しながら、浅江に話した。
「……根拠は?」
「ない。強いて言うなら、念信使いの勘ってやつだ」
鞘に戻した短剣をベルトに取り付けた隼人は、次の短剣を手に取った。
「あてにならんな……」
浅江はわざとらしく嘆息した。
「それに接触は避けろ、と支部長から言われただろう?」
「可能な限り戦闘は避けろ、とは言われたが、接触を避けろ、とは言われていない」
「同じだ。支部長は彼奴と遭遇したら戦闘になる、と言っているのだ」
「そうなのか?」
浅江の厳しい声を耳にした隼人は、その指摘から逃れるように、わざととぼけた声を出した。
「そうだ。何があったかは知らんが、数刻前のお主なら、彼奴と話をすることには同意しなかったぞ」
「……そうかもな」
少し思案した後に隼人は浅江に返答した。いつもの隼人なら、彼女の指摘どおり、あの男と会話することに同意せず、何が何でも美鶴を無事に護送することを優先しただろう。この心変わりは隼人にとっても、不思議であった。
「はぁ、お主……」
絆されたな、と浅江は誰にも届かないような小声で呟く。
「む。なんか言ったか……?」
装備を整えることに夢中になっていた隼人は、首を傾げながら、浅江に尋ねた。
「なんでもない。今はとにかく、調査部隊からの情報を信じて動くしかない」
「冬木。この先は、どう進めばよいのだ?」
「次の交差点を右折です」
美鶴はカーナビの画面に表示された経路に従って、浅江を案内した。
「うむ、右折だな……」
「右折したら、しばらくそのまま直進です。六〇〇メートルほど先に橋がありますので、橋を渡ったら……」
「橋か……」
美鶴から案内をされた浅江は、忌々しげに呟いた。
「どうしたんですか?」
「待ち伏せされている可能性が高いな……」
後部座席から隼人の訝しむ声が聞こえた。
「え……?」
「逃げ場がないのだ」
「でも、他にルートはないみたいですし……」
カーナビを見た美鶴は、言葉を濁した。
「彼奴が来る前に渡りきれれば、よいのだが……」
進行上の川に架かるこの橋の延長は約二〇〇メートル。車で走破するならば、そう長い距離ではない。しかし、遮蔽物がないこの場所は、待ち伏せには絶好のロケーションである。例えるなら、猫の前を横切る鼠のようなもの。まさに襲ってくれ、と言わんばかりなのだ。
調査部隊は検問のない経路をどうにか見繕ったのだろうが、実戦経験の乏しい彼らは、奇襲を受けることまで想定していないのかもしれない。
「ええい、仕方ない」
緊張に顔をこわばらせた浅江は、アクセルを踏み込んで加速する。幸い、橋の上に男の姿はない。しかし、橋の中間に差し掛かるところで、美鶴が声を上げた。
「来た……!」
『見つけたぞ』
突然、念信の声が響くとともに闇の中から猛の姿が現れた。隼人たちの前方――橋上を照らす水銀灯の上に立つ彼は、左肩に荷物を担ぎ、右手に鉈のような大剣を握っている。
「見つかったか……!」
誰よりも早く美鶴が反応したことに驚きながらも、隼人は前方に見えた猛を睨んだ。
「ああ、もう! 言わんこっちゃない……!」
浅江が弱音を吐くとほぼ同時に、男が肩に担いでいた荷物を無造作に放り投げた。
「何を投げた……?」
水銀灯の光に照らされて、落とされた荷物の正体が分かった。
「人だ!」
猛に放り投げられた人物は、車の進路を遮るように橋の中央――オレンジのセンターラインの真上に落下し、ラインを跨ぐように横たわった。このままでは、どう避けようとしてもタイヤが乗ってしまう。
思わず浅江は急ブレーキを踏んだ。耳障りな音を立てながら、タイヤが滑る。そうして投げられた人物に車体が接触するまで、あと二〇センチというところで完全に停車した。
「大事ないか……?」
急ブレーキを踏んだせいで、ハンドルに体を押し付けられる姿勢になった浅江は、衝撃に襲われた体に顔をしかめながら、体を起こした。
「ああ」
「はい……」
隼人と美鶴の二人から返答の声が届いた。どうやら大した怪我はなかったようだ。
「彼奴め、私を試したな……」
浅江が前方を睨むと、猛は水銀灯から飛び降り、悠々とした足取りでこちらに接近してくるのが見えた。
「くっ……」
猛から逃げられない、と理解した浅江は歯嚙みしながら、刀を片手に車外に飛び出した。彼女は刀を路上に置くと、車の前に横たわる人物を助け起こす。彼女を追って素早く降車した隼人は、武器をまとめたベルトを小脇に抱えて二人に近づくと、片膝をつく。
「しっかりしろ!」
「あまり動かさない方がいいな」
隼人と浅江の後を追って美鶴が降車し、三人を覗き込んだ。
横たわった人物は若い葬魔士の男だった。制服の所々が裂け、血が滲んでいる。露出した左腕は変色し、大きく腫れ上がっている。頭からも血が流れており、ただならぬ状態であることは目に見えて明らかだった。
「っ……」
そのあまりに凄惨な光景を見た美鶴は、口元を手で覆った。
「ふむ、息はある。気絶しているな。腕の骨と肋骨が折れているようだ……頭の怪我も酷い。ほっとくと危ないな」
男の状態を観察した浅江は、険しい表情を浮かべた。
「……御堂、そいつを車に」
前方から歩いてくる猛を見据えた隼人は、感情を殺した低い声で浅江に指示を出した。
「お主はどうする?」
決意の表情で立ち上がった隼人は、対魔刀と短剣といった武器をまとめたベルトを服の上から巻き付けた。
「話が通じるなら、話してみる。通じないなら……」
「……分かった」
隼人の意思を把握した浅江は、男を抱き上げた。
「……」
猛は無表情のまま、隼人たちに近づいてくる。彼のコートは所々に血が滲み、裂けている箇所もあった。しかし、裂けた箇所に傷はなく、素肌が見える。やはり傷を再生したのだろうか、と隼人は訝しんだ。
「……?」
猛の体を観察していた隼人は、ふと彼の左腕に黒い矢が刺さっていることに気付いた。隼人の視線に気付いたのか、猛は左腕に目を向けると、腕を持ち上げて矢を咥え、そのまま引き抜いて路上に吐き捨てた。そうして穴の開いた腕を、猛はつまらなそうな目でじっと見た。
「あれは……」
「禁門の矢、か」
隼人の背後で負傷した男を車に乗せた浅江がそう呟いた。
「魔獣捕獲用の矢だったか……?」
「うむ、猟魔部隊の装備の一つだ。射られた魔獣の動きを止めることができる、と聞いた。きっと、この男も猟魔部隊の者だな」
浅江は背後の車にちらりと視線を投げた。負傷した葬魔士の男は猛と交戦し、全滅した小隊の一人だったのだろう。
「長峰さん……」
隼人の隣に立った美鶴が緊張した面持ちで声をかけた。
「ああ」
猛と会話をしたい、という美鶴の意思を読み取った隼人は、しっかりと頷いた。
大剣を片手に歩み寄ってくる男との距離は、約一〇メートル。涼やかなそよ風の吹く穏やかな初夏の夜。月光に照らされた橋の上で、運命の問答が始まろうとしていた。




