EP19 凶報
思考を巡らせる隼人を見つめていた美鶴は、彼の思い詰めた表情のせいで話しかけるのを躊躇っていた。
「長峰さん……?」
隼人が心配になった美鶴は意を決して、彼に呼びかけた。
「……」
しかし、隼人の返事はなかった。彼は虚空を見つめ、物思いに耽っている。
「えっと……大丈夫、なんでしょうか?」
困った美鶴は、隼人の隣に座る浅江に視線を送った。彼女は隼人を横目で見ながら、湯呑に入った茶を啜っていた。
「ふむ、放っておくがよい。こやつは策を練るのに集中しているのだ。いつもなら茶化してやるのだが……あれだけの強敵ともなると、仕方あるまい」
「……御堂さんも、あの人は捕まらないと考えているんですか?」
「ふむ、現時点ではなんとも言えん。だが、万一の心づもりはしておくべきだろう」
「楽観はできない……ということですか」
「そうだ」
不安そうな声で尋ねた美鶴の顔を見て、浅江はしっかりと頷いた。
「あの……少し席を外しても、大丈夫ですか? すぐに戻りますので……」
「うむ、大事ないぞ」
「すみません……」
ふらりとよろけるようにして、美鶴は椅子から立ち上がった。
「お主、少し休んだ方がよいな」
そんな美鶴の疲労を見抜いた浅江は、彼女をいたわった。
「ですが……」
「案ずるな。ここの守りなら、盤石だ。何かあればすぐに呼ぶゆえ、安心するがよい」
「御堂さんと長峰さんはどうされます? 空いている部屋があるので、少しお時間をいただければ、用意はできますけど……」
「気持ちだけ受け取っておこう。葬魔士は持久戦にも心得がある。私たち二人は気にせず、お主は休息を取るとよい」
「では、お言葉に甘えて……」
浅江に軽くお辞儀をした美鶴は廊下に出た。そうして徐々に廊下の奥へ足音が遠ざかっていく。
「む、冬木はどこに行ったんだ?」
我に返った隼人は、美鶴の去った方を見ながら浅江に尋ねた。
「休むように言った。疲れが見て取れたのでな」
「そうか……ああ、その方がいいな」
隼人の声に険はない。むしろ安堵の響きがあった。
「その様子だとお主の中では、答えが出たのか?」
「……ああ」
隼人は視線を落としながら、浅江の問いに頷いた。どこか穏やかな彼の目は、自身の右腕に向けられており、それに気付いた浅江は眉をひそめた。
「……そうか。私の思い違いなら構わないが、早まったことはしてくれるなよ? 私たち同期で生き残ったのは四人だけ。この支部では、私とお主の二人しかいないのだからな」
隼人と浅江は同じ年に葬魔士として機関に採用された同期だった。この二人以外にも葬魔士として認められた者はいたが、彼らは皆、魔獣との戦いで命を落とした。
同期で生き残っているのは、彼女が言ったとおり、わずか四名。隼人と浅江の二人を除けば、他の支部に所属している一名と本部に所属する一名である。
葬魔士の使命を果たそうと、散っていった仲間たち。隼人が慰霊室に足繁く通っているのは、戦死した彼らを弔うためでもあった。
「皆、立派に戦って散っていった……仲間を生かすために、使命を果たすために進んで自分の命を差し出した。ああ、そうだ。俺も、あいつらに恥じない戦いをしないと……」
遠くの星を見るように顔を上げた隼人は、訥々と呟いた。
「だからと言って、生き急ぐのは違うぞ……隼人」
と、浅江は隼人の横顔に言い聞かせた。
「お主の考えくらい分かる。その右腕を使おうと考えていたのだろう?」
「……」
浅江に図星を指された隼人は、返す言葉がなかった。惑う視線のやり場が見つからず、彼女から顔を逸らすように俯いた。
「冬木を守るために封印を解き、絶対禁忌の力を使ったと聞いた。その結果、著しく侵蝕が進んだ、と……」
顔を逸らした隼人をじっと見て、浅江は静かに語りかけた。
「それでも……お主はまた、その右腕を使おうとしているのか?」
「まさか、そんなわけないだろ」
彼女に内心を見抜かれた隼人は、誤魔化そうとして冗談でも言うような軽い口調で返した。
「私の目を見て違うと言えるのか? その心に偽りはないと誓えるのか?」
しかし、再び問いを投げた浅江の声は、真剣そのものだった。
「え……」
不穏な空気を感じ取った隼人が浅江の方を向くと、彼女と目が合った。隼人の心の奥底を見抜くように浅江の潤んだ瞳がじっと彼を見つめていた。
「……お前に隠し事はできないな」
その真っ直ぐな視線に耐え切れず、浅江の瞳から目を逸らした隼人は、胸の内をさらけ出すように深く息を吐き出した。
「やはりそうか……馬鹿なことを考えおって。それを使えば、どうなるか分かっているだろう?」
彼女の声にはもう咎める響きはなかった。
「……他に策は出なかった。俺一人で考えて実行した策なら、失敗しても俺の責任だ」
「最初から失敗する策など立てるな、馬鹿者。一人で考えても、いくら悩んでも、ろくでもない答えしか出ないのだぞ。さっき私や冬木と話して、あの男と戦う手がかりが見つかったであろう? あれで、いいのだ……」
「……」
「格好つけて一人で抱え込むな。もっと話せ、もっと頼れ……」
いつしか浅江の声が震えていることに気付いた隼人は、彼女の方に目を向けた。
「それとも、そんなに私は頼りないか……?」
浅江は悔しそうに服の胸元を握りしめて俯いていた。普段の振舞いからは考えられない弱々しい様子の彼女に戸惑った隼人は、どう返答したらいいか分からず、ただ呆然とするしかなかった。
「……」
二人が沈黙し、束の間の静寂が居間を包む。すると、その静けさを掻き乱すように浅江の端末からけたたましい電子音が鳴り響いた。
「……支部長からだ。お主にも聞こえるようにする」
気持ちを切り替え切れない浅江の声は、やや掠れていた。喉の調子を整えようと咳払いをしながら端末を取り出すと、通話をスピーカーモードに切り替え、テーブルの上に置いた。端末の画面には、発信者である陽子の名前と音声のみの通信を示す“SOUND ONLY”の文字が表示されていた。
「こちら、御堂です」
「私だ。全員そこにいるのか?」
淡々とした陽子の声がスピーカーから流れた。
「いえ、冬木は別室です」
「む、冬木はいないのか……まあ、いい。手短に状況を説明する」
「猟魔部隊は全滅。襲撃者――牛頭山猛は逃走。再び行方をくらました」
「――!」
前もってその可能性は示唆されていたが、それが事実となったことを知った浅江は、驚愕に息を呑んだ。
「全滅、か……」
と、隼人が呟くと、端末の向こうから感心する息遣いが聞こえた。
「ほう、あまり驚いていないな……想定どおり、というわけか」
「支部長、発信機で彼奴の行方を追えないのですか?」
焦った様子の浅江は、勢いよく身を乗り出して端末に話しかけた。
「既に破壊された。奴はお前が発信機を付けたことに気付いていたようだな」
「っ……!」
悔しげに顔をしかめた浅江は、床に視線を落とした。
「……話を戻すぞ。調査部隊の情報では、逃走した方角から牛頭山がそこに向かう可能性が高い。だが、市街地は至る所に検問が設置されているため、こちらから迎えを送ることは難しい」
市街地に展開している調査部隊と工作員は、その活動の目的が情報収集や偽装工作であるため、最低限の武装しか携行していない。
餓鬼ならともかく、あの男が相手では返り討ちにあうのが関の山である。それに加えて検問が設置された市街地は、集団での移動は困難であるため、機動性を重視した少数での護衛が適任となる。
「……そこで長峰、御堂の両名に緊急任務を命じる」
「――!」
隼人と浅江の二人に緊張が走った。
「念信能力者、冬木美鶴を保護し、彼女を支部に護送しろ」
やはりそうなったか、と思った隼人は声にならない小さな唸りを上げた。
「道中で牛頭山と遭遇した場合も、可能な限り戦闘は避けろ」
「戦闘が避けられない場合は……?」
隼人は事務的に質問した。
「そのときは長峰、お前が戦え。御堂は冬木の護送を優先しろ」
「了解――」
「私も隼人と一緒に戦います。一人では危険すぎます」
命令を承諾する隼人の声を遮るように浅江が声を上げた。
「御堂……」
困惑した隼人は浅江の顔に目を向けた。机に手をついた彼女は、眼下の端末を睨むような鋭い視線で見つめていた。
「お前まで牛頭山と戦ったら、誰が冬木を連れてくる? 彼女を守りながら戦うのか?」
「――っ、それは……」
「不可能だな。そんな生易しい相手じゃない」
反論ができない浅江は、歯噛みしながら押し黙った。
「支部長。猟魔部隊はあの男を捕らえようとしていましたが、あれだけの強敵となると……俺には手加減ができません。本部の意思は確認しなくても、いいのですか?」
隼人は命を奪うことを明言せず、暗に陽子に確かめた。
「構わん。奴を始末しろ」
欠片の慈悲もなく、切り捨てるような口調で陽子は指示を出した。その声には背筋が凍るような冷たさがあった。
「猟魔部隊の尻拭いをしてやるんだ。こちらが非難されるいわれはない」
「……了解です」
「何か質問はあるか?」
「念信の対処について聞きたいことがあるのですが、よろしいですか?」
「念信? ああ、そうか。あの男も念信を使うのか……それで、どうした?」
さして驚く様子もなく陽子は隼人に問い返した。
「敵の念信への対処法は、相手を大幅に上回る出力で念信を放つか、相手の波長と逆位相になる念信を放つか……その二択で合っていますか?」
「ほう……念信を音波のように考えたのか、面白い。ああ、おおよその考えは合っている。その方法で敵の念信を無力化できるだろう」
あの男の念信への対処法が分かった以上、後は剣の勝負となる。しかし、剣で勝負がつかないとなった場合――。
「……ありがとうございます」
「では――」
「すいません……最後にもう一つだけ、よろしいですか?」
通信を切ろうとした陽子の言葉を、重い声色の隼人が遮った。
「……何だ?」
隼人の口調から言わんとしていることを察したのか、陽子の声も自然と重い響きに変わった。
「……もしものときは、右腕を使う許可をいただけますか?」
「――隼人、お主! 早まるなと言ったばかりだろう……!?」
悲鳴じみた声を上げた浅江が隼人の肩を掴んだ。
「許可する。ただし、市街地では使うな。被害は最小限にしたい」
「支部長! 隼人を止めないのですか!?」
「長峰は手加減ができないと言っただろう。つまり……それだけの強敵、ということだ」
「……そうまでして彼女を守る価値はあるのですか!?」
「ある」
悲痛な浅江の声を振り払うように陽子は端的に言い放った。
「どうしてですか……!?」
「今のお前に知る必要はない」
「――!」
無情な陽子の声が端末から流れ、目を見開いた浅江は、胸を突き飛ばされたように身を引いた。
Need to Knowの原則という情報管理の基本原則がある。任務遂行にあたり、知るべき者のみ必要な情報知らせるというものだ。酷な言い方であるが、陽子は任務の遂行にあたり、浅江に知らせる必要がない、と判断を下したのである。
「事前に確認をしてくれただけ、進歩があったな。私も心の準備ができる……右腕を解放した場合の責任は、私が取る。長峰――お前は、心のままに戦え。それが私にできる最大の支援だ」
「……感謝します」
「っ……」
噛みしめるような静かな声で隼人が礼を口にし、浅江は苦々しげな表情を浮かべて沈黙した。
「命令を復唱しろ」
「長峰、御堂両名は、これより念信能力者、冬木美鶴護送の任務に就きます」
与えられた任務に向けて気の逸る隼人は、声に感情を乗せないように淡々と命令を復唱した。すると、姿こそ見えないが、端末の向こうで陽子が頷く気配があった。
「誰一人欠けることなく、支部に戻ってくることを期待する――では、任務開始だ」
陽子の号令が告げられ、程なくして短いノイズ音とともに、通信が切れた。それが任務開始の合図となった。
いつもご愛読いただきありがとうございます。
この後書きを読んでいただいているということは、予告どおり時間差で投稿されていることかと思います。
さて、最近は、ほぼ週一で投稿させていただいておりましたが、私事により、少し投稿のペースが落ちることになりそうです。続きをお待ちいただいている皆様には恐縮ですが、よろしくお願いいたします。




