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斬魔の剣士  作者: 織部改
第二章 月下の剣士
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EP17 美鶴家にてⅡ

 数分後、再び窓際に立った隼人は、カーテンの隙間から外の状況を覗き見た。戦場となった公園の近くには、パトカーや消防車の回転灯が放つ赤い光が未だ燦々としており、警官らが忙しなく動き回る様子に変わりはない。


 気配を殺す術を知っている隼人にとって、彼らの目を盗むことはそう難しいことではない。しかし、それは体調が万全であることが前提である。不意の痛みに悶えでもして、うっかり警官に見つかれば、職務質問は避けられない。


 武器を積んだ車もそうだが、魔獣に侵蝕された右腕を目撃されれば、厄介な事態になることは目に見えている。


 やはり美鶴の家に泊まるしかないのだろうか、と考えた隼人は顔をしかめた。


「……」


 ただ外を眺めていても、仕方がない。時間を有益に使うべきだ。そう考えた隼人はそっとカーテンを閉め、浅江に牛頭山猛のことを聞こうとする。


「御堂――」


 隼人が振り返ると、先に椅子に座っていた浅江が黙々とテーブルの上に置かれたお茶請けの煎餅を頬張っていた。彼女の前には、煎餅が入っていたと思われる空き袋が無造作に散らかっている。


「……何してるんだ?」


「煎餅を食べている」


「それは、見れば分かる」


 隼人はふと、浅江の好物が煎餅であることを思い出した。


「そうか……御堂は煎餅好きだったよな」


「うむ、煎餅には目がなくてな……」


 まだ咀嚼中の煎餅を飲み込まないうちに次の煎餅を手に取った浅江がそう答えた。


「だからって、これは食べ過ぎじゃないのか……?」


 テーブルの上に散らばっている煎餅の空き袋を目にした隼人は、眉をひそめた。


「冬木に悪いだろう……少しは遠慮した方がいいぞ」


「いえ、大丈夫ですよ。はい、お茶もどうぞ」


 急須と湯呑が乗った盆皿を台所から運んできた美鶴は、湯気の立つ熱い茶を湯呑に注いで浅江の前に置いた。


「うむ、かたじけない」


「あの……御堂さんも第三支部の方、なんですか?」


 美鶴は、浅江が茶を飲んで一息ついたタイミングを窺って尋ねた。


「うむ、その通りだ。よろしく頼むぞ、冬木」


「はい、こちらこそよろしくお願いします」


「ところで冬木よ。この煎餅、うまいな。驚いたぞ……!」


 手に持った煎餅をまじまじと見つめた浅江は、感嘆の声を上げた。


「本当ですか? 祖母が好きだったお煎餅なので、気に入っていただけたら、嬉しいです」


「うむ、気に入った!」


「ふふっ……それならよかったです」


浅江の満面の笑みにつられるように美鶴も微笑む。


「長峰さんもいかがですか?」


 隼人が浅江の隣の椅子に座ると、美鶴がお茶を勧めてきた。彼女は次の湯呑にお茶を注ごうと急須を傾けている。


「いや、俺は遠慮しておく」


「え……そうですか」


 不意に声をかけられ、咄嗟に誘いを断った隼人は、寂しそうな美鶴の声を聞いて後悔した。


「隼人よ、これはおもてなしというものだ。無下に断る方が失礼だろう」


 煎餅を片手に持った浅江は、渋い顔をした隼人をいさめた。


「お前が言うか……」


「それにお主、遠慮と言うが……風呂を借りて、着替えまで用意してもらった人間が遠慮しろなどと言えるのか?」


「うぐっ……」


 痛いところをつかれて反論に困った隼人は、小さな呻き声を漏らした。


「どうせ一晩世話になるのだ。ここは素直に厚意に甘えるのが得策というものだ。分かったか?」


 煎餅を咥えた浅江は、隼人を横目で見た。羞恥を覚えて鼻の頭を指で擦った隼人は、躊躇いながら美鶴に視線を向けた。


「……すまない、冬木。やっぱりお茶、貰ってもいいか?」


「ええ、どうぞ」


 すまなそうな声で隼人が頼むと、美鶴は微笑みながら頷いた。


「それで、さっき私を呼んだのはどうしてだ?」


 美鶴に注いでもらったお茶を口に付けた隼人に浅江が問いを投げた。


「ああ……あの男、牛頭山について聞こうと思ったんだ」


「もうすぐ捕まる男のことなど気にしなくてもよかろう。ふむ……もしやお主、大見得を切って逃げられたことを気にしているのか?」


「ぐ……」


 またも痛いところをつかれた隼人は、苦い顔を作った。彼の反応が楽しいのか、浅江はいたずらな笑みを浮かべる。


「……?」


 二人と向かいの椅子に座った美鶴は、浅江の笑顔の理由が分からず、きょとんした表情で隼人を見た。


「それはいいんだ。気にしないでくれ……で、どうなんだ。あいつの所属とか知ってるのか?」


 美鶴の追及を逃れようと、隼人は慌てて浅江に詰め寄った。浅江はつまらなそうに嘆息すると、視線をあらぬ方向に向けて口を開く。


「残念だが、私も詳しくは知らないのだ。彼奴は特定の葬魔士と念信能力者を襲っているから注意しろ、と父から忠告を受けただけなのでな」


「特定の葬魔士……か。奴が狙っているのは、念信が使える奴なのか?」


「おそらくな。理由は彼奴に聞かないと分からないが……」


「理由……」


 ほとんど聞こえない声で呟いた美鶴の声を隼人は聞き逃さなかった。


「……どうかしたのか?」


「えっ?」


 隼人に聞こえていたことに驚いたのか、美鶴は慌てた様子で両手を振った。


「あ、いえ……何でもないです。続けてください」


「そうか……」


 冬木が何かを誤魔化したのは、隼人には分かっていたが、深く追求することはしなかった。


「あいつには協力者はいないのか……? 猟魔部隊からずっと逃げてたんだろう? 後ろ盾もなしに逃げ続けるなんて、できるのか……?」


「ふむ。そうだな……協力者がいるなら、お前を結界に閉じ込めた隙に冬木を襲ったはずだ。そうしなかったのは、単独で行動しているからだろう」


「なるほどな……」


 浅江の推測に納得して頷いた隼人は、ふと脳裏に浮かんだ疑問があった。


「そういえば、あいつの念信……あれは、なんだったんだ……」


「あれとはなんだ……?」


「俺が吹っ飛ばされたの……見ただろ?」


「うむ、見事に吹っ飛ばされていたな」


「はい、見事に吹っ飛んでました」


 浅江と美鶴の二人が声を揃えたようにほぼ同時に答えた。


「二人して言わなくてもいいだろう……」


 ふてくされた表情をした隼人は後頭部を掻いた。


「……で、吹っ飛んだからどうした?」


「問題はそこじゃない。念信で攻撃することができるなんて、お前は知ってたか……?」


「いや、知らなかった。私もただの連絡手段に過ぎないと思っていた」


「冬木、お前はあの男に会ったときに体が動かなくなった、と言ってたな?」


「はい」


「俺も同じことをされた。まるで押し潰されそうな重圧で体が動けなくなった。あれもやっぱり念信による攻撃だったんだな……」


「ふむ……ちょっと待て、隼人」


 浅江が慌てた様子で隼人を制止した。


「何だ?」


「冬木は彼奴の念信を耐えたのか……?」


「ああ」


 隼人の答えを確認するように浅江が美鶴の顔を見ると、彼女は小さく首肯した。


「お主が耐えるのは分かるが、冬木が彼奴の念信に耐えられるとは……」


 信じられない、という表情をした浅江は力なく首を振る。


「しかも、あれは俺たちと会う前……念信の“ね”の字も知らなかったときだ」


「ふむ、それほどの力……彼奴が執着するのも、さもありなん、といったところか」


 吐き捨てるようにそう言った浅江は、わざとらしく首を振った。


「多分、手加減をしていたんじゃないでしょうか……」


「あの男が手加減などすると思うか? 彼奴め、女の私にも一切手加減をしなかったぞ……」


 浅江は吹き飛ばされた際に柵にぶつけた腰を拳で何度か叩いた。


「そういや体は大丈夫か? お前もあいつの攻撃を食らってただろう?」


 そう隼人に尋ねられた浅江は、彼を横目で軽く睨んだ。


「大事ない。それにしてもお主、聞くのが遅いぞ? 本当に心配してるのか?」


「……すまなかった」


「まぁいい。話は戻るが、彼奴の念信を使った攻撃――念信攻撃について、だったな」


「ああ、吹き飛ばしたり、動きを止めたり……攻撃にも利用できるって話だ」


「そういえば、攻撃とは違うが、お主の右腕も念信で封印しているのだろう?」


 そう言った浅江は、魔獣に侵された隼人の右腕を指し示した。


「そうだな。この右腕の封印も念信で封じているんだった……そう考えると、意外と汎用性があるのか、念信って……」


 魔獣に蝕まれた右腕に視線を落とした隼人は、手首に巻かれた封印作用を補助する腕輪に触れた。


「その昔、念信能力者たちが恐れられたのは、当然だったのかもしれんな……」


「……」


 浅江の呟く声を耳にした美鶴は、人知れず表情を曇らせた。


「それで……念信を使った攻撃への対抗策って、御堂は知ってるか?」


「すまないが、念信については詳しくないのでな……」


 隼人の問いに浅江は力なく首を横に振った。


「お主は支部長から教わってないのか?」


「ああ、聞いてない」


「ふむ、不思議な話だ。お主が知らないとは……念信能力者同士の戦闘をあの支部長が想定していないとは思えないが……」


 首を傾げた浅江は、訝しげな視線を彼に投げる。


「支部長に聞いてみるか……」


「やめておけ。どうせ今は本部と調整中だろうからな。支部長からの連絡を待つ方が賢明だ」


「……そうか、猟魔部隊の件、か」


「ちなみに……どうしてそんなに念信のことを聞くのだ?」


「あいつが捕まるとは限らない。念信攻撃への対抗策を考えとくのも、必要だ」


 隼人の答えに浅江は顔をしかめた。


「……お主、あまり冬木を不安にさせることを言うでないぞ」


「え……」


 いつの間にか、美鶴は不安な表情を浮かべていた。隼人の話はどれも、猛が包囲から逃亡することをほのめかす発言ばかりであり、彼女がその可能性に気付くのは、そう難しいことではなかった。


「悪い……!」


「……私は大丈夫です。それに、この話は私の参考にもなると思いますし、一緒に聞かせてください」


 隼人が謝ると、美鶴はそっと微笑んで返した。しかし、彼女の笑顔はどこかぎこちない。無理をしていることは明らかだった。


「ああ……」


「ふーむ、対抗策か……お主、彼奴に剣を投げていなかったか?」


 漂いはじめた陰鬱な空気を吹き飛ばすように浅江が声を上げた。


「ああ、念信を止めようとしたんだ」


「だが、失敗した」


 冷たく事実を突きつけた浅江の声に隼人は小さく頷いた。


「そうだな……あいつの胆力だと、剣を投げた程度じゃ全然動揺しなかった」


「ふむ……それなら念信に念信をぶつけるのはどうだ?」


「念信をぶつける?」


「昔、父に聞いたことがある。念信能力者が複数いると、より強い思念によって念信が打ち消されることがある、と。なんでも思念が飲み込まれるとか……」


 確信がないのか、浅江は言葉尻を濁らせた。


「なるほどな。しかし……多分、奴の方が力は上だ。そうなると、俺の念信は……」


「打ち消される、か……」


 隼人と浅江は互いに苦い顔を作った。


「……」


 念信に関する記憶を掘り起こしていた隼人は、美鶴と出会ったあの夜のことを思い出した。餓鬼に襲われている美鶴を助ける直前に隼人の念信が打ち消されたことがあった。おそらく恐慌状態で制御不能となった美鶴の念信によって、偶然打ち消されたのだろう。


 まるで自身の声が騒音の中に飲み込まれるような感覚。今思えば、あれは美鶴の並外れた力で隼人の念信が飲み込まれたのだ。


 であれば、念信の力量的に隼人が念信を放ったところで猛の念信には、敵わないだろう。


「あの……長峰さん、私が最初にあの人と遭遇したときの話って覚えてますか?」


 美鶴は最初に猛に襲われたときのことを隼人に思い出させようとした。


「確か、あいつと会って体が動けなくなったって話か……?」


「はい、そうです。私はそのとき、長峰さんの声を聞いたら、動けるようになりました」


「……」


 隼人と浅江の二人は、美鶴の言葉にじっと耳を傾ける。


「もしかしたら、同様の現象を起こせば、別の方法でも念信を打ち消すことができるんじゃないでしょうか……」


「別の方法……?」


「ほら、イヤホンとかヘッドホンにノイズキャンセリング機能ってありますよね。あんな感じで……」


 両耳に指を当てて、美鶴が指し示した。


「ふむ。ノイズキャンセリング、とな……?」


 音響機器に詳しくない浅江は首を捻った。


「えっと、消したい音波と逆位相になる音波を発生させて音を消すという仕組みです。簡単に言うと、真逆の音をぶつける感じ……ですね。外から入ってくる騒音を打ち消して、聞きたい音楽に集中できるんです」


「ふむ、なるほど……」


「逆位相の念信、か……!」


 葬魔士二人は美鶴の発想に舌を巻いた。この発想は、現代人である美鶴ならではの考えだろう。隼人のように世俗に疎い葬魔士では、到底思い至らない発想である。


「はい。それなら念信を打ち消すことができるのではないでしょうか……?」


 真剣な面持ちになった隼人は、机に視線を落として思考を巡らせた。隼人と美鶴が遭遇する以前、あの男が美鶴に放った念信を隼人の念信が打ち消した。


 だとすれば、同様の現象を意図的に起こすことができれば、あの男の念信による攻撃に対抗することが可能かもしれない。


「成功するか、自信はないんですけど……」


「いい案だと思う。やってみる価値はある……ありがとう、冬木」


 美鶴に礼を言った隼人は、猛に対抗する策を練り上げるため、思考の海へと潜っていった。

いつもご愛読いただきありがとうございます。

二章もラストが見えてきました。伏線回収……というと大げさかもしれませんが、一章の頃からこうしようと思っていたことができたので、嬉しいです。

遅筆ではございますが、お付き合いいただけると幸いです。よろしくお願いします。

※23/2/5脱字修正しました。

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