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斬魔の剣士  作者: 織部改
第二章 月下の剣士
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EP13 月下の剣士

 月が砕けたのではない。空が砕けたのでもない。公園を覆っていた結界が砕けたのだ。


「む――!」


 空を見上げた男が驚愕の声を漏らした。おそらく結界の持続時間には、まだ猶予があったのだろう。


「げほっ、げほ……」


 念信が途切れたのか、隼人は重圧から解放された。崩れるように前のめりに倒れ込むと、水底に手と膝をつき、ただひたすらに肺に酸素を送り込む。


 喉を手で押さえて空を見上げると、砕け飛び散った結界の欠片が月の光を浴びて、きらきらと輝きながら降り注いでいた。


「……!」


 その中心、白い月を背後にして、何者かが空にいた。大きく両手を広げ、まるで重力を感じさせずに、ふわりと降りてくる。


 しなやかな肢体は女性のそれだ。広げた右手に抜き身の対魔刀を携えていることから、彼女が葬魔士であることが分かる。


 彼女はちょうど、隼人と男の中間に割り込む位置――遊水池と草地の広場を隔てる柵の上に優雅に降り立った。


 馬の尾のように後頭部で束ねられた白銀の髪がさらりと流れる。彼女は機関支給の灰黒色のコートの丈を短く切り詰め、羽織のように改造を施し、ベルトに鞘を差して固定していた。翻ったコートの裾から覗くショートパンツと大胆にも太腿を露出したブーツといった動きやすさを重視した独自の戦闘装束に身を包んだその少女は、隼人がよく知る人物だった。


「御堂……!」


「大事ないか、隼人?」


 御堂、と呼ばれた少女は振り返らずに隼人に尋ねた。まるで風鈴を鳴らしたような涼やかに響く声だった。


 彼女――御堂浅江は、隼人と同じく葬魔機関第三支部に所属する葬魔士の一人であり、支部長直轄部隊、特殊作戦班の班員として任命された少女だった。


「ああ、でも、お前……どうしてここに? 長期任務のはずじゃなかったのか……?」


「それは終わった。支部に戻る前に、ここに向かえと連絡が入ったのだ」


「そうか……」


 隼人の声は安堵の色を帯びていた。結界を砕いたのは、彼女の剣技だ。浅江の剣士としての力量は、特戦班に選ばれるほどの実力がある。伊達に刀一振りで、この戦場に降り立ったのではない。彼女の助太刀は、隼人にとって地獄で仏に会ったようだった。


「……」


 隼人は浅江の数メートル先にいる男に視線を向ける。男はすでに左腕を下ろし、右手に持つ大剣も構えていなかった。念信を使う素振りもなければ、攻撃する素振りもない。どうやら闖入者である彼女の出方を窺っているようだ。


 浅江が男を牽制している間に、水底に刺さった剣を拾い上げた隼人は、男を注視しながら、彼女が立っている柵のある水際まで慎重に近づく。


「手酷くやられたようだな、うん?」


 隣にやってきた隼人の姿を一瞥して、浅江がそう言った。隼人は彼女の視線をなぞるように自らの体にぱっと視線を流すと、全身が水底の泥に塗れ、左上半身は自身の血で赤黒く染まっていた。柵に手を乗せた隼人は小さく唸るような声を漏らすと、飛沫を上げながら、飛び越えた。


「……ほっといてくれ」


「ふむ……それなら、助けない方がよかったか?」


 浅江はとぼけたような声で隼人をからかった。


「……いや、すまん。助かった」


「やけに素直じゃないか……まぁ、彼奴が相手では致し方ない、ということか」


 柵から降りた浅江は隼人と並んで立つと、得心した口調で呟いた。


「あいつのこと、知ってるのか……?」


 隼人の問いに、浅江は目を合わせないまま、こくりと頷く。


「牛頭山猛。それが、彼奴の名だ」


「ゴズヤマ、タケル?」


「……ちっ」


 名を呼ばれたことが不快である、と言わんばかりに、男は眉根を寄せて舌打ちをした。


「本部の猟魔部隊が追っている葬魔士だ。まさか、こんなところにいたとは……」


「猟魔部隊、が……!」


 隼人が絶句するのも無理はない。以前、禁忌の右腕が理由で彼らに狙われた隼人は、その脅威を身に染みて知っていた。


 猟魔部隊。古くは猟魔衆と呼ばれていたその集団は、魔獣討伐を専門とする葬魔機関の中でも、戦闘に特化した本部直属の精鋭部隊である。


 普段こそ目立った活動は無いが、有事には作戦遂行のために特権が与えられ、魔獣あるいは魔獣に類すると認定された人物、集団、あるいは組織を一切の慈悲なく、その悉くを滅ぼす。


 任務達成のためには、いかなる手段も厭わない。その徹底した冷酷さは、味方である葬魔士からも畏怖されていた。


 もっとも、その存在を知っていても、実際に猟魔部隊に遭遇することは滅多にない。彼らを目にすることなく、その生涯を終える葬魔士も多い。


 なぜなら、彼らの現れる有事とは、魔獣の活動やその被害が管轄する支部では抑えられず、事態の収拾が不可能と本部で判断されたときだからだ。


 故に、与えられた異名は、最終執行者。そう、彼らが現れるときは、本当にどうしようもなく手遅れなのである。


 かつて隼人が生き延びることができたのは、陽子の庇護があったからだ。いかなる手段を用いて命令を撤回させたかは不明だが、命を奪われる寸前で難を逃れたのだった。


「ああ、葬魔士殺しと念信能力者襲撃、それに破壊工作。その他にも諸々の罪で追われているが、うまいこと捜査網から逃げ続けていた、と聞いた」


「初めて聞いたぞ、俺……」


「本部絡みの事案だからな。私も父に聞いていなかったら、知らなかった。まったく、お上は隠し事ばかりで困る」


 浅江の父は、葬魔機関の本部に勤めている。それゆえに支部の中では知り得ない情報も、彼女経由で聞くことが多い。


 彼女の話から察するに、猛の捕捉に苦戦していることを知られて、本部の面子が潰れることを恐れ、他の支部には情報を共有せずに、猟魔部隊に追跡させていたのだろう。


「……」


 自分が苦戦するのも、当然だ、と隼人は深く息を吐き出した。本部の葬魔士は、一支部の葬魔士よりも格上だ。そんな上澄みの中から選ばれた精鋭――猟魔部隊の追跡を振り切るほどの有力者が相手では、この悪戦苦闘は仕方のないことだろう。


「そんなお尋ね者が――」


「くどい」


 隼人が言葉を言い切る前に、鉈のような大剣が空を走った。隼人と浅江の二人をまとめて斬り捨てようと、横薙ぎの一閃が放たれる。


「おっと」


「っ――!」


 浅江は軽やかに空中に身を躍らせて大剣を躱し、隼人は懸命に地面を転がってその刃から逃れる。


「……」


 二人は事前に相談もせずに、猛を挟むように移動していた。彼は慌てることなく、浅江と隼人、二人に背を向けないように平行に立つ。ちょうど隼人は猛の左側面に、浅江は右側面に位置することとなった。


「これで挟み撃ちだな」


「さて、まだ間に合うぞ。大人しく投降するなら、悪いようにはしないが……どうする?」


 そう言って、浅江は刀を鞘に納めた。だが、それは無抵抗の意思を示すのではなく、最終通告であることを隼人は知っている。


 彼女の得技は、抜刀術。つまり、これは銃に弾を込めたようなものである。安全装置は彼女の意思であり、引き金である柄には、すでに指が触れている。この男が射程圏内に入れば、即座に撃ち抜く――もとい、斬り捨てることだろう。


 瞬刃閃――それは文字通り、瞬く刃の閃きが敵を切り裂く抜刀術。彼女の一閃は、鞘から放たれる初撃において、隼人の剣速をも凌駕する。おそらくこの男ですら、最初の一撃を見切ることは叶うまい。


 手傷を負い、装備の大半を失った隼人一人では勝機が見えないが、浅江との共闘であれば、活路はある。彼女の戦意を感じ取った隼人は、満身創痍の身を奮い立たせた。


「……抜刀術、か」


 浅江の所作からその得意とする剣技を見抜いた猛は、大剣を構え直した。それは今までの肩に担ぐような構えではなく、腰だめに刃を寝かせた構えである。


 刺突、横薙ぎ、防御――そのいずれにも咄嗟に変化可能なこの構えは、二人に挟まれたこの戦況に応じたものだ。


「ふむ、交渉決裂か。では、仕方ない。猟魔部隊に突き出すとしよう」


 提案を無視された浅江は、大げさに嘆息すると、つまらなそうに言い捨てた。


「分かってると思うが、こいつは加減して勝てる相手じゃない。それに今も念信能力者を狙ってる。ここで逃がせば、あいつが襲われる」


 隼人の緊迫した声色に、浅江はその表情を険しくした。


「……それは新しく見つかった少女のこと、か?」


「そうだ」


「ふむ、そうか。なら――」


 浅江は腰を落とし、対魔刀の柄に指を這わせ、抜刀術の構えを取り――


「――ああ、ここで仕留める」


 彼女の言葉を継いだ隼人は、一対の穿刃剣を目の前で交差させて構える。


「……できないことを口にしないことだ。恥を掻くぞ」


 嘲る口調ではなく、憐れみを込めた口調で猛はそう言った。


「恥となるか誉れとなるか。それは、剣が決めることだ――!」


 まるで迷いを振り切るように、隼人は交差させた双剣を振り払う。それが交戦開始の合図となった。


いつもご愛読いただきありがとうございます。

前回を見直して、新年のご挨拶があんまりにも簡単すぎたので、反省しております。申し訳ありません。

さて、次回の投稿まで、期間が空きそうです。(またバトルシーンで……しかも新キャラ出しといて……)

話が一段落したら、設定とか登場人物の紹介をしようとも思っているのですが、ただ黒歴史ノートを公開するだけになりそうでちょっと悩んでいるところです。

どうか、今しばらくお待ちいただけると幸いです。

それでは、失礼します。

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