EP07 ある再会
エントランスホールに向かっていた隼人は、廊下の途中で扉の開いたままの部屋があることに気付く。部屋の中から物音はない。人の気配もないことから、誰かが扉を閉め忘れたのだろう。
「開けっ放しか……仕方ないな」
小さく溜め息を吐き出した隼人は、その部屋の前で立ち止まる。扉の右の壁に貼り付けられたプレートには、慰霊室と刻まれていた。
「そういや、しばらく来れなかったな……」
そう呟いた隼人は、慰霊室の中に足を踏み入れた。薄暗い部屋の中は周囲を石に囲まれ、同じく石畳に覆われた硬い床を踏む靴の音をよく反響させた。
部屋の最奥には、無名の墓碑と呼ばれる二メートル超の石板が献花台の上に建てられ、その足元にはまるで取り囲むように無数の燭台が並んでいる。
薄暗いこの部屋を照らす唯一の明かりは、燭台の上で揺れる蝋燭の火だった。石板はほのかな明かりに下から照らされて、まるで浮かび上がるようにそびえ立っている。
「二七、か……」
ずらっと並ぶ燭台を見渡した隼人がぼそりと呟いた。火が灯された燭台の数は、犠牲になった葬魔士の数を表しているのである。今、灯されているのは、先日の獣鬼討伐の際に亡くなった葬魔士たちを弔うための火だろう。
「……」
かつての葬魔士は、各家の墓を持つことを許されなかった。それは亡骸が瘴気によって汚染されていたためである。
遺体を汚染した瘴気の拡散を防ぐために、亡骸をまとめて荼毘に付し、遺骨は分別せずに集団墓地に合葬され、その集団墓地は同様の理由から、遺族すらも立ち入りが禁止された。例外があるとすれば、高名な者や名家の出身者くらいであった。
墓を持つことができないどころか、墓参りすら許されない。あまりに理不尽な仕打ちである。だが、葬魔の世界に生きる者ならば、瘴気の毒性がいかに恐ろしいか理解している。肉親の死を悲しみながらも、泣く泣く諦めるほかなかったのである。
そのため、その名を記されることのない葬魔士たちを弔おうと建立されたのが、この無名の墓碑であり、犠牲者の数に応じて火が灯されるのは、古い習慣の名残だった。
献花台に目を向けると、まだ状態のいい色鮮やかな花束が供えられていた。しかし、献花台付近に置かれた香炉の上の線香は燃え尽きていることから、どうやら小一時間、扉が開けっ放しになっていたようだ。
「……線香も花もなくて、ごめんな」
隼人は墓碑に向かって手を合わせ、死者を悼む。ここには現代でも特殊な理由で外部では埋葬できない者が弔われており、彼の育ての親もここに祀られていた。
彼は任務が終わる度に足を運んでおり、本当なら、美鶴を送った後でこの部屋に来るつもりだったのだ。
自ら手を掛けた者を悼むなど、あまりに虫のいい話だ、と言う声が聞こえた。だが、それは幻聴だった。おそらく隼人の強い後悔が生み出したのだろう。幻聴と分かっていても、冥福を祈っていた隼人の胸の奥がずきりと痛んだ。
「おや、隼人君かい?」
「ん……?」
背後から声をかけられた隼人が振り向くと、車椅子に乗った病衣姿の圭介が部屋の入口から中を覗いていた。
「ああ、やっぱり」
慰霊室の中にいたのが隼人だと分かった圭介は、彼に向かって近づいてきた。
「任務が終わると、いつもここに来てるもんね、君」
「そういう秋山さんも、だろう?」
「……そうだね」
隼人の隣で車椅子を止めた圭介は、墓碑に向かって短く手を合わせた。病衣から見える彼の右脚には、包帯が巻かれている。おそらく手術を終えてから、そう時間は経っていないだろう。まだ組織同士の接合が完全ではないはずだ。
「もう、動いてもいいのか? 安静にしてないとまずいんだろう?」
合わせていた手をそっと膝の上に置いた圭介に、隼人が問いかけた。
「あはは……本当はダメなんだけどね。部屋でじっとしてるのは性に合わなくてさ」
苦笑いをしながら右脚を擦る圭介を見た隼人は、呆れ顔で溜め息を吐き出した。
「脚、もげても知らないぞ」
「怖いこと言うなぁ……君」
圭介は苦笑したまま、隼人から視線を外し、墓碑を囲む燭台に目を向けた。静かに揺れる蝋燭の火を見つめたその顔から、徐々に笑みが消えていく。どこか遠くを見るようなその瞳には、思い詰めたような色が浮かんでいた。
「……それで、君の調子はどうだい?」
「今のところ、大丈夫だ。右腕の封印も安定してる」
「よかった。こうして君の顔を見るまで、正直不安だったよ」
隼人は隣にいる圭介から探るような視線を感じた。きっと口にしたくないことを聞かれるのだろう、と心がざわついた。
「……でも、右腕を使ったんだ。何もないってことはないだろう?」
「ああ……」
深く息を吐き出した隼人は、その視線から逃れるようにぼんやりと天井を見上げた。
「俺の寿命はあと一年、だそうだ」
「っ――!」
圭介が声を震わせた。隼人は彼を見なくても、動揺しているのがよく分かった。
「やっぱり、か。その右腕を使ったせいで君は……」
「俺が自分で使うと決めたんだ。誰かに決められたんじゃなく自分で……だから、後悔はない」
「だとしても……」
「それにあのとき、この力を使わなかったら、皆助からなかった。俺も秋山さんも、冬木も……」
「美鶴ちゃん、か……彼女がいなかったら、封印はできなかった。危うく君を撃たなければいけないところだった。そうか……君も僕も、彼女に救われたんだね」
「ああ……」
「でも、彼女を救ったのは……君だ。隼人君」
隼人の目を見据えた圭介は、力強い口調でそう言った。
「え……」
動揺した隼人の瞳が彼の心を映したかのように揺らいだ。
「君が彼女を守ったから、こうしてみんな生きていられるんだ」
「俺は……その、自分の仕事をしただけだ」
隼人はその動揺を隠すように、圭介から目を逸らした。その反応が分かっていたのか、圭介は満足げな笑みを浮かべた。
「ふふっ……そう言うと思ったよ。でも、ありがとう」
「……」
「僕が帰ってこられたのは、今までこうして生きてこられたのは、君と一緒に戦ってきたからだ。そうじゃなかったら、とっくにあの火の一つになってるよ」
「俺だってそうだ。あんたが俺の背中を守ってくれなかったら、何回死んでるか分からない」
しみじみとそう言った隼人に対して、圭介はどこか大げさに深く頷いた。
「確かに……君はもうちょっと背中に気を付けた方がいいかな……」
「む……」
隼人が横目でじっと睨むと、圭介は軽く両手を上げて降参の姿勢をとった。
「まぁ、とにかく。帰ってきたことを素直に喜ぼうじゃないか。それでいいだろう?」
「ああ……」
溜め息混じりに返事をした隼人は、墓碑に目を向けた。こういった冗談を言い合えるのも、二人が苦楽を共にした戦友だからである。
かつて所属していた部隊の構成員が戦死した圭介は、葬魔士としてまだ未熟だった隼人とチームを組むように命じられた。一〇歳近く歳が離れ、性格の異なる二人は、最初こそ調子が合わなかったものの、共に戦うことで理解を深め、次第に打ち解けていったのだ。
そうして昔のことを懐かしんでいた隼人は、何も刻まれていない石板を眺めていると、あの日、美鶴を襲った男のことを思い出した。
「そうだ、秋山さんは顎に傷のある男って、知ってるか?」
隼人の問いを聞いた圭介は、顎に指を這わせて思案する。
「えっ……? 顎に傷のある男? うーん、顔に傷を負った葬魔士なんて数多くいるし、それだけじゃなんとも言えないね」
「そうか……まぁ、そうだよな」
「大抵は傷痕が残らないように治療したり、整形で消したりするんだろうけど……傷を残したままにする理由でもあるのかな」
「……治療できない、とか」
隼人が当てずっぽうでそう言うと、圭介は納得した顔で隼人の右腕を指差した。
「あぁ、君の右腕みたいに?」
「まさか――!」
隼人は衝撃のあまり、顔の産毛が逆立つのを感じた。
「おっと、本気にしないでくれよ。今のはただの冗談さ」
余程驚いた顔をしていたのだろう。圭介は苦笑交じりでそう言った。
「……洒落にならないとは、このことだな」
いかにも呆れた様子で、隼人は嘆息した。
「でも、いきなりそんなこと聞いてどうしたんだい?」
「そいつが冬木を襲ったらしい」
「美鶴ちゃんを……!?」
圭介は驚いた様子で、車椅子から身を乗り出した。
「ああ、俺たちと会う前にそいつに襲われた、と聞いた」
「彼女を狙った理由は何だろう?」
「……俺も、それを知りたいんだ」
どこか気の抜けた隼人の声を聞いた圭介は、脱力したように車椅子の背もたれに寄りかかる。
「うーん、もっと情報が欲しいね。他に何か特徴はないかい? 背格好だとか武器だとか……」
「そこまで詳しく聞いてないな……でも、そういや、その男が近づいてきたら動けなくなった、と聞いたな。潰されそうな威圧感があった、とか……」
「怖くて動けなかった、とかじゃなくて?」
「あいつの話じゃ、俺の念信を聞いて動けるようになったらしい。まぁ、そのせいで、魔獣のいる公園に近づいたんだが……」
「威圧感――念信による束縛かな……あり得ない話ではないね。その話、支部長にはしたのかい?」
「ああ、いや……その葬魔士のことを聞いたら、調べ物がある、と言って部屋から出ていったから、念信については伝えてられてないな……」
隼人の言葉を耳にして、疑問を抱いた圭介の眉間にしわが寄った。
「ふーん……」
圭介は不思議そうに首を傾げて、指で顎を擦る。
「顎に傷のある葬魔士でなおかつ念信能力者ともなれば、かなり候補は絞られる……そんな特徴のある葬魔士をウチの支部長が忘れるはずがない」
「この支部の所属なら、葬魔士どころか末端の職員でも覚えてるくらいだしな」
「他の支部も相当詳しいよ。別の支部の葬魔士だって、出身や経歴を把握してるし……そんな支部長がわざわざ調べる必要がある、となると……」
うーん、と唸って圭介は腕を抱えた。
「相当、厄介な話か?」
「うん、かなり厄介な話かも……」
圭介はそう言ったきり、床に視線を落としたまま、しばし沈黙した。
「なぁ、そいつは冬木が念信を使えると、知っていたのか……?」
「ありえるね。彼女がこれまで、無意識に念信を使っていた可能性は高い」
「やっぱり、そうだよな……」
圭介の指摘を聞いた隼人は、納得したように頷いた。偽装拠点にいたとき、同様の指摘を隼人は美鶴にしていたのだ。
「その男はまだ、美鶴ちゃんを狙っているかもしれない。君も用心してくれ」
「分かった」
「それと、美鶴ちゃんにその葬魔士について聞くのは止めた方がいい」
「どうしてだ?」
「聞いて有力な情報が得られるならいいけど、多分、美鶴ちゃんには何も分からない。きっと彼女を不安にさせるだけだよ」
「……そうか」
「東雲支部長なら、すぐにその男を突き止めるはず。多分、後で話があるよ」
「……」
圭介との会話の内容を反芻していた隼人は、無言のまま燭台を見つめた。火の灯された蝋燭から溶けた蝋が垂れ、燭台にぽたりと落ちる。数秒後、二人の沈黙を破ったのは、軋む車輪の音だった。
「それじゃ、僕は病室に戻るよ。君は、これからどうするんだい?」
出口に車椅子を方向転換した圭介は、隼人に尋ねた。
「……しまった。冬木を待たせてた」
隼人は焦りの表情で額に手を当てた。
「えっ……美鶴ちゃんを待たせてるの?」
「ああ、これから家に送るところだった」
「君、女の子を待たせて寄り道とは感心しないね。ここに来るのは、美鶴ちゃんを送った後でよかったんじゃない?」
「いや、まぁ……そのつもりだったんだが、ここの扉が開いたままだったから……」
圭介の厳しい眼差しを感じた隼人は、ぼそぼそと弁明を口にする。
「言い訳はいいから、さっさと行く! そんなろくでなしに育てた覚えはないよ」
「あんたは俺の母親か……?」
「そんなわけないでしょ、まったく……僕はせいぜい、君の相棒だよ」
「……そうか、そいつは頼もしいな」
二人は互いに顔を見合わせ、おかしそうに笑みを浮かべる。しかし、それは束の間のことだった。圭介は表情を引き締めると、真剣な面持ちで隼人に語りかける。
「隼人君、美鶴ちゃんを頼む。頼りにしてもらって悪いけど、今の僕じゃ大した力になれそうにない……」
「心配するな。秋山さんは傷を早く治してくれ」
「うん、ありがとう隼人君。くれぐれも背中には気を付けてね!」
「それはもういい……」
部屋の外に出て圭介と別れた隼人は、本来の目的だった扉を閉じると、慰霊室を後にした。




