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斬魔の剣士  作者: 織部改
第二章 月下の剣士
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EP06 支部長室にてⅢ

 ドアが完全に閉まったのを見計らって、隼人は背後を振り向いた。


「……それで支部長、さっきのはどういう意味なんですか?」


 すっかり冷めたコーヒーをまずそうに飲み干した陽子は、空になったカップを置いて、椅子にもたれかかった。


「ん? ああ……冬木のことを話そうとしていたんだったな。彼女は葬魔機関に所属することになった。うちの支部で預かる。彼女には、すでに了承を得た」


「なっ――!」


 突然のことに隼人は絶句した。驚愕し、表情が固まった彼を見て、陽子はおかしそうに口元を歪めた。


「ふっ、安心しろ。事務職として採用する。機関に所属しても、葬魔士になるわけではない」


「いくらなんでも、急すぎる……」


「時間がなくてな……お前も知っての通り、念信能力者は貴重だ。支部によっては一人もいない支部もあれば、いたとしても受信しかできない半端者、という支部もある。冬木は送受信可能な完全能力者でしかも瘴気耐性が高い……であれば、その需要は自ずと高くなる。先日の事件で新しい念信能力者が見つかったことは、余所の支部も既に把握しているようだ。早速、情報を寄越せと催促が来た……これもそうだ」


 封筒から取り出した文書を無造作に机の上に放り出した陽子は、深く息を吐き出した。


 書類には極秘の横判が押され、クリップで美鶴の写真が添付されていた。写真に写った彼女は正面を向いておらず、画質も荒い。どうやら市街地に設置された防犯カメラの画像らしい。


「いつの間に……」


 書類に視線を向けた隼人は、眉をひそめた。


「私は冬木の情報を余所に知らせるつもりはない。だが、いつまでも隠し通すことはできないだろう。今回の事件、爪痕があまりに深い……お前の右腕のこともある。鋭いやつはすぐに気付くぞ」


 陽子が言ったのは、隼人が魔の右腕を使用したことではない。右腕の封印を誰がやったか、ということだ。


 念信能力者は希少だが、念信による封印を施すことのできる能力者はさらに希少である。この支部では陽子だけが可能であったが、あの場にはいなかった。そうなれば、疑惑の目は自然と念信能力者である美鶴に向けられることだろう。


「彼女は葬魔の世界に足を踏み入れ、その力を示した。彼女を利用しようと企む馬鹿が出てくるのはそう遠くないだろう」


「……」


「彼女の力は未知数だ。お前の右腕を封じた力、あれは能力の一端に過ぎない。扱いを誤れば、どうなるか分からん。だからこそ、お前の腕輪を解体してでも、彼女の力を抑制する必要があった」


 隼人は右腕に視線を送り、小さく唸るような声を漏らす。


「……そういうこと、ですか」


 椅子から身を起こした陽子は、机に肘をついて、顎を拳の上に乗せた。


「我々が保護するにしても限界はある。いずれ彼女自身の力で切り抜けなくてはいけない事態に直面するはずだ。それまでに力を制御できるようにならんと困る。そのためにも、念信の制御を覚えつつ、葬魔の世界について学びながら、私の秘書として働いてもらおうと考えている」


「……」


 陽子の明るい声色とは対照的に、隼人の表情は曇っていた。


「……どうした? 浮かない顔だな」


「……あいつは――冬木は、こんなところにいるべきじゃない」


「ふむ、それはどういうことだ?」


「俺は冬木を支部に連れてきて、能力を封じれば、それで終わりだと思っていたんです。葬魔の世界から離れて、元の生活に戻れるって――」


「甘いな。それが無理だってことは、本当はお前も分かっているんじゃないのか?」


 ぼそぼそと呟くような隼人の声を、陽子の鋭い指摘が切り捨てた。


「っ……!」


「もう戻れないんだよ、あの娘は。冬木はもう、こちら側の人間だ……お前が彼女をこの世界から遠ざけようとしても、彼女を求める者がいる。残念ながら、ただの少女には戻れない」


「そんな……」


「遅かれ早かれ、彼女は能力を発現させただろう。お前に助けられただけ、まだ幸運だ。場合によっては、魔獣の餌になってもおかしくなかった」


「……」


「お前はこんなところにいるべきじゃない、と言ったな? それは違うぞ。冬木にとっては、この支部こそが一番安全な場所だ」


「え……?」


 隼人は怪訝な顔をして、にやりと口元を歪めた陽子を見つめた。


「ここには、葬魔機関最高戦力の剣士がいるだろう。かつて未曽有の災厄を防いだ葬魔士が……」


 まるで傷口に触れられたかのように、隼人の肩がぴくりと跳ね、その目が大きく見開かれる。


「それ、は――!」


「ああ。お前だよ、長峰。お前が彼女を守るんだ――斬魔の剣士」


「――っ」


「その称号が、お前にとっては望ましくない称号であっても、肩書でしか判別できない人間にとっては、これ以上ない抑止力となる。彼女に手を出そうと考える余所の連中も、お前が護衛していると分かれば、迂闊に手は出せまい」


 そう言った陽子は、一度、瞳を閉じる。その後、再び開いた目には、捕食者のような獰猛な輝きが宿っていた。


「――無論、この支部の中では、私が手を出させない」


 陽子の有無を言わせぬ口調。その威圧感に耐え切れず、隼人は視線を逸らした。そうして再び、恐る恐る彼女の顔を見ると、普段通りの余裕に満ちた不敵な笑みを浮かべていた。


「これはお前にしか頼めないことだ、長峰。お前以外では、彼女の護衛は務まらない」


「……」


「どうだ?」


「それが、俺にできることなら。俺にしかできないことなら……俺が、やるしかないでしょう」


 まるで言葉を絞り出すように、隼人は訥々と話した。


「ふっ、決まりだな」


「それに……」


「ん……?」


「俺は冬木に助けられた。あいつを助けたつもりだったのに、助けられたのは俺の方だった。だから、この恩は返さないと……」


「ほう……よく言った。それでこそ私直属の精鋭、特殊作戦班の一員だ」


「それは関係ないです」


 きっぱりと否定した隼人をつまらなそうな顔で陽子は見た。


「ふん、まぁいい。お前が護衛を引き受けてくれたなら、彼女も安心だろう。ひとまずは最初の任務だ。彼女を家まで送っていけ」


「……そういえば、帰宅の許可を出したんですね。今までの話の勢いじゃ、てっきりここに監禁でもするのかと思いましたが」


「そうしたいのも山々なんだが……」


 隼人の皮肉もどこ吹く風の陽子は、あっけらかんとそんなことを言った。


「マジかよ……」


 隼人は陽子の冗談に呆れたせいか、無意識に口調が崩れていた。


「冗談を真に受けるな、まったく。確かに、ここを離れるのは好ましくない。とはいえ帰宅を望む彼女の反感は買いたくない。業腹だが、仕方ない、というところだ。まぁ、魔獣の脅威は十分身に染みているはずだ。我々から逃げ出すことはないだろう」


 椅子にもたれた陽子は、気だるそうに深く息を吐き出した。


「葬魔機関での教育は、長峰――お前にも手伝ってもらいたい。互いに知っている者の方が、彼女にとってもやりやすいだろう。護衛兼教育係というわけだ……できるな?」


 これは確認ではない、命令だ。そう分かっていた隼人は、短く息を吐き出した。


「……了解です」


「少し、疲れた。お前も万全ではない。今日のところは、冬木を送ってから大人しく休め。積もる話は明日にしよう……」


 そう言った陽子は、大きく口を開けて長いあくびをした。おそらく先日の事件以降、対応に追われてまともに睡眠を取っていないのだろう。陽子の疲労を察した隼人は、早々に支部長室を立ち去るべきだ、と考えた。


「分かりました。それでは、失礼します」


 隼人は陽子に一礼をすると、踵を返して支部長室から出ていこうとする。そこでふと、先日の美鶴との会話を思い出して足を止めた。美鶴が念信を使うきっかけになった出来事――彼女を狙ったあの男について支部長なら何か知っているのではないか、そう思った隼人は躊躇いながらも、背後にいる陽子の様子をちらりと窺った。


「どうした?」


 立ち止まった隼人の背中に、彼の様子を訝しんだ陽子の声が投げかけられた。隼人はゆっくりと振り向くと、眠そうな顔をして目を擦る陽子に尋ねた。


「帰る前に、一つだけ聞いても?」


「……何だ?」


「顎に傷のある男って、ご存知ですか?」


「――!」


 陽子の顔から、眠そうな表情が見る間に消え、一気に緊張の色に染まる。そうして無言のまま、隼人の目を凝視したその眼差しは、見る者を貫くような鋭さを帯びていた。

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