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斬魔の剣士  作者: 織部改
第二章 月下の剣士
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EP05 支部長室にてⅡ

 陽子の視線を追って隼人が振り返ると同時に、ドアをノックする音が聞こえた。それは隼人がノックしたリズムと同じだった。


「入れ」


「失礼します」


 支部長室に入ってきたのは、今まさに話題に出ていた美鶴だった。分厚い角形封筒をいくつも両腕で抱えているところを見ると、どうやら書類を預かってくるよう頼まれたのだろう。


 陽子の前に立っている隼人に気付いた美鶴は、驚いたように目を丸くした。


「長峰さん……! もう起きても大丈夫なんですか?」


「あ、ああ……」


 美鶴の姿を認めた隼人は戸惑いの表情を浮かべた。帰宅したとばかりに思っていたのもそうだが、彼女が葬魔機関の制服に身を包んでいたからだ。


 制服を着るということは、その組織に所属していることを表す。警察官の制服や消防士の活動服がその代表例だろう。美鶴が葬魔機関の制服を身に付けているということは、この組織に所属していると宣言するのと同義なのである。


 重そうに書類を抱えて近づいてきた美鶴は、隼人の前で足を止めた。


「あまり無理はしないでくださいね。あんなに酷い怪我だったんですから……」


「ああ、分かってる。冬木こそ大丈夫なのか?」


「はい、全然問題ありません。その……先日は、ありがとうございました」


 隼人に礼を言った美鶴は律儀に頭を下げた。


「む……いや、あれは仕事だから……」


 慌てた隼人は平静を装うと、呟くようにそう言った。


「そうだとしても、長峰さんに助けていただいたおかげで、こうしていられるんです。なんとお礼を申し上げたらよいか……」


「お互い無事でよかった。それでいいだろう?」


「……はい、そうですね」


 隼人の顔を見つめた美鶴が微笑む。その屈託のない微笑みに目を奪われ、隼人の思考が停止する。


「……」


 どこか弛緩した温かい空気。それは長くは続かなかった。隼人は背後からの鋭い視線を感じて我に返る。


「ところで、その書類は支部長に頼まれたのか?」


「あっ、そうでした。支部長、こちらをどうぞ」


 隼人に指摘された美鶴は、慌てて陽子に書類を手渡した。書類を預かった陽子はすかさず封筒の留め紐を外し、中の書類を取り出して、確認する。


「ん、ご苦労さん。しかし、これはまた……随分と多いな」


「……」


 三人の間に沈黙が流れ、陽子が書類を捲る音だけが室内に響く。手持ち無沙汰になった隼人は机の上の書類をぼうっと眺めていたが、隣から窺うような視線に気付く。おそらく美鶴も隼人同様に手持ち無沙汰なのだ。しかし、彼女の大人しい性格上、支部長の手前ということもあって、話しかけるのを遠慮しているのだろう。


 その視線に気付かないふりをして、そっと美鶴を盗み見た隼人は、彼女が私服ではなく制服を着ていることを思い出した。


「……そういや、葬魔機関の制服、着てるんだな」


「私服だと目立つと言われて着替えたんです。確かに最初は、皆さんからじろじろと見られている気がしましたし……」


 美鶴は支部に来た時のことを思い出したのか、困ったような笑みを浮かべた。


 支部の中にいる職員は基本的に指定の制服を着ており、制服を着ていないのは、支部を訪れる外部の人間である。それにしても、スーツや作業服であるため、支部の内部を私服でうろつくのは相当目立つことだろう。加えて言えば、美鶴は支部の人間に顔を知られていない。他の職員からすれば、怪しい人間であると思われても仕方がない。


「まぁ、ここの人間は基本的に制服を着てるから、私服は目立つか……」


「でも、この制服は……その、コスプレみたいでちょっと恥ずかしいですね……」


 制服の上着の裾を摘まんで美鶴はそう呟き、くるりと背後を見回す。なるほど、軍服やスーツにも似た葬魔機関の制服は、見慣れていない人間からすると、コスプレ衣装に見えるのかもしれない。


「む……」


 反応に困った隼人は、言葉を詰まらせた。


「いや、中々どうして様になってるじゃないか。なぁ、長峰?」


 それまで黙って話を聞いていた陽子が書類から顔を上げ、楽しげな表情で二人を見つめた。


「あ、ああ……似合ってる」


 陽子から不意に言葉を投げられた隼人は、咄嗟にそう答えた。


「えっ、あの、ありがとうございます」


 陽子と隼人に褒められた美鶴は、はにかんで目を右往左往させる。


 隼人としては、美鶴が葬魔機関の制服を着ていることに強い抵抗があったが、制服が似合わないというのは、彼女を傷つける気がして、とても否定できなかった。


 むしろ似合うか似合わないかと言うなら、似合っていると言うほかない。今着ている制服もそうだが、獣鬼に襲われたときに見た私服姿は、雑誌の表紙を飾る女優さながらの着こなしだった。彼女の整った肢体であれば、大抵の服を着こなせるのではないか、と思った隼人は、その横顔に視線を向ける。


 そして、首筋から膨らんだ胸元へとその視線が通り過ぎようとしたとき、首元に巻かれた帯状の首飾りに目が留まった。彼女の白い肌の上で異様に目立つそれは、瘴気の色を思わせる黒に近い深い紺色の帯であり、どこか不吉なものを感じさせた。


「ん? 冬木、首輪着けてるのか……?」


「首輪って言われると、その……できればチョーカーと言ってください」


「む、そうか。なら、どうしてチョーカーとやらを着けているんだ?」


「私が着けさせた。どうだ、何か気付くことはないか?」


「気付くこと……?」


 美鶴の首元に隼人は目を向けた。じっと隼人に見つめられた美鶴は頬を赤らめ、落ち着かない様子で視線をあちこちに動かす。


「……かわいい、とか?」


「なっ……」


隼人の答えに美鶴の顔が一気に紅潮し、陽子は堪え切れずに吹き出した。


「くくく……なるほどな。お前にしては、随分とかわいいことを言うじゃないか……」


「支部長、笑いすぎだ……」


 おかしそうに笑みを浮かべている陽子に向かって、隼人はヒントが欲しい、と目で訴えた。


「……いや、失礼。私が言いたいのは、素材の方だ」


「素材……?」


 二人の視線を集めた美鶴は、恥ずかしそうに顔を逸らす。その仕草にどこか背徳的なものを感じながらも、隼人は美鶴の首に巻かれたチョーカーに目を向けた。するとそのチョーカーが、自身の着けていた手甲と同じ素材であることに気付いた。


「ん? これって、俺の手甲と同じ素材なのか……?」


「ああ、そうだ。そいつは封印作用のある特殊繊維で編まれている。冬木はまだ力を上手く制御できないからな。万が一、暴走する可能性もある。だから、そいつで能力を抑えているんだ」


 美鶴から視線を外し、手甲のこと考えていた隼人は、ふと医務室での会話を思い出した。


「もしかして、俺の手甲を持っていったのは……」


「そうだ。そいつを作るのに、お前の手甲を使った」


「えっ……」


 隼人と美鶴の二人は、驚いた様子で陽子に視線を向ける。


「どうしてわざわざ俺の手甲を? 素材の在庫はまだあったんじゃ?」


「残念ながら、なかった。その特殊繊維は希少だ。取り寄せたとしても時間がかかる。手甲のままでは、冬木には不便だったからな。仕方なく加工してしまった」


「……」


「そう不安そうな顔をするな。お前には残った生地で腕輪を作っておいた。効果は落ちるが、何も着けていないよりはマシだろう」


「まぁ、それなら……」


 仕方ない、といった様子で隼人は首の後ろに手を回した。その様子を見た陽子は、深く息を吐き出して壁際の柱時計に目をやった。時刻は九時を過ぎようとしていた。


「おや……もう、こんな時間か。冬木、帰る前に悪かったな。随分と長く引き留めてしまった」


「いえ、大丈夫です。長峰さんにもお会いできましたし……」


「そうか。ああ、それならちょうどいい。長峰、冬木を送っていけ」


「そんな……別に大丈夫です、私」


「こんなうら若き乙女を夜遅くに一人で帰すわけにはいかんだろう。なぁ?」


「いえ、だって長峰さん、まだ体調が……」


「俺は今まで散々寝てたし、散歩したい気分だったから、ちょうどいい」


「と、いうわけだ。おとなしく長峰に送ってもらえ。なぁに、この男は送り狼になったりせんさ……私が保証しよう」


 にやりと笑みを浮かべた陽子が冗談めかしてそう言うと、美鶴は困ったように隼人に視線を送った。


「……今のは気にしなくていい」


 隼人は後頭部を掻きながら、ぼそっと呟いた。小さくこくりと頷いて返した美鶴に、陽子は声をかける。


「さて、色々と支度もあるだろう。冬木、お前は先に行くといい」


「はい、分かりました。では……長峰さん、エントランスホールでお待ちしてますね」


「分かった。後から行く」


 陽子と隼人に一礼をした美鶴は、支部長室から退室する。軋む音を立ててドアが閉まり、残された二人の間に、束の間の沈黙が流れた。


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