EP04 支部長室にて
葬魔機関第三支部。ここが隼人の所属する支部だった。研究所が立ち並ぶ研究学園都市内にあるこの支部は、魔獣の討伐という葬魔機関本来の使命はもちろんのこと、周囲に研究所の多い立地環境から、装備の開発や新装備、新技術の運用といった試験的な役割を担っていた。
公にはその存在を隠している葬魔機関は、地上よりも地下に設備を充実させており、研究実験施設の多くは地下にあった。
隼人が眠っていた医務室が地下にあるのも、地下の施設で事故が発生した際にすぐさま治療が施せるようにするためである。
医務室を出た隼人は支部長室へと、無機質な打放しコンクリートに囲まれた地下の通路を歩いていた。壁面には階層や進行方向を示す塗装が施され、要所ごとに案内板や消火装置が備え付けられている。
時々、通路をすれ違う機関員は、忙しい様子で足早に通り過ぎていく。おそらく先日の市街地戦の後始末に追われているのだろう。
偽装拠点を吹き飛ばした罪悪感に頭を悩ませながら通路を進み、支部長室のある地上階へと上がるエレベーターに乗り込む。
これから支部長に言い渡される沙汰を思うと、あまり気が進まなかったが、無慈悲にもエレベーターは等速で上昇し続けた。
ほどなくして地上へと到着したことを知らせる電子音が鳴り、扉が自動で開く。地下とはあまりに異なる様相に、自然と深い息を吐き出していた。
鏡のように磨かれた大理石の床と天井から吊り下げられた光り輝くシャンデリア。見るからに座り心地の良さそうなソファーに、壁に飾られた彫像や絵画の数々……エレベーターの外は殺風景な地下と異なり、高級ホテルもかくやという豪奢な光景が広がっていた。
地下の階層から初めてここに足を踏み入れた人間は、きっと狐につままれたような気分になることだろう。五年以上この支部で過ごしている隼人ですら、未だに地下と地上の差異に戸惑うほどだ。
彼の反応は概ね正しい。これらの豪華な装飾の数々は、葬魔機関の力を外部に示すためのものだからだ。地上階には葬魔機関に所属する人間以外にも、政府要人が訪れることがある。そのため、財力という一種の指標を提示することで、その力を知らしめる意図があったのだ。もっともすべての支部がこのように贅を尽くしているわけではない。偏に数ある支部の上位第三位に位置するという序列ゆえである。
「……」
この絢爛な空間は隼人には落ち着かなかった。高貴な身分であるならともかく、葬魔士の中でも貧しい家庭で育てられた隼人には、この華々しい雰囲気の中にいることは場違いである気がして、殺風景な地下の方がまだ居心地がよかったのだ。
意を決してエレベーターを降りた隼人は、床一面に絨毯が敷かれた廊下を進んでいき、支部長室と銘打たれた木製のドアの前にたどり着く。
隼人はこの部屋の主からあらかじめ伝えられていたリズムでノックをして、返答を待つ。
「入れ」
ドアの向こうから返ってきた高圧的な女性の声を聞き、ドアノブに手をかける。
「失礼します」
ドアを開けると、支部長室にふさわしい豪華な内装に彩られた空間が広がっていた。入口からすぐのところに応接用の低い机とソファーが置かれ、床には絨毯が敷かれている。部屋の奥にはフロアライトや書斎机があり、その調度品のいずれも、高級感漂う質感があった。
壁際には資料の入ったファイルや分厚い書籍の収められた本棚が並んでいる。本棚は入口から向かって右側に並べられており、反対側の壁には、巨大な魔獣と戦う葬魔士が描かれた絵画が飾られていた。もはや見慣れているのだろうか、それらに目をくれることなく、隼人は部屋の奥へと進んでいく。
彼が見ているのは、支部長室の最奥にある大型モニターの前にいる一人の女性だった。
アンティーク調の書斎机で悠々とコーヒーを啜りながら、ゆったりとした椅子にもたれて書類に目を通しているこの女性が、隼人の所属する葬魔機関第三支部の長である東雲陽子支部長だった。
秋の紅葉を思わせる深紅の長髪を房のように束ねており、切れ長の瞳は見る者を萎縮させる冷たい鋭さがあった。
機関の制服をラフに着崩しており、開け放されたシャツの胸元から豊かな双丘が露わになっている。
その容姿は三〇歳前後に見えるが、正確な年齢を知る者は誰もいない。聞くとはぐらかされてしまうため、長年付き合いのある隼人ですら知らなかった。
ただ、その妖艶な顔立ちと男女問わず見惚れるような美しい肢体、そして目的を達成するためには、手段を選ばない狡猾さから葬魔士たちに“女狐”と呼ばれていることは、隼人も知っていた。
彼女の机の前に立った隼人は、手本のように畏まった礼をした。
「長峰隼人、ただいま参りました」
「ご苦労」
読んでいた書類を机の端に無造作に置いた陽子は、椅子を回して隼人に視線を向けると、その双眸をわずかに緩めた。しかし、見様によっては不敵な笑みにも受け取れるそれは、隼人により一層の緊張をもたらした。
「秋山から先に報告を受けている。規格外の魔獣だな、あれは。秋山の携行火器では有効打を与えられず、お前の剣でも歯が立たない。並みの葬魔士では、時間稼ぎすらままならなかっただろう。事実、お前たち以外は皆、抵抗もできずに全滅したのだからな」
全滅、という言葉を聞いて隼人がわずかに表情を曇らせる。一方、陽子はさして気にする様子もなく淡々と言う。
「お前たちが偽装拠点で獣鬼と群れを倒さなければ、餓えた魔獣どもは市街地で盛大に狩りを行ったはずだ。そうなれば、より多くの犠牲者が出たことだろう。あの孤立無援の状況でよくやってくれた」
「……え?」
責められることはあっても、褒められることなど予想だにしていなかった隼人は、頓狂な声を出した。
「え、じゃない。褒めているんだ、私は」
「いや、しかし……支部長の許可を得ずに右腕を使って、さらに偽装拠点を吹っ飛ばしてしまいました……」
隼人の言葉を聞いた陽子は、先ほどの隼人にも勝るとも劣らない頓狂な声を出す。
「吹っ飛ばした……吹っ飛ばした、だと? くくっ……あはははは!」
「……支部長?」
腹を抱えて大笑いする陽子に、隼人は困惑した表情を浮かべる。
「ああ、すまない。あまりにも簡単に言ってくれるのでな。吹っ飛ばした、か……ふふっ」
目尻に浮かんだ涙を指で拭った陽子は、大きく息を吐き出して椅子にもたれかかる。
「ふぅ……まぁ、あの状況では仕方のないことだろう。市街地に紛れ込んだ魔獣の群れを念信で一箇所に集め、殲滅する。最善ではないが、上出来だ」
「……」
「何せ市街地に紛れた魔獣を見つけ出して駆除するのは困難だ。瘴気のせいで正確な位置も数も分からない。被害が出ても、それが魔獣によるものだと確定するまでは、ろくに戦闘部隊は動かせん。それでは手遅れだ。一度、魔獣に支配されれば、その土地ごと焼き払うほかなくなる。完全に瘴気に汚染されれば、その土地は死んだも同じだ」
椅子から身を起こした陽子は、机に両肘をついて指を組み、その上に顎を乗せた。
「……街を焼き払わずに済んだ。これを上出来と言わずなんと言う?」
陽子は赤く塗った唇を歪めて、尚も気まずそうにしている隼人に尋ねた。この人なら本当に街を焼きかねない、と思った隼人は、背中に冷たいものが流れるのを感じた。
「そう、ですね……」
支部長の口調から察するに、少なくとも第三支部では、自分の行いは不問に処されるだろうと思いながらも、隼人には大きな懸念があった。
「しかし、支部長……先ほど偽装拠点を破壊した件で上層部が騒ぎになっていると聞いたのですが……?」
「うん? ああ、あれは本部の連中が大した問題でないことを大げさに騒ぎ立てているだけだ。気にするな」
再び椅子にもたれかかった陽子は、スカートから伸びるすらりとした脚をわざと見せつけるように組み替えると、嘆くように肩をすくめた。
「私の失脚を狙ってのことさ。獣鬼討伐の功績については触れずに、偽装拠点の破壊について責任を追及してきた。ろくでもない連中だよ、本当に」
「……俺が独断でやったことです」
「連中はそう思ってない。部下の責任は上司の責任、というわけだ。私の監督不十分とも言ってたな。まぁ、確かにそうだが……」
「要は私がこの椅子に座っているのが不満なんだよ。私は他の支部長と違って本部のご機嫌取りはしないからな。私のことが気に食わないんだ。何かあるとすぐに因縁をつけてくる……お前もよく知ってるだろう?」
「……ええ、まぁ」
「今回は特にしつこかったな。先日の予算要求のせいか? 必要だから予算を増やせと言ってるんだ。瘴気災害が増加すれば、使う金も増える。平時とは状況が違うんだ。それを余計な金だと? 阿呆が。余計なのはお前たちの腹の肉だ。私腹を肥やすことしか考えない豚どもめ……ふん、魔獣の餌にしてやろうか」
「……」
機関銃のように悪態を吐き出す陽子に圧倒された隼人は、困惑の表情を浮かべた。
「……っと、話が逸れたな。あの偽装拠点は旧式で廃棄が検討されていた。時期は未定だったが、近いうちに解体するつもりだった。ある意味、お前のおかげで解体の手間が省けたよ。機関の所有物を勝手に破壊したことは問題だが、な」
「……すみません」
「だがまぁ、お前たちは本当によくやったよ。群れを殲滅し、獣鬼の討伐と貴重な人命の保護を成し遂げた。特に人命の保護に関しては、これ以上にない戦果だ」
戦果という言い方に訝しんだ隼人は眉をひそめた。
「戦果って……冬木のことですか?」
「ああ、あの娘は貴重な念信能力者だ。しかも高い瘴気耐性を持っているときた。これを貴重な人命と言わずになんと言う? 聞けば、お前の右腕を鎮めたのはあの娘だったそうじゃないか」
「……はい。魔獣の侵蝕に飲み込まれる前に、あいつに助けられました」
「お前が運び込まれたときに一度見たが……もう一回、よく見せろ」
隼人は陽子に見えるように袖を捲って右腕を差し出す。隼人の腕を掴んだ陽子は、古物商が骨董品を鑑定するかのように指先から二の腕までじっくりと視線を巡らせる。
「強固な封印だ。まったく綻びもない。これをあの娘が……」
隼人の右腕から手を離した陽子は、椅子の肘掛けに右肘をつき、考え込むように拳を口元に当てる。
「この封印、以前に私が施したものより強力だな……あの娘、潜在能力は私以上か」
「支部長以上、ですか……!?」
「ああ。かつてお前の右腕に施した封印は、猛獣を鎖で繋ぎ、檻に閉じ込めるようなものだった。力づくで無理矢理押さえ込むイメージだな。しかし、彼女はお前の魔獣の因子を抑制し、鎮静化させた。それは怒り狂う猛獣を宥めて、眠らせるようなものだ。同じ封印でも性質がまるで違う。とんでもない才能だな……鍛えれば、私よりも優秀な念信能力者になるだろう」
「そこまでとは思いませんでした……」
「私もだ。だが、事実を目の当たりにした以上、信じるしかない……ふむ、そうなると、やはり手放すのは惜しいな」
「手放す? それはどういう……?」
陽子の言葉に不穏な響きを感じ取った隼人は、再び眉をひそめる。
「ああ、言ってなかったな。彼女は――」
隼人の問いに答えようとした陽子が急に口を閉ざし、彼の背後に視線を向けた。
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