EP03 医務室にてⅢ
黙って隼人の話を聞いていた成実が口を開いた。
「君にできることって?」
「葬魔士として戦うことです」
さも当たり前のように答えた隼人に対して、成実は不服そうに眉をひそめると、小さく息を吐き出した。
「……それだけ? 他にもあるでしょ?」
机に両肘をついた成実は頬に組んだ手を押し当てて、まるで夕飯の献立を聞くような気軽さで隼人に尋ねた。
「俺には、それしかありません……俺にできるのは、葬魔士として戦うことだけです」
「だったら、教官になるのはどう? 君も知ってると思うけど、現役の教官にはリタイヤした葬魔士も多いわ。君の技術と実戦経験を活かせば、立派に教官としてやっていけると思うけど」
「俺には向いてないです。口下手ですし、誰かにものを教えるなんて……」
「大丈夫、大丈夫。あたしだって、先生って呼ばれてるんだから。どう見ても先生に見えないでしょ?」
大げさに胸を張った成実は冗談めかしてそう言った。隼人も彼女に調子を合わせるように深く頷く。
「確かに……」
納得した様子の声を聞いた成実は、机に突っ伏すように姿勢を崩した。
「うっ……あのね、そこは納得するとこじゃないから」
「す、すいません」
こほんと咳払いをした成実は、椅子にもたれかかり、考え込むように腕を組んで人差し指を顎に押し当てる。
「んー、じゃあ……あっ! 食堂で働くのは? 昔、お手伝いしてたでしょ?」
「ええ、まぁ……葬魔士見習いの頃、ですが」
隼人は困ったように歯切れの悪い返事をした。
「ウチの支部に来たばっかりだ。うわー、懐かしいなぁ……」
「……そうですね」
「ほら、夜食作ってもらったことあったじゃない。オムライス! あれ、すっごいおいしかったなぁ……」
「ああ、そんなこともありましたね。確か、あのときは先生に頼まれて作ったような……」
「そうそう、もうお腹ぺこぺこで我慢できなくてさ、つい頼んじゃったのよね」
隼人は正規の葬魔士として葬魔機関に採用される以前、短い期間であったが、葬魔士見習いとしてこの支部の食堂を手伝っていたことがあった。
当時から彼の主治医であった成実は、営業時間を過ぎていたにもかかわらず、こっそりと隼人に夜食の注文をしたのだった。片付けをしていた隼人は仕方なく、残っていた材料から作れそうなレシピを探し、彼女にオムライスを作ったのだ。
「あのとき食べたオムライスはホントに最高だったわ! 卵ふわふわで、ご飯にいい感じにケチャップ絡んでて、それであの濃厚なデミグラスソース……ああ、思い出したら、また食べたくなっちゃった……」
生唾を飲む音を鳴らす成実を見て、隼人は困ったように微笑んだ。
「そんなに食べたいなら、また作りますよ」
「ホント? やったー! じゃあ毎日、食堂に通っちゃおうかなー」
期待を込めた眼差しでじっと見つめる成実に、隼人は小さくかぶりを振った。
「でも、支部の食堂で働くつもりはありません」
「えーっ! なんで?」
「そもそも俺は、ここの厨房を出禁になってますから。食堂は利用できても、働くのは無理なんです」
「出禁? どうして……?」
「それは……」
そう言い淀んだ隼人は、成実の視線から逃げるように顔を逸らした。何かに気付いた成実は、はっとした表情で口を手で覆った。
「あっ、そうか……悪いこと聞いちゃったわね。ごめんなさい」
「いえ……」
「と、なると……うーん、他には何がいいかな……」
天井を見上げて考え込んだ成実に向かって、真剣な表情で隼人は声をかけた。
「先生……」
「どうしたの? そんなに改まって……?」
「俺は、まだ戦場から離れてはいけないと思うんです。戦いたくても戦えない人だっている。葬魔士として戦って散っていったやつも、葬魔士になる前にいなくなったやつもいる。だから……まだ戦えるなら、俺は戦うことを止めてはいけない。そう、思うんです」
隼人の本心のこもった声を聞いた成実は、提案しようとしていた代替案を喉の奥に飲み込むと、吐息とともに音にならない声を漏らす。
目の前にいる青年の心は、きっと今もまだ魔獣のいる戦場にあるのだ。おそらく、いくら案を出しても彼には届かないだろう。
「……君がそう言うなら、止めることはできないわ。でも、道は一つだけじゃない。魔獣と戦う以外にも、君にできることはたくさんあるの。だから、それしかないなんて決めつけないで、ね?」
まるで隼人の心を覗くように、成実は前のめりの姿勢で彼の顔を覗き込んだ。隼人はそんな彼女の視線から逃れるように、頷きながら目を逸らした。
「はい……」
パソコンを操作して画面をデスクトップに戻した成実は、ノートを閉じてペンを胸元のポケットに差し込んだ。
「よーし。途中脱線したけど、診察はこれでおしまい。しばらくは安静にしてね。戦闘任務への参加は見送るようにあたしから支部長には話しとくから。訓練も二、三日はやめといた方がいいわね。傷の治りが早いって言っても、今回は別。まだ完治してないから無理するとすぐ傷が開くわよ」
成実は片手を貝のようにパクパクと開いて閉じてを繰り返して、傷口が開くというジェスチャーをする。
「ああ、そうだ、支部長で思い出した。帰る前に支部長室に顔を出してね」
「支部長室に……?」
切り出しづらい、と言わんばかりの表情を浮かべた成実は、ちらりと横目で隼人を見た。
「えっとね……偽装拠点の一つが消滅したって、上の方じゃもう大変な騒ぎになってるみたいなの」
「あぁ……」
獣鬼と一緒に偽装拠点の倉庫を吹き飛ばしたことを思い出した隼人の背中に、冷や汗が流れる。倉庫自体は地下のシェルターを偽装するための施設に過ぎないが、重要な施設の一部であることに変わりはない。施設の破壊は間違いなく厳罰ものである。それに加えて右腕に施されていた封印を無断で破り、絶対禁忌を使用したのだ。どんな処罰が下されるか、隼人には想像が付かなかった。
「意識が戻ったら、支部長室に来るように伝えろって言われてたのよ。うん、まぁ、お小言じゃすまないかな」
「うっ……」
自身を待ち受けている災難を想像した隼人は額を手で押さえ、低く唸るような声を出す。
「君が起きたことは支部長には知らせてあるから、寄り道しないで行くこと、分かった?」
「はい、ありがとうございました」
立ち上がった隼人は一礼をしてからドアの方に歩いていき、早々に医務室を出ようとする。
「おっとそうだ! 隼人君、ちょい待ち!」
慌てて隼人を呼び止めた成実はベッドの傍に駆け寄ると、カラーボックスの上に置かれた折り鶴を手に取り、隼人に手渡す。
「隼人君が寝てる間に女の子がお見舞いに来たのよ。君に助けられたって言ってたわ」
「……冬木が?」
「あっ、そうそう。冬木美鶴ちゃんだっけ。君が起きるまで待ってるって言ってたんだけど、帰らせちゃった。魔獣に襲われて大変だったのに、ここに運ばれてからも検査やら聞き取りやらでもう疲れてたでしょうから」
「もしかして、冬木のことも先生が診たんですか?」
「ええ、そうよ」
「異常はありませんでした? 怪我とか瘴気の汚染とか……」
「ああ、彼女は大丈夫よ。多少、瘴気の汚染を受けてるけど、許容範囲内ね。代謝が進めば自然に排出されるでしょう。後遺症の心配はないわ」
「そうか。それなら、よかった……」
どこか安堵した表情で隼人はぽつりと呟いた。その顔を見た成実は、ずいと彼に体を寄せてにんまりと微笑む。
「それはそうと、隼人君。あの娘のこと、どう思う?」
「どう、と言うのは……?」
答えに窮した隼人は、成実の視線から逃げるように、困惑した表情で小さく仰け反る。そんな隼人の様子を知ってか知らずか、興奮した口調で成実はまくしたてた。
「あの娘、絶滅危惧種よ。レッドリストよ。天然記念物よ! 今時、あんな大和撫子いないわ! あっ! でも、ここにいるわね。ふふん」
「……誰が?」
あきれ顔でそう漏らした隼人に、不気味なほどに満面の笑みを作った成実が拳を鳴らす。
「ぶん殴っていい?」
「すいません……」
「こほん。まぁ、冗談はともかく。いい娘じゃないの、あの娘。こんな掃き溜めには、もったいないくらいに、ね……」
おどけた様子から一転して表情を引き締めた成実は、隼人の顔をじっと見つめ、しみじみとした口調で話した。隼人はどう返事をしていいか分からず、曖昧な表情で頷く。
「……」
「せっかくお見舞いに来てくれたんだから、今度会ったら、ちゃんとお礼は言ってね。それじゃ、もう行きなさい」
紙の鶴を制服のポケットに入れた隼人は、成実に頭を下げ、今度こそ医務室を後にした。




