EP01 医務室にて
耳元から定期的に聞こえてくる電子音で隼人は目を覚ました。横たわったまま見上げた起き抜けの瞳に映る景色は、白く霞んでいる。
「ここは……?」
呟いた自分の声を耳にした隼人は、その声が酷くしわがれていることに驚く。咳払いをすると、喉に強い渇きを感じた。
何度か瞬きを繰り返し、視界が徐々に明瞭になっていくと、見上げていたそれが見慣れた天井であると知った。
「……帰ってきたのか」
安堵の息を吐き出し、深く息を吸い込んだ隼人の鼻孔に消毒液の匂いが飛び込んでくる。ここは彼が所属する支部の医務室だった。
地下に設けられているために窓はなく、清潔感のある白一色に統一された空間を寒色のLED照明が眩しく照らしている。
天井の照明から目を逸らした隼人は、首を起こして周囲を見渡す。
彼が横たわっているベッドの周りには、定期的に電子音を発している心電図のモニターや水差しとガラスのコップが乗ったカラーボックス、そして丸椅子が置かれていた。
白いカーテンで仕切られているため、部屋の全体を見渡すことはできないが、耳を澄ませて気配を探ると、どうやら医務室の主は不在であり、隼人以外の利用者もいないようだと知る。
再び枕に頭を預けた隼人は、深く息を吐き出した。
「俺は、何を……」
意識のない状態でこの医務室に運ばれることは珍しくない。おそらく任務中に負傷したのだろう、とまだ働かない頭で考えるが、原因が分からなかった。
隼人は熱を帯びた額に左手を乗せようとして、その指先に計測器が取り付けられていることに気付き、仕方なく身軽な右手をシーツから出し、額に乗せて思案する。
「……」
数日に渡る魔獣討伐任務の後、魔獣が原因と思われる異常を調査するためにとある山に派遣された――そのことは隼人も覚えていた。しかし、その後のことはどうにも思い出せない。
額に乗せた手を閉じた瞼の上に置くと、わずかに開いた目に映る手の平に妙な違和感があった。
「……ん?」
隼人はふと、その違和感の正体を探ろうとして、右手を見つめた。すると、寝ぼけていた隼人の顔が見る間に深刻な表情に一変する。
「封印が……!?」
何も付けてない右腕に気付き、慌てて上体を起こして、左手で右腕を押さえるように掴む。病衣の袖を捲り上げ、侵蝕の進行を確認すると、上腕部で侵蝕が止まっていることが分かった。黒い右腕は沈黙したままで、瘴気を放つ様子もなければ、疼くような痛みもない。封印作用のある繊維で編まれた手甲を身に着けていないが、すでに右腕自体に封印が施されているらしい。
「……」
隼人は胸を撫で下ろし、深い吐息とともに肩に入った力をそっと抜く。添えた左手で感触を確かめるように右腕をなぞると、気を失う前の出来事が鮮明に思い出された。
山から市街地へ向かった魔獣を追撃するため、その準備を整えていた隼人と圭介は、念信能力者の少女と出会い、彼女を狙う魔獣の群れと死闘を繰り広げた。
餓鬼と呼ばれる下級の魔獣にはさほど苦戦しなかったものの、魔獣を束ねる群れの長である獣鬼が現れ、窮地に立たされる。
彼女と圭介を守るため、絶対禁忌と称される魔獣に侵された右腕の封印を解放した隼人は、その力を使って獣鬼との死闘を制した。その結果、魔獣に体を侵蝕され尽くし、あわや隼人自身も魔獣と成り果て、人としての生を終えるところだったが、念信を使う少女によってその身に潜む魔獣を鎮められ、一命を取り留めたのだった。
その後、彼女は力を使った反動か、隼人の魔獣を鎮めた後で気を失ってしまった。隼人も彼女の後を追うように気を失ってしまったが、こうして医務室のベッドの上にいる。おそらく遅れて到着した増援の部隊に救助されたのだろう。
「……生きている、のか」
拳を握っていた右手をそっと開いた隼人は、その手の平をぼんやりと見つめた。独り言を呟いた彼の胸の内にあるのは、喜びではなく困惑だった。絶対禁忌の力を解放すると決めたとき、この命を使い切るつもりだった。まさか生きて帰ってくるとは思っていなかったのだ。
再び溜息を吐き出すと、軽く咳払いをする。先ほどよりも喉の渇きを強く感じた隼人は、カラーボックスの上に置かれた水差しとコップに手を伸ばす。
すると、水差しの隣に寄り添うように佇む紙の鶴が目に入った。そっと尾の部分を摘まんで顔に近づけると、白い体に等間隔の線が刻まれており、まるで模様のようになっているのが見て取れた。葬魔機関の売店では折り紙用紙が手に入らないため、メモ用紙で代わりに折ったのだろう。手の平に乗せても小振りに感じるそれは、作った者の手先の器用さを窺わせた。
「折り鶴か……誰が置いたんだ?」
心の中でそう呟いた隼人は折り鶴を元の位置に戻し、コップに汲んだ水を飲む。彼が水に口を付け、一息つくと同時に医務室のドアが開き、何者かが入ってきた。
お久しぶりです。斬魔の剣士をご愛読いただき、ありがとうございます。
二章を書き終えてから投稿しようと思っていたのですが、思うように筆が進まなかったので、今後の展開に影響が出ない範囲で、投稿しようと思います。
数日の間、不定期投稿をして、またしばらく期間が空きます。続きは、年内か年明けに投稿できれば……という感じです。
お恥ずかしい話ですが、一章を書き上げるのに一年以上かかっています。おそらく二章も同じか、それ以上の時間を要すると思います。
それでも、少しずつ進めておりますので、どうか気長によろしくお願いします。




