EP31 決着
「グゥオオオオ!」
それまで自分を守っていた瘴気が、自分の支配下から逃れたことを知った獣鬼は、怒りの咆哮を上げた。
隼人が周囲の瘴気を右腕に巻き付けるように振り回すと、紺色の霧が腕に絡みつき、渦を巻いて集まっていく。それはまるで、隼人を中心に渦を巻く竜巻を思わせた。
瘴気によって覆われた右腕が、徐々にその輪郭を塗りつぶされ、異形の姿に変わっていく。そのシルエットを見た美鶴が、口元を手で押さえて唖然とした。
「魔獣の腕……!?」
隼人の右腕に重なる霧の幻影は、巨大な腕を模った。人の腕に近いが、鋭い爪を備えたそれは餓鬼の腕にも見えた。
「あれが彼に封じられていた絶対禁忌……もう、後戻りはできないよ、隼人君」
「はぁあああああ!」
圭介の呟きは、隼人の雄叫びに掻き消され、美鶴の耳に届くことはなかった。
隼人は左手で変貌した右手首を握り潰すような勢いで掴むと、瘴気を抑え込もうと意識を集中させる。
巨大な腕を模っていた瘴気が、形を崩して霧に戻ると、黒く染まった右腕に収束する。
「はぁ……っはぁ……」
苦痛に歪められた隼人の顔は、不敵な笑みを浮かべているようにも見えた。
「秋山さん……後は、頼みます」
「分かった」
隼人は顔だけ振り返って背後の圭介に声をかけ、その意図を理解した圭介は美鶴を連れて近くの輸送コンテナに身を潜めた。
二人は扉の隙間からわずかに顔を覗かせ、隼人と獣鬼の戦いを見守る。
隼人は美鶴と圭介が隠れたのを見届けると、正面に獣鬼を見据えた。
瘴気の渦巻く右腕を顔の高さまで持ち上げて、左手の指先で刀の切先を向けるように構え、獣鬼に向けて狙いを定める。
それはまるで矢を番え、弓を引く狩人を思わせる動作だった。
隼人と獣鬼、双方に退路はない。
燃え盛る炎が両雄を囲む檻となり、逃げ場を塞いでいる。
殺すか殺されるか、生存は両者の内どちらか一方――次の一撃で決定する。
獣鬼は足元に転がる鉄骨を無造作に拾い上げると、群れを滅ぼした仇敵を睨み、威嚇するように鉄骨を床に叩きつけた。
「これで終わりだ」
隼人が暴君に終焉を告げると、それを拒むように獣鬼が吠える。
「グゥオオオオ!」
「うぉおおおお!」
魔獣が咆哮を上げて突進する。その咆哮に答えるように、隼人も雄叫びを上げて突撃する。
鈍く赤い輝きを宿す隼人の右腕の血管が、テールランプの光跡のように空に赤い線を描く。
共に互いの間合いに踏み込もうとするが、長い得物を持つ獣鬼の方が早かった。
獣鬼は手に持った鉄骨を渾身の力で横殴りに叩きつける。大気を切り裂き、唸りを上げる凶器が隼人に迫る。
しかし、隼人は躱さない。迫る鉄塊を意に介さず、懐目がけて突き進む。
獣鬼は直撃を確信し、裂けた口元を歪めて笑みを浮かべた。鈍い金属音を響かせ、隼人に鉄骨が直撃する。
「……!」
勝利を確信し、狂喜していた獣鬼の表情が驚愕の色に染まる。隼人の命を奪うはずの凶器は、獣鬼の手を離れて床に突き刺さった。いかなる腕力だろうか、隼人は右腕で容易く鉄骨を薙ぎ払ったのだ。
隼人は振るった右腕を構え直し、未だ体勢を立て直せない無防備な獣鬼の懐に潜り込んだ。踏み込んだ足で、足元のコンクリートに亀裂が走る。
魔の右腕がジェットエンジンを思わせる爆音を発して、血管が裂け、血と瘴気を噴き出した。
隼人の右腕に巻き付いた竜巻のような瘴気が、絶命の一撃を放たんと唸りを上げる。
「はぁぁああああああ!」
隼人は裂帛の気合と共に、掲げた右腕を振り下ろした。
右腕が描く輝く軌跡が赤い彗星の如く尾を引き、その軌跡を追いかけるように叩きつけられた黒く渦巻く瘴気の奔流が瀑布の如く獣鬼を飲み込んだ。
獣鬼の体は瘴気の奔流で引き裂かれてあっけなく両断され、その身を引き裂いた奔流は、枷を解き放たれたかのように炸裂し、天と地を繋ぐ暴虐の渦となって、閉ざされた戦場を蹂躙する。
獣鬼はその原型を保てず、肉体を微塵に砕かれて砂漠の砂のように吹き飛ばされた。隼人自身もその暴風に吹き飛ばされ、背にしていたコンテナに叩きつけられる。
獣鬼を滅ぼした魔の竜巻は次第に弱まり、やがて今までの喧騒が夢幻であったかのように辺りを静寂が支配した。
長きに渡る一夜の死闘は、斯くしてここに幕を下ろした。




