EP27 蘇る悪夢
崩れた資材の山に半身を埋めた獣鬼はぴくりとも動かない。護衛の餓鬼は群れの長が倒れたことで恐慌状態に陥り、霧の中に隠れてしまった。
獣鬼の頭部は埋まっているため見えないが、間違いなくあの頭蓋を粉砕した手応えがあった。万が一の反撃を用心し、遠目でその生死を確認していた隼人は獣鬼が死んだと判断し、慎重に追撃の構えを解く。
右手に持った刀に視線を落とすと、刀身が歪み、刃こぼれが刃先に生じていた。たった一度でこの様である。もう一度、あの奥義を放てば、この刀は折れるだろう。隼人が放った斬魔四重葬は絶大な威力を誇るが、それだけ刀身への負荷も大きくなり、武器としての寿命を著しく減らすこととなる。
普段であれば、残党を始末することも考慮し、なるべく負荷がかからないように力を加減して放つのだが、あの獣鬼は加減の叶う相手ではなかった。
刀を握った手はじんと痺れている。高速で突進してきた巨大な獣鬼は相当な重量があり、真っ向から全身全霊で放ったあの奥義は、隼人に想定以上の反動をもたらしたのだ。
「ふぅ……」
獣鬼を打倒した安堵と張り詰めた緊張状態から解放されたことで隼人の双肩にどっと疲労感がのしかかる。まだ痺れの残る右手を擦りながら、彼は深く息を吐き出した。
「隼人君!」
背後から名前を呼ばれた隼人が振り返ると、小走りで圭介と美鶴が近づいてきた。圭介は獣鬼を倒した喜びを微塵も隠さず、破顔していた。彼の後を付いてくる美鶴は、何が起こったか理解できないといった様子で、戸惑っている。
「よくやった!」
「……勝ったんですか?」
「ああ、そうだよ! 獣鬼を倒したんだ。これでやっと帰れるよ!」
「よかった……」
心の底から嬉しそうにする圭介に感化され、美鶴は安堵の表情を浮かべた。そんな二人の様子を離れて見つめていた隼人も、釣られてその表情を和らげる。そして、手に持った刀を鞘に納めようとするが、その手を途中で止めて、不用意に近づいてくる二人に手の平を広げて制止する。
まだ瘴気も晴れておらず、あの霧の中には無数の餓鬼が潜んでいる。いずれいなくなるとしても、まだここは危険地帯なのだ。
「待ってくれ。まだ終わったわけじゃない……瘴気は引いてない。奴らだって――」
隼人は自分の言葉に眉をひそめる。群れの頭が死んだなら、なりふり構わず逃走するのが餓鬼の習性だ。瘴気の中に潜んだまま、撤退をしないのは異常である。
不意に湧き上がる違和感の正体を探ろうと、周囲を警戒したその時――資材の山を蹴散らして、死んだと思われた獣鬼が立ち上がった。
「なっ!」
「嘘……!」
その場にいた誰もが驚愕に包まれる。葬魔士である圭介と隼人ですら、死んだ獣鬼が動くという想定外の事態に驚き、硬直した。
獣鬼の頭部を見ると、首から先は失われている。隼人の剣技は、過たず獣鬼の頭蓋を破裂させた。
だからこそ、隼人はあの魔獣が生きていることに動揺していた。しかし、動いているなら仕留め損なったのだとすぐさま思考を戦闘態勢に切り替える。
時間にして三秒とかからなかっただろう。しかし、その三秒の猶予は獣鬼に反撃の機会を与えるのに十分な時間だった。
獣鬼は足元を漂う濃い瘴気の中に尾を蛇のように這わせ、隼人の右足に絡みつかせる。不可視かつ無音の攻撃に反応が遅れた。
「しまっ――」
咄嗟に刀を突き刺そうとするものの、尾の方が先に動いた。
大型船を係留するロープよりも太い尾に右下腿を強引に引っ張られ、体勢を崩した隼人は刀を手放してしまい、抵抗もできずに尾で軽々と振り回された。
遠心力により全身の血が一気に頭に押し寄せ、意識が遠のく。そして、振り回した勢いのまま投げ飛ばされた隼人は、コンテナに背中から叩き付けられた。
「っがぁ……!」
トレーラーで牽引されるコンテナがへこむほどの衝撃。受け身も取れずに背中と後頭部を強打した隼人はその衝撃に肉体と意識を蹂躙された。
「長峰さん!」
「隼人君!」
重力に従ってコンテナの壁面を滑り落ちた隼人は、床に体を打ち付ける。隼人には自身を呼ぶ声が水の中で聞くように不鮮明に聞こえた。
途絶えかけた意識を懸命に保ち、上体を起き上がらせた隼人は、異変を察知してその原因を探る。
異変の中心は獣鬼だった。倉庫内に満たされた瘴気が、露わになった首の断面に吸い込まれていく。すると傷を塞ぐかのように泡のような肉腫が次々に盛り上がり、風船のように目一杯膨れ上がった肉腫が破裂し、どす黒い液体が溢れた。
それは液化した瘴気だった。滴り落ちる液化した瘴気の中から現れたのは、破壊したはずの獣鬼の頭部だ。まるで破壊したことが嘘であったかのように獣鬼の頭部が再生した。
「嘘だろ……」
生物としての常識を超えた存在である魔獣であっても、死から逃れることはできない。あの獣鬼を殺すには頭部の破壊では足りなかっただけのこと。
キメラと化した獣鬼にとって、五体の各部位は因子に影響を受けて変化を及ぼすただの付属品に過ぎない。おそらく生存の要は心臓に集約されているのだ。
心臓を破壊する必要があると判断した隼人は獣鬼に斬りかかるために立ち上がろうとして激痛に見舞われ、膝を突いた。度重なる連戦による疲労と数々の負傷は肉体の限界を超えていた。戦意はあっても、体が言うことを聞かなかった。
膝を支えに痛みに悶える隼人は脅威でないと判断したのか、獣鬼は隼人からあっさりと視線を外し、本来の獲物を求めて鼻をひくひくと動かして臭いを嗅ぐ。
すぐに魔獣の望んでいたものが見つかったのだろう。大きく裂けた口から牙を露わにして獰猛な笑みを浮かべる。ゆっくりと頭を巡らした先にいたのは、美鶴だった。
「……!」
獣鬼に見入られた美鶴はあまりのおぞましさに口を手で押さえ、声にならない叫びを上げる。その仕草が堪らないのか獣鬼は涎に塗れた舌で口の周りを舐め、のっそりと歩き出す。
「畜生っ……!」
美鶴に狙いを定めた獣鬼を止めようとした隼人は、激痛に耐えながら膝を支えに立ち上がろうとするも、その肩に餓鬼が飛び乗り、首元に噛みついてくる。首だけではなく、脇腹にも別の餓鬼が噛みついた。
「ぐぁっ……舐めるなぁ!」
腰の大型ナイフを抜き、肩に噛みついた餓鬼の顔面に突き刺して強引に引きずり倒すと、その勢いで顔に刺さったナイフを引き抜き、逆手に持ち替えて脇腹に噛みついた餓鬼の脳天に突き刺した。
脳天にナイフを刺された事切れた餓鬼は顎を大きく開けたままだらしなく崩れ落ちた。
「はぁっ、はあっ……うっ……」
どくどくと血が溢れ出す首元を押さえた隼人は、よろめきながら立ち上がる。
圭介のリンクス対物ライフルの銃声が立て続けに響き、そちらに目を向けると、獣鬼は美鶴と圭介に向かって歩みを進めていた。餓鬼どもにまんまと足止めを食わされたのだと歯噛みする。
隼人は二人を守るためにおぼつかない足取りで駆け出すが、無数の餓鬼が取り囲んでその行く手を遮った。獣鬼に投げ飛ばされた際に手放した刀を拾い上げた隼人は、周囲の餓鬼を睨む。
「……邪魔だ、どけぇぇぇぇ!」
雄叫びを上げた隼人は、四方から襲い掛かる餓鬼を無視して、正面に立つ餓鬼に向かって強行突破を仕掛けた。