EP26 魔を葬るための四重奏
隼人は瘴気の中に佇む魔獣の群れを見据えて思案していた。瘴気が濃くなるにつれて獣鬼に有利になっていくこの現状を脱するには、圭介が言ったとおり短期決戦以外に道はないが、狙撃を起点とした奇襲はもう使えない。
無謀でも真っ向から斬り込むしかないだろう。連携を図るために圭介の顔を覗き見ると、やはり彼も同じ結論に至ったのか、目で頷いて合図を送ってきた。
獣鬼に斬りかかるため呼吸を整えようとした隼人は、ふいに瘴気の中から射貫くような鋭い視線を感じた。それは獲物を血眼で探す捕食者の視線だった。
「まずいっ!」
隼人は獣鬼が瘴気を介して美鶴を探しているのだと見抜いた。美鶴が危ないと思った時には、遅かった。
「きゃああああ」
錯乱した美鶴がコンテナから転げるようにして飛び出してきた。驚いた圭介が慌てて駆け寄り、美鶴を怒鳴りつける。
「なっ……! 何で出てきたんだ!」
「目が、いきなり霧の中から大きな目が……」
美鶴は信じられないものを見たように怯えながら筐内を指差す。
「遠見の目を作ったのか!」
上位の魔獣ともなれば、瘴気を媒介として視覚や聴覚を拡張し、遠方の様子を探ることができる。獣鬼は隙間から入り込んだ瘴気を利用し、コンテナの内部を覗き見たのだ。
「グォオオオオ――!」
獣鬼が天を見上げて歓喜の咆哮を上げると、美鶴の方を向いてその双眸を細める。
「ひっ……」
怯えた美鶴の様子を愉しむように、獣鬼はにやりと口を歪めて太い舌で口元を舐める。粘り気の強い涎がその舌から垂れ、コンクリートの床に落ちて鈍い水音を立てる。
「グゥアッ!」
涎が床に落ちた落下音を合図に、獣鬼が突進してきた。美鶴しか眼中にないのか、自身を護衛していた餓鬼を押しのけると、前腕を床に下ろし、四つん這いになってトカゲのように駆けてきた。
「なっ! 突っ込んでくる!」
「秋山さん、こいつは俺がなんとかする。冬木を頼む!」
「ああ、分かった!」
これまで慎重だった獣鬼がわざわざ護衛の群れから離れ、単独で突撃するなど隼人と圭介にとって驚愕に値する行動だった。
万全の体調でない圭介では、美鶴を庇いながら獣鬼の突撃を躱すことは不可能であり、二人にとっては重大な危機である。しかし、護衛の群れに遮られて獣鬼に近づくことができなかった隼人にとってはまたとない好機であった。
怯えて動けない美鶴のフォローを圭介に任せて、二人を庇うように獣鬼の進路上に立ちはだかる。
土煙を上げて突進してきた巨大な獣鬼の前に立った隼人を見て、美鶴が驚きの声を上げる。
「長峰さん!」
「隼人君なら大丈夫。彼に任せよう」
「なっ! 本気ですか!?」
「今なら奴を倒せる。彼が苦戦していたのは、周りの餓鬼が邪魔だったからだ。一騎打ちなら隼人君が負ける道理はない。彼は、斬魔の剣士だ」
「斬魔の剣士……?」
「そう、葬魔士の中でも真の剣士と認められた者に与えられる称号。彼にはあの魔獣を打ち倒す術がある」
美鶴は息を飲んで獣鬼の前に立ちはだかった男の背中を見つめる。そこには、眼前に迫る暴虐の化身に動じない覚悟を秘めた剣士の背中があった。
獣鬼は目の前に立ちはだかった隼人など眼中にないように、加速しながら突っ込んでくる。
魔獣を見据えた隼人は深く息を吐き出し、打開策を思案する。
隼人と獣鬼。彼我の距離はたったの七〇メートル程度。獣鬼の足ならば、五秒とかからず走破するだろう。この突進を食い止めなければ、葬魔士二人はともかく美鶴の命はない。
使用できる武装は限られ、攻撃の手段もその選択肢は少ない。左手に残った得物をちらりと見て、隼人は険しい表情を作る。
魔獣の命を絶つには、首を切り落とすか脳、もしくは心臓を破壊する必要があるが、穿刃剣による斬撃と刺突では獣鬼の硬い皮膚を破ることはできても、堅牢な肉体で構成された天然の鎧兜に阻まれ、致命傷を与えられないことを先の攻防で承知している。
現代兵器であの魔獣を完全に打ち倒すには、貫徹力の高い大口径の戦車砲や戦車すら吹き飛ばす五〇〇ポンド級の爆弾に匹敵する威力を誇る兵器が必要だが、そんなものはここにはない。
そもそも現代のような強力な兵器が存在しない古の時代では、己の肉体と原始的な武装、そして身につけた技術で魔獣と戦うしかなかったのだ。ならば、先人たちと同じように持ち得る武装と己の肉体、培った技術で打ち倒すしかない。あの強敵を倒すには斬魔の剣技、その極致たる奥義を以て倒すべきだと隼人は意を決する。
斬魔の剣技は対魔刀の使用を前提としており、一部の剣技を除いてその真価を発揮するには穿刃剣よりも対魔刀の方が好ましい。ましてや剣技よりも難易度の高い奥義を使用するともなれば、なおさらだ。
隼人は片手に握っていた穿刃剣を投げ捨てると、背中の刀――魔を切り裂くために作られた対魔刀を抜き、かつて魔を屠るために編み出された斬魔の奥義を放つべく刀を構え、意識を集中させる。
その奥義とは、瞬く間に神速の連撃を叩き込む至極の剣技。
四重の斬撃により、魔を屠る必殺の魔剣。
曰く、一刀を以て皮を裂き、二刀を以て肉を抉る。三刀を以て骨を砕き、四刀を以て命を絶つ。
之即ち、斬魔流剣術奥義――斬魔四重葬。
六門殲には手数で劣るものの手数を絞った分、速度と威力を向上させた極短時間で繰り出される怒涛の連続斬撃は、斬撃の衝撃が拡散する前に次の斬撃による衝撃を一点に加えることで衝撃を蓄積させ、爆発的な破壊力を生む。
そう、この奥義の神髄は斬撃による切断ではない。あたかも鋭い斬撃により両断されたかのように見えるが、その実、連続斬撃の命中により生じる衝撃を一点に重ね、蓄積した衝撃を以て破砕することを目的とした奇天烈な剣技である。
故に、その力学的作用の真価を発揮させるためには斬撃の軌跡、その焦点を微塵の狂いもなく重ねることができる正確無比な精密さが求められる。
着弾点のわずかな誤差も許されない一点集中攻撃は、身動きしない木偶が標的であるならともかく、彼我が互いに激しく動く戦闘の最中においては、困難を極めると言って過言ではなく、剣の達人と呼ばれる者でさえ真似事すら叶わない人の理を超えた魔剣だった。
しかし、人の理を超えた魔を斬るには、人の理を超えねば斬ることは叶わない。
常人では到底辿り着くことのできない、現代の葬魔士にとって失われたとされた至極の剣技を、並外れた執念と血の滲む研鑽によってこの男は蘇らせた。
荒々しく突っ込んでくる獣鬼とは反対に、隼人は静かに呼吸を整えて極限まで意識を研ぎ澄まし、肉体を眼前の魔獣を屠るための装置へと変貌させる。
狙うは一点。無防備に突っ込んでくる獣鬼の頭部へ狙撃手の如く狙いを定め、これより放つ四重の斬撃――その架空の軌跡を脳裏に描き、焦点を眼前の獣鬼に重ねる。
隼人が構えてから攻撃までの猶予は数舜もない。突進してきた獣鬼が、ついに奥義の射程圏内へ踏み込んだ。
引き金を引き絞るように刀を握った指に力を込め、コンクリートの床を踏み抜く勢いで力強く蹴り、刀を肩に担いだ隼人が瘴気の霧を突き破り、弾丸の如く駆け抜ける。
「はああああああっ!!」
裂帛の気合と共に剣の間合いへ足を踏み込み、振り下ろされた刃が獣鬼の頭部を捉えた。
一刀では終わらない。瞬時に放たれる神速の連撃は、刹那の軌跡を描いて闇を裂く閃光となり、魔を葬るための四重奏を奏でる。
一太刀で餓鬼を葬る必殺の一閃を、一瞬の内に四度も受けた獣鬼の頭蓋内部は、瞬間的に戦車砲の直撃を遥かに上回る驚異的な衝撃に満たされた。
獣鬼の頭骨はその堅牢さゆえに衝撃を外部に逃がすことはできず、内部に蓄積したそれは力の解放を求めて内から外へ荒れ狂い、その規格外の衝撃に耐えきれなかった獣鬼の頭部は内部から爆破したように炸裂した。
頭部を失って制御不能となった肉体は、傷口から血肉を撒き散らしながら転倒し、突進の軌道を大きく逸らして資材の山に突っ込んでその身を埋めた。
残心から身を起こした隼人は刀に付いた獣鬼の血液を振り払うと、瘴気に潜む無数の餓鬼を一瞥する。
獣鬼に従っていた餓鬼の群れは、咄嗟のことに呆然としていたが、我に返ると群れの長を失ったことを知って慌てふためいた。
群れの長を仕留めた以上、残った群れも瘴気もいずれ引いていくだろう。夜明けが来るのは時間の問題だ。




