EP20 魔蝕の右腕
隼人と別れた圭介と美鶴は、圭介の銃に使用する弾薬を補充するため事務所内の武器庫に来ていた。
武器庫は一見すると更衣室のようであったが、ロッカーの中は扉に振られた番号ごとに散弾銃や小銃、対物狙撃銃が分類されて収められており、金庫の中にはそれらの銃に対応する弾薬が整理されて保管されていた。
圭介は金庫を開けると、使用する弾薬が入った弾薬箱を取り出して机の上に置く。
「欲張らなくてよかった。全部バッグに詰めてたら、お手上げだったよ」
「……あの、弾薬の補充ってどうすればいいんですか?」
立った姿勢のまま、坦々と対物ライフルの弾倉に弾薬を込めていく圭介を見て、美鶴はおどおどとした様子で尋ねる。
「ああ、大丈夫。あれは、詭弁でね」
「……?」
圭介は指に摘まんだ弾薬を机に置いて美鶴に向き直ると、神妙な面持ちを作った。
「君を責めるのは間違いだった。本当に申し訳なかった」
「別に……気にしてないです」
「そっか、それならよかった。隼人君の言う通りだ。君は悪くない」
「私、未だに現実感がなくて……まるで悪い夢の中にいるんじゃないかって……」
「悪い夢さ。でも、夜が明ければその悪夢も終わる。僕らが終わらせる。だから、安心して」
「まるで長峰さんみたいなことを言いますね」
「うん、確かにこれじゃ隼人君みたいだ……ははは」
思いがけず自分の口から出た言葉に驚いた圭介が苦笑する。知らず知らずの内にあの青年の口調がうつってしまったらしい。
困ったように愛想笑いを浮かべた美鶴を見た圭介は、自分の頼りなさに心の中で下唇を噛んだ。無意識の内に自分よりも年若いあの青年を頼ってしまっていたのだ、と思うとなんとも情けない気分になる。
気を取り直して弾薬を手に取った矢先、壁を隔てた会議室から呻き声が聞こえてきた。隼人の声だ。各部屋は扉を閉めていれば隣室にテレビの音や会話が漏れないように最低限の防音が施されており、まず声など聞こえることはない。それでも聞こえてくるということは相当な声量であり、想像を絶する苦痛を味わっていることが感じ取れた。
「隼人君……」
「あの、秋山さん」
苦虫を噛み潰したような険しい表情を見せた圭介に美鶴が声をかける。顔だけわずかに振り向く素振りを見せ、圭介が答える。
「何だい?」
「長峰さん、どうかしたんですか? もしかして背中の傷が……」
「あれは大丈夫だよ。放っておいても治る」
「それじゃ、どうしてこんな苦しそうな声を……?」
探るような美鶴の視線から逃れるように、圭介は作業を再開した。淀みなく進む指先とは裏腹に、脳裏には迷いが満ちていた。本当のことを答えていいものか、否か。数秒の間、逡巡し、隠し通せないだろうと結論を下した。
「……彼の右腕のせいだ」
「右腕……あの痣のことですか」
「うん。もう、気付いているかもしれないけど、訳ありでね……」
「……何があったんですか?」
「少し長くなるけど、いいかい? 彼の痛みが引くまで多少、時間がかかるだろうし」
「……はい」
「隼人君は昔、ある魔獣に襲われた。餓鬼の変異体であり、寄生種に分類される魔獣だ。人間の体に自分の一部を分離し、潜り込ませてやがて全身を蝕み、体の支配権を奪うと新たな仲間を生み出すための傀儡に変えてしまう恐ろしい魔獣さ」
「あれは、本当に厄介でね……なんせ寄生するのは人間だ。親しい人間に寄生されることだってある。隼人君を襲った相手は、最悪だった」
「……その、長峰さんを襲ったのは誰なんです?」
「彼の叔母さ。生まれてすぐに母親を亡くした隼人君にとっては、育ての親だった」
「えっ……」
「まだ一〇歳にならない頃に叔母の家に預けられ、まるで本当の家族のように育てられたと聞いている。幼い頃からともに過ごした彼女の変わり果てた姿を見たときのショックは、相当なものだっただろう」
「魔獣と化した彼女の姿を目にして動揺した隼人君は、まともに戦うことができず、彼女に襲われ……右腕を噛まれた」
動揺するのは当然だ、と美鶴は思った。最愛の家族が目の前で異形の怪物となる……つい昨日まで食卓を共にし、他愛のない話をし、同じ屋根の下で暮らしていたであろう相手がそんなことになって、正常な精神でいられるだろうか。いや、それでも平気であるというのならそれこそ異常だ。
「幸いなことに、駆け付けた葬魔士によって隼人君は助けられ、彼女は混乱に乗じてその場から姿を消した」
床に視線を落とした圭介は、言葉を選ぶように言い淀みながら語り続ける。
「魔獣に体を乗っ取られ、異形の怪物となって人々を襲う彼女を葬魔機関は生かしておくことはできなかった。程なくして彼女は見つかり、処理する決定が下された」
処理という物騒な単語に、美鶴は眉をひそめた。
「処理って、まさか……」
圭介は躊躇うように小さく息を吐くと、視線を床から上げて美鶴の顔を見据える。
「殺すってことさ。彼女は機関の命令で……隼人君の手によって処理された」
「っ……!」
美鶴は、ショックに思わず口元を押さえて後ずさる。
「無辜の人々に被害が出たのは、変異した彼女を隼人君がその場で処理できなかったのが原因だと上層部は判断した。隼人君はその責任をとるため、魔獣に変異した彼女を手に掛けた……」
「そんな、酷い……」
「非情に聞こえるかもしれないが、たとえ親しい者であっても魔の道に堕ち、人の世に仇なす存在となるなら、手を下さなくてはならない。それが、葬魔の掟だ」
「…………」
衝撃のあまり絶句した美鶴を見て、圭介は言葉を選ぶべきだったと後悔し、額に手を当てた。
「隼人君の右腕に話を戻そう。彼は寄生種に襲われてすぐに適切な治療を受けられたことで、肉体を奪われずに済んだ。でも、魔獣に噛まれた腕は、侵蝕されたままなんだ」
「まさか……」
「そう、彼の中の魔獣は生きている。襲われてすぐに右腕を切り落とせば良かったのかもしれないけど、内部の侵蝕は予想以上に進んでいた。止む無く封印の施術が施されたけど、あくまで抑制するだけで、完全には侵蝕を止めることはできなかった」
「本来であれば、隼人君だって処理されてもおかしくはない。魔獣をその身に宿した人間は、存在すら許されない禁忌の中の禁忌、絶対禁忌とさえ言われている。彼が生存を許されているのは、自我を保ち、魔獣の侵蝕を抑制できている貴重なサンプルだからだ」
「その、取り除いたりはできないんですか?」
「うん。肉体の一部として彼と一体化してしまっているからね。現代の医療じゃどうしようもない」
「そう、ですか……」
「でも、隼人君はそれでいい、って言ってるんだ」
「えっ……どうして……?」
「この右腕は罪の証だって。大事な人を守れなかった戒めの象徴だから無くしてはいけないんだって……別に、隼人君が全部悪いわけじゃないのに、ね」
「……そうだったんですね」
「そろそろ、行こうか。ああ、今、話したことは内緒にしといてね」
本当は誰にも言うなって言われてたんだから、と圭介は苦笑交じりに付け加えたが、彼のその言葉は美鶴には届いていなかった。彼女は圭介の話を聞いて、隼人との会話を思い出していたのだ。深い罪悪感の表れはこういう理由だったのか、と美鶴は胸が締め付けられる思いがした。乱れかけた動悸を押さえるように胸に手を当てると、その様子を見た圭介がすかさず具合を尋ねた。
「美鶴ちゃん? どうかしたのかい?」
「長峰さん、命に代えても私を守るって言ったんです。それが自分の贖罪だって……それってもしかして……」
圭介の表情がさっと曇り、美鶴の顔から目を逸らすと重い口調で答えた。
「彼は守りたかった女性を目の前で失った。それどころか、手にかけることになった。彼女を助けられなかったことを、ずっと悔やんでいる」
「彼はもしかしたら、彼女と君を重ねているのかもしれない」
「えっ……?」
「君を守らなければ、きっと後悔し続けることになる。だから、自分の命を投げ出してでも守り抜く……彼はそう思っているんだ」
「どうして、そこまで……」
「……隼人君はこの先、もう長くない。封印されていても侵蝕は着実に進んでいる。隼人君もやがて人を襲う魔獣へと変わり果てるだろう。おそらく真っ当な人間としては、もう数年も生きられない」
「……」
「僕はそれなりに長く隼人君と組んでいるから、なんとなく彼の考えは分かる」
「彼は葬魔士として、戦うことでしか自分の生きる道を見出せなかった。だから、君を巻き込んだ罪は、戦うことでしか償うことができないんだ」
隼人との会話を思い出した美鶴は、はっとした顔で圭介の顔を見つめる。
「彼にはきっとそれ以外の方法は思いつかないから……」
「君を守ること――それが君を巻き込んだことへの贖罪でもあり、かつての後悔を終わらせるための彼のけじめでもあるんだろう」
「ごめんね、美鶴ちゃんには迷惑な話だと思うけど……」
「……」
「この戦いが終わって、支部に行けば、君の能力を抑えることができるはずだ。そうすれば元の生活に戻ることができるだろうから、それまではどうか辛抱して欲しい」
「はい……」
美鶴は再び圭介の顔から視線を逸らし、心配そうな面持ちで隼人のいる部屋の方を見つめた。
対物ライフルの弾倉を両腿のポーチに納めた圭介は、ショットガンの弾薬をポーチに小分けにして、腰のベルトに取り付け、余ったものを腕や銃本体に取り付けたホルダーに差し込んだ。そうして装備が整ったことを確認すると、美鶴の見つめる先に視線を向け、独り言のようにぽつりと呟く。
「そろそろ、隼人君も動けるようになったかな。あの霧を突破するには、彼の力が必要だ」
霧に潜む魔獣の奇襲に対応するなら、乱戦は必須であり、近接戦闘に特化した隼人の協力は欠かせない。ましてや美鶴という護衛対象がいるならなおさらだ。多少、時間がかかったとしても二人には隼人を待つしかない。
隼人と圭介たちが二手に分かれてから、五分が経過しようとしていた。




