EP19 戦闘準備
会議室に戻った隼人は、机に並べられた武器――大小複数の短剣に大型ナイフ、穿刃剣と刀に目をやった。
保管庫にはこの他にも刀剣はあったが、圭介が持ってきた物以外は、まるで廃棄品の寄せ集めと言わんばかりの状態の悪い武器ばかりだった。
他所の偽装拠点で不要になり、管理に困った刀剣をここに運び込んだのだろう。
隼人の扱う刀剣ではなく、圭介の扱う銃とそれに使う弾薬が保管庫に多く保存されていた理由――これには、昨今の葬魔士は刀から銃を主武装とした遠距離主体の戦法に変わったという事情が大きく影響している。
かつて古の葬魔士の主武装は刀であり、刀を製造する技術とそれを加工する技術に長けていったが、銃という武器は未だ存在していなかった。
日本では戦国の世において、種子島とも称される火縄銃が伝来したことで戦の常識が一変するほどの影響を与えた。無論、葬魔士にもその評判は伝わったが、瘴気の中に潜む魔獣に対しては命中率が悪く、物質として大気中を漂う瘴気の中では球状の旧式弾頭は減衰率が高いため、距離が離れると著しく威力が減少し、遠距離攻撃というせっかくの持ち味を生かせないことから銃に対する信頼性が低く、一部の葬魔士を除いて不評であった。
しかし、二度の世界大戦を経て銃という武器の研究が進み、弾薬の進歩による威力や射程の向上、装弾数の増加、照準器の発達等、武器としての信頼性が高まり、危険な爪や牙を備えた魔獣に近づかずとも一方的に攻撃できる銃器はその利点を認められ、葬魔の世界においても武器としての覇権を握ることとなったのである。
そのため、近接武器を使う葬魔士は徐々にその数を減らしていき、刀を担いで戦場を闊歩する昔ながらの葬魔士は姿を消していった。この偽装拠点にある刀剣類の質が悪いのはそういった事情があったのだ。
机の上の武器は隼人によって既に選別がされており、戦闘に耐えうる良質なものとそうでないものに分けて置かれていた。
隼人は机の上の武器から目を離し、現在身に付けている装備を手早く確認する。短剣とナイフは投擲や破損によってすべて失われ、腰に帯びた一振りの刀しか残ってなかった。
鞘から抜いて刀身を見ると先端の刃こぼれが酷く、歪みが生じていた。瘴気に構成された魔獣を斬ることは、刀身に相当な負荷がかかる。おそらく目釘も折れかけていることだろう。
この三日間、戦闘続きの隼人は所属する支部に戻るどころか、最寄りの拠点にすら行くことができず、武器の補充ができなかったため、同じ刀を使い続けた。それに加え、刀身に過大な負荷がかかる剣技を何度も放った。簡単な手入れをする暇もなかったことから、なおのこと劣化が早く進んだのだろう。いかに名刀であったとしても、その機能を保つことは不可能であり、もう使い物にならないことは明らかだった。
腰の刀を抜いてそっと壁に立てかけた隼人は、机の上の刀を手に取って鞘から抜き放つ。
七二式対魔刀の名を与えられたその長刀は、対魔の名が示すとおり、魔に対抗するための刀である。魔を退けるとされる退魔刀があくまで儀礼用として用いられるのに対し、対魔刀は魔獣との戦闘を前提とした実戦刀だ。一九七二年に葬魔機関で制式に採用されたその刀は、高度経済成長期の末期に打たれた一振りであった。
戦前及び戦中から使用されていた旧式対魔刀からの更新を目的とした大量生産が行われたが、コストの抑制や生産性が重視された結果、強度が犠牲となり、現場の葬魔士からはすこぶる不評を集めた。後に改良型のモデルが作成され、装備の更新が順次進められたが、ロッカーにあったものは残念ながら悪名高い改良前のモデルであった。
刃を見ると、研ぎにムラがなく刀身にも歪みはない。幸いなことに刃の状態は良好だった。難点を上げるとすれば、鞘から抜刀するときにわずかながら抵抗があることだろうか。隼人は抜刀術を多用しないため、その程度であれば問題ないと目を瞑った。
問題は押し寄せる魔獣の群れに対処できるかということだ。この刀一振りでは、刃が保たないことは明白だ。
刀を鞘に納めると、隣に置かれている二振りの特殊な形状の刃を備えた剣を見る。葬魔士に穿刃剣と呼ばれているその剣は、一般にはジャマダハルと呼ばれており、殴るように突くことができる刺突に特化した剣である。
葬魔の世界では、肉厚で幅広くより頑丈になっており、その頑強さを活かした打撃による攻撃法が主流となっていた。
無論、オリジナルのジャマダハル同様刺突は可能ではあるが、重量が増したことで使用者を選ぶ仕様となってしまった。保存状態の良い穿刃剣がロッカーの中で眠っていたのは、おそらく誰も使う者がいなかったからだろう。
「曰くつきか……俺と同じだな」
独り言を呟いて両腰に穿刃剣を鞘ごとベルトに吊り下げて装備し、位置を微調整する。この剣は葬魔士と敵対するある者たちが好んで使っていたのだ。そのため葬魔機関でも、忌み嫌われた武器とされているために制式採用に至ったことはなく、試験的に作製されたものか鹵獲品、あるいは私物しか存在しない。
隼人にとって出自は気になることではなかった。とにかく頑丈というだけで信頼できる武器である。いまだに姿の見えないあの獣鬼と渡り合うには、この上なく心強い存在と言えるだろう。
腰に穿刃剣を装備し終えた隼人は、全身の至る所に巻き付けられたベルトに目を配る。そのベルトには、刃物を格納するナイフシースが取り付けられており、戦闘機のハードポイントを彷彿とさせた。腕や足に付けられたナイフシースが空になっているのを確認すると、短剣を左右の腿に巻かれたベルトに一本ずつ差し込む。
腰のベルトには臀部の側に大型ナイフを二本装備し、さらに左右の手首には手甲の内側に投擲用の小さな短剣を仕込むと、最後に、刀を納めた鞘の紐を肩に掛け、背中の傷が隠れるように背負った。
こうして隼人は、大小合わせて計四本の短剣と二本の大型ナイフに二振りの穿刃剣、そして一振りの対魔刀の合計九つの刃を身に付けた。これが魔獣のような鋭利な爪牙を持たない彼にとっての爪牙であった。
装備を整えた隼人は、小さく息を吐き出してどこか名残惜しい様子で壁に立てかけた刀を見つめた。
血のような紅色の鞘に包まれたその刀は幼少の頃、養子となった家で初めてもらったプレゼントだった。
幼い隼人には腰に下げるには大き過ぎたため、背負うようにしていたが、いつからか背負うには小振りになったため、腰に帯刀するようになった。
幾多の戦場を共にし、数多の敵を斬り、共に役目を果たしてきた。しかし、敵を切り裂くことができない刀に最早価値はない。
何度も研ぎ直したその刃は痩せ細り、もう研ぎ直すことは不可能だった。どれだけ愛着があったとしても武器として満足に戦えないなら、取り替える他ないのだ。
刀は所詮、消耗品だ。そしてこの刀は、自分自身だと隼人は思った。
葬魔士として戦えない自分に価値はない。葬魔士として生きることを定められ、そのために修練を積み、戦い続けてきた。
使えない刀は新しい刀に取って代わるのと同じように、戦えない戦士は不要である。残された道は戦士として、せめて戦いの中でその命を散らすこと。
武器庫の中で眠っていた用を成さない武器のように朽ちていくのをただ待つなどということは、刃としての矜持が許すはずがない。今ここで、あの少女のため命を散らすことになんの躊躇いがあろうか。
隼人はかつて目の前にいながら救うことができなかったある女性を思い出す。
本当の母を知らぬ隼人にとって彼女はもう一人の母であり、姉でもあり、最も親しい女性だった。
幼い頃、子供心に守ると誓った最愛の人。しかし、その誓いを果たすことはできなかった。
守り抜くと隼人は美鶴に誓った。その誓いを違えるつもりはない。
隼人は彼女を助けられなかったことをずっと悔やみながら生きてきた。あの時、死ぬべきだったのは自分の方だったと何度も歯噛みした。
隼人はその後悔に苛まれ、死に場所を求めて彷徨い続けてきた。
後悔を抱いたまま生きていくというのなら、いっそ悔いの無い死を選ぶ。いつからかそれが隼人の願いとなった。
束の間、感傷に浸っていた隼人は突然、右腕を焼き焦がすような激痛に襲われ、椅子から転げ落ちる。
「ぐぁっ! ううっ……!」
奥歯が砕けるのではないかというくらい強く食いしばって苦痛を耐える。意識が遠のくような痛みの激流が腕から脳に突き刺さる。まるで胎児のように丸まって腕を抱え込み、ただ痛みが治まるのを待つ。
「はぁっ、はぁ……」
痛みが引いてきた隼人は、立ち上がりながら事務所の壁に背を預ける。右腕に目をやると、手甲から滲み出た痣が先ほどよりも広がっていた。
「いよいよか……」
命の終わりが近づいていることを誰かに告げられている気がした。望むところだ、と隼人は皮肉気味に笑みを浮かべる。
事務所の外に響く魔獣の遠吠えで現実に引き戻される。隼人にとって今度こそ己が命をかけ、誓いを果たす時が来た。
「今度こそ、俺は……」
咎の証である右腕に触れ、決意を込めるように拳を硬く握ると、揺れる瞳を閉じて小さく息を吐き出した。
再び瞼を開けた隼人の目には、もう揺らぎはなかった。
背中を預けていた壁から離れ、入口へと歩いていく。
ドアに手をかけた隼人は思い出したように立ち止まると顔だけ振り向き、壁に立てかけた刀を視界に収める。
「行ってきます」
虚空に呟いた隼人の言葉に答える者はいない。ただ、壁に立てかけられた刀がその背を静かに見守っていた。




