EP14 魔群迎撃
偽装拠点を覆う結界は、何の前触れもなく唐突に破られた。
結界の破片が細かく砕け、割れたガラスのようにアスファルト舗装の路面に降り注ぎ、結界発生装置による制御から離れた半透明の欠片は、次第に端から淡い光となって消えていく。
正面ゲートは横倒しとなり、門柱はなぎ倒され、フェンス基部に設置された柱状の結界発生装置は折れ曲がっており、時折火花を散らしていた。
隼人たちが乗っていたハンヴィーは交通事故にでもあったかのように激しく損壊し、横転していた。ボンネットがまるで踏みつけられたアルミ缶のように平たく潰れており、車体を立て直しても走行することは不可能だろうと素人目でも容易に推察できた。
その横倒しになったハンヴィーの近くで、圭介は敷地内に入り込んだ複数の餓鬼と交戦中だった。
彼はゲートを乗り越えて駆け込んでくる餓鬼を次々にGM6リンクス対物ライフルで的確に頭部や胸部を撃ち抜く。
対物ライフルでありながら、銃身を完全に後退させて固定すると約九〇センチの長さで持ち運べるこの銃は携行性、取り回しに優れており、奇襲を受けてもすぐさま対応できる即応性も兼ね揃えた逸品である。
事実、ハンヴィーを動かそうと乗り込んだ圭介はたった今魔獣の襲撃を受けた際、このライフルを抱えて遮二無二車から飛び出して難を逃れたが、他の対物ライフルではその長さゆえに持ち出すことは困難であっただろう。
車外に飛び出した圭介は体勢を立て直すや否や、バレルリリースボタンを叩いて銃身を展開し、すぐさま襲撃者に反撃を加え、奇襲を凌いだ。
拳銃弾を遥かに凌駕する破格の威力を誇る一二・七ミリ弾の直撃を受けた餓鬼は、被弾部に大穴を開け、あるいは爆発したように吹き飛ばされる。
弾丸を吐き出すと同時に後退する銃身は射撃の反動を抑制し、大口径の対物ライフルとは思えない驚異的な発射速度によって餓鬼を次々に物言わぬ骸へと変えていく。しかし、装弾数がたったの五発しかない弾倉はすぐに弾切れになった。
無論、弾倉を交換して魔獣の群れに応戦していたが、一人で凌ぐのには限界がある。ちょうど弾を撃ち尽くしたタイミングで、一体の餓鬼が圭介に襲い掛かる。
弾倉交換が間に合わない、と判断した圭介はすぐさまライフルを手放し、右腿のホルスターに収められた拳銃――ベレッタM9A3を引き抜きながらセーフティを跳ね上げ、素早くスライドを引き、初弾が薬室に装填されていることを確認し、眼前に迫る餓鬼の胸部を狙って続けざまに弾丸を撃ちこむ。
弾丸はすべて狙い通り餓鬼の胸部に叩き込まれたが、驚くべきことに餓鬼はその足を止めず、胸部の銃創から血を零しながら突き進んでくる。
「やっぱりダメか……」
圭介は拳銃を撃ちながら歯噛みする。この拳銃から射出される九ミリ弾は人体には有効であるが、餓鬼にとっては威力不足である。
出血こそ派手に見えるが、表皮近くの血管を傷つけただけでおそらく銃弾は臓器に達していないだろう。
魔獣を打ち倒すには、頭部や胸部を吹き飛ばすほどの威力が必要であり、それはこの餓鬼も例外ではない。
葬魔士にとって拳銃とは、魔獣を撃つための道具ではない。自決あるいは介錯のために最後の安らぎを与える道具に過ぎないのである。
それでもなお、圭介は必死の抵抗を試みたが、やはり餓鬼を食い止めることはできなかった。
拳銃を構え、未だ抵抗を続けようと鋭い眼光で睨む圭介に、まるで嘲笑を浮かべたように大きく口を開いた餓鬼が跳びかかる。
あわや餓鬼の牙が圭介の首に突き刺さるその直前――
「はぁあああっ!」
気合を込めた叫びと共に隼人が真横から割り込み、餓鬼に一閃を叩き込んだ。餓鬼は肩から胴にかけて斜めに切断され、血肉を撒き散らして地面に転がった。
隼人と圭介は体勢を立て直し、油断なく周囲を見渡して次の襲撃に備えるが、餓鬼の出現がぱたりと途絶える。
どうやら隼人が加勢したことで攻撃の手を一度止めて、様子を窺っているらしい。
瞬時に攻撃の手を止めて状況を見極めようとする冷静な判断力と高い統率力を持った頭による指揮で動く群れであると直感で見抜いた隼人は、一筋縄ではいかない相手だと警戒心を高めた。
「大丈夫か」
「美鶴ちゃんの護衛を頼んだのに……でも、助かったよ。ありがとう」
ベレッタをホルスターに戻してから、ライフルを拾い上げた圭介が礼を言った。周囲を見渡して安全だと判断した隼人は、構えを解いて圭介に向き直る。
「支部への連絡は?」
「済んだよ。増援は……未定だって」
「そうか」
「まぁ、警報が鳴ったから、ここに魔獣が来たことは支部に伝わっただろうし、案外早く来てくれるかもしれないよ」
「……」
増援が予定通り来ることの方が少ないため、隼人は最初から期待していなかった。
しかし、到着の時間が未定となると、本当に自分達だけで魔獣の群れを対処することになることを前提にしなければならないだろう。
駐車場に転がる餓鬼の骸を目に留めた隼人は、圭介に尋ねる。
「こいつらが、結界を破ったのか?」
「いいや。結界を破ったのは、獣鬼さ」
「獣鬼が出たのか……!」
表情を硬くした隼人が緊張を帯びた声で圭介に尋ねると、彼は拾ったライフルを点検しながら淡々と襲撃の様子を語った。
「うん。巨大な熊のような見た目だった。結界とハンヴィーを壊したら、あっという間に瘴気の中に姿を隠した」
「餓鬼の群れに襲われてもびくともしないこの結界を、ただの爪の一振りで破るなんて普通じゃ考えられない。しかも僕らの足だったハンヴィーに真っ先に狙いをつけて破壊するなんて……」
「……力も知恵もある、か。厄介な奴だ」
言い淀んだ圭介の言葉を隼人が代弁し、圭介が頷くように視線を下げる。
「目的が済んだらすぐに自分は撤退して、手下に襲撃させるなんて魔獣とは思えない判断力だよ。臆病なのか慎重なのか分からないけど、中々厄介な個体だ……」
点検を終えた圭介は考え込むように顎に指を這わせ、また沈黙した。
「支部から指示はあったのか?」
「支部からの指示は二つ。念信能力者と思わしき少女の保護と魔獣の群れを率いる獣鬼の討伐。討伐が不可能な場合は、少女の保護を優先するように、だってさ」
簡単に言うよね、と圭介は吐き捨てるように嘆息を漏らす。
「念信能力者は貴重だからな……それで、これからどうする?」
「ここで迎え撃とう。支部からの情報だと、群れはこの拠点目指して集まっているらしい」
「図らずとも、当初の予定通りになったのか」
「そうだね、でも敵の狙いは君じゃない」
「……冬木、か」
険しい表情で呟いた隼人に、圭介がゆっくりと頷いて返した。
「どうやらあいつらは、美鶴ちゃんを追って来てるみたいだ」
美鶴の念信は魔獣をそこまで惹きつける力があるのか、と隼人は改めて驚愕する。
「っ……!」
すっと肌を撫でる強い寒気を感じて、ゲートが横倒しになっている偽装拠点の入口に目をやると、前面道路から、倉庫の敷地へ濃い瘴気が流れ込んできていた。
前面道路を照らしていた防犯灯の眩しい光がその闇に飲み込まれ、消えていく。
それはまるで天まで届く漆黒の壁が迫ってくるようだった。夜の闇に溶け込む濃密な瘴気は、天然の煙幕となり、近づいてくる魔獣の姿を包み隠す。
この瘴気に身を隠し、死角から獲物を奇襲する戦法は彼らの十八番であり、暗闇からの急襲は熟練の葬魔士すら手を焼く。
敷地内に流れ込んだ瘴気は、隼人と圭介の二人を囲むようにゆっくりと渦を巻いていた。空から見るとまるで黒い台風の目の中に二人がいるように見えたことだろう。
隼人がちらりと事務所の方に視線を投げると、まだうっすらと入口の明かりが見える。光が飲み込まれていないことから、事務所の周囲には達していないことが分かった。
どうやら魔獣の群れは美鶴がこの近くにいることは分かっていても、正確な位置はまだ把握していないようだ。
「囲まれたな」
「迎撃の準備は間に合わなかったか……仕方ない、このまま戦うよ!」
大型車が出入りするよう広く開けたこの駐車場には、遮蔽物となるものはほとんどない。倉庫の高い窓や事務所の屋上から狙撃するにはうってつけの場所だろう。しかし、圭介にはそこまで行く時間的余裕はなかった。
狙撃を早々に諦めた圭介は、ライフルをハンヴィーの影に置くと、襲撃の際に車外に放り出されたモスバーグ930SPXショットガンを拾い上げ、手早く動作確認をし、異常がないことを確かめた。
装弾数は七発と標準的であるが、セミオートマチックで作動するこのショットガンは乱戦にはもってこいである。
使用する弾種はやはり乱戦を考慮し、味方に流れ弾が当たらないように細かく散らばる散弾ではなく一粒の大きな塊を発射する強力なスラッグ弾が装填されていた。
レシーバー後方上部のセーフティを押し込み、発射可能を示す赤い点が現れる。
「背中は任せたよ」
そう言いながら圭介は、腰よりやや高く巻いてある弾薬が入ったポーチの取り付けられたベルトに目を配ると、まだその姿を現さない標的を狙ってショットガンを構える。
「ああ」
隼人は太刀を持ち直し、あらゆる方向からの攻撃に対処できるように中段に構え、二人は互いの死角を庇うように背中合わせに立ち、周囲に油断なく注意を向ける。
「来る……!」
迫る気配を察知した隼人がそう言うや否や、瘴気の霧を突き破って無数の餓鬼が姿を現した。




