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斬魔の剣士  作者: 織部改
第四章 百鬼夜行
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EP01 発端:前編

 尾仁崎村。かつて鬼裂き村と呼ばれたその村は、鬼の字は縁起が悪い、という時の村長の一存で名を改められた。


 鬼を裂く。つまり邪を払う、というむしろ縁起物としての側面がその名にはあったが、それが判明するのは、名前が変わって三〇年も経った後、ある学者が偶然、村についての資料を発見したためだった。


 その頃には、村の名に執着する郷土愛のある住民も残っておらず、いつしか彼らは、当然のように新たな名を受け入れていた。


 そして現在。一人の男が尾仁崎村で自転車を漕いでいた。警官の制服に身を包んだ痩身の彼は、近くの交番に勤務する駐在だった。


 筑田山の麓にある、自然豊かで昭和情緒が色濃く残るこの村にやって来て早二年。すっかり馴染みになった彼は、住民から駐在さんと呼ばれ、親しまれていた。


「はぁ……今日も暑くなりそうだ。まだ六月も終わってないっていうのに……」


 舗装がされていない砂利だらけの急な坂を登りながら、彼はそんなことを愚痴る。


 その日は、六月にしては暑い日だった。今朝の予報では午前九時前に三〇度を超えることが予想され、午後は天気が急変するとのことだった。昨日も暑かったが、今日はもっと暑くなるのか。そう考えた彼は、げんなりした様子で首を振った。


「ふぅ、ふぅ……はー、疲れた」


 ペダルを漕ぐ足に力を入れ、どうにか坂を登りきった。定年を間近に控えた彼にとって、この急勾配は身に堪える。


「お、今日も頑張るなぁ」


 彼の視線の先には、野良着姿の老婆が二人いた。畑の草刈りが一段落したのだろう。二人は畑の近くにある既に廃線となった路線バスの停留所を休憩所代わりにし、傍に置かれたシルバーカーに入れて持ってきたと思われるペットボトルのお茶や茶菓子で一休みしていた。


「おはようございます」


 大きな声で、はっきりとした口調で挨拶をする。この村の住民は高齢者ばかりで、皆、耳が遠い。遠くから話しかけるとなると、自分でもうるさいくらいの声量でなければ、気付いてもらえない。


「あら、駐在さん。おはよう」


「今日も暑いねぇ」


 駐在が来たことに気付いた老婆たちは、にこやかに挨拶を返した。


「暑いですね。いやー、この暑さじゃ草取りも大変だ」


 小高く積もれた雑草の山を目にした駐在は、そんな感想を口にした。


「ええ、本当に。駐在さんは毎日暇そうでいいわね」


 すると、片方の老婆にどこか嫌味な口調でそう言われてしまい、駐在は困惑した。決して気分を害するつもりではなかったのだが、どうやら能天気に受け取られてしまったらしい。


「あはは……これでもパトロール中なんですがね」


「そうそう。これもお仕事なのよね」


 困った様子の駐在を見たもう片方の老婆は、彼に助け舟を出した。


「警官は忙しくない方がいいんですよ。警官が忙しいときなんて、なにか良からぬことがあったということですから」


「あら、口がお上手だこと」


「皆さんに鍛えられましたので」


 照れたような笑みを浮かべながら、駐在はそう返した。


「でも、この村が平和なのは、駐在さんのおかげよね。最近、テレビでよくやってるじゃない。あの……なんだったかしら。押し込み強盗じゃなくて……」


「闇バイトですか?」


「そうそう、それ。闇バイト。ああいうのも来ないし」


「坂居さんもいつも言ってるわね。駐在さんのおかげだって」


「いやぁ……そんな仕事ですから……あれ?」


 そこでふと、駐在はいつもいるはずの老婆の一人がいないことに気付いた。普段は仲良し三人組で休憩しているのだ。


「そういえば、今日は坂居さんいないんですね」


「それがね……全然、姿が見えないのよ。今朝は犬の散歩もしてないみたいなの」


「電話も出ないのよね。今度の婦人会の都合を聞こうとしたんだけど」


「え? そうなんですか」


 嫌な予感がした。坂居さんは八〇歳を超えている。何があってもおかしくない。


「旦那さんが亡くなってから一人でしょ。息子さん夫婦は東京だし……駐在さん、様子を見てきてもらえる?」


 坂居さんは、育てた旬の野菜やその野菜で作った漬物を村の人々に配って回る親切な女性だった。一人暮らしなのに作りすぎた、と愛犬の散歩がてら交番にもよく届けてくれた。そうして交番で休憩しながら、駐在や交番に来た村人と世間話をし、また他の家を訪ねていくのだ。


 思えば、この村に来た当初は余所者扱いだった駐在が、村に馴染むことができたのは、住民と橋渡しをしてくれた彼女のおかげだった。


「……」


 腹は決まった。元々、坂居邸は巡回する予定だったが、最優先に回るよう、駐在は順路を変更した。


「分かりました。ちょっと見てきます」


「さすがあたしらの駐在さんだ」


「これあげるから、頑張ってちょうだい」


 老婆はそう言うと、シルバーカーの収納スペースから栄養ドリンクを取り出して、駐在に差し出した。


「ありがとうございます」


 ひんやりと冷たい栄養ドリンクを受け取った駐在は、彼女たちに笑顔で答え、坂居邸へ向けて自転車を漕ぎ出した。


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