EP09 彼女と彼についてⅢ
「冬木」
部屋を出ていった隼人を目で追った美鶴に、陽子の冷ややかな呼び声が突き刺さった。
「あいつは放っておけ」
ぶっきらぼうにそう言った陽子は、飲みかけのコーヒーカップを手にした。
「いいのですか? 長峰さんのあの反応、普通じゃありませんでしたけど……」
「二度は言わん」
陽子の物言いに不快感を抱きながらも、美鶴は胸の内に浮かんだ疑問を言葉にしようとした。
「支部長……さっきの紅羽さんという方は、長峰さんとどんな関係だったんですか?」
「ん? 紅羽か。長峰にとって二人目の剣の師だ。叔父であり、家を追い出されたあいつを引き取った養父であり、飛燕という同じ師を持つ兄弟子でもある」
カップの底にわずかに残ったコーヒーを一気に飲み干した彼女は、ふうと息を吐き出した。
「優秀な葬魔士だった。生きていれば、今でも前線で活躍していただろう」
「それは、つまり……」
「故人だ」
美鶴が口にすることを躊躇った言葉を、陽子は臆することなく言い放った。
「……!」
「冬木。お前は、紅羽ノ拵、という対魔刀を知っているか」
「確か長峰さんの対魔刀……ですよね。偽装拠点での戦いで失ったと聞きました。この間、久納さんから受け取ったのは、その改良型だと――えっ、もしかして……!」
「ああ、その紅羽だ。長峰の愛刀は、師である紅羽の姓を冠していてな……失われた一振りは、奴から贈られたものだった」
はっとした美鶴に、陽子は淡々と返した。
「紅羽は葬魔士として戦いながら、長峰に剣を教えていた。だが、七年前、紅羽の妻がある魔獣に襲われて以降、姿を消していた」
「寄生種……長峰さんの右腕を侵した魔獣ですか」
「そうだ」
呟くように尋ねた美鶴の声を耳にして、陽子は小さく頷いた。
「そして紅羽が最後に目撃されたのは、三年前、大結界襲撃事件の時だった。どうやら奴は、襲撃者を食い止めようとして殺された……らしい」
陽子の話に衝撃を受けた美鶴だったが、すぐに違和感を覚えた。彼女にしては珍しく曖昧な口調だったのだ。
「らしい……? 支部長がそんな曖昧な言い方をされるなんて珍しいですね」
「私は事件当時、別件の対応に追われていてな……詳細は後で知ったんだ」
美鶴に指摘された陽子は、どうにも決まり悪そうに返した。
「そうなんですか」
「ああ、事件の直前に複数の結界が次々に襲撃されてな。うちの管轄でも被害があって、私は復旧作業の指揮を執っていたんだ。だがあれは、本命の大結界から注意を逸らす狙いがあったんだろう。人員が割かれて手薄になったところを襲われたわけだ。今思えば、なんとも迂闊だった」
「なるほど……」
ふう、と息を吐いた陽子は、コーヒーカップを手に取って、空になっていたことを思い出した。
中が空っぽになったことを気付いた美鶴は、カップを受け取ると、サーバーから追加のコーヒーを注いで彼女に手渡した。そうしてカップの中で静かに湯気を立てるコーヒーを見ながら、陽子は再び口を開いた。
「師であり、育ての親である紅羽の最期を看取ることができたのは、不幸中の幸いと言うべきだろう。だが、それが悪い方向に作用した」
「え……」
「事件の後、長峰は変わった。元々、自罰的なところはあったがそれが悪化した。紅羽を救えなかったのは、自分のせいだ、と自らを責めた」
「せめて剣の師である紅羽が生きているうちに、斬魔の剣士の称号を得ることができたなら、長峰も胸を張って誇ることができただろう。だが、そうはならなかった。敵を倒しても、大切な者は救えなかった。それどころか大切な者の命と引き換えに得たようなものだ。あいつにとってあの称号は、負の象徴となってしまったわけだ」
「だから、あんな風に……」
斬魔の剣士、という単語を聞くたびに隼人が表情を曇らせる理由。それは何度も自分の罪を見せつけられる気分になるからだ。たとえ賞賛であっても、彼にとっては罵倒に等しく、耐え難い苦痛だったのだ。
「必要だったんだ」
壁に飾られた騎士姿の葬魔士が巨大な魔獣に対峙する絵画に目を向けた陽子が、ぽつりと呟いた。
「……?」
「過酷な闇の時代を生き抜くための光となる英雄が。不安や恐れを打ち払い、希望を与える偶像が」
そう言った陽子の目が、憐れみの色を帯びていたことに美鶴は気付いた。
「長峰の曾祖父は、その役を負わされた。葬魔士として生き続ける限り、望まない英雄の偶像を演じ続けることを強制された。長峰自身もそうだ。報われないな、という言葉には、あいつが味わった艱難辛苦が、多分に含まれているだろうな」
静かに響く陽子の声。それを聞いた美鶴は、胸が締めつけられる思いがした。
「私、長峰さんのことを全然知らないですね」
「いや、お前はそれでいい」
「え……」
「何も知らないお前が、ある意味ではあいつの救いになっている、と私は考えている」
「私が……ですか」
「葬魔では、あいつを、守護四聖の末裔や斬魔の剣士としか見ることができない者ばかりだ。私も含めて……な」
「それは……」
違う、と否定することは美鶴にはできなかった。陽子自身、隼人を苦しませていることに、苦悩しているのは容易に想像できる。何も知らない自分が、軽々しく否定できるはずなどない。
「だから、お前のようにありのままのあいつを見ることができる者が必要なんだ。家柄でもなく、功績でもなく、ただの長峰隼人を知るお前のような人間が」
「支部長……」
「……すまない。少し感傷的になった。あいつの女々しさがうつったか。冬木、コーヒーを」
「何杯目ですか。もう……」
半分困ったような半分呆れたような顔で、美鶴は陽子を見た。
「いいだろ。今日はそういう日なんだ。お前も付き合え」
「……はい」
陽子にコーヒーのおかわりを渡した美鶴は、来客用のカップを手に取り、自分の分をサーバーから注ぎ入れた。
「それを飲み終わる頃には、長峰も落ち着いているだろう」
陽子の言葉が何を意味するか、美鶴は理解していた。支部長室には、しばらくコーヒーを啜る音だけが響いていた。




