EP05 武道場にて
歓迎会の翌日、隼人は浅江と武道場で鍛錬をしていた。
「ふぅ……そろそろ休憩にしよう」
「そうだな」
鍛錬に夢中になり、すっかり汗だくになっていた二人は、汗を拭って水分補給をすると、壁に背を預けてゆったりとくつろぐ。
「隼人……今日のお主、なんだかいい目をしているな」
突然、そんなことを浅江に言われた隼人は、面食らった顔をした。
「そうか……?」
「何があった?」
タオルを頬に当てながら、じっと顔を見つめてくる浅江の視線から逃げるように、隼人は前方に広がる板張りの床を見た。
「虎西さんと話した」
「なんと……いつ以来だ」
「もう二年以上、話してなかった」
「そんなに……か。それで、どうだった」
隼人の反応を気にしながら、浅江はおずおずと尋ねた。
「どうって……?」
「何を話したのだ」
「それは……いくらお前でも言えない。でも……」
「でも?」
言い淀んだ隼人の言葉の続きを、浅江は促した。
「話してよかった、と思う」
「そうか……」
彼の答えを聞いた浅江は、穏やかに微笑んだ。
「迷いの枷が外れたか……道理で晴れやかな顔をしているわけだ」
隼人にも聞こえない小声で浅江は呟いた。
「え……?」
「いや、なんでもない。さ、鍛錬を再開しようではないか。今日はとことん付き合うぞ」
立ち上がってどこか誇らしげに腰に手を当てた浅江は、笑顔でそう言った。
「ああ、頼む」
浅江に続いて隼人が立ち上がると、武道場の扉が音を立てて開いた。せっかくのひと時に水を差された浅江は、途端に眉をひそめた。
「む……」
「誰だ?」
程なくして入口から顔を覗かせたのは、第一小隊の松樹翔だった。
「うっす。邪魔するぜ」
「なんだ。松樹ではないか」
翔を目にした浅江は、拍子抜けした声を出した。
「おう、浅江っちも一緒か」
浅江っち、と呼ばれた彼女は、不愉快そうに眉をひそめた。
「お主な……その呼び方はやめよ」
「え……浅江っちいいじゃん。なぁ、隼人。浅江っちいいよな?」
「俺に振るな」
翔に尋ねられた隼人は、気まずそうに顔を背けた。迂闊に触れると危険だ、と彼の本能が告げていたのだ。
その判断は正しかった。浅江は不気味な笑みを浮かべながら、壁に掛けられている対魔刀に手を伸ばしていた。
「ふふふ……お主、余程首を刎ねられたいようだな」
対魔刀を鞘からわずかに抜いてぎらりと刃を光らせた浅江を見て、翔は頬を引き攣らせた。
「オーケー。降参だ。もう言わねぇって」
「その言葉、前にも聞いたぞ……まったく」
呆れ顔で深い溜め息を吐き出した浅江は、対魔刀を鞘に納めた。
「それにしても珍しいな。松樹が休日に武道場に顔を出すなんて」
「ああ、それがさ……こいつが隼人に用があるって言うんだ」
「用……? 誰が?」
来いよ、と翔が外に向かって手招きをすると、トレーニングウェア姿の少女が彼の背後から現れた。
「し、失礼します!」
緊張した声が武道場に響いた。外見から察するに、歳は一〇代半ば。志穂とそう変わらないだろう。燃えるように赤いセミロングの髪とルビーを思わせる同じく赤い瞳をした活発そうな雰囲気の少女だった。
「ふむ。知り合いか?」
「いや……悪いが、俺は知らないな」
「ですよね……やっぱり私のことなんて覚えてませんよね……」
浅江の問いに隼人が首を横に振ると、少女はがっくりと肩を落とした。
「お前、本当に覚えてねぇのか? 俺の後輩に手を出しておいてよ」
「なっ……そんなことするわけないだろ! 人聞きの悪いことを言うな!」
全く心当たりのない翔の言葉に動揺した隼人は、叫び声を上げて否定した。
「斬るべき首は二つあったか……ふふふ」
「落ち着け、こいつの出まかせだ!」
「おい、冗談だ冗談! 本気にすんな!」
再び抜刀しようと刀を構えた浅江を見て、翔と隼人は慌てて降参のポーズをした。
「あう……」
すっかり置いてけぼりを食った少女は、居心地が悪そうに縮こまっていた。そんな少女の様子に気付いた隼人は、申し訳なさそうに後頭部を掻いた。
「悪いな。こんな調子で」
「いえ……」
「……む」
もう一度、少女の顔をよく見た隼人は、ふと見覚えがあったことを思い出した。
「もしかして……この間、松樹と模擬戦やった時にいなかったか?」
隼人の声を聞いた少女の顔が、花開くようにぱっと明るくなった。
「そうです! 覚えていたんですね。やったー!」
喜びを抑えきれない彼女は、その場で何度も飛び跳ねた。
「あっ……すみません。自己紹介が遅れました。私、春町姫花と申します!」
そう名乗った少女――姫花は、ぺこりとお辞儀をした。
「春町……確か戦後の混乱期に名を揚げた家系だったか」
浅江のいう戦後の混乱期とは、第二次世界大戦終結後のことである。
戦時中、空襲によって日本各地にある瘴気の源泉を覆う結界が破壊された。とりわけ被害が大きかったのは、新型爆弾を投下された広島と長崎であり、結界が基部から完全に消失し、瘴気が大量に溢れ出した。
その瘴気には、当然のように魔獣の群れが潜んでいた。群れは人の集まる市街に押し寄せ、無辜の民が襲われたが、武装解除を命じられていた日本軍は自国の民を守ることすら許されず、進駐軍は緊張状態にあった周辺国を刺激することを避けるため、身動きが取れずにいた。
そこで魔獣の迎撃を任されたのは、対魔獣戦闘の専門家――葬魔士だった。
本土防衛の要という名目で戦力を温存されていた彼らは、こうして魔獣と戦う本分を果たす機会を与えられた。戦後こそが葬魔士にとっての戦争の幕開けとなったのだ。
だがそれは、あまりにも過酷な条件下での戦闘だった。放射能と瘴気の毒による二重苦が、彼らの肉体を蝕んだのだ。
さらには武装も制限され、葬魔士たちは進駐軍から許可された最低限の武装――対魔刀を用いて戦い、夥しい犠牲を払いながらも魔獣を掃討し、再び結界の構築に漕ぎ着けた。
そんな文字通り血を吐くような苛烈な戦いは、数多くの武勇伝を残し、同時に数多くの英雄を生んだ。春町家も例に漏れず未来への礎となった英雄を輩出した家系だった。
「ご存知だったとは光栄です。御堂先輩!」
「ふむ、私のことを知っているのか」
「はい! 御堂先輩は、抜刀術において並ぶ者のいない剣の達人と聞いております。同じ支部に配属されて嬉しいです!」
姫花の興奮した声を聞いた浅江は、琥珀のようなその瞳を輝かせた。
「隼人、春町はいい子だな!」
「御堂……お前、ちょろいな」
大袈裟に喜ぶ浅江を見て、隼人は呆れ顔を作った。
「それで……俺に用ってなんだ」
表情を引き締めた隼人は、改まった様子で姫花に尋ねた。
「えっと……」
言いづらそうにもじもじとしていた姫花だったが、何かを決意したように胸の前で手をぐっと握りしめた。
「わ、私に剣を教えてください!」
「なんだって……?」
予想だにしなかった言葉を耳にして、隼人は困惑した。




