EP48 双つの剣閃
自身の周囲にいる隊員の注意が翔に引き付けられたことを感じ取った隼人は、大声で叫んだ。
「松樹、気を付けろ! こいつらは猟魔部隊だ!」
「へぇ……こいつらが本部の精鋭か。道理で見たことない機甲具足だと思ったぜ。じゃあ、こいつらをぶっ潰せば、俺が最強ってわけだ!」
「少しは緊張感ってものを――ごほっごほ……」
呆れた口調で翔を注意した隼人は、その途中で再びむせ返る。
「松樹翔……確か第三支部第一小隊の」
隊員の一人が思い出したようにぽつりと言った。
「おっ、あんた俺のこと知ってるのか? いやー参ったね。俺の名声も本部にまで知れ渡って――」
「ああ、問題児だと聞いている」
嬉しそうに語っている翔の話を、隊員の冷たい声が途中で遮った。
「はぁ? 問題児!? たまにしか起こしてねーぞ!」
「自覚はあるんですね……」
翔の怒鳴り声を聞いて、伏魔士の手錠を外している美鶴は、やや困った様子で呟いた。
「貴様が手を出したのは、我ら猟魔部隊の副隊長だ。分かっているのか?」
「あ? 何言ってんだ? 俺、手は出してねーぞ。蹴ったとこ見てただろ」
あ、でも鍵は掠め取ったな、と翔は兜の下でこぼした。
「舐められたものだ。たかが下っ端の分際で……」
「御託はいいから、来いよ雑兵。俺を倒せなきゃあんたが言う下っ端以下だぜ」
猟魔部隊の隊員たちの敵意が翔一人に集中する。
「いいだろう。我らを貶めた愚……その命を以て償え」
怒気の滲む声でそう言った隊員が、翔に向かって疾走する。対魔刀を肩に担いで突進し、一気に剣の間合いに踏み込んで高速の斬撃を放つ突進剣術――斬魔一閃だ。
機甲具足で強化された脚力は、瞬間移動を思わせる超高速の疾走を可能にする。その速度は隼人には及ばないが、それでも常人では目視不可能な速度である。
無論、彼我の距離が一〇メートル程度では、さしたる障害にはならない。瞬きの間に距離を詰め、翔が反応する前に剣を振り下ろす。
「は……?」
だが、腕を振り下ろそうとした直前、隊員の目に飛び込んできたのは、翔の膝だった。
高速で敵に接近するということは、同時に反撃の危険が伴う。その可能性を考慮することができなければ、手痛いしっぺ返しを受けることになる。敵を格下と侮り、迂闊に正面から近づいた彼を待っていたのは、当然の結果だった。
突進の軌道を読んで放たれた鋭い飛び膝蹴りが、高速で接近した隊員の顔面に突き刺さった。頭部を保護する兜が潰れ、隙間から血が噴き出した。
「俺の鍛錬の相手は斬魔の剣士なんだぜ? そんなとろい攻撃が通用するかよ!」
「がはっ……」
「効いただろ? 俺の仲間に手を出した罰だ」
昏倒した隊員に、着地した翔が見下ろしながら言い捨てた。
「馬鹿な。我らが遅れを取るとは……」
「左右から挟撃する。協力しろ」
「二対一か……上等だ!」
不敵に笑みを作った翔は、指をくいと曲げて挑発した。その直後、彼の挑発に応じるように、猟魔部隊の隊員が凶刃を構えて突進した。
「そらよ!」
隼人同様、翔も隊員の剣をまともに受けることはしない。攻撃を受けるふりをし、ぎりぎりまで彼らを引き付けて斬撃を躱す。そうしてすれ違いざまに装甲の薄い脇腹を斬った。
「な、に……!」
斬られた隊員が瞠目しつつ倒れた。彼とて気を抜いたわけではない。それほどまでに翔の技量が卓越していたのだ。
「はっ、どうだ! 近接格闘戦で俺が負けるかよ!」
「俺に負けただろ……」
「うるせぇ! 怪我人は黙って休んでろ!」
耳ざとく隼人の呟きを聞き取った翔は、戦闘中であることも忘れて怒鳴り声を上げた。
「松樹さん! 後ろです!」
「あ……?」
悲鳴じみた美鶴の叫び声を聞いて、翔が振り返ろうとする。だが、既に遅い。
「やべっ……」
対魔刀を振り上げた隊員が視界に入った翔は、額から冷や汗を垂らした。防御も回避も許さない残酷な剣閃が翔に迫る。
「ぎっ――」
無防備な背中に突き刺さる亜音速の一撃。しかし、その苦悶は翔のものではない。背中を撃ち抜かれた隊員のものだった。
構造上脆い装甲の継ぎ目を狙った正確な射撃でバッテリーを破壊され、人工筋肉の補助を失った隊員はバランスを崩して転倒した。
「はぁ……助かった。さすがは梅。いい腕してるぜ」
崩落した廃工場の天井から見える別棟の屋上。そこに狙撃手――梅里志穂はいた。翔たちを援護すべく絶好の位置から戦場を俯瞰していたのだ。
「そうか。さっきの狙撃も梅里か」
ちらりと別棟の屋上に視線を向け、納得した様子で隼人は頷いた。
「えっ、秋山さんじゃないんですか?」
「それ、梅が聞いたら喜ぶぜ。あいつ、秋山さんの弟子だから」
「そうだったんですか……」
志穂が葬魔士であることは知っていた。志穂が隼人たちと一緒に戦ったことも彼女自身から直接聞いていた。だが、こうして実際に戦闘に参加していることを知って、彼女は戦慄を覚えた。
「私の手……右手……」
右手を吹き飛ばされた智己は倒れたままの状態で、傷口を左手で押さえてぶつぶつと呟いていた。
「獲物を仕留めるまで気を抜いてはいけないよ金倉君」
聞こえてないか、と理仁は皮肉げな笑みを浮かべて小声で言った。
「しかし、これでは埒が明かないね。仕方ない。状況を進めるとしよう」
そう独言した理仁は、傍らの部下に視線を向けた。
「君たち、どうかね?」
「ラーニングコンプリート。問題ありません、マスター」
「グッド」
部下の返答を聞いて、理仁はふっと微笑んだ。
「こほん」
隼人や翔から離れた位置にいる理仁は、わざとらしく咳払いをした。
「盛り上がっているところすまないが、君のショーに付き合う時間はない」
「あ……? 誰だ、あんた?」
理仁と面識がない翔は、彼の顔を凝視した。
「それは後で長峰君にでも聞きたまえ。私は、ここに来た目的を果たさせてもらおう」
「目的……?」
「念信能力者のサンプル……伏魔士の回収だよ。一号機、二号機、今だ」
まるで会話の続けるような自然さで、前触れもなく命令を受けた部下が一斉に走り出す。
「猟魔部隊諸君、心神喪失の副隊長に代わり、私が指揮を執る。長峰隼人を足止めしたまえ」
「くっ――!」
残った隊員たちが体勢を立て直したばかりの隼人に殺到し、彼は応戦を余儀なくされた。
「松樹! ドクターの狙いは、お前の後ろにいる奴らだ!」
猟魔部隊に足止めされた隼人は、咄嗟に叫んだ。
「せっかく助けたんだからよ……」
美鶴が手錠の鍵を外した伏魔士たちにちらりと視線を向けた翔は、緊張した声で呟いた。
「させねぇよ!」
迫ってきた理仁の部下に自ら駆け寄り、迷うことなく対魔刀を振り下ろす。
突進剣術――斬魔一閃が炸裂する。しかしそれは部下の纏っていた鞍馬型機甲具足の腕部装甲に防がれた。
翔が手にしている対魔刀は、粗悪さで有名な旧式の七二式対魔刀である。いくら翔の腕力が強化されていても、頑丈な最新式機甲具足の装甲を裂くことは叶わなかった。
「ちっ、硬ぇ……でもよ!」
弾かれた勢いで後方に跳んだ翔は、背後にあった柱を足場にして、理仁の部下に飛び蹴りを放つ。
「梅、援護!」
翔の指示により放たれた志穂の狙撃が、もう一人の部下を襲った。しかし背面のバッテリーを狙った狙撃は、寸前で振り返った部下によって銃弾を弾かれ、失敗に終わった。
「ふむ、狙撃とは厄介だ。では、これでどうかね」
理仁は靴先で床を叩く。すると翔の眼前にいる彼の部下は、ゆらりと輪郭を崩して黒い風となった。蹴りは残像を貫き、翔は前のめりにつんのめりながら着地する。
「影身脚……! 隼人の――!?」
見覚えのある技を目にして、翔は瞠目した。
「ああ、長峰君の動きを学習させた」
「おいおい、そいつは真似しようとしてできることじゃねーぞ!?」
大したことではない、というように答えた理仁に、翔は怒鳴り散らす。
以前、翔は影身脚を習得しようとしたことがある。だが、彼には不可能だった。
残像を生む巧みな足捌きは、その原理を理解して動きを真似ても再現できなかった。隼人の影身脚には遠く及ばない猿真似に過ぎなかったのだ。
同じ動きをしても再現できなかった二人の違い。それを一言で表すなら、センス。翔にはそのセンスが欠けていた。
だからこそ理仁の部下が影身脚を簡単にやってのけたことを知った翔の感情は、驚きよりも怒りが勝った。
「二人の長峰君と戦う気分はどうかね?」
「最悪だ……!」
影身脚で翻弄された翔は、一気に窮地に追いやられた。隼人の動きを再現する葬魔士が二人。しかも最新式機甲具足の装着者である。技量に加え、腕力と速度も本人と遜色ないように思えた。
ただの葬魔士では、到底敵うはずがない。彼の剣筋を知っている翔だからこそ、二人の剣に対抗――いや、抵抗できているのだ。
「ほう、存外に粘るね。これは計算外だ。でもね……」
二重に繰り出される影身脚。左右から入れ違いに交差して迫る無数の残像に、翔の思考は乱され、判断が遅れた。
「しまっ――」
彼は絶対の危機を悟った。
いくら狙撃を得意とする志穂でも動き続ける相手では、正確に狙いを定めることは困難である。まして残像で攪乱されては的を絞れない。
「はぁぁぁぁ!」
迫る刃が翔の体を切り裂く直前、新たな黒い風が二人の間に割り込んだ。
「間に合った」
それは猟魔部隊を倒した隼人だった。
「遅ぇんだよ!」
なんとかもう一方の部下の攻撃を凌いだ翔が背中合わせに立つ隼人に叫んだ。
「ふむ。今の猟魔部隊では、足止めにすらならないか……」
無様に床に伏した猟魔部隊の隊員たちを見て、理仁は嘆息した。
彼らのバイタルサインは消えていない。戦闘不能にされただけだ。意識もすぐに取り戻す。
鎧に内蔵された優秀な生命維持装置によって、そして傷を修復するナノマシンによって彼らは無事、息を吹き返す。その性能は、鞍馬型機甲具足を設計した理仁自身がよく知っていた。
「冬木……」
人質にされた美鶴の身を案じた隼人は、彼女の方をちらりと見た。それに気付いた翔は、応戦しながら大声を出す。
「戦闘に集中しろ! 隼人! こいつら俺と互角だ!」
「……お前と?」
もう一人の理仁の部下と応戦していた隼人は、翔の言葉にある違和感に気付いて眉をひそめた。
「とにかくこいつら相手に長引かせるとまずい! どうも普通じゃねぇ!」
「……そうみたいだな」
理仁の部下と剣を打ち合う隼人は、得体の知れない違和感に襲われていた。
剣を交えれば、相手の心や意図が多少なりとも読める。だが、理仁の部下からそれを感じ取ることが一切できなかった。
「……まさか」
人ではない。その可能性に思い至った隼人は、兜の下に隠れた敵の顔を凝視した。
「手を貸せ、あれやるぞ!」
翔が言った“あれ”が何を示しているのか理解した隼人は、はっとした表情に変わった。
「あれか……! 分かった!」
横薙ぎから袈裟斬り、さらに返す刃で薙ぎ払う素早い三連撃を放ち、部下と距離を作った隼人は、所定の位置に陣取った。
そうして部下の一人を挟むように、隼人と翔が斬魔一閃の構えを取る。
「まずは一人……」
「いくぞ!」
「斬魔双閃――!」
重なる二つの声、交差する二条の剣閃。理仁の部下を襲った二度の超高速斬撃の軌跡は、真上から見ると十字を描いていた。
「ほう、これはデータになかった。新しい発見だね」
隼人と翔の連携剣技、斬魔双閃を受けて床を転がった部下を見て、理仁は興味深そうな声を出した。
「マジかよ。腕一本犠牲にして防ぎやがった……!」
翔の視線の先で、二人の攻撃を受けた部下がゆっくりと立ち上がった。彼の左腕は、肘から下でぶらりと垂れ下がっている。咄嗟に機甲具足の腕部装甲で斬撃を防いだが、衝撃を殺しきることはできなかったのだろう。
「……む」
翔とともに理仁の部下を注視していた隼人は、不意に寒気を感じた。どこからか漂ってくる獣の吐息のような生々しい空気。このおぞましい感覚はよく知っている。
「これは……瘴気か!?」




