EP47 邪蛇の微笑み
美鶴の長い黒髪を鷲掴みにし、対魔刀を首元に突き付けている智己を見た隼人は、苦い顔で歯噛みした。猟魔部隊との戦闘に集中していた彼は、美鶴や伏魔士のことまで気が回らなかったのだ。
「聞こえなかったのですか? 武器を捨てなさい」
武装解除を促す智己の指示に従わせようと、隼人を取り囲んだ隊員が彼に武器を向けた。
「長峰さん、ごめんなさい。私、伏魔士の皆さんを逃がそうとして――っ!」
彼女が話している途中で、智己は鷲掴みにした髪を乱暴に引っ張った。
「可憐な見た目にそぐわず勇敢ですねぇ……しかし、それは蛮勇というもの。そんな勝手なことをすればどうなるか……お分かりですよね」
光を反射して輝く対魔刀の切っ先を美鶴に見せつけた智己は、背後から彼女の顔を覗き込んで蛇のような邪悪な笑みを浮かべた。
「それにしても実に綺麗な肌をしている。真っ白なキャンバスのようだ。つい切り刻みたくなってしまう」
「うっ……」
顔を背けて精一杯の抵抗を示した美鶴の反応を楽しむように、智己は手にした対魔刀の刃先で彼女の顔の輪郭をなぞる。
「くっ……外道め」
拘束されている伏魔士の誠太は、美鶴が嬲られている様を横目で見ていることしかできなかった。迂闊に動けば、美鶴どころか仲間にも危険が及ぶ。念信を封じられた今、彼にできることは皆無だった。
「分かった。武器を捨てる。だから、そいつに手を出すな」
感情を殺した低い声でそう言った隼人は、手にしていた穿刃剣を無造作に放り投げた。
「よろしい。では、残りの対魔刀と短剣も捨ててもらいましょうか」
「……」
智己の言葉に従って、隼人が武器を放棄しようと腰の短剣に手を伸ばす。そうしてあと数ミリで短剣の柄に手が触れる直前、隼人の目を見た智己は声を上げた。
「おっと待ちなさい。私の部下にやらせます。あなたたち、彼の武器を取り上げなさい」
「はっ」
短剣を投擲し、智己の眉間を貫こうとしていた隼人の目論見は早々に挫かれた。智己は隼人の目に宿る濃密な殺意を見逃さなかったのだ。
「おら! おとなしくしろ!」
「っ……!」
命令を受けた隊員は、これまでの仕返しといわんばかりに隼人の頭部を対魔刀の柄で殴りつけ、床に転がした。
「危ない、危ない。あなたに武器を持たせたら、どうなるか忘れていましたよ」
隊員に取り押さえられた隼人を見ながら、智己はわざとらしく首を振った。
「一体、いくつ武器を持っているんだ。短剣に仕込み短剣……まだあるのか。まるで歩く武器庫だな」
一人の隊員が隼人を手錠で拘束し、もう一人が全身を調べて装備している武器を奪っていく。その最中、隼人の対魔刀を取り上げた隊員は、鞘から抜いた刀身を見て目を丸くした。
「ほう、驚いた。これは九六式じゃないか」
「え、まさか……あの戦後の傑作と名高い幻の名刀か?」
「ああ、そうだ。だが、以前見たものと細部が違うな……カスタムモデルか。いいものを手に入れた。俺が使うとしよう」
「なっ、ずるいぞ」
「……」
隊員たちのやり取りを、隼人はただ無言で見ていた。そんな彼の視線に気付いた隊員は、隼人の目の前に対魔刀の刃をちらつかせた。
「いいだろう? お前にはもう必要ないしな」
「あんたにそれが使いこなせるとは思えないな」
硬い柄で殴られた頭部から血を流しながらも、隼人は挑発的な口調で返した。
「ああ、そうか。じゃ、試してみるか……そらよ!」
愉悦じみた笑みを浮かべた隊員はそう言うと、うつ伏せになっている隼人の背に、彼から奪った対魔刀を突き立てた。
「がっ……ごふっ!」
標本を針で固定するように背中から胸まで貫かれた隼人は、真っ赤な血を口から吐き出した。
「ごふ、ごっ……」
自分の血が気管に入ったのか、彼は何度もむせ返る。
「なっ――!」
「そんな、長峰さん……!」
伏魔士たちと美鶴は、対魔刀で貫かれて苦しむ隼人を目にして激しく動揺した。
「いい切れ味だ。簡単に刃が通る」
隼人から対魔刀を抜いた隊員は、うっとりとした様子で赤く濡れた刃を見つめた。栓代わりになっていた刀が抜けたことで出血が早まったのか、隼人の体の下から血だまりが広がっていく。
「はぁ、はぁ……」
「苦しいか? だったら、いっそ楽にしてやるよ」
隼人の血で濡れた対魔刀を手にしている隊員は、不敵な笑みを浮かべて腕を振り上げた。
「待ちなさい。勝手に殺してはいけませんよ。殺す前に私を足蹴にした罪を存分に償ってもらいます。そうですねぇ……まずは禁門の矢で自由を奪います。その後は四肢を斬り落としましょう。一本ずつ丁寧に私が味わった苦痛を刻み込んであげますよ」
「金倉君、彼を殺すならさっさとしたまえ」
右手に持った対魔刀を隼人に向けてうっとりとした表情で語った智己に、教師が生徒を叱るような口調で理仁は警告した。
「ドクター……水を差さないでください。楽しみはこれからなんですよ」
「水を差すつもりはないんだがね。時間は有限だ、と言っておくよ」
「それはどういう……?」
理仁の様子を訝しんだ智己が彼を凝視した瞬間、視界の端で閃光が瞬いた。その直後、廃工場に銃声が木霊し、対魔刀を握っていた右手が吹き飛び、真っ赤な花が咲くように空中に鮮血が迸る。
「あぁぁぁぁっ!」
痛みに悶える智己の絶叫が響き渡る。彼は髪を鷲掴みにしていた美鶴を放り出し、出血の止まらない右手首を押さえた。
「ぐっ……よくも! 私の手を、よくも――!」
「ここは彼女の縄張りだ。そんなことも忘れたのかね……金倉君」
半狂乱になって叫び続ける智己から顔を背けて眼鏡の位置を直した理仁は、残念そうに小声で呟いた。
「副隊長!」
「狙撃! どこから!?」
奇襲を受けた隊員は、慌てて狙撃手の姿を探した。その一瞬、隼人への警戒がおろそかになっていた。
「はぁぁぁぁ!」
「しまった!」
わずかな隙を突いて、隼人は攻勢に転じた。生身の左手が傷つくのも躊躇わずに魔蝕の右腕の怪力で手錠を引き千切り、足払いを仕掛けて隊員を転倒させた。
「ぐ、あっ……!」
転倒させた直後、彼が被っている兜を掴んで頭部を床に叩きつけ、昏倒させる。
「こいつ――!」
隼人の対魔刀を奪った隊員は、立ち上がったばかりの隼人の無防備な脳天目掛けて兜割りを放つ。
「俺の刀、返してもらうぞ」
「なに……!」
半身を引いて振り下ろされた刃を躱した隼人は、無刀取りを駆使して対魔刀を奪い返す。まるで髪が抜け落ちるように自然と手を離れる対魔刀。その巧みな早業に、隊員は目を奪われた。
そうして刀を奪い返した隼人は、呆気に取られた隊員の顎に柄頭を叩き込んで気絶させた。
「くっ、まだこちらには人質が……」
コートの内ポケットから拳銃を取り出した智己は、美鶴に銃口を向けようとした。
「させねぇよ!」
その声は頭上から聞こえた。崩落した天井の隙間から何者かが落ちてくる。
「は……?」
慌てて落下地点から離れようとする智己だったが、その何者かは落下しながら身を捻り、回転蹴りを放った。
「おら!」
「なっ――!」
回避が間に合わず胸元を蹴られた智己は、手に持った拳銃とともに勢いよく床を転がった。
着地した闖入者は、機甲具足を身に纏っている。だがその外見は猟魔部隊の機甲具足とは印象が大きく異なっていた。
攻撃を受け流しやすい曲面を多用した流線形の装甲と猟魔部隊の威光を示す華美なエングレーブが施された鞍馬型に比べ、曲面の少ないやや角ばった装甲と機能性を重視した簡素な意匠。それは第三支部に配備された機甲具足の主力機、金剛型だった。
「お前は……」
兜で顔が見えないが、男の声と蹴りを放つ動きに覚えがあった隼人は、驚愕の声を漏らした。
「よう、隼人。ボロボロじゃねぇか。大丈夫か?」
「松樹か……助かった」
同じ第三支部に所属する葬魔士――松樹翔が増援に来たことを知って、隼人は安堵せずにはいられなかった。
伏魔士との戦闘後の通信で、指揮車が向かっている、と陽子は言った。その指揮車には彼が乗っていたのだ。
「っ……」
度重なる負傷のせいか、魔獣の因子による治癒が追いつかずにまだ胸の傷が塞がらない隼人は、ぐらりと前のめりに姿勢を崩して膝をついた。
気力を振り絞って拘束から逃れたものの、彼の肉体は限界が迫っていたのだ。
「あんまし大丈夫じゃなさそうだな、おい……」
隼人と長い付き合いの翔は、彼の肉体が高速で治癒することを知っている。
そんな彼が出血の続く胸を手で押さえて呻吟する姿を見て、予想より深刻な容態だったことを知った翔は、兜の下で表情を曇らせた。
「松樹さん……?」
床に放り出されて倒れたままだった美鶴は、聞き覚えのある声を耳にして上体を起こした。
「おうよ、待たせたな。ほら、鍵だ」
美鶴を支え起こした翔は、蹴った際に智己から奪った鍵で彼女の手錠を外す。
「いつの間に……」
「へへっ、手癖の悪さが俺の取り柄でね」
手錠を外した翔に美鶴が礼を言うと、彼に鍵を渡された。
「この人たちの手錠を頼むな。俺はあいつらの相手をしないと」
翔の視線の先を辿ると、隼人の倒した猟魔部隊の隊員たちが、意識を取り戻して続々と起き上がるところだった。
「そんな……」
「そう不安な顔すんなって。この俺が来たからには、もう心配いらないからよ」
翔は胸を叩いてそう言うと、腰に下げた対魔刀を抜いて見得を切った。
「第三支部のスーパーヒーロー松樹翔! 只今、見参! さぁ、マッキーショーの開幕だぜ!」




