EP41 束の間の静けさ
伏魔士たちが廃工場の奥に続く通路に逃げ込んで数十秒後、誠太が念信によって作りだした巨大な半透明の壁が、宙に溶けるように消え去った。
この消え方は、美鶴を閉じ込めていた結界――伏魔聖廟を誠太が解除した際と同じだ。おそらく彼が自分の意思で消したのだろう。
追跡を防ぐために作りだした守壁を自ら消したということは、既に彼らが安全圏まで逃げ去ったことを意味していた。
「深追いは危険だな……」
この廃工場は、伏魔士たちの根城である。迂闊に追跡すれば、罠に掛かる恐れがある。この部屋まで隼人と美鶴が無傷で辿り着けたのは、謎の少女の導きがあったからだ。
「そういや……何だったんだ、あの女は」
誠太は金の髪の少女を“あの方”と呼んでいた。伏魔士たちにとって特別な人物なのだろうが、判断材料に乏しい隼人は、いくら考えても答えが出なかった。
「……」
無益な思考を打ち切った隼人は、彼らが逃げ去った通路の入口から視線を外し、床の上に置かれている棺のような箱を見た。幾重にも鎖が巻かれた箱には、南京錠が取り付けられたままであり、開いた形跡はない。
「牛頭山猛の剣は奪い返した。これで目的は達成……か」
伏魔士たちには逃げられてしまったが、隼人たちの本来の任務は、本部へ引き渡すはずだった物資――破砦剣の奪還であった。
先の爆発音が葬魔機関の増援が起こしたものであるなら、あとは彼らと合流し、物資を引き渡して任務完了である。
緊迫した状況から解放された隼人は、安堵した様子で深く息を吐き出した。
「長峰さん……あの、もう大丈夫です」
「む……?」
顔のすぐ真下から聞こえた美鶴の恥ずかしそうな声で、隼人は助け起こした彼女を抱えたままだったことを思い出した。
「あ……」
ちらりと視線を落とすと、腕の中で縮こまっている美鶴と目が合った。
「えっと、悪かった。その咄嗟に……」
「いえ、その……謝られるほどのことでは……」
思わず顔を赤らめた隼人と美鶴は、互いに顔を逸らした。そうして苦し紛れに視線を泳がして近くの柱に気付いた隼人は、美鶴の背を柱に預けた。
「まだ動けないだろ。これでいいか?」
「はい、ありがとうございます」
伏魔聖廟の効果によって彼女が満足に動けないことは、同じ術式をその身で味わった隼人自身、重々承知していた。
むしろ肉体を焼かれて再生したことで、術式の効果が消えた隼人の方が念信の後遺症は少ないだろう。
魔獣の因子の侵蝕が進んだことは、言うまでもないが。
「これからどうします?」
「そうだな……とりあえず支部長に連絡を取るか。物資を取り戻したことを伝えないと」
隼人がそう言い終えるや否や、制服のポケットから聞き慣れた電子音がした。
「む。言ったそばから、支部長だ」
戦闘中に着信音が鳴らなかったことに安堵しながら携帯端末を取り出した隼人は、すぐさま応答の表示をタップし、耳に当てた。
「はい、長峰です」
「私だ。やっと繋がったな」
待ちくたびれた陽子の声を耳にして、隼人は首を傾げた。
「やっと?」
「ああ、お前たちのいる場所は、すこぶる電波が悪い。瘴気の影響だろう」
「……」
隼人の脳裏に伏魔士たちの念信が原因ではないか、という推測が浮かんだ。が、それを言葉にすることはなかった。まずは報告を優先するべきだ、と判断したのだ。
「積み荷は取り返しました。支部長が言ったとおり伏魔士の仕業でした。鍵が開けられていないので、中身は無事だと思います」
「そうか、よくやった。今、指揮車がそちらに向かっている。もう間もなく着くはずだ」
さして驚く様子もなく淡々と陽子が返した。
「え……? 既に到着したはずでは……?」
彼女の言に疑問を抱いた隼人は訝しげに尋ねた。
「なに……? 到着したという報告は受けていないぞ」
陽子の声色が楽観的な響きから不穏な響きへと変わる。それを聞いた隼人は、胸騒ぎを覚えた。
「第三支部の増援じゃない? じゃあ、さっきのは……」
伏魔士たちが戦闘を中止し、逃げるきっかけになった爆発音。それを起こしたのが、第三支部の増援ではない、となると一体誰なのか。
そんな隼人の思考は、突如として打ち切られることになる。
「銃声――!?」
部屋を隔てて聞こえるややくぐもった銃声。断続的に聞こえてきたその音は、葬魔機関で採用されている小銃のものだ。
「まさか……!」
戦慄した隼人の首筋に、災いの先触れを告げる冷たい空気が流れる。嵐はまだ過ぎ去っていなかったのだ。




