EP39 伏魔の反撃
僧侶姿の伏魔士の実力は未知数である。分かっているとすれば、彼の放つ守壁の念信は並みの火力では突破できない、ということだ。
「うっ……」
美鶴の反応が弱まりつつあった。既に横たわって浅い呼吸を繰り返している。あまり時間はかけていられない。
いつでも突撃できるよう、隼人は足を肩幅より大きく開き、前傾姿勢へと移行する。その途中で――
「ふっ――!」
予備動作なく右腰のナイフシースから抜き放った短剣を、抜いた勢いのまま、投擲する。
誠太の胸元へと一直線に飛んでいく短剣。回避不可の高速投擲で放たれた凶器に誠太が反応したのは、彼の胸元まであと三〇センチといったところだった。
『守壁顕現!』
だがそれは、彼の鼻先に現れた半透明の壁にあっさりと防がれた。着弾寸前で壁に弾かれた短剣は、あらぬ方向へ跳ね返る。
「ぬぅ……!」
次の瞬間、敵意の接近に気付いた誠太は、思わず唸った。
いつの間にか刀を肩に担いだ隼人が、誠太の側面に回り込んでいた。壁を無理に突破する必要はない。短剣を防がせることは織り込み済みであり、その後の連携攻撃が本命だった。
待て、というように手の平を突き出す誠太だったが、美鶴に手を出された以上、隼人は止まらない。突き出した腕ごと胴を切断する斬撃を、隼人は一呼吸で放った。
「なっ――!?」
ガン、という鈍い音。だがそれは骨を断つ音ではない。隼人の斬撃は誠太の手の平に阻まれていた。
驚愕した隼人が誠太の平手を凝視すると、振り下ろした刃と手の平の間に、ハガキ大の半透明の板――守壁が現れていた。
「何を驚く? 言ったであろう。堅固にして自在である、と」
そう言った誠太は受け止めた対魔刀を払い除け、手の平の守壁を解除した。そうして対魔刀を持つ隼人の右腕を掴み、続いて残った手で首をむんずと掴んだ。
「がっ……」
脳への血液――酸素の供給が断たれた隼人は、急速に意識が薄れる。
丸太のような誠太の腕は、見かけに違わない剛力だった。握り潰されるのではないか、という桁外れな握力。その手に力が入り、隼人の体が持ち上げられて足裏が床から離れた。
投げか絞めか。いずれに派生するにしても、窮地に立たされたことを疑う余地はない。
「まずい……!」
危機を悟り、怒りに煮え立つ頭が、一気に冷えた。隼人は咄嗟に腰を捻り、誠太の胴と胸に踏みつけるような二連蹴りを叩き込んで、拘束から逃れた。
不安定な姿勢から繰り出された蹴りは、普段より威力が劣る。だが、彼の驚異的な脚力を以てすれば、誠太を後退させるには十分な威力だった。
「ぐ……」
鳩尾を蹴られ、堪らずよろめいた誠太。その姿を見て、隼人は好機と捉えた。
「終わりだ」
着地と同時に床を蹴り、距離を詰める。くの字に折った胴に横薙ぎの一閃を放つ、が――
「甘い。甘露の如き甘さだ」
「なっ……!」
驚くことに誠太は、切っ先ぎりぎりの距離で斬撃を躱していた。
「読まれた、だと――!?」
「そなたの剣は正確だ。斬撃として理想の軌道を描き、最適化された動きをしている。だが、それゆえに読みやすい」
伏魔士の少女のように心を読んだのではなく太刀筋を読んだ。そのことに隼人は衝撃を受けた。
「ふっ、そなたらしい実直な剣だ」
「ぐっ……」
皮肉ではない純粋な称賛。それは誠太の余裕の表れだった。
伏魔士の中でも有数の念信能力者――仙道衆として彼が認められるまでには、幾度も葬魔士と交戦した過去があったのだ。
誠太が隼人の太刀筋を読めたのは、その豊富な戦闘経験ゆえだ。隼人が使用する斬魔流剣術は、誠太にとって既知の剣術であり、その型は見知ったものだったのである。
初見では回避も防御も叶わない高速剣であっても、何度も見せられては、自然と動きが読めてくる。
剣技を放つために必要な力の溜めと解放。その動きの起こり――初動さえ読めてしまえば、あとは型に従った動きだ。足に力が入った瞬間、腕に力が入った瞬間、その一瞬を捉えてしまえば、彼にとって太刀筋の予測はそう難しいことではなかった。
「ふむ……怒りに任せてなお、人を斬ることを躊躇うか。それは恐れ……いや、後悔か」
「――っ!」
念信を使わずとも剣を通して心を暴かれた。それが隼人の焦りを加速させた。
「やはり若いな」
彼の焦りが増したことを、誠太は目ざとく見抜いた。
「噓だろ……!」
矢継ぎ早に繰り出す斬撃を、守壁すら展開していない素手で払われた。誠太は対魔刀の側面に手刀を当て、軌道を逸らしたのだ。
「心の揺らぎは太刀筋に表れる。それでは拙僧を斬ることは叶わんぞ」
「ぐはっ……」
斬撃をかいくぐって突き出された掌底を鳩尾に叩き込まれ、悶絶した隼人は、呼吸を整えようと後方へ跳んだ。だが、あるはずのない段差に足が躓き、彼は姿勢を崩した。
「生憎だが……それは読めていた」
「なっ……!」
踵に伝わる硬い感触。その正体を知ろうと、足元に視線を走らせる。すると、つい数秒前まで何もなかったはずの床に、一〇センチほどの半透明の壁が飛び出していた。
普段なら取るに足らないわずかな段差。それに足を掬われたのだ。
「引導を渡してやろう」
姿勢を崩し、後方に倒れ込む隼人。その彼の顎に、ここぞとばかりに守壁を展開した掌底が叩き込まれた。
「あ……」
顎に強い衝撃を受け、脳を揺らされた隼人は、数瞬意識が朦朧とする。そうして制御を失った彼の体は、掌底を叩き込まれた勢いで吹っ飛ばされ、コンクリート床を跳ねながら転がった。
「っ――」
頭を強く打った痛みで正気を取り戻した隼人は、慌てて起き上がり敵の姿を探した。
『――守壁変成、伏魔聖廟』
思念の声がした方向を見ると、まるで仏を拝むように手の平を合わせた誠太がいた。
「しまった……!」
自身を囲んだ守壁と足元に浮かんだ陣を目にして、隼人は血の気が引いた。隼人が意識を失いかけた間に誠太は念信の詠唱を終えており、美鶴を閉じ込めたものと同様の結界を展開したのだ。
『この試練に打ち勝てるか、葬魔士』
そう告げた誠太の声をきっかけに守壁が発光し、強烈な重圧が隼人を襲った。肉体ではなく意識そのものを潰そうとするプレッシャー。まるで脳味噌を直接握り潰されるかのような未知の攻撃に、隼人は翻弄された。
「が、あっ……」
それでも隼人は対魔刀を手放すことはなかった。片膝をついたものの、対魔刀を支えにしてどうにか意識を保ち続ける。
「ほう、やはり抗うか。だが、それも時間の――ごほ、ごほっ……」
勝ち誇った誠太の声が、突然の吐血によって遮られた。口だけではなく、鼻や目尻からも血が溢れ出た。
「権田さん!」
長期に渡る作戦行動による疲労。箱の封印を解こうとしたことによる念信の集中多用。そして隼人との戦闘を経て、複雑な術式の聖廟を展開しつつ、もう一度聖廟を展開したのだ。その負荷は尋常ではない。
突然の出血と激しい頭痛。おそらく脳が念信の負荷に耐えきれなかったのだ、と誠太は冷静に推測した。
「ぬぅ……やはり無理は続かぬか」
常人なら到底耐えきれない苦痛に顔を歪めながらも、誠太は必死に結界を維持していた。
真っ赤な血が顎から滴り、床に血溜まりを作る。意思は果てずとも彼の肉体は、とっくに限界を超えていたのだ。
「あの娘とともに里に招きたかったが……致し方ない。その命、ここで絶たせてもらおう」
口惜しげにそう呟いた誠太は、拝むように合わせた手の平を組み変え、両手で印を結んだ。
『さらばだ葬魔士。いずれ冥土で見えようぞ。術式昇華――天嚮伏魔爆雷陣』
隼人を囲んだ半透明の壁がより激しく発光し、周囲を白く塗り潰すほどの眩い閃光が迸る。そうして彼を吹き飛ばした力が内側に向けて放たれた――魔を伏す聖廟が、牙を剥いたのだ。
「往生せよ」
逃げ場のない密閉空間で反射、増幅された衝撃が暴れ狂い、間もなく臨界を迎えた瘴気が、爆発した。そのあまりの威力に聖廟を構成する守壁の一部が割れ、屋内を爆風が駆け巡る。
爆発によって老朽化し、所々が崩落していた廃工場全体が軋んでいた。脆くなっていた天井の一部が崩れ落ち、爆風で舞い上がった埃で視界を遮った。
「ちょ、ごほっ、権田さんやりすぎ……」
不用心に埃を吸ってしまった優季は、激しく咳き込んだ。
「ぬぅ……?」
誠太にとってこの威力は想定以上だった。爆発は結界内に留まるはずだったのだ。
「もしや……!」
ある懸念を抱いた誠太は、視界を遮っている埃の向こうにある聖廟を凝視した。やがて薄茶色をした煙幕が風で流れ、姿を現した聖廟の残骸は、側面が大きく割れていた。




