EP38 導かれし理由
隼人に蹴られて柱に叩きつけられた伏魔士――安治部修は、あっけなく気絶した。
「なっ……!」
投げ飛ばされた優季を受け止め、助け起こした誠太は、修が横たわっている姿を見て、絶句した。血で目潰しをされていた優季は、そんな誠太の反応を不思議に思い、彼の心を読んで状況を理解した。
「嘘。安治部の奴、やられたの……!?」
「死んではいない。どうやら気絶しているようだ。それと篠道、拙僧の心を勝手に覗くな」
「だってまだ見えないし……」
優季の困った声を聞いて苦い顔をした誠太は、隼人と彼に近づく美鶴に視線を向けた。
「長峰さん、その血は……」
指先まで真っ赤な血に塗れた隼人の左腕に気付いた美鶴は、恐る恐る彼に尋ねた。
「ああ、ちょっと切った」
魔獣の因子によって傷が塞がったことを確認した隼人は、何事もなかったような顔をして、傷のあった場所を美鶴に見せた。
「ちょっと!? 全然、ちょっとじゃないですよね!?」
「でも、ほら、もう塞がってるから――」
「そういう問題じゃありません!」
「む……」
美鶴に激しい剣幕で言い寄られた隼人は、困り顔で頬を掻いた。
「あの娘、もしや……」
隼人と話している美鶴を見て、何やら思い至ったように誠太は呟いた。
修が使う隠蔽の念信は、使用者を含めた任意の対象の姿を隠し、気配を消す。念信を使用した痕跡をも消すことが可能であり、一度発動すれば、波長を知っている仲間ですらその正確な位置を把握することは困難である。
ところがあの少女は、たった数分で隠蔽の念信を中和した。修の波長を捉え、相反する波長によって打ち消してみせたのだ。その事実を目の当たりにした誠太は、険しい表情で小さく唸った。
「何故、あの方が斬魔の剣士のみならずあの娘を導いたのか、得心がいった」
「え……?」
優季に心を読ませないよう、そして美鶴に波長を読まれないよう、誠太は念信の波長を変化させた。途端に彼の真意を読めなくなった優季は、まだ見えない目で彼の顔を見上げた。
「憐れなことだ。祭壇に捧げる贄として選ばれたか」
優季に聞こえないほどの小声で呟いた誠太は、伏魔士として戦う意志を固める。
「下がっていろ、篠道。ここは拙僧に任せてもらおう」
「権田さん……」
おもむろに歩き出した誠太が優季の肩に手を置いて後ろに退けた。温厚な誠太の大きな手。いつもは安心感を与えるその優しい手が、今はひどく恐ろしかった。読心を防がれてなお、感じ取れる激烈な戦意。伏魔士の中でも仙道衆と呼ばれる有数の念信能力者である彼が戦意を露わにしたことを知って、優季は戦慄した。
「長峰隼人よ……この剣、そなたに譲ってもよいぞ」
「なんだって……?」
「ちょっ、権田さん!?」
誠太の言葉を聞いた隼人と美鶴は困惑した。それどころか同じ伏魔士である優季すら戸惑っていた。
「篠道、拙僧に任せるよう言ったはずだが?」
「は、はい……」
有無を言わさぬ強い口調で誠太に制された優季は、おとなしく口をつぐんだ。
「ただし、その娘はこちらに渡してもらおう。それが条件だ」
「えっ……」
「……どういうことだ?」
突然、美鶴の身柄を渡すように言われ、二人はまた困惑した。
「その娘、鍵の巫女だな」
「っ――!」
誠太の言葉に瞠目した隼人の反応を見て、彼は確信を得た。
「やはりそうか。その力、葬魔の者では持て余すことになる。我らが身柄を預かろう。案ずるな。いずれ役目の時が訪れるまで、身の安全は保障する」
心を読むことができる者がいる以上、誤魔化しは通用しない。そう判断した隼人は、誠太の言葉を否定せず自身の疑問を尋ねた。
「……役目っていうのは、鍵の巫女としての役目か?」
「左様だ」
「伏魔士まで冬木の力を求めるのか」
「鍵がなくては、封を解くことも閉ざすこともできないのでな」
「それは……呪堕の封印か。まさか封印を解くつもりか……!」
伏魔士の目的に感付いた隼人は、唖然とした表情で誠太を見た。すると彼は、はばかる様子もなく首肯した。
「呪堕の力を以て我ら伏魔がこの世界を統べる。そなたら葬魔に奪われた繁栄を我らの手に奪還する」
「そうか。呪堕を従わせるために、あの鎧と剣が必要だったんだな」
「どういうことですか……?」
「呪堕を倒し得る力があれば、支配下に置くことも可能ってわけだ。違うか?」
「左様だ」
「なっ……!」
伏魔士たちの目的を知った美鶴は動揺した。
「ふん。伏魔士の目的が世界征服とは、呆れたな」
呆れ顔を作った隼人は、わざとらしく嘆息した。そんな彼に、誠太は顔色一つ変えずに首を横に振って返した。
「否。本来あるべき姿に戻すのだ。我ら伏魔が葬魔を従えていた頃のように」
「あんたはまともだと思っていたんだがな……」
「拙僧は、教えに縋らなくては生きられなかった弱い人間だ。まともとは程遠い……して、答えは?」
「断る。俺は冬木を守ると誓った。その誓いを曲げることなんてできない。お前たちに冬木は渡さない」
「騎士の誓い。既に守護者としての契約を果たしていたか……」
はっとした表情で呟く誠太。不穏なその響きを聞いて、隼人は眉根を寄せた。
「なに……?」
「野暮なことを聞いたな。問答は終わりだ。拙僧はこれより情けを捨てる」
そう言うや否や、誠太は手の平を合わせて拝むように印を組んだ。それは今までの片手で組む印ではない。
「念信か――!? だが、お前の念信は……」
誠太の念信は、身を守る壁を出現させる守壁の特性であり、危害を加える類ではなかったはず、と隼人は訝しんだ。
『不儀、不還、不壊、不動。守壁変成――伏魔聖廟』
誠太が念信――詠唱を終えると同時に、美鶴の周囲の地面に梵字の陣が刻まれ、その外周に彼女を囲むように薄紫色の壁が、すっとせり上がる。
「なっ――!」
美鶴が閉じ込められる前に陣の外に出そうと試みた隼人は、その陣に近づいた途端に、全身の力が抜けた。それはあの黒い矢を射られた感覚に似ていた。
「長峰さん……!」
そうしている間に美鶴は壁で囲まれた陣の中に閉じ込められ、低濃度の瘴気を思い出せる薄紫色の壁は、陣とともに激しく発光した。
「ぐっ――!」
進入を拒むように発光した壁から発せられた衝撃によって跳ね飛ばされた隼人は、慌てて体勢を立て直す。
「あっ……うっ……」
喉元を両手で押さえた美鶴は、苦悶を漏らした。額に汗を浮かべ、虚ろな目をして床に座り込んだ。
「冬木――!?」
隼人の必死な呼びかけにも反応せず、荒い呼吸を繰り返す。
「先手を打たせてもらった。その首輪、力を抑制するためのものだな。それを外されていたら、危なかったぞ」
「何をした!」
激昂した隼人は、誠太を睨み叫んだ。
「念信の源、意思を封じる結界だ。並みの魔獣は言うに及ばず大型の獣鬼ですら数秒と持たないこの聖廟を、昏倒せずに持ち堪えるとは、さすがだな」
「っ――!」
すかさず結界を破壊しようと斬撃を放つ隼人だったが、たった一撃では、六門殲をも凌いだ守壁で形作られた伏魔聖廟を壊すことは叶わなかった。
「生憎だが、この聖廟を破壊した者はいない。これを止めたくば、拙僧を討ち取ってみせよ」
「よくも冬木を――!」
誠太に向き直った隼人は、憤怒の形相を浮かべて対魔刀を構え――
「来るがいい。伏魔仙道衆が一人、権田誠太が相手を仕る」
隼人と対峙した誠太は、彼を見据えて印を構えた。




