EP32 葬魔対伏魔Ⅱ
隼人の斬撃を遮った畳一畳ほどの長方形をした半透明の薄い壁。その正体が瘴気を利用した結界の壁に類似したものであると彼は見抜いた。
「結界だと……!」
高硬度の防壁に刀を弾かれた隼人は、想定外の事態に面食らった。これが本当に結界と同じであるなら、最低でも対戦車ロケット弾以上の破壊力が必要となる。
「っ――!」
壁の前で足を止められた隼人は、反撃を警戒し、背後へ跳躍して距離を取った。
「左様。そなたら葬魔士が使用する結界、その礎となったものだ」
隼人が優季から離れると、誠太がその呟きに答えた。
「権田さん、あんたの念信なのか?」
半透明の壁の向こうで起き上がった少女に注意を払いつつ、隼人は僧侶姿の伏魔士に視線を投げた。よく見ると、彼は何やら片手で印を組んでいた。
「左様。拙僧の念信は、“守壁”の念信だ」
「守壁……?」
およそ聞き慣れないその言葉を、隼人は反芻するように呟いた。
誠太が告げたのは、念信の特性だ。
自分の意思を喉から発する肉声ではなく、思念の声として相手に直接伝える能力は、念信能力者共通の能力である。
しかし、それはあくまで念信という能力の一端に過ぎない。
念信は意思が生み出す力。そして意思とは、個人個人異なるもの。その意思を力の源とするがゆえに使用者によって異なる能力があるのだ。
念信能力者が研鑽を積み、己に秘められた力を覚醒させることで発揮できる固有の能力。それが特性なのである。
誠太が言った、“守壁”というのは、まさしくそうだ。
特性に目覚めた念信能力者は、物理現象すら超越した異次元の能力を発揮する。彼のように高硬度の防壁を出現させることも可能となるのだ。
「拙僧がいる以上、そなたの刃は届かん」
誠太が印を解くと、隼人と少女を隔てた半透明の壁は、役目を終えたと言わんばかりに次第に薄れて消えていった。
「どうやらそうみたいだな」
溜め息混じりで隼人はそう返した。誠太は決定打となる一撃を見極めて結界を展開したのだ。念信による援護がある以上、隼人の斬撃は遮られてしまうだろう。
未だに現れない魔獣使いはさておき、姿の見えない狙撃手は気がかりだが、まずは結界を展開する彼を先に無力化するべきだ。
「篠道、大事ないか」
思案を続けている隼人から視線を外さずに、誠太は優季に尋ねた。
「あ、うん……権田さん、ごめん」
「攻撃に夢中になり、防御が疎かになったな。そなたの悪い癖だ」
「だって権田さんが守ってくれるでしょ?」
「ぬぅ……」
得意顔で誠太の顔を見た優季に、彼は困った様子で小さく唸った。
「話は終わったか」
二人のやり取りを見ていた隼人は、会話が途切れたタイミングを見計らって声をかけた。
「うむ、すまんな。気を遣わせた」
「あんたには、恩がある。だが……」
「だが?」
話の続きを促すよう、誠太は隼人の言葉を繰り返した。
「俺には与えられた役目がある。悪いがそれは力づくでも返してもらう」
隼人はそう言うと、誠太の傍らに置かれた物資を対魔刀で指し示した。もはや彼の声に迷いはなく、対魔刀の切っ先は、微塵も揺らいでいない。
「では、拙僧も伏魔士として役目を果すとしよう」
葬魔士の挑戦に応じるように、伏魔士――誠太は腕に巻かれた数珠を鳴らして身構えた。
「ああ、いくぞ――!」
気合の叫びを上げた隼人は、誠太に向かって突撃した。
しかし、その速度は先よりも遅い。先の突撃が目視不可の瞬速なら、この突撃は目視可能な高速に留まっていた。
隼人にとって権田誠太という男は未知の相手であり、迂闊に飛び込むのは危険である、と直感が囁いていたのだ。
果たして僧侶姿の伏魔士には、隼人の接近に動じる様子はなかった。
『守壁顕現』
そう唱えながら誠太が再び印を組むと、疾走する隼人の行く手を遮るように、半透明の壁が現れた。
「目の前に……!」
隼人の直感は当たった。先の速度で接近していたなら、無様に壁に激突していただろう。この男は、彼の自爆を狙っていたのだ。
「壁とは、ときに身を隠し、ときに行く手を遮り、ときに身を守るもの。是、堅固にして自在なり」
「それなら!」
激突寸前で壁を迂回した隼人は、その勢いのまま、翻弄するように左右に揺さぶるステップを連続で繰り出した。加速と減速を織り交ぜた彼の巧みな足捌きが幻影――残像を生み出す。
「なんと。これは影身脚か……!」
相対する誠太の目には、接近する隼人の輪郭がぼやけて見えていた。影が長く尾を引いたその姿は、まるで黒い彗星のように思えた。
「でも残念! あんたの動きは読めてるよ!」
隼人の進路を妨害するように飛び出した優季は、正面から突きを繰り出した。高速で走る彼は、突き出された刃先に自ら突っ込むかたちとなる。
「長峰さん――!」
隼人の胸元に迫る刃を見た美鶴は、思わず悲鳴を上げた。彼の速度は、全く落ちる気配がなかった。いや、減速したところであの刃は躱せない。
「もう遅い!」
「……遅いのは、お前の方だ」
その声は、優季の遥か背後から聞こえた。今なお葬魔士の姿は目の前にある。しかし、声がしたのは間違いなく背後からだった。
「は……?」
理解不能な現象に、優季は戸惑った。
彼女が突き出した穿刃剣は、葬魔士の体をすり抜け、空を切ったのだ。
「嘘。だって……」
影身脚の真骨頂は、巧みな足捌きによる加速と減速。常人の反応速度を凌駕する急加速によって感覚を惑わされた優季は、隼人の残像に攻撃を仕掛けた。当然、残像に攻撃をしても意味がない。それは既に過去の軌跡。彗星の尾を掴んだところで本体は捉えられないのだ。
「やばっ、権田さん――」
隼人の攻撃を察知した優季が誠太に警告するよりも速く、彼は僧侶姿の伏魔士の背後に回り込んでいた。
「悪く思うな……!」
対魔刀を低く構えた隼人は、がら空きの脊柱へ刀を振り抜く。が、それは――
「なっ……」
またも半透明の壁に阻まれた。
刀を弾かれた隼人は絶句した。伏魔士の周囲には、彼を取り囲むように四枚の壁が現れていたのだ。長方形の壁に囲まれたその光景は、電話ボックスを思い出せた。
「悪く思うな。見えぬなら、こうするまでのことだ」
そう言いつつ、誠太は背後にいる隼人の方を振り返った。そうして見せつけるように彼が眼前で構えた片手は、印が組まれていた。
おそらく先に念信を使った際に仕組んでいたのだろう。この男が展開する壁は、一枚が限度ではなかったのだ。
「っ……!」
刀を弾かれて仰け反った隼人を狙って、黒い矢が連続で飛来してきた。その数、二本。先行する一本は胴をわずかに掠め、もう一本は腰に命中する軌道である。
「くっ――!」
甘い狙いで放たれた二本の矢。その軌道から、これは陽動だ、と隼人は直感で判断した。
一本でも受ければ、さらなる追撃――本命の矢が放たれる。躱すしかない。そう考えた彼は、無理な姿勢で体を捻って矢を避けようとする。
「私のこと、忘れてないかしら!」
「なに……!?」
矢に気を取られた隙をついて壁の陰から伏魔士の少女が飛び出してきた。待ち構えていたように繰り出される回し蹴り。その爪先が隼人の左頬を捉えた。
「がはっ……」
顔面をまともに蹴られた隼人は、堪らず床を転がった。
「長峰さん!」
「近づくな! ここは危険だ!」
心配して駆け寄ろうとした美鶴に、隼人は強い口調で制した。
「ごふっ……」
口の中を派手に切った隼人は、口内に溜まった血を床に吐き出した。その姿を見た優季は、愉快そうに頬を歪ませる。
「うわぁ……痛いでしょ。大丈夫? 傷口、舐めてあげよっか?」
「舐めるな――!」
痛みを振り払うように対魔刀を振るった隼人は、芝居ではない本当の怒号を上げた。より速度を上げるため、身軽になろうとしてコートを脱ぎ捨てる。
「……!」
そうしてコートの下に隠されていた武器を目の当たりにした伏魔士たちは、衝撃を露わにした。




