EP31 葬魔対伏魔
新たに現れた伏魔士の少女は、大胆にも肩や腿を露出した軽装を身に纏っていた。防具らしい防具が見当たらないあまりに無防備な衣装。だが、その身軽さゆえに先ほどの身のこなしを実現できるのだ、と隼人は警戒した。
一対の穿刃剣を装備し、機動性重視の軽装を纏ったその姿は、対魔刀を手にして戦場に立つ浅江を彷彿とさせた。
浅江が戦闘装束を改造し、脚部を多く露出しているのは、決して色香を振りまく目的ではない。抜刀術を放つのに重要な瞬発力を存分に発揮するためだ。
察するに二人の共通点は、優れた瞬発力から繰り出す一撃必殺の超高速斬撃。異なる点は、得物が幅広で肉厚な双剣――穿刃剣であることだ。
「試してみるか、ね。ふぅん……分かってるじゃない」
油断なく対魔刀を構えた隼人に対し、伏魔士の少女は、穿刃剣の柄に指を引っ掛け、西部劇のガンマンよろしく得物を回転させて弄んでいた。
「何がだ?」
隼人が怪訝そうな目で少女を見ると、彼女は剣の回転をぴたりと止めて愉しげに笑みをこぼした。
「自分が試される立場ってことが」
「お前……」
完全に虚仮にされている、と理解した隼人は、即座に怒りの表情を作る。
「ちょっと待ってください! 落ち着いて話を……」
殺伐とした空気に、美鶴の凛とした声が響く。戦闘を止めようとする彼女の声を耳にした優季は、呆れ顔で鼻を鳴らした。
「この状況でそれ言う? いくらなんでも頭お花畑過ぎない?」
「それは……!」
「あんたはもう、状況の一部なのよ。葬魔機関の人間なら、私たちの敵ってわけ。ま、箱入りのお嬢様には分からないでしょうけど」
「冬木は助けが入るまでたった一人で魔獣の群れから逃げ続けていた。お前が思っているようなやわな女じゃない」
言葉に詰まった美鶴を庇って、隼人が口を挟んだ。
「ふぅん……じゃ、そっちから試してあげよっか」
隼人の言葉を聞いた優季は、不敵な笑みを浮かべると、美鶴に向かって一直線に駆け出した。
「えっ……」
突然のことに足が竦んで動けない美鶴は、眼前に迫る白刃を見つめるばかりだった。
「この――!」
美鶴と優季の間に割って入るように、隼人が飛び込んだ。対魔刀で双剣を受け止め、鍔迫り合いの格好にもつれ込む。
「手を出したな……武器も持ってない冬木に……!」
「はぁ? ここに来てる時点で、攻撃されても文句は言えないでしょ。あんたも頭お花畑なの?」
「ふざけるな――!」
激昂した隼人は怒号を上げると、対魔刀を握る手に力を込め、一気に押し返した。
「おっと……」
隼人の追撃を恐れた優季は、弾かれた勢いを利用して後方に跳んで距離を取った。
「それで逃げたつもりか?」
対魔刀を担いだ隼人は、床を蹴って風となった。
「え、速っ……!」
つい寸前まで対峙していた彼の姿を一瞬で見失った優季は、驚きに目を見開いた。
「長峰さん――!」
「止まれ。これ以上近づけば、流れ弾を受けても文句は言わせんぞ」
今なお戦いを止めようとする美鶴を、誠太が強い口調で制した。
「……」
隼人の激昂は、彼女を欺く芝居だった。苛立ちは感じていたが、既に気持ちを切り替えている。今の彼は、冷静に伏魔士の戦力を分析していた。
僧侶の男は、武器も持たず棒立ちのまま苦い顔を作っている。先に矢を放った何者かがいたと思われる位置は、柱に隠れて死角になっている。おそらく邪魔は入らない。
先の攻防で、目の前にいる少女の力量は把握している。奇襲の一撃こそ見事なものだったが、鍔迫り合いでは、彼女は容易く弾き飛ばされた。
体格と力量、そして練度。そのいずれにおいても、隼人が彼女に劣っている点はない。それどころか第三支部の新人ですら彼女より優れた剣士はいた。
隼人が全力で斬魔一閃を放てば、この少女はまず防げない。おそらく彼女は、抵抗する間もなくその生涯を終えるだろう。
だが、殺すのは極力避けたい。人を殺めることが禁忌である、という道徳はもちろん、伏魔士である彼らに聞きたいことは山ほどあるのだ。
そして何より、葬魔士には一方的な虐殺をした伏魔士狩りという後ろめたい過去がある。これ以上、無用な憎しみを増やすことは望ましくない。
故に目指すべきは、対象の無力化。
無傷で制圧することが最良であるが、それはまず叶わないだろう。圧倒的な実力差で抵抗の意志を挫き、奪われた物資を奪還する。それが隼人の計画だった。
「はっ――!」
隼人はその俊敏性を以て一瞬で距離を詰めると、巧みな足捌きで背後に回り込んだ。少女はまだ、隼人の速度を目で追えていない。
狙うは後頚部。一刀で意識を断とうと、刃を返した対魔刀を振るった。刹那に白刃が煌めき、流星の如き残光が尾を引く。その光の軌道上に――彼女はいなかった。
「なに――!?」
隼人は瞠目した。彼を見失っていたはずの少女は、斬撃が繰り出される前に、その軌道上から退避していたのだ。
背後の隼人を見ずに、最小限の動きで斬撃を避けるその様は、まるで隼人の行動があらかじめ分かっていたかのようだった。
「っ――!」
続いて繰り出す二の太刀――腹部を狙った鋭い横薙ぎを、やはり彼女は身を翻して回避した。
「あのさぁ……峰打ちとか舐めすぎでしょ」
隼人が振るった対魔刀に目を向けた優季は、呆れ声でそう呟いた。
「太刀筋を読まれた……!?」
唖然とした表情で、隼人が声を漏らした。万全の状態で繰り出した斬撃、その連撃を彼女は躱したのだ。
僧侶姿の伏魔士――権田誠太の治療によって、右腕と左脚に痺れは残っていない。手心を加えたとはいえ、その斬撃は初見で躱せるほど甘くない。
彼女の力量は、隼人の想定を超えていた、ということだろうか。
「あはっ、大したことないのね。斬魔の剣士ってさぁ!」
困惑して動きの鈍った隼人の側頭部に、反撃に転じた彼女の剣閃が迫っていた。両手に持った双剣を振りかぶったその構えは、二つの斬撃を同時に叩き込む双刃双砕のそれだ。
「っ……!」
我に返った隼人は、左のこめかみへ振り下ろされた穿刃剣を瞬時に払い除け、それに続いて足払いを仕掛けた。ほとんど予備動作のない連撃。それを受けた少女は、重量のある双剣に引っ張られるようにして姿勢を崩した。
「いかん!」
「げ、まずった……」
動揺した誠太の声と優季の間の抜けた声が重なる。
「俺が、どうしたって?」
前のめりに倒れ込む優季と入れ替わるようにして彼女の側面に回った隼人は、介錯人よろしく少女の白いうなじに狙いを定めて対魔刀を振り上げる。
「あ、これは躱せないなぁ……」
すっかり諦めた、少女の達観した声。その声を耳にした隼人は、わずかに躊躇いを抱いた。いくら峰打ちといえど、首を打てば無事では済まない。
「長峰さん……」
心を抉る悲痛な美鶴の声。これが戦いであることは彼女も理解していた。だが、いざ隼人が少女に刃を振るうとなると、それは認め難い光景だった。少女が傷つくことはもちろん、隼人が少女を傷つける瞬間を見たくはなかったのだ。
「っ――!」
少女たちの声に動揺した隼人は、その躊躇いを砕くように奥歯を噛んだ。そうして構えていたままだった対魔刀を、無防備な少女の後頚部へと振り下ろした。
「なっ……!」
だが、その刃が彼女に届くことはなかった。
カーン、という鉄を打つような甲高い音。突如現れた半透明な壁に、隼人の斬撃は阻まれた。




