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斬魔の剣士  作者: 織部改
第三章 深まる闇
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EP29 ファーストコンタクト

 廃工場の中に飛び込んだ隼人が目撃したのは、予想外の人物だった。


「なっ――!」


 そこにいたのは、つい数秒前まで目の前を走っていた少女ではなく袈裟を着込んだ僧侶だった。


「……」


 突然のことに驚いた隼人は、ぽかんと口を開けたまま、しばらく硬直してしまう。


 棺のような箱を背にして焚き火の前に座っている彼は、重厚感のあるがっしりとした巨体であり、先ほどの華奢な体躯の少女とはまるで正反対だった。


 特に僧衣の袖から覗く数珠を巻いた腕は、あの少女の細腕はおろか隼人の二倍はあろうかという太さであり、くっきりと血管が浮き出たそれは、さながら蔦が巻きついた大木のようだった。


「ぬぅ……」


 隼人にじっと見つめられた僧侶は、困り顔で短く剃り上げた坊主頭を撫でまわした。


 そうして互いに見つめ合うこと、三秒あまり。焚き火の爆ぜる音で我に返った隼人は、


「着物の女が、坊さんに変わった……」


 やっとのことでそんな呟きを口にした。


「はっはっは……そなた、狐にでも化かされたか?」


 隼人の言葉が面白かったのか、僧侶は声を上げて笑った。


「……む。まぁ、その可能性は否定できないな」


 人柄の良さを感じさせる僧侶の笑顔に釣られて、隼人はそう返した。


「……して、何やらそなたは人を追っていたようだが?」


「あ、ああ――」


 僧侶の問いに答えようとしたそのとき、隼人の背後から足音がした。


「長峰さん……!」


 それは彼を追ってきた美鶴の足音だった。隼人の目の前にいる僧侶を見た彼女は、


「嘘……女の人が、お坊さんに変身した……?」


 と、驚愕を声に出した。


「俺も同じことを言った」


「え……? あ、ごめんなさい。つい……」


 美鶴が慌てて頭を下げると、僧侶は苦笑した。


「構わんよ」


 そうして真顔に戻った僧侶は、二人の顔を交互に見渡した。


「しかし……うら若き男女が二人でこんなところに……さては逢引か?」


「ち、違います!」


 声を張り上げて美鶴が否定すると、どこか気落ちした様子で、隼人が床に視線を下ろした。


「そんなムキになって否定しなくても……」


「え……あっ、いえ、そんなつもりじゃなくて、あのっ……!」


「冗談だ」


 しどろもどろになった美鶴に、隼人はぴしゃりと言った。


「ふーむ。では……逢瀬か」


「それも違う。ってか、どっちも同じ意味だろう!」


「はっはっは……いやぁ、ついからかってしまった。すまんな」


 叫ぶように声を上げた隼人に、僧侶は苦笑しながら片手を軽く上げて制した。


「……して、話は戻るが、そなたらは人探しをしていたのではないか?」


「あ、ああ……金髪で髪の長い女が来なかったか? 白い着物を着ていたんだが……」


 急に真面目な声色に戻った僧侶に困惑しつつも、隼人はそう尋ねた。


「金の髪に白い着物……か。一つ聞くが、瞳の色を覚えているか?」


「瞳の色……? 紫、だったか」


「ほう……それはつまり、そういうことか」


 隼人の答えを聞いた僧侶は、腑に落ちた様子で自身の顎を撫でた。


「……どういうことだ」


「まぁ、立ち話はなんだ。そこに座るといい」


 そう言って、彼はほとんど消えかけた焚き火を挟んで向かいに置かれたベンチを示した。


 今のところ、この僧侶から敵意は感じない。おそらく罠の類も仕掛けられていないだろう。


「……ああ」


「じゃあ、お言葉に甘えて……失礼します」


 安全だと判断した隼人がベンチに腰を下ろすと、彼に続いて美鶴もその隣に座った。


「では、本題に入る前に自己紹介をしておこう。拙僧は、伏魔士。権田誠太と申す」


「――!」


 彼が素直に正体を明かしたことに驚いた隼人と美鶴は、目を見開いた。


「そっちが名乗ったなら、俺も名乗る。俺は葬魔――」


 隼人が名乗ろうとすると、誠太が片手を軽く上げてそれを遮った。


「承知している。斬魔の剣士、長峰隼人だな」


「……ああ」


「お初にお目にかかり、光栄だ。噂には聞いていたが……なるほど、右腕を魔獣に侵されているというのは本当だったか」


 しげしげと魔蝕の右腕を見つめる誠太に、隼人は眉をひそめた。彼にとって咎の象徴であるその右腕を凝視されることは、とても気分のいいものではない。


「それがなんだ?」


「その右腕、拝見してもよいか?」


「は……?」


 まるで骨董品の閲覧をせがむような口振りの誠太に、隼人は困惑した。


「以前、魔獣に侵蝕された者を助けたことがある。もしかしたら、力になれるやもしれん」


「なっ……! 信じられるか、そんなこと」


 最先端の医療技術、科学技術を持つ本部の医師や研究者たちですら、隼人に寄生した魔獣の摘出はできなかった。それだけに彼の疑いはひとしおだった。


「長峰さん。せっかくですから、見てもらってはいかがですか? 悪い人じゃなさそうですし……」


「冬木、お前なぁ……」


 伏魔士であるこの男なら、もしかしたら……と、思わなかったわけではない。だが、信用するにはあまりに不安要素が多すぎる。疑心と信用の天秤。その秤を後者へと傾けたのは、美鶴の言葉だった。


「はぁ……分かった。ただし、変なことをしたら斬るからな」


 溜め息を吐いた隼人は、服の袖を上腕部まで捲り上げ、漆黒の右腕を露わにした。


「肝に銘じておこう。では、失礼して……」


 誠太は一度、片手で拝んでから、隼人の右腕を持ち上げた。その動きに合わせて彼の右手首に巻かれている環が揺れる。それは、隼人の肉体を蝕む魔獣の因子を物理的に封印する、かつて手甲だったものだ。


 封印作用のある繊維で編まれた手甲は、偽装拠点での戦いの後、一部を美鶴のチョーカーに加工されて腕輪となり、牛頭山猛との戦いを経て千切れ、残った繊維を利用してミサンガに似た組紐状の環となっていた。


「ふむ……そなたが侵蝕されたのは、いつだ?」


 隼人の右腕を観察しながら、誠太がそう尋ねた。


「それは、答えないといけないのか」


「医師の問診だと思ってくれ。正確な治療をするには、正確な診察が必要だ」


「……七年前だ」


 渋い顔をしながらも、隼人は誠太の問いに答えた。


「ほう、つまり……斬魔の剣士の称号を継承する以前か」


「ああ……そうだ」


「驚いた。よく自我を保っていられるな。他の者であれば、たちまち体の主導権を奪われてしまうというのに」


「俺の場合、侵蝕されてすぐに治療を――封印を施してもらえたからだ。たまたま、念信を使える人がそのとき近くにいたんだ」


「ほう……そちらもまた、驚きだ。封印の術式を扱える念信使いなど、伏魔士でも限られている。そなた、運がよかったのだな」


「……」


 どうしてか。このとき隼人の脳裏に、“物事は起こるべくして起こる。運なんて偶発的事象で片付けるのは、感心しないな”という陽子の言葉が浮かんだ。


「ぬぅ……いやしかし……これは」


「あの、どうなんでしょうか……?」


 まるで本物の医師に診断結果を尋ねるような口調で、美鶴が聞いた。


「侵蝕の根が深すぎる。ここまで深いとなると、拙僧の師でないと難しいな。期待させて申し訳ない」


「……そうか」


 隼人は深い溜め息を吐き出した。自覚はなかったが、どうやら内心では期待していたらしい。そうして伸ばしている右手を引っ込めようとするも、誠太は隼人の右手を掴んだままだった。


「なぁ……いつまで俺の手を掴んでいるんだ。俺にそういう趣味はないぞ」


「しばし待たれよ。一つ、気になったのだが……そなた、禁門の矢に撃たれたか?」


「分かるのか?」


「そなたの右腕、そして左脚。痺れがあると見た。察するに、念信と矢が組み合わさった相乗作用によるものだろう」


「――!」


 たった数分で肉体の不調を看破されたと知り、隼人は動揺した。


「やはりそうか。だとすると、その状態で魔獣の群れを殲滅し、あまつさえあの獣鬼を打ち倒したのか」


「む……? 犬型獣鬼は倒してないぞ」


「倒していないだと……? では、どうしたと言うのだ? まさか逃げたとでも……?」


「それは……」


 美鶴のことを明かすことができない隼人は、途中で口籠もった。


「私の念信で……帰ってもらいました」


「冬木……!」


「そなたの念信で……?」


 誠太は、美鶴の言葉だけでは信じられなかったものの、隼人の反応で事実と判断した。


「なんと……ははっ、そうであったか!」


 驚きと歓喜の入り混じる笑い声を上げた誠太は、隼人の右腕に意識を集中させた。


「少し痛むぞ。我慢しろ」


「なに……? いって――!」


 咄嗟のことに反応が遅れた隼人だったが、突き刺すような激痛を右腕に感じ、強引に腕を引いた。


「なにをする! ……って、あれ?」


 鋭い痛みに思わず立ち上がった隼人は、痺れが消えていることに気付く。


「痺れは消えたか?」


「あ、ああ……」


 感覚を確かめるように、隼人は拳を握っては開いてを繰り返す。その内、右腕だけでなく左脚の痺れも消えたことを知った。コンクリートの床を踏む感触が、鮮明になっていたのだ。


「犬型獣鬼を殺さずに逃がしたことの礼だ。あれを家族と呼ぶ者がいてな……感謝する」


 そう言って誠太は、微笑みを浮かべながら深々と頭を下げた。


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