咲く花散る花 5
陶香が桃谷学園の受験を決めたのは中学二年の冬だった。
地元の中学校に入学したとき、ちょうど兄の清水昌也も高校に入学した。全国にも名が知れた難関高校に、彼は特待生で合格していた。
ある日の夕食後、珍しく家族全員がリビングに揃っていた。
陶香は床に座り、特に興味もない野球の試合中継をぼんやりと眺めながら、ソファに座っている父と兄の昌也を一瞥した。昌也は父に学歴と年収の相関性について熱心に語っている。父は終始「はぁ」や「そうか」など、適当な相槌を打ちながら、兄の話を受け流していた。
「ああそうだ、陶香」
CMに切り替わったタイミングで父が話しかけてきた。
「お前、もう進路は決まったのか」
「いやあね、お父さん」
陶香が答える代わりに、台所で洗い物をしていた母が返した。
「第一高校に決めたって昨日言ったじゃない。この子の学力からして、あのへんが妥当でしょ?」
すると父は陶香の方を向いて、
「なぁ、陶香はそれでいいのか?」
「……別に」
陶香はぼそりと漏らす。
父に志望校のことを訊かれるのが不快で仕方なかった。今までろくに子育てしてこなかったくせに、こんなときだけ父親面なんて。
父はローテーブル上のリモコンに手を伸ばすと、ぷつりとテレビの電源を切った。
「私立桃谷学園」
「は?」
「名前は聞いたことあるだろう?」
「ま、まぁ……最近ニュースでもよくやってるし。あれでしょ? 戦国式教育を本格的に受けられるって高校」
「どうだ。お前、受けてみないか?」
「……え?」予想外の誘いに陶香は顔を顰める。
すると、黙って聞いていた昌也が突然吹き出した。
「いや、無理無理、父さん。あそこは入るだけでも大変なんだって。まずは書類選考だろ、そして筆記試験、実技試験、でもって面接。こいつみたいな一般人は書類で落とされちまうぜ」
「それは分からないだろう。まだ一年も時間はあるんだ。頑張り次第で合格もありえる」
「いやいや……」昌也は片手で頭を掻き上げる。
「なぁ、陶香、この話は頭の片隅にでも留めておいてくれないか。別に今決断しろとは言わないから」
「……分かった」
陶香はにやにや笑う昌也を無視して立ち上がり、居間を出た。
二階の自分の部屋に入ってばたりとドアを閉めると、すぐさまパソコンを起動させ、桃谷学園のホームページを検索して開く。
───ようこそ、私立桃谷学園へ
そんな文言とももに、巨大な校舎が画面一杯に映し出される。コンクリートのブロックを何個も積み重ねたような外観で、学校というよりはモダン風な美術館といったところだろうか。
ここで最新の戦国式教育を受けられるのか、と圧倒されながら目を皿のようにして画面をスクロールしていく。
───桃谷学園はあなたの入学を待っています
資料請求案内の横にそんな文章が挿入されていた。
「本当に……?」
ふっと鼻で嗤いながらも、不思議とその一文から目が離せない。
(もし、本当にそうなのだとしたら)
画面から目を離して、窓ガラスに映る自分自身と目を合わせる。
昌也の言う通り、本当に何の取り柄もない一般人だ。
でも、それでも。
まだ陶香は14歳、夢を見ていたいお年頃。
一縷の望みに賭けてみても、許されるのではないか。
死ぬ気で勉強して、桃谷学園の門をくぐることができたなら、何かが変わるかもしれない。変えられるかもしれない。平凡だった人生に色が宿るかもしれない。
陶香は早足で階段を降り、リビングにいる家族に向かってこう言った。
「私、決めた。桃谷学園を受けてみる」