288 ユーリ・ウコンネル
翌日、ミカ様から提示された文面は次の通り。
【高額での譲渡希望。猫の名前はイー・スー・チー。詳細はグランドヨークホテルのフロントまで】
どうやら旧ファインラント王国の王宮では三匹の猫を飼っていて、それぞれイースター、スープー、チーザーという名前だったらしい。幼いミカ様がその三匹をイー、スー、チーと呼んで可愛がっていたことを第二王子が憶えていれば、この広告がミカ様によって掲載されたことが分かるはずとのこと。
そしてこの広告は一見、猫の譲渡先を探すためのものに見えるだけだ。もちろん、ファインラント語ではなくアメリーゴ語で掲載することで目立たないようにする。
「ねえ、ミカ様。第二王子殿下ってアメリーゴ語は読めるのかな?」
「これだけ長くこの国にいて、この国の言葉すら読めないようであれば、お会いする価値も無いと思います」
あはっ、こりゃ一本取られたね。確かにそうだよ。てか、ミカ様もなかなか言うようになったね。頼もしいよ。
ホテルのフロントの人に聞いたいくつかの新聞社へ手分けして訪問した。アレンとルーシーちゃんは単独で、ミカ様は私と一緒に行動する。
どの新聞でも明日か明後日の掲載になるらしい。
本当に猫が欲しい人が来た場合にはすでに譲渡先が決まって渡してしまったと嘘をつくしかないんだけど、ちょっと心苦しいな。まぁ、高額でって書いているから、そんなに来ないとは思うけど。
その三日後、30代くらいの男性がホテルのフロントに現れた。
私たちが1階のロビーに降りていくと、その男性がファインラント語で叫んだ。
『ま、まさかミカ様ですか?ミカ・ハウハ様ではございませんか?』
『え?ユーリ様?ユーリ・ウコンネル様ですか?』
『ええ、ええ、ユーリでございます。ああ、こんなに大きくなられて。ご健勝でなによりです』
いきなり知り合いに出会えるとは運が良い。どうやらイー・スー・チーという名前ですぐにピンときたらしい。でも気付いたのはこのユーリ氏だけで、第二王子は気付かなかったというのがなんともはや…。
『それでそちらの方々は?』
『私の命の恩人です。そうだ、ユーリ様はグレンテイン語が分かりますよね?今後はグレンテイン語で会話しましょう』
私がアレンやルーシーちゃんにファインラント語をアメリーゴ語に同時通訳してあげてたんだけど、それが不要になるならありがたい。
『とりあえずここでは人目がありますので、部屋のほうに行きましょう』
私がファインラント語で話しかけるとユーリ氏はちょっと驚いた顔になった。貴族たる自分に平民がいきなり話しかけんなよってことかな?
とにかく共和国の人からしたら、よく分からない(聞いたこともない)外国語で話している集団は不気味だろう。私たちはユーリ氏とともにミカ様の部屋に入った。シングルルームに五人はさすがに狭いけどね。
まずは私が話を切り出した。もちろん、グレンテイン語だ。
「まず自己紹介させていただきます。私はマリア・フォン・シュトレーゼンと申します。ミカ様とは3年前に出会いました」
「アレン・フォン・リヴァストです。どうぞよろしく」
「ルーシーメイ・フォン・シャミュアでございます。よろしくお願いします」
「皆様はグレンテイン王国の貴族の方々でしたか。私はユーリ・ウコンネル。旧ファインラント王国のウコンネル男爵家の人間です。もちろん今や貴族でも何でもありませんが…」
苦笑しつつ話すユーリ氏は共和国での生活が長いせいか、あまり身分に囚われてはいないようだ。うん、そのほうが話しやすくて良いね。
「あ、一つ付け加えておきますと、ミカ様は現在グレンテイン王国の子爵家当主というお立場になっておられます。しかも将来的には、ガルム帝国の貴族として叙爵される可能性まであります。それを念頭に置いたうえでミカ様のお話をお聞きください」
私のこの言葉に驚いているユーリ氏。
ここからミカ様の長い長い話が始まった。逃避行の件はある程度省略し、主に3年前のグレンテイン王国で私に出会った頃からの話だ。
アレンや私も補足してあげて、数々のイベントを語り終えたころにはすっかり夜になっていたよ。
「ミカ様がガルム帝国に味方したとは信じられません。我が祖国、いやファインラント亡命政府への裏切りだとは思われなかったのですか?」
「全く思いません。私はファインラント領を訪れて市井の方々の意見を聞く機会がありました。かつての王家から民心が離れていたということを。さらに侵攻軍の司令官は断罪され、帝国の皇帝陛下からの謝罪も受け取りました。これらは全てここにいるマリア様のお導きです。逆にお聞きしますが、亡命政府が何か成したのでしょうか?」
「うむ、共和国政府が帝国に宣戦を布告するように工作したことが我が亡命政府の成果です」
「それは共和国の大義名分に使われただけでしょう?だからあっさりと休戦協定を結んだ。違いますか?」
「そ、それは…。休戦であって講和したわけではありません。まだ戦争は続いていると考えております」
「そう言えばファインラント亡命政府は共和国政府を非難する声明を出したそうではありませんか。よくそんな恥知らずなことができましたね」
「わ、私は強行に反対したのです。ですが、私はあまり王子殿下に信用されておらぬようでして、意見は通りませんでした。無念です」
本当に無念そうな顔をしているユーリ氏を見ると、亡命政府の中でもこの人だけは信用できそうな気がしてきたよ。
そこで私は本題を切り出した。
「ミカ様はファインラント領の領主となることが内定しております。しかし、ミカ様自身はグレンテイン王国で生活することを望んでいるため、代官として第二王子殿下を任命したいと考えているのです。実質、王子殿下が領主みたいなものですね。建前上は代官という形式になりますが…。これを王子殿下が受けるかどうかをお聞きするのが、私たちがこの国に来た目的です」
「なるほど。私自身は良いお話だと思います。名を捨てて実を取るわけですね。ですが、はたしてプライドの高い取り巻きたちが納得するかどうかは分かりません。持ち帰って検討したいと思っておりますが、直接ミカ様と王子殿下ほか側近たちとの会見をセッティングしていただくことになるかもしれません」
「ええ、もちろんそれは大丈夫ですよ。私たちも奸臣は排除したいと考えておりますので」
にやりと笑ってそう答えた私にユーリ氏がビクッとした。
「シュトレーゼン…まさかあのシュトレーゼンですか。なぜ気付かなかったのか。まさかこんな可愛い方が悪魔だったとは…」
…って、おい!誰が悪魔やねん。でも可愛いって言ったから許す!