143 グラハム・フォン・グランドール辺境伯の回想①
王国が帝国に宣戦布告を行ってから国境地帯での緊張が高まっている。
王国から攻め込むことは(今のところ)無いし、帝国もまさか共和国と戦いながら王国とも戦うなどという馬鹿なことはしないだろう。
したがって俺たちの役割はただここにいること。それだけで任務を達成できる。決して楽観はできないが、必要以上に緊張することもない。
ところが開戦から二週間、帝国内に潜入させていた密偵から緊急の連絡が入ってきた。
帝国の予備兵力2個軍、8個師団8万名が移動を開始したとのことだ。
最初は戦況が思わしくないアメリーゴ共和国方面へ投入するものとばかり思っていたのだが、進行方向が共和国方面とは90度異なるこちら、つまり王国方面であることが判明した。
通信の魔道具で王宮へ緊急連絡を入れたものの、現在の兵力ではとても守り切れないだろう。
こちらは俺の編成した1個旅団5千名と王都から来た1個師団1万名しかいないのだ。8万名とぶつかって無事で済むはずがない。
ところが報告の翌日、陛下の命令が次のように下された。うちの領民を隣のシュトレーゼン男爵領へ避難させること、遅滞防御で帝国の侵攻を遅らせること、できるだけ兵力を失うことなくシュトレーゼン領への撤退を完了させることの3点だ。
領民の避難には時間がかかるので、遅滞戦術は必要だ。しかし、これは第3の命令と矛盾する。とても難しい。しかし、陛下の命令だ。やらねばならぬ。
俺からも王宮参謀部へ進言した。本当ならやりたくないが、これだけの戦力差だ。やらざるを得ないだろう。それは焦土戦術。我が領を殺す一手だが、王国のために犠牲になろう。
しかし、その戦術は禁止された。領を預かる俺としてはありがたいことだが、参謀部の見込みは甘いのではないかと思わざるを得ない。
俺自身が部隊の殿を務め、潰走することなく整然と退却を続けた。それでも3個大隊分の兵力は失ったが、なんとかシュトレーゼン領と我が領を区切るブレーン川の橋を渡ることができた。
これで橋を落とせば、かなりの時間が稼げるだろう。王都からの援軍がいつ来るのか連絡は無いが、ここが俺の死に場所であることは確実だな。
しかし、その予想は良い意味で覆された。それも20歳そこそこの若者たち3名によって。
「はじめまして、辺境伯様。私はこのシュトレーゼン男爵領のマリアと申します。お見知りおきを」
「お久しぶりです、グランドール辺境伯様。アレン・フォン・リヴァストです」
「私も以前お目にかかったことがあるのですが、ルーシーメイ・フォン・シャミュアでございます」
全員20歳くらいの男女3人だ。アレン殿とルーシーメイ嬢は面識があるが、マリア嬢はもしかしてグラハム・フォン・シュトレーゼンの娘か。
やつとは名前が同じこともあって、高等学院時代に知り合ったあともずっと友人関係を続けている。でもこんな可愛い娘がいるとは聞いてないぞ。今度会ったら文句を言ってやろう。はは、今度は無いんだったな。
「とりあえず辺境伯様だけ、こちらへおいでください」
秘密保持のためだろうか、副官さえも同行を許されず、丘の上にある奇妙な建物の中に案内された。鉄でできた大きな箱、それが第一印象だ。
そこで恐るべきことを聞いた。それをここに記すことはできないが、なんとも信じがたい話ではあった。
もしもそれが真実ならば王国はここで勝利できる。しかしあまりにも我々にとって都合の良すぎる話であり、にわかには信じられない。
「それでは1回だけ魔法を発動します。あまり兵士たちには見せたくないのですが…」
マリア嬢の言葉にアレン殿とルーシーメイ嬢が手を繋いで輪を作り、マリア嬢の掲げた右手の先から何かが発射された。いや見えなかったので推測だが、発射されたのだろう。
ブレーン川の対岸に小さな土煙があがったが、全く期待外れの威力だった。その一瞬後、大きな閃光と音、衝撃がやってきた。マリア嬢の話では『爆発』というらしい。
「信じていただけましたか?」
にっこりと微笑むマリア嬢が俺には天使に見えたのだが、敵にとっては悪魔かもしれないな。
戦闘時の細かい打ち合わせを行ったあと兵士たちのもとに戻り、先ほどの『爆発』が何の問題もないことを説明し、帝国軍が来たときにも同様の現象が発生するから動揺しないように周知した。
マリア嬢に会うまで死ぬつもりであった俺だが、今は帝国軍が来るのを楽しみに待っているとは何という心境の変化だろうか。