商家の娘と失恋騎士と
恋に落ちるまでは一瞬で。
メアリは、普通の商家の娘だ。
「あーあ。何かいい事ないかしら?」
「何があなたのいい事になるの?退屈してるのはわかるけど。ああ。そうだわ。3番通りのニコラスさんにこの請求書届けて来て。」
地獄耳の母に気づかれて、お使いに出るハメになった。
まあ。いいか。今日は天気もいいし。お散歩日和。
メアリは長女だが、もう20歳。
この国においては、いわゆる嫁ぎ遅れで、後がないどころか、絶望的。
そもそも。超絶貧乏だった我が家の手伝いを小さい時から必死で行っていたら、結婚適齢期なんて、とっくに過ぎてた。
まあ。何て特徴もない、普通の娘さんなりに、実は、縁談が来なかった訳ではないのだ。
残念な事に、適齢期な16〜18歳は、隣国との政治不和で、物流が滞り、商家の我が家は火の車だった。
5つ年の離れた弟だけは、それでも、高等教育を受けさせたいと、学費の捻出の為に、家族総出で、必死に商いに励んだのだ。
昨年、やっと落ち着いた所で、ハッと気がついた時には、適齢期をすぎたばかり。
危機感に苛まれ、婚活という物に目を向けるも、この国では、適齢期を少しでも外れると、非常に、条件の悪い相手しかいなかったのだ。
性格やら何やらに問題があって普通に結婚出来ない男か、後妻になるか、妾になるか。
ぶっちゃけ、その三択しかなかった。
熟考の結果。
問題は先延ばしする事にした。
天性の美貌とかあったら、あの大変な適齢期の最中でも、すぐにお金持ちと結婚して、楽な生活が出来ただろう。でも、そんなの持ってない。持ってないものはしょうがない。
はあっ。と、ため息をつくと、すでに3番通りまで歩いて来ていた。超お得意様、ニコラスさんの家はすぐそこだ。
チャイムを鳴らし、ニコラスさん家のメイドさんに、本日の要件を伝える。
「あらあら。メアリちゃんが来てくれたの?お久しぶりね。」
メイド長のヘレンさんが、通りかかって、笑顔で声を掛けてくれる。私が子供の時から、全然変わってない?って思う程に、美貌の持ち主なのだ。ああ。こんなに容姿も性格も良い女性なんて、ヘレンさん、神様から愛されてますね。いいなぁ。
なんて、思っていると、ヘレンさんが、執事に取り次いでくれて、あっという間に用事は済んだ。
帰る前に、クッキーまでお土産にもらって、ホクホクだ。
帰り道、最近、常連客となった古書店による。
カランコロン。
ドアベルの音が心地いい。
書物の匂いに包まれる。
「こんにちは。トムさんーーー??あれっ?」
いつものトム爺の座るカウンターに、銀髪の細身の男性が座っている。
店を間違えた??わけないな。
フッと顔を上げた青年は、驚く程に美形だった。
何?この美形。トム爺の親戚??
「ああ。いらっしゃい。何かお探しですか?それとも、トム爺に用事?」
「えええっと。あの・・・。あなたは?」
しまった。質問に質問で返してしまった。
「トム爺、昨日、腰を痛めて、診療所にシップ薬を貰いに行ったよ。後、一刻ぐらいで戻って来ると思う。で、俺は頼まれて留守番という訳。」
「あぁ。そうなんですね。すみません。驚いてしまって。」
「構わないよ。今日は何かお探しですか?」
そう、静かに微笑んで質問された瞬間、驚く程美形の青年に、自分がどんな本を読むのか知られるのが恥ずかしい気がして、返答に困った。
だって。商家の自宅には、貧乏ながらに、本は別扱いで、歴史、経済、簿記、多国語など、小さな書庫がある。
家に置いてない恋愛小説やら、推理小説が読みたくて、ここに通って来ているのだ。
「あ。えっと。また来ます。」
回れ右だ!!
私好みの超絶美形に恋愛小説、しかも、何読んでるかなんて、絶対知られる訳にはいかない!!
あああ。私ってば最悪。
失礼にも程がある。
でも、もう、無理。完全に、うちのお客さんだったり、恋愛対象外なおじ様たちなら、いくらでもおしゃべりできるけど。
自分の年齢に近い男性と何を話せばいいのかなんて、サッパリわからない。
店員だとしても、無理。
美形とは、縁の無いもの。眺めて楽しむもの。あんな美形とは、超絶美少女と並んでもらいたい。
恥ずかしさで、身体が火照っているのが自分で解るぐらいだ。
美形を見れたのはいいけど。トムさんじゃなかったら、あの本屋さんにも、もう、行き辛い。
店員に気を使わないといけないなら、何のための息抜きなのか。
無意識にため息が出る。
ああ。こんなんじゃ、恋愛のレもないなぁ。
☆☆☆
「あ。えっと。また来ます。」
そう言って、頰を赤らめた女性は、逃げるように出て行ってしまった。
自分の外見がいいのは、まあ、自覚している。言い寄られるのも多ければ、近づけなくて、コソコソと見られる事も多い。
何も気にする事では無いように思えた。
だが。何か引っかかる。
何だったのか。
しばらく、ぼうっと考えていたが、思い当たらない。気のせいだったのか?どこにでもいそうな、普通のお嬢さんだった。
「カイル。戻ったよ。ありがとうよ。すまないねぇ。」
トム爺さんが腰をさすりながら書店に戻る。
「いやいや。爺さんには世話になったし。モルの街に異動になるまで、あと1月あるし。時々寄るよ。」
「そりゃあ助かる。」
「そうそう。さっき、女性のお客さんが来たんだけど。逃げるように、帰って行っちゃって。ごめんな。ここをよく知った風だったんだが。」
「んー?メアリちゃんかの?ほれ。くすんだ金髪をリボンで結んでて。これくらいの子かの?」
そう言って、爺さんが、書棚の下から6段目辺りに手を伸ばす。
「まあ。そんな感じだった。」
「あの子は、16番通りの角の、輝石と、薬草を主に扱ってるお店の、娘さんだよ。
いつも、元気なんだけどねぇ。人見知りするようにも見えないんじゃが。まあ、カイルの顔に驚いたんじゃろ?」
「輝石と薬草・・・」
「去年、やっと、ユグの国からの輝石と薬草が輸入できるようになったじゃろ?
何でも、輝石も、薬草も、特殊な物を主に扱っていたらしくてなぁ。元々、5番通りの中央に、いい品揃えだったんだがの。
ユグが流さないもんだから、あっという間に干上がっちまって。店舗は手放して、街外れの家から、配達だけで細々やってるようじゃなぁ。」
「特殊な物?」
輝石はその名の通り、魔力を込めて夜間の灯りにする石だ。その石に込められる魔力の量や、それをどれだけ長時間光らせられるか、照度の程度で値段が変わる。他に何かあるのか?
「白く輝く石やら、青く輝く石やら、光り方が、特殊なものを扱うらしい。薬草も、普通の店には無いような。まあ、言っちゃなんだが、普段は売れそうに無いものが色々あるらしいがの。
・・・そのせいで、潰れもせんが、儲けも未だ少ないようじゃの。」
ふと、昔話した小さな娘を思い出す。
『葉緑の種なら、ありますよ。ただ。申し訳ないのですが、少し、品質が悪いのです。この種は、今は入手困難なので。あと、量も、そんなに。』
非常に申し訳なさそうに、薬瓶を持ち出した娘は、平時と同じくらいの値段で、売ってくれたのだった。
あれは、5年くらい前の初夏の事だ。
ああ。あの時の娘か。
婚約者のローザが、紫毒の花を口にして、解毒作用のある葉緑の種を探して、王都中を探し回ったのだった。
2件の店で買う事が出来たが、もう1軒では、足元を見るように値を釣り上げられ、10倍もの値段で買ったと覚えている。
親の決めた婚約者だった。
だが、愛していない訳ではなかった。少なくとも、俺は。デビュタントを終え、翌年には結婚の予定だった。
紫毒は解毒できたのに、四肢に痺れが残った。紫毒を彼女に渡したのは、執事の息子だったと聞いた。幼馴染のように、育ってきたという。彼はすぐに、伯爵令嬢に毒を盛ったとして、殺人未遂の罪で処刑となった。
彼女が何を考えていたのか、今でもわからない。
好いた男性がいたのか。それは、毒を渡した彼だったのか。
意識を取り戻した彼女とは、1度だけあった。しかし、体調を理由に、その後は面会を避けるようになり、2度と会うことが無かった。
彼が処刑されたその冬、彼女は、薄氷が張りかけた庭の池に落ちて亡くなっていたのを発見されたという。
庭に出るのも、人の手を借りないと、困難なくらいにやつれていたと聞いていたのに。
葬儀で見た彼女は、やつれていながらも、壮絶な美しさだった。
父親のリーンベック伯爵に、地に頭をつけんばかりの勢いで謝罪されたのを、理解が追いつかない頭で、眺め、当たり障りない話をして、気がついたら葬儀は終わっていた。
近衛騎士を辞し、諜報を行う影になった。表の世界にいると、夜会や見合いに煩わされ、もう、うんざりだったのだ。
しばらくは、女の事など、考えたくもなかった。少なくとも、心を寄せていた相手が急に居なくなったショックは、どんなに取り繕おうとしても、家族には見抜かれていたらしく、長兄に、1年間の留学を言い渡された挙句、帰国後は、兄の元で仕事をしている、という事になっているが、諜報活動ばかりしている。
今の仕事になって、色んな物、色んな人に出会った。ローザを思い出す事も無くなっていた。
元より、公爵家の5男なんて、気楽な立ち位置だ。
出来の良い兄達がいて、この影の仕事も、家の役にも立つ。
家に、というか。腹黒い長兄に、いいように使われてる気もするが。
「・・・カイル。おい。なんじゃ。せっかくの客を追い返しちまったんだ。この本を、嬢ちゃんまで、配本じゃ。」
「んん?注文の本を取りに来てたのか?じゃあ、そう言えばよかったのに。」
「注文は受けとらんがの。顧客の要望ぐらい把握しとるよ。」
ふと、メアリと呼ばれた、その普通の娘にひどく興味を持ってしまった自分に気がつく。
恋とはまだ違うただの興味かもしれないが。
女性と、話してみようと思ったのは久しぶりだ。
会いに行こう。そして、あの時の感謝の気持ちを伝えよう。
少し、緊張しているのは、なぜなのか。
2人が恋に落ちる3度目の出会いまで、あと、少し。
恋とは一気に燃え上がるもの。
持続させる方が難しい。